41『なんだこのチワワは……』
「分かった、棟区くんあれだ、ボケキャラだ!」
「そうなのですね」
「その台詞もしかして結構適当なんじゃないかな!?」
「そうかもですね」
「変化球かつ半分認めちゃってるんじゃないかな!?」
ぺちぺちと机を叩いてきゃんきゃん吠えているチワワ、ではない、渡巻 紗綾音をまじまじとつつ、何でこの人は怒ってるのかなぁ、と半ば他人事のように秋水は考える。
紗綾音の後ろで、刺激しないで、と他のクラスメイトが顔を蒼くしているが、紗綾音自身はすっかり緊張感がなくなったのか、秋水に対してすっかりとグイグイ話しかけてくる。これがコミュ強か。真似出来そうにない。
「ホムセンで会ったのは覚えてるかなぁ?」
「その節はどうも。お姉さんへの誕生日プレゼントは大丈夫でしたか?」
「そのことなんだよなぁ!」
ぱちんと机を叩き、紗綾音が項垂れる。どうしたと言うのか。
よしよしと頭を撫でてから、困ったように秋水は紗綾音の友達へと視線を向けてみるものの、びくりと肩を竦めて一歩下がられた。できたら引き取って欲しい。
この子犬、ではなく、この陽キャをどうしようか考えていると、頭を撫でていた手を紗綾音自身にぱしりと払われる。
「しれっと女の子の髪触るとか距離感バグってんじゃないかな!?」
「……それは申し訳ありません。賑やかな子犬みたいだったので、つい」
「サヨチ助けて! 私を畜生扱いしてくるよこの人!」
「うん待って紗綾音、いいからちょっとこっち来て紗綾音」
友達へと泣きつく紗綾音の腕を、蒼い顔をした友達がぐいぐいと引っ張っていく。
えー、なんでー、と引き摺られて離れていく紗綾音を見送ってから、ふむ、と秋水は一度鼻を鳴らし、再び読みかけの本を開いて目を落とした。
妹を相手にするように気安く頭を撫でたのが気に障ったようであった。反省である。
「ちょっと紗綾音っ、なんで話しかけてんの!?」
「何でって、用事あったもん」
「もんじゃないでしょ。何されるか分かんないでしょ!」
「何も変なことされないよ。顔も声も怖いけど、この前も普通に喋れたし」
「髪触られてるじゃん!」
「うん、あれは流石にびっくりだよ」
紗綾音とその友達がこそこそ喋っているが、まるっと聞こえている。
別に学校で暴れたことはないというのに、この警戒のされ方である。慣れているが。
「じゃ、もう一回」
「いやちょっと!?」
その声に、また来るのか、と心の中で溜息を吐きつつ、開いたばかりの本を秋水は再びぱたりと閉じる。
顔を上げれば再び近寄ってきているクラスのマスコット。
「おはよう、棟区くん。仕切り直しだよ」
「いつの間にか相撲をとってたんですかね」
「100パー負けちゃうよ」
言って、秋水の机に紗綾音は両手を置き、ぐいっと顔を近づける。これが陽キャのパーソナルスペースなのか。
紗綾音の後ろに目をやれば、心配そうにオロオロとしているが、割って入ってくる気配はない。入って来ても良いのに。そのまま引き取ってくれたら良いのに。
再び紗綾音の顔へと視線を戻し、どこまで話していたかを思い出す。
「お姉さんへのプレゼントは大丈夫でしたか?」
「その件についてが、本当にありがとうございました、なんだよね」
「そうですか、それは良かったです」
「大丈夫? 棟区くん感情死んでるの? 同じ会話しか出来ないNPCなの? ロボットボットなの?」
失礼なチワワである。間違えた。失礼な女である。
はぁ、と溜息を吐き出す紗綾音を見ながら、溜息をつきたいのはこちらなんだけど、と内心で秋水は愚痴を零す。
「今日の始業式終わったら、お姉ちゃんとお買い物デートなんだよ」
「そうなのですね。それはプレゼントを買いにですか?」
「そうそう。棟区くんの案を採用だよ」
一転してにこっと笑う紗綾音を見て、再び、そうなのですね、と適当な相槌を打ちながら、秋水は心の中で首を傾げる。
秋水の案。
何を提案したっけ?
