46『恋愛とは、観賞用のものでしかない』


「ま、棟区はクラスで問題起こさないだろ。ほら、適当に座ってもう飯食え。休み時間なくなるぞ」


 生徒指導室という物々しい名前の部屋に入って早々、担任の教師の開口一番はこれであった。

 言われる前から図々しく座ろうとしていた子犬系女子が 「はいはーい」 と真っ先に返事をしたが、君はいつから棟区家に入ったのだろうか。


「ありがとうございます」


「コーヒーはブラックで良いか?」


「重ね重ね、ありがとうございます。いただきます」


「いやホント、ブラックで飲めるって凄ぇよなぁ。俺、ミルク入れないと胃が気持ち悪くなるんだわ」


「体質の問題もありますが、先生は単に飲み過ぎなのでは?」


「おーう、嫁と同じこと言わないでくれよ……」


「タケちゃんセンセ! 私はお砂糖とミルクたっぷりで!」


 手を上げながら元気よくリクエストを飛ばしている紗綾音を我関せず、秋水はごそごそとビニール袋から昼飯を取り出していく。

 おにぎり3つ、シンプルな袋入りのサラダ、そしてサラダチキンである。

 サラダにドレッシングは付属しておらず、さらには別口でのドレッシングも用意していない。生で食えば良いじゃないかという、食の楽しみを忘れてしまった少年だ。サラダドレッシングなど油飲んでるようなものじゃないか、と言うのが秋水の意見である。

 なんだかんだ紆余曲折とあったものの、最終的には秋水と一緒にごはんという目標は達成されたことに変わりはないので、にっこにこの紗綾音はその隣で弁当が入った袋を広げ始めているが、それに担任の教師が待ったを掛ける。


「いや渡巻、お前には普通に話がある」


「なんで!?」


 驚くチワワ。

 おや? と秋水も若干驚くが、それは表情に出さずにおにぎりの包装を慣れた手付きで開いていく。ちなみに具材は梅干しだ。

 ただ単に、教室の雰囲気を奈落に突き落とした犯人を、教室から隔離するために連れ出してきただけなのだと思っていたのだが、紗綾音の方は違うらしい。


「逆に何で自分も無罪放免みたいな面してんだよ……」


「棟区くんはお咎めなしだよ!」


「こいつはクラスで問題なんぞ起こさねぇよ」


 さらりと断言する担任の教師の言葉に、おにぎりを食べようとしていた秋水の動きが1度止まる。

 何故か信用されている。

 そんなに心証を良くするような出来事なんてあっただろうか。特に心当たりなどないのだが、あっさりと言い切った担任の教師の謎の確信めいたそれを不思議に思いつつ、おにぎりを一口。


「おっと棟区くんに対する分厚い信頼装甲。防御力が10%上昇する模様」


「俺が今欲しいのは、防御力よりもお前の軽口を受け流す回避力だな」


「タケちゃんセンセ、人の言葉を何でもかんでも真っ正面から拾ってたら、すぐに心が疲れちゃうんだよ?」


「なんで俺がメンタルカウンセリング受けてる感じになってるんだよ」


 急にしんみりと諭すような口調になる紗綾音の目の前に、おら、と担任の教師は紙コップに淹れたコーヒーを置き、どうぞ、と秋水の前にもコーヒーを置いてから自分も椅子に座る。

 なんか扱い違わくない? お砂糖は? ミルクは?

 きゃんきゃん吠えるチワワの目の前に、おら、とスティックシュガーを3本程投擲し、ついでに備え付けの小さな冷蔵庫から牛乳を取り出してくる。

 えー、低脂肪乳?

 なんの拘りなのだろうか、若干不満そうに紗綾音はぶつくさ言いながらも、貰った砂糖をコーヒーへ全部入れ、牛乳を注いでから味を確かめるようにコーヒーを一口飲んで、美味しかったのかニコニコのご満悦スマイルへと早変わりである。感情の起伏どうなってるのだろうか。

