3章:学校生活と折り合いをつけながら

40『中学最後の新学期』

 制服の袖を通し、ちょっとキツくなったな、というのが第一感想であった。

 成長期なのだろう、筋肉が。

 ふ、ふ、ふ、と微妙に気持ち悪い笑いを漏らしつつ、制服の前のボタンを閉めていくと、胸回りもまたちょっとキツかった。なんならば、首のボタンは既にかけることすら出来なくなっていた。

 ポーション服用の筋トレ、効果ヤバいなぁ、と思う反面、破けたらヤバいなぁ、と真顔になってしまう。中学3年生の3学期に制服の新調とかあまりにも無駄な出費過ぎる。


「まあ、いざとなったら、それっぽい服着てカーディガン着て誤魔化すしかないよな……」


 ブレザータイプで良かった。学ランじゃなくて良かった。

 自分の中学校の制服に感謝しながら、制服を着終えた秋水は若干の動きづらさを実感しつつ、更にコートを手に取ってからぐるりと辺りを見渡す。

 まるで洞窟の中、にある秘密基地。

 持ち込まれた畳に、布団やら小さな棚やら、そして衣装ケースにローテーブル、姿見の鏡まで設置している。


 完全に生活空間と化した洞窟の秘密基地。


 ここは棟区 秋水の家の庭にある、ダンジョンの地下1階、セーフエリアである。


 このダンジョンという不思議な空間を発見してから1週間が経過した。

 元日にダンジョンの入り口を発見してから色々あって、充実した1週間であった。

 そして、冬休みが終わってしまった。悲しい。


「ふぅ、相変わらず似合わねぇ」


 姿見に映った自分の制服姿を見て、自虐的に一笑した後に秋水は手にしたコートをばさりと羽織る。

 本日は1月8日。

 気が重たい学校が始まる日だ。











 秋水の通う中学校は、県立にしては珍しく地名とは何ら無関係の名前の中学校である。

 特に秀でた部活動や特徴的な設備があるわけでもない、真新しいと言える程でもないが、年季の入ったとも言いにくい、極々普通な学校だ。少なくとも秋水はそう思っている。

 一見したら大人に見える、大柄かつ筋肉質かつ丸刈りのマフィア顔が制服を着て歩いているのを周りの通行人にじろじろと見られながらも、無事に学校へ辿り着けたことに秋水は本日何度目かの溜息をひっそりと吐き出す。

 登校時間の被る小学生に泣かれることもなく、犬に吠えられることもなく、比較的平和に登校出来た。校門の前で下級生と思われる男子生徒に 「あー、大型巨人先輩だー」 とか叩かれた陰口がばっちり聞こえてしまったぐらいしか精神的ダメージを負っていない。

 学校に着いたばかりなのにもう帰りたい気持ちを抱えつつ、今日はホームルームに始業式くらいだったよなー、と考えながら教室の扉をガラリと開いた。


 開けるまではざわざわとしていた教室が、しぃん、となる。


「……おはようございます」


 誰に言うでもなく、そして誰からも返事を貰えないのは理解しつつ、秋水は独り言のように挨拶を口にして、静まりかえった教室へと足を踏み入れた。

 視線が刺さる。

 あ、コイツ来やがった、みたいな目だ。

 それはまだ良い方か。一部の女子生徒に至っては、明らかに怯えたような目をしている。

 こんな奴がクラスメイトですまない。

 若干の申し訳なさを感じながら、それらの視線を全部無視して秋水は自分の席まで歩き、机に鞄を下ろしてから椅子へと座る。

 秋水の座席は教室の一番後ろだ。

 1学期も2学期も一番後ろの席だった。そして今日か明日にでもあるだろう席替えでも、最後尾の席になることはほぼ確定している。単純に秋水の体が大きいので、変に前の方に席があると、秋水の後ろの人が黒板見えなくて困るだろう、という配慮である。

 秋水が椅子に座ってからも数秒程、教室は静寂に包まれてはいたものの、しばらくすればクラスメイトの会話がひそひそと再開される。何故小声なのか。

 別に、教室で暴れたことなどないし、喧嘩をしたこともない。

 だがまあ、クラスでは腫れ物のような扱いである。

 見た目、ガラが悪いので。


 棟区 秋水にとって、学校生活とは、こういう感じだ。


 友達もおらず、誰からも話しかけられず、かと言って空気のような扱いはされず、クラスメイトには怯えられ、危険物みたいに遠巻きにされる。

 まあ、いつものことだ。

 ちらりと隣の席へと目をやれば、鞄はあれど当人はいない。友達のところに退避しているようだ。休み時間のたびに退避している。

 それも、いつものことだ。

 鞄から本を1冊取り出して、無言のままにそれを開く。

 いつものスタイルだ。

 秋水にとっての学校は、勉強をするか、本を読むか、これしか目的がない。

 クラスメイトは秋水を刺激しないようにしているが、秋水もまたクラスメイトを刺激しないよう大人しく静かにしている。これが一番平和なのだ。

 年末に図書館で借りた狩猟採取について書かれた本へと目を落とす。狩猟採取について興味があるわけではないが、なんとなく目についたので借りてみたが、読んでみれ間それなりに面白い。秋水は乱読派である。