紗綾音とはホームセンターの初売りで遭遇したのは覚えているのだが、ぶっちゃけ何を話したか細かくは覚えていないのだ。インパクトレンチを何だか変な名前と誤認していたことと、あとは手にしていたバールをいつまでも握りしめ、こちらを警戒していたことはよく覚えているのだが。
まあ、何か適当に意見を口にしたのだろう。きっとそんな感じだ。
「それであれ、あの、えっと、インパクトドライバー? だっけ?」
「インパクトレンチではなかったですか?」
「あ、うん、確かそれ。お姉ちゃん、今日それ買うんだって。あっぶなぁ」
「そうなのですね」
あー、確か、インパクトレンチを誕生日プレゼントにするのは止めといたら? みたいなことを言った気がするな、と秋水は頭の片隅で思い出しつつ、とりあえず頷いておく。
つまりあれか、誕生日プレゼントで爆死しなくて助かった、というお礼だったのか。
「あの時変なの買ってたら、もう大恥どころの騒ぎじゃないよー。だからありがとね、命拾いしました」
「それはそれは。助けになったなら幸いです」
「うん、ビックリするくらい感情籠もってないよね。ちにみに本心は?」
「…………」
「無言が一番怖っ!?」
「渡巻さん、あまり私と話してますと、お友達が心配されますよ」
「あれは仲間にして欲しそうに見てるだけだよ」
ちらりと紗綾音の後ろへと目をやれば、真っ青な顔で多く聞く首を横に振っているクラスメイトが何名か。だろうな。
だが安心して欲しい。流石にこのチワワの妄言を鵜呑みにしたりはしない。いや違う、いや、うん、もうチワワでいいかこの生きたマスコットは。
「いいえ。あれは私に何かされやしないかと心配している目ですよ」
「えー? 棟区くんはナニカしそうな人って感じじゃないけどなー? ナニカ、しちゃわないよねー?」
もう一度紗綾音へと視線を戻せば、今度はニヤニヤした笑みで微妙に煽られる。
表情がころころ変わると言うか、豊かと言うか、普通にむかつく表情である。第一声で緊張していたのは一体どこに行ってしまったのか。コミュ強怖い。
ふむ、と秋水は一度鼻を鳴らしてから、おもむろに椅子から立ち上がる。あまり急な動きをするとビビられるかもしれないからだ。
だが、秋水が立ち上がったことで、こちらの様子を不安そうに見守っていたクラスメイトのほとんどが、ざざっと一斉に一歩引いた。
引かなかったのは、およ? と間の抜けたような顔で見上げてくる紗綾音と、女子生徒が1人。
その女子生徒は引かなかったどころか1歩前に踏み出して、こちらに駆け寄ろうともしている。ただ、それを秋水がちらりと視線で確認すると、その目に怯えたかのように体を硬直させてしまった。別に睨んではいないが、なんか申し訳ない。
秋水はなるべくゆったりとした動きを意識しながら、立ち上がってから自分の机を迂回するように周り、紗綾音の横に立つ。
「あれ? お? おお?」
そして紗綾音の肩をなるべく優しく両手で掴んで、くるりとクラスメイト達の方へと向かせ。
「え、うひゃあ!? って、うわあぁっ!?」
流れるように両脇にすっと両手を入れてから、ひょいと紗綾音の体を持ち上げた。肩の筋トレであるフロントレイズと同じ要領だ。腕を伸ばしてないから楽なものである。
と言うか、動作一つ一つに対して紗綾音がうるさい。リアクション芸人だろうか。
「うわ? え? おおっ!? え、高い高い!」
急に持ち上げられたことに驚いた紗綾音であったが、すぐに自分の目線が高くなったことにはしゃぎ始めた。情緒の切り替えが凄ぇ。
そして高い高いと言っているところ悪いが、傍から見れば大人が子供に対して行う 「たかい たかーい」 とほぼ同じ光景だ。それで良いのか女子中学生。
「わはは、みんなより視線が高いって新鮮だー」
きゃっきゃしている紗綾音を無視して、秋水はゆっくりとした足取りで1人のクラスメイトの所へと荷物を運搬する。
ただ独り、引かなかった女子生徒だ。
自分達の方へと秋水が近寄ってきて、さらに引く、もしくは何名かは逃げ出す中、その女子は怯えて固まっていただけかもしれないが、そこから1歩も引かなかった。