 改めて担任の教師は椅子に座り、なんの話だったかな、と少し疲れたように眉間を押さえた。

 その若さで認知症なの、とか余計な茶々を入れる紗綾音を無視して、お前らの違いについてだったよな、と担任の教師は強引に話を戻してきた。

 ぶー、と無視されて唇を尖らせる紗綾音に、どうせだったら保護者の竜泉寺も来てくれたら良かったな、と場違いなことを考えながら秋水はもぐもぐと口を動かす。


「前例主義ってのはどうしても批判されがちだけどな、結局の所は信用ってのは常に前例主義なんだよ」


 と、担任の教師は前置きのように一言置いた。


「棟区は問題を起こした前例がない。だから、その点については信用してる、ってのはあれか、渡巻が啖呵切ってたのと結局は同じ内容だわな」


「やーい、タケちゃんセンセの二番煎じの出涸らし昆布茶ー」


「お前その語感だけで喋るの止めねぇか? てかな、前例の信用って話になると、今のところ渡巻はグレーだからな、目つけてるからな」


「うぇ!? 話の矛先こっち向いちゃった!?」


 話の矛先は最初から紗綾音に向けられているような気もするのだが。

 1つ目のおにぎりを食べ終わり、完全に傍観者の立ち位置で秋水はブラックコーヒーを啜りながら心の中でツッコミを入れる。

 しかし、問題を起こしたことがないから信用している、とは、それはつまり前提として生徒を最初から信用しているという意味ではなかろうか。その理論だったら、信用される前例がなければ信用されないという意味のハズだ。

 相変わらず良い人だなぁ、とこれもまた他人事のように思いつつ、2つめのおにぎりを開封する。具材は昆布だ。


「渡巻の方についてはあれだよ、忌憚のない言い方になるけどな」


「き、きたん?」


「あー、正直にぶっちゃけるとだな」


「あ、うん、それなら分かる」


「……お前、男子生徒との色恋的なトラブルがその内起きそうで、めっちゃヒヤヒヤしてんだよなー、俺」


 何故だろう、担任の教師の喋り方が急にIQ下がった感じである。生徒に合わせていると言うべきなのか。

 教員とは大変だなぁ、と感心するべきなのだろうか。このチワワ、教師からも馬鹿だと思われてる、とクラスメイトの心配をするべきなのだろうか。


「おおう、色恋的ってあれだよね、惚れた腫れた刺された死んだ、みたいな系?」


「刺されて死んだら大惨事なんだよな」


「それなら大丈夫!」


 随分な自信である。

 おにぎりを食べならがちらりと紗綾音の方を見ると、話の最中だというのに堂々と弁当を広げながら、そして偉そうに堂々と胸を張っているところであった。

 張った胸へと視線を落としてみるも、肩甲骨硬そうだなぁ、背筋のストレッチした方が良いなぁ、と男子中学生らしからぬ感想しか出て来なかった。


「前からお姉ちゃんに男子相手にはちゃんとガード固めなさいとか、男子にぺたぺたボディタッチしちゃいけませんとか、男子を迂闊に下の名前で親しげに呼んじゃいけませんとか、ずっと注意されてるんだから。その辺のことはちゃんとしてるよー」


「おー、そりゃちゃんとしたお姉ちゃんだな。いや凄ぇよ、渡巻の姉ちゃん」


「そうだよ! 凄いよ私のお姉ちゃん!」


「お前マジでこれからも姉ちゃんの言うことはちゃんと聞けよ……」


 がくりと項垂れる担任の教師。ドンマイである。

 皮肉を言われていたにも関わらず、それを理解出来ていないのだろうか、もちろんだよ! と紗綾音は姉のことを褒められて上機嫌だ。姉妹仲が良さそうで何よりだ。逢えなくなってからでは何もかも遅いからな。

 そう言えば、女子には専ら下の名前かニックネームであるのに対し、確かに紗綾音が男子を名前呼びしているのを見たことはない。

 アレは姉に言い聞かせられていたからなのか。

 なるほど、これは確かに担任の教師と同じ言葉しか出て来ない。これからも姉の言うことはちゃんと聞いて欲しい。


「楠木の奴が職員室に転がり込んできたとき、あー、ついに色気づいた揉め事が起きちまったかぁ、って思ったんだよ」


 疲れた様子の愚痴のように零しながら、担任の教師は自分用に淹れたコーヒーの中に牛乳を少量落とし、ぐいっと一気に半分くらい飲んでしまった。

 いやだから、飲み過ぎだ、胃が荒れるぞ。そりゃ奥方も心配するだろうな。

 豪快な飲み方に秋水は思わず半眼になってじとっとした視線を向けてしまう。ただし秋水の目つきでは睨み付けているような感じになるだけなので、慌てて首を振って気を取り直す。


