39『冬休みが終わる』

「はーはっはっはっはっはっはっはっ!!!」


 狂人の笑い声が響く。

 間違えた。

 サイコパスの笑い声が響く。

 棟区 秋水である。


「なるほど、なるほどなっ、こいつぁたまんねぇな、はっはっはっはっはっ!!」


 笑っているところ悪いが、随分と酷い格好になっている。

 酷い格好だが、秋水は酒でも飲んだかのように上機嫌のハイテンションだ。未成年なので飲んだことはないのだが。

 ひとしきり笑った後、酔っ払うとこんな感じなんだなと思い、叔母のことが脳裏にチラついて、すん、と黙る。

 ヘルメットの後頭部には大きな亀裂が走り、バイザーは既に紛失している。

 右手のグローブもなく、ライディングジャケットは所々が裂け、血が滲んだ痕がある。

 下半身は基本的には無事なのだが、鉄板仕込みの安全靴は使い古したかのようにボロボロだ。


「あー、いくつ殺り合ったっけな」


 何か良く分からない光の粒子が、未だキラキラと漂う部屋のど真ん中に酷い格好のまま座り込み、秋水は連戦した数を思い出しながら指を折る。

 最初に3体、次は2体、次がまさかの4体、そして3体、2体、4体、3体、2体、4体。

 9戦で、27体だ。

 出現数は3体、2体、4体、で1ループらしい。今し方4体の角ウサギを殺し終わったので、次に進めばきっと角ウサギは3体揃ってお出迎えしてくれるであろう。丁度30体でキリが良くなる。


「つってもな」


 座り込んだまま、左手に持ったバールをちらりと見る。

 長い方のバールはその中程でへし折れて、折れた側の欠片は部屋の隅に吹っ飛んでいた。

 メイン武器が壊れてしまっている。

 最初にマイナスドライバーも壊れてしまったし、ハンマーだってちょっと怪しい。

 短い方のバールは健在だが、使い込んでいる以上、こちらもいつ折れるか分かったものではない。

 帰りの戦闘もあるのだから、今日はここまでにしておくか。

 何時だろうかと腕時計を見ようとして右腕を上げ、グローブついでに腕時計もぶっ壊れたことを思いだす。


「……帰るかぁ」


 難なく、とは流石に言えないが、それでも複数体の角ウサギ相手でもちゃんと立ち回れることは確認できた。

 何度か角が掠めたり、普通に刺さったりしたのだが、これから先に期待である。

 とりあえずは、これで満足だ。

 何ならば、どの地点から角ウサギがリポップしているかは分からないが、帰りの戦闘はメイン武器なしの防具半壊状態で戦闘だ。縛りプレイとはこのことか。

 普通に死ぬかもしれないな、と考えると、自然と口の端が上がってしまう。


「そうだな、帰り道も頑張りますかぁ」


 ニヤニヤしながら膝を叩いて立ち上がる。

 短いバールと、壊れかけのハンマー。

 さて、どう戦おうか。

 先に続く道に対して一礼した後、秋水はリュックサックを持ち上げて来た道を引き返すこととした。











 土手っ腹に一撃を貰ったくらいで、何だかんだで帰り道も上手く立ち回れたとは思う。

 タイミングさえ間違えなければ投げ技はアリだな。

 腹部に穴を開けながら、抱いた感想はそれである。











 ポーションで完治しているとは言えども、血まみれの格好でセーフエリアに戻り、最初に目についたのが干しっぱなしにしていた制服である。

 あー、学校だぁ。

 岩の扉に掛けている制服を横目で見て、上がっていたテンションがほんのりと下がる。

 乾いたかどうかを確かめようと手を伸ばすが、乾いた血がついた自分の手を見て慌てて引っ込める。ブレザータイプの制服なので、血がついたら目立ってしまう。


「とりあえず、風呂入るか」


 自分の格好を改めて見て、秋水は呆れたように独り言ちる。

 ポーションで怪我こそ治ってはいるものの、流した血液が半乾きの部分はヌルヌルしているし、乾いたところはパリパリしていて気持ちが悪い。汗でベタつく不快感など可愛いくらいだ。

 とにかく、風呂に入ってさっぱりしたい。

 そして何か食べたい。

 ポーションの欠点でもある使用後の空腹感は、ちまちまと非常食を食べて緩和してはいるのだが、やはり何かしっかりとした物を腹に入れておきたい気分だ。

 溜息を1つ吐きながら、秋水はボロボロになったヘルメットを脱ぐ。


「こいつらは……ま、後で考えるか」


 後頭部には亀裂が走り、バイザーは吹き飛び、全体的に形が歪んでしまったヘルメットを見ると、ついつい苦笑いが浮かんでしまう。これがなければ死んでいたかもしれない。

 身体に穴が開いても再生できるポーションとかいうトンデモ治療薬はあれど、流石に頭を潰されては一巻の終わりだろう。即死は即死である。ポーションを使用する以前の問題だ。

 やはり防具は重要だ。これはまた買い直すことにしよう。

 つまり