名前はなんだったか。3学期にもなってクラスメイトの顔と名前が微妙に一致しない程度にコミュ障の秋水は、必死になって記憶からその女子生徒の名前を引っ張り出す。
「このチワワの飼い主は、竜泉寺さんでよろしいですか?」
「ちょっ!? 誰がチワワだってっ!? 人を愛玩動物家畜畜生あつかいしないでほしいかなぁ!?」
「ご、ご、ごごごごめんなさいっ! 躾のなってないウチの駄犬がご迷惑を掛けました!!」
「嘘でしょサヨチ!?」
「こ、これからは首輪とリードを忘れないようにします!」
「どんな変態プレイなのかな? わたし、なにされちゃうのかな?」
「いえいえ、ここは室内ですから放し飼いも良いと思いますよ。ただ、危険なことはしないように注意して頂けると助かります」
「私の人権ないなったよ、わんわん」
名前は間違っていないようでほっと一安心である。
秋水の方にはきゃんきゃんと噛みつき、竜泉寺の方には絶望したような表情を向け、忙しそうなチワワを、顔を真っ青にしながら謝ってくる竜泉寺の前にそっと下ろした。別に謝って欲しいわけではないのだ。
彼女は解放された紗綾音を蒼い顔のままぎゅっと抱き締める。抱き締められた紗綾音の方は、わたしはチワワちゃんだったんだ……、と遠い目をしていた。表情豊かな子である。
とりあえずは紗綾音を飼い主に預けた秋水は、これで落ち着いて本が読めるなと自分の席に戻ろうとして、ふと思い出す。
「あ、そうです、チワワさん」
「わんわん、紗綾音改めちわねだよ、わんわん」
「四捨五入したら50になってしまいますよ。気を付けてください」
それだけ言ってから秋水は自分の席に戻り、椅子へと腰を掛ける。
何を言われたのか分からずにぽかんとした顔をしていた紗綾音であったが、秋水が本を取り出してページを開いた頃には、その言葉の意味を理解したのか、顔を真っ赤にして秋水に跳びかかろうと暴れ始めていた。
幸いと言うべきか、竜泉寺が抱き締めている状態だったので本当に秋水に向かって突進しては来ない。いや、紗綾音を抱き締めていた竜泉寺からすれば不運と言うべきだろうか。
秋水はそれを確認してから、ふっ、と小さく口元で笑う。
「ちょっ!? どうしたのちわね!? やめなさい! 去勢するよ!」
「あの敬語系極悪面レスラー、乙女の体重言い当てに来やがったよ!? 口封じしなきゃだよ!? 抹殺撲滅根絶の対象だよ!?」
「え、あんた50近いの……?」
「標準体重だから! BMIぐらいちゃんと計算してるから! ウエストも測ってるから! あとお餅のせいだから!」
「今日から、ちわぽよって呼ぼうか?」
「それもう紗綾音の名前どこにも入ってないよねぇ!?」
ナニカしちゃわないよねー、とか煽られたので、とりあえず意趣返しでナニカしてやって満足である。
きゃんきゃん騒ぐチワワの声をBGMにして、ようやく秋水は本のページへと目を落とすのであった。
つつがなく始業式が終わった。
体育館へと向かう途中で紗綾音からぺちりと怒りのパンチを背中に貰ったが、マッサージにもならない威力で逆に驚いた。
やめろチワワ、死ぬ気かチワワ、と紗綾音の友達が蒼い顔をして回収してくれたので、それ以上は何事もなく、始業式もホームルームも終わりである。
今日はこれにて学校行事は終了。さよならだ。
ちなみに、てっきり冬休みの宿題を今日回収するのだと思っていたのだが、何故か回収は明日ということになった。最後の追い込みに間に合わなかった生徒への温情だろうか。謎である。
冬休みの宿題なんて冬休みが始まる前に爆速で終わらせていた秋水は、それらを持って帰るのも面倒だと机の中に宿題を全部突っ込んで、軽くなった鞄を担いで立ち上がり。
「あー、っと、棟区、ちょっと良いか?」
そのタイミングで、担任の教師に呼び止められた。
顔を上げれば、微妙にバツの悪そうな表情をしている担任の教師。それと、秋水が呼ばれたことに何事かと興味ありそうなクラスメイト。そのクラスメイトの中には興味をまるで隠せていない紗綾音を含む。
担任の教師に呼び止められる理由は、まあ、覚えがある。
年末の出来事について、だろう。