「タケちゃんセンセ、そんなドロドロでバチバチな恋愛劇なんてゲームやドラマの中だけなんだよ? 二次元と三次元の区別つけよ?」


「ちなみに、そのドロドロでバチバチの渦中には渡巻がいると思ってたんだからな?」


「え、私? はっはー、ヤだな、そんな私が乙女ゲーみたいにモテるわけないじゃん! 最近はクラスじゃ子犬のペットみたいな扱いなんだよ私!」


「棟区、お前って本当にアスリートみたいな食事ラインナップだよな。サラダチキンってそのまま食っても美味いのか?」


「おいこっち見ろよタケちゃんセンセ!」


 もはや紗綾音との会話に匙を投げてしまったのだろうか、担任の教師は急に秋水の方へと話を振ってきた。

 それに対してもぐもぐとおにぎりを咀嚼しながら、サラダの袋を開けているところだった秋水は顔を上げる。




「渡巻さんはモテると思いますよ」




「……はぇ?」


 割り箸の袋を開けながら、秋水はしれっと注意だけ入れておいた。

 これに関しては担任の教師や、恐らく紗綾音の姉も同意見なのだと思われる。


 何と言うか、紗綾音は根本的に警戒心が足りないのだ。


 男子とはちゃんと一線を引いているというのは本人の談だが、それと異性から好かれやすいかどうかと言うのは完全に別問題である。

 確かに男子を呼ぶときは名字呼びだし、女子相手よりもボディタッチが少ない。それは姉の教育の賜物、なのだろう。

 だが、それで紗綾音が不用意に男子を惚れさせていないかと言えば、それはNOである。


 明るく笑顔で話しかけてきて、目を見て自分を肯定してきてくれる女子に、コロリといく馬鹿は多い。


 あれ、これって俺に惚れてるんじゃない? ワンチャンいけるんじゃない? とか勘違いする馬鹿も多い。


 いや、男というのは、基本的に馬鹿なのだ。


 さらに言えば、紗綾音は見て呉れが普通に可愛いのである。

 可愛い女子が自分に理解を示そうと話しかけてくるとか、サークルクラッシャーさんかな?

 男女問わずにフレンドリーに接していくのは紗綾音の気質が大きいのだろう。

 それを悪いとは言わないが、しかしながら、それはどうにも見ていて危なっかしい。色々な男子を惚れさせたり勘違いさせたりした挙げ句、担任の教師が言うような、色気づいた揉め事、とかいうのに発展しても何らおかしくはない。

 そして本人にその自覚がないときた。

 この状況、姉からすれば心配で気が気じゃないだろう。

 だからこそ、男子相手には注意しろと注意していたのだと思われる。

 本当に、これからも姉の言うことはちゃんと聞いて欲しい。そして姉にはこれからも頑張って欲しい。




「渡巻さんは明るくて可愛いですし、女性として魅力的ですから、男子から恋愛的に好かれやすいと思いますよ。だから注意して下さい」




 今まで塩な対応しかしてこなかった秋水の唐突な褒め言葉に、紗綾音は思わず言葉に詰まってしまった。

 別に紗綾音とて恋愛に興味がないわけではない。

 いや、普通に興味がある。

 恋話を聞くと、きゃーっ、とジタバタしたくなるし、恋愛モノの話を見ると、わーっ、と顔が熱くなる。友達の恋愛相談は大好きだし、恋人できちゃったとか聞くと凄い興奮する。そして、その究極系の話を聞くときは、もう。