 考えてみれば、角ウサギを殺しているのも狩猟と言えば狩猟なのか。

 今度はダンジョンアタックで活用出来そうな本でも探すか、と頭の片隅で考えながら、秋水は黙々と本を読む。

 誰からも声は掛からない。

 誰にも声は掛けない。

 このままホームルームの時間になるまで本を読む。

 秋水にとって、学校生活とは、こういう感じだ。

 いつものことだ。




「みんなおはよー、あけおめー」




 大人しくなり始めた教室に、明るい声が響いた。

 聞き覚えのある声だ。

 クラスメイトなのだから、当然か。


「ひぇー、今日もさむーい。ミッキもチナもあけおめー。ノンノ、電撃手袋貸してー」


 その明るい声は、秋水のせいで静かになった教室の雰囲気などお構いなしに、友達と思われるクラスメイトへと声を掛けていく。

 相も変わらずの様子だ。

 秋水は本から顔を上げることなく、電撃じゃなくて電熱な、と心の中でツッコミを入れておく。稲妻でも発射出来るのだろうか。


「あー、おはよう紗綾音、寒そうだね」


「おはようミホちゃん。雪積もってて最悪だよー、玄関開けたらお姉ちゃんすっ転んでるし、うっけるー」


「ウケてるアンタが最悪だよ。律歌先輩心配しようよ」


「あ、サヨチ、明けましておめでとうございます。数学の宿題見せて下さい」


「あけましておめでとうございます、素直に先生に怒られやがって下さい」


「サヨチが笑いながら鬼みたいだよー。ノンノ助けてー」


「私の手袋、電撃じゃないから無理かなー」


「え? ノンノ何言ってるの? 頭打ったたかたんなの?」


「今から紗綾音燃やそうか」


 次々に喋り掛けられ、その明るい声の主も笑うように返していく。

 おはよう。あけましておめでとう。彼女に向けて教室のあちらこちらからと声が投げかけられ、静まっていた暗くなりかけていた教室の雰囲気が一気に明るく転じていく。

 凄いものだ。秋水が教室の扉を開けたときとは、全く逆の現象だ。

 人望の差なのだろう。


「いやしっかし、紗綾音は神経図太いねぇ」


「むむっ、今誰か私が太いとか言ったなー! これはお餅のせいなんだよー!」


「何で自爆発言してんの、ぽよね」


「え、誰かなぽよね? 紗綾音だよ?」


「ちょっとお腹触って良い?」


「待って? ライン超えだよ? 私だって怒ることあるんだよ? ウエスト測って大声で読み上げちゃうよ?」


「紗綾音のブチ切れ方エグくない?」


 賑やかになった教室の声をBGMにして、秋水はぺらりと本のページをめくる。

 兎狩りについてだ。

 いや、随分とクリティカルに欲しい情報じゃないかと秋水は思わず目を見開いた。

 ざっと目を通すと、ジビエ肉の話、応酬ではスポーツとなってる話、そして罠についての話だ。

 そう言えば、ウサギの数え方が1羽2羽なのは、肉食禁止令が出ていた昔、ウサギの肉を食べたい奴が 「ウサギは鳥なのだ」 と言い張ったのが原因だとかなんだとか聞いたことがある。それを考えれば、昔はウサギは狩られて食べられていたわけで、ウサギに適した狩りの技術もあるのだろう。

 角ウサギを相手にするときに使えそうな方法はないかなと、罠についての項目をじっくりと読んでみるが、こちらから打って出ていくダンジョンにおいて、待ち構える罠という方法は応用出来そうになかった。

 残念だ。

 ふぅ、と静かに溜息を1つ。

 2つ前の席の男子生徒の肩が、ビクリと跳ねた。


「あ、わ、渡巻さん、渡巻さん」


「んぁ? あ、嘉多山くん、あけおめー、アンドことよろぴーす。なになに、どしたの?」


「あの、うん、声、声が大きいかなって……」


「え、あ、ごめん、うるさかった? ほら、チナがすけべぇなこと言い出すから怒られたよー」


「言ってないよ? 一言もエロいこと言ってないよ? 紗綾音の面の皮どうなってんの? 皮下脂肪固まってさらに分厚くなってんの?」


「嘉多山くん聞いた!? 新年早々失礼だよね!?」


「どっちが失礼じゃい!」


「いや、声、声押さえて……」


 そもそもにおいてだが、ウサギにしろクマにしろ、動物を狩る手段は罠か狩猟銃だ。

 秋水も詳しいわけではないので他にも手段はあるのだろうが、少なくとも殴る蹴るといった肉弾戦で狩猟を行うのが一般的ではないことくらい想像出来る。バールで殴り殺している秋水の方が変なのだ。