まあ、秋水も帰る前に職員室に寄る必要があったので、丁度良いと言えば丁度良い。
「はい。私も先生へ提出する物がありまして、今から……」
「あ、待て、待て棟区、ちょっと待て、ちょっと来い、こっち来い」
鞄から書類を取り出そうとした秋水を見て、担任の教師は慌てて止め、バツの悪そうな表情のまま秋水に手招きをした。
何だろうか。
不思議に思いながらも秋水は担任の教師の傍へと近寄った。
「えっと、だな。ちょっと今から職員室……は、マズいか……えーっと、そうだな、生徒指導の部屋って分かるか?」
「3階にある部屋ですね」
「おう、そうそう、そこそこ。そっちで話したいんだが、時間はあるか? あ、別に怒るとかじゃないから」
「はい、分かっています。年末の……」
「あー、待て待て待て。それ知らない奴もいるから、教室じゃちょっと、な?」
慌てている担任の教師に、ああ、なるほど、と秋水は頷いた。
「えーっと、なんだ、この度は……なんて言えばいいんだ?」
「大丈夫ですよ先生。話を進めましょう」
「見た目通りに大人の対応じゃねぇか……」
生徒指導室という若干物々しい名前の部屋で、改めて担任の教師と向き合って座ることになった秋水は、背筋を正して胸を張り、良い姿勢で椅子に座る。
それに対し、40近いと言っていた中年男性である担任の教師は、机の上に両肘を置いてやや猫背の姿勢で変わらずバツの悪そうな表情を浮かべていた。
1学期2学期と秋水の担任だったからだろうか、この担任の教師は秋水の極悪面に対して特に怯えなどの感情を抱いている様子はない。いや、実際に抱いてはいない。
校内でも校外でも問題行動は全く起こさず、授業態度も成績も優秀な生徒であるので、秋水のことはそういう外見をしているだけの生徒なのだと思っている。だから怖がったりする要素がない。まあ、タイマンで向かい合えば威圧感はどうしても感じてしまうが。
「いや、でも言わせてくれ。この度のことは、本当に残念だった」
「ありがとうございます。それで届け出の書類なのですが」
「ありがとう、じゃねぇんだよなぁ」
鞄から取り出した書類をすっと机に出した秋水に、苦笑いを浮かべながら担任の教師はその書類を受け取った。
苦笑いだが、どこかほっとした様子でもある。
気を遣われている。
当然と言えば当然なのだが、気を遣われていることに対して、秋水はどことなく居心地の悪さを感じてしまう。
「……棟区、お前、これからどうするんだ?」
ぺらぺらと受け取った書類を見ながら、担任の教師がぽつりと零す。
世間話だろうか。それとも、彼の本題なのだろうか。
「これから、ですか? 希望校についての提出は終わってますが」
「いや、そうじゃなくてだな。親戚の所とか、に行くんだろ?」
「いえ、独り暮らしになります」
「は?」
「と言うか、独り暮らしです」
「は?」
しれっと答える秋水に、担任の教師は目を剥いた。何言ってんだコイツは、みたいな顔である。
まあ、正しい反応ではあるが。
「一緒には暮らしませんが、保護者については叔母になります」
「いや、そうじゃなくて、お前……」
「独り暮らしなのは協議の末ですよ。叔母も忙しいですから」
「いやいや、そうじゃねぇって」
担任の教師は慌てているが、秋水の方は落ち着いたものである。
この件について、もう既に秋水の中では終わった話題だからだ。
正確には、吹っ切れ終わった話題だからだ。
「棟区、お前、年末年始、独りぼっちだったのか?」
「ええ、まあ」
頷く。
年末年始は、確かに家で独りだった。
両親も居らず、妹も居らず、独りであった。
ダンジョンを見つけてから、と言うより、ダンジョンのセーフエリアで寝るようになってからは、正直、家の方には風呂と食事のためにしか入ってない感じではあるが。
それでも、秋水は確かに独りで冬休みを過ごした。
そうせざるを、得なかった。
「ご両親と、妹さんが死んでから、今までずっとか?」
「はい。独り暮らしですから」
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