 訂正が必要だ。普通に興味がある、ではない、恋愛にはめちゃくちゃ興味がある。


 だが、それは観賞用としての話だ。


 その話の中に自分が組み込まれるのは、どうにも想像出来ない。


 姉からは常日頃から凄い注意される。

 母からもそういう距離感なのはどうかと思うと心配される。

 それに、まあ、自分が好かれやすいのは自覚している。

 しかしながら、それは友達として、というのが正直なところである。所謂、良いお友達、といった感じか。

 だって、今までそんな告白とか、お付き合いがどうのとか、そんな話が出てきたことないし。

 男子と仲良くしたところで、わちゃわちゃと馬鹿やっている友達感覚でしかないし。

 その男子だって、そんな自分を女の子として見てくる感じなんてなかったし。

 そういう雰囲気なんて今まで一度もなかったし。

 恋愛話は観賞用で、自分のキャラからはかけ離れてる感じだし。


 うー、と顔を赤くしながら紗綾音は呻いた。


 秋水は袋のままサラダを食べていた。


 しれっと言われた爆弾発言に、なんと返したものかと紗綾音は迷いながらも、赤らめた顔のまま微妙な笑顔を浮かべておいた。


「……え、と…………あ、ありがと……?」


「なぁなぁ、サラダチキンってそのまま食っても美味いのか? おすすめのフレーバーとかあるのか?」


「なんでタケちゃんセンセはサラダチキンに目が釘付けなのかな!? たぶん今棟区くん大事なこと言ってた!」


「プレーンも慣れれば美味しいですが、バーベキュー風味的な濃いめの味付けの商品が最初はお勧めです。それからレモン風味へと味付けをさっぱり系に寄せていくと良いと思われます。味付けで栄養価に大きな差異はないですが、その味付け自体で使われる添加物が気になる方もいらっしゃいますし、値段的にもプレーンが最も安く価格設定されている場合がほとんどなので、やはり最終的にはサラダチキンはプレーンに行き着きがちになります。もちろんですが、個人の好みに寄るところが大きいので、色々な味を試してみるのが良いかなと思います。個人的にはタンドリーチキン風味のラインナップでハズレを引いたことはないですね」


「いや棟区くんも何でサラダキチンの話にめっちゃ前のめりなのかな!? 何が棟区くんの琴線さわさわしちゃった感じなのかな!?」


「タンドリーチキンか、分かった。いやー、タンパク質大事だよなってプロテイン飲んだら腹下してさ、なんか手軽な栄養補給ないもんかなって思っててさ」


「いやタケちゃんセンセ!? 私、私は!? 私には普通に話あるんじゃなかったの!? え、もしかしてもう話し終わりなの!? もうお弁当食べて良いの!?」


「そのプロテインはホエイプロテインみたいですね。恐らくコンセントレートのホエイプロテインかと。牛乳が元となっているので、牛乳を飲んで下痢になりやすい乳糖不耐症の方がホエイプロテインを飲むと、同じく腹を下しやすい傾向があるのです。その場合はホエイプロテインでもWPIと書かれているアイソレートのホエイプロテインにするか、豆を原材料にしたソイプロテインにした方が良いです。ただ、アイソレートのホエイプロテインは価格が高いので、比較的安価なソイプロテインの方が個人的にもお勧めです。吸収速度はゆっくりめですが、最終的には血中のアミノ酸濃度が高くなれば良いだけの話なので、高レベルなボディビルダーでもない限りはソイプロテインで十分です。それに栄養価としてもソイプロテインの方に軍配が上がりますし、病気のリスクコントロール的にも今は動物性タンパク質よりも植物性タンパク質の方を摂取するべきという話が主流になりつつあります」


「棟区くんってそんなに喋るキャラだっけ!? 私との会話1回分くらいのテキスト量だよねそれ!?」


「なるほどソイプロテインか。あ、そうだ、プロテインって肝臓に負担がめちゃ掛かるって聞いたけど……」


「生徒にガチめに相談持ちかけて先生としてのプライドってのはないのかな!?」


「先生、肝臓ではなく腎臓です。そしてその話は基本的にデマです。元々腎臓の機能が低下しているか、異常量のタンパク質を1度に摂取しない限りは大丈夫です」


「もはや棟区くんセンセ!?」


 自分の得意ジャンルの話に、オタク特有の早口といった感じで流暢に長文を喋り始める秋水に、急に食生活の相談を持ちかけていく担任の教師。

 ああ、そうそう、この感じこの感じ。

 こんなわちゃわちゃした感じが紗綾音は好きだし、この感じが自分には一番合っていると思う。

 男2人へ交互にツッコミを入れながら、紗綾音は何となく、ほっと胸をなで下ろす。

 その胸は、まだドキドキしていた。




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 台詞の端々に滲んでいますが、チワワは結構なゲーム好き。


 ちなみに、サラダチキンでタンドリー風味にハズレがないというのは、作者の完全なる個人的意見です。

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