 格闘技の本とかの方が良いのかもしれないな、と考えながら、秋水は再びぺらりとページをめくる。

 狩猟採取に関しては興味はないが、本の書かれ方が良いのだろうか、何だかんだで面白い。


「あ、そだ、ちょっとごめんねー」


「え、紗綾音…………? えっ? 紗綾音!?」


「あ、え、待って紗綾音!」


 と、急に教室がざわりとする。

 驚いたような、若干の悲鳴のような、そんな声が急に上がったことに、秋水の意識が本のページから引き上げられる。

 どうしたのだろうか。

 ざわついた教室の様子に、ふと秋水は本から顔を上げる。




 1人の少女が、秋水の机の前に立っていた。




 腰まで伸ばした綺麗な黒髪。

 かわいい系の顔立ちに、かわいい系のナチュラルメイク。

 軽く着崩してはいるものの、怒られる程ではないラインで着こなされている制服。

 日陰で青春天日干しにされている秋水とは正反対の、クラスでのマスコット的人気者の女子生徒である。

 その彼女は、秋水とばっちり目が合って、一瞬だけ引くように上体が僅かに後ろに反れるも、覚悟を決めたかのようににやりと笑って秋水の机に両手を着いた。


「おはよーだよ、棟区くん、どーもお久しぶりですー」


 明るい声色。

 だが、ちょっとだけ緊張が見え隠れしている。

 しかも、「にこり」 でも 「にっこり」 でもなく 「にやり」 である。笑顔、無理してるんじゃなかろうか。


「ええ、おはようございます」


 何で話しかけられているのだろう。

 純粋な疑問を感じながらも、秋水は読んでいた本をぱたりと閉じてから、しっかりと彼女の目を見て挨拶を返した。

 その返事に、彼女はにやりとした微妙な笑顔を一転、へにゃっと安心したように破顔させた。


「へへへ、棟区くんってやっぱりそーゆー喋り方なんだねー。はじめて知ったよ」


「そうなのですね。なかなかに喋る機会がないものでして」


「そだね。棟区くんが友達と喋ってるところ見たことないもんね」


 わざわざ言葉で殴りに来たのだろうかコイツ。

 そもそも友達いねぇし、というツッコミを堪えつつ、そうなのですね、と秋水は適当に相槌を打つ。


 他の声が、聞こえない。


 ざわざわしていた教室が、再び静かになっていた。

 見るからに、と言うよりも見た目そのものがヤバい奴に、クラスのマスコットが急に話しかけていったのだ。

 秋水の机に手を突いて顔を寄せる彼女の後ろで、ヤバいよ、どうしよう、と彼女の友達が顔を蒼くし、あわあわと慌てている。別に取って食べるつもりはないのだが。

 クラス全体が困惑している。

 秋水だって困惑している。

 何で話しかけられているのか、秋水だって分からないからだ。

 そんな渦中の女子生徒は、にへらと笑い。




「この間は、ありがとうございました!」




 と、急に頭を下げてきた。

 絵面が悪い。

 傍から見ればヤクザが女の子に頭を下げさせている様子である。


「……そうですか、それは良かったです」


 何が 「ありがとうございました」 なのか分からないが、とりあえず頭を上げてくれと適当に返事をすると、その女子生徒はそろりと顔を上げた。

 何故か、じとっ、と睨まれる。


「棟区くん、なんか、やっつけマンな返事じゃない?」


「いえ、そんなことは……」


「この間って、何のことか分かってるかな?」


「…………ええと」


「いや覚えてないよね!? それ絶対覚えてない反応だよねそれ!?」


「申し訳ありません。じつはお礼を言われる覚えがなく……」


「無自覚いい人みたいな発言だよねそれ!?」


 適当な返事を見事に見破って、彼女は怒ったように机を叩いた。

 後ろの友達が悲鳴のような声を漏らしたが、別に秋水は気にすることはない。別に彼女は放し飼いのライオンを刺激しているわけでもないのだ。

 ぷんすかと怒ってはいるが可愛いだけの少女の様子に、秋水はふむ、と顎に手を当てて考える。

 お礼を言われるようなこと、何かあっただろうか。

 確かに彼女とは、冬休みの間に1度だけ顔を合わせてはいる。だがそれだけだ。

 ヤバい。

 何も思い出せない。

 うーん、と数秒黙る秋水にしびれを切らしたのか、再び少女が吠えた。




「会ったじゃん! ホムセンであけましておめでとうしたじゃん! インバウンドレンチンのお話したじゃん!」


「インパクトレンチですね」




 彼女、渡巻 紗綾音(わたりまき さやね)は、本日も絶好調で元気な様子である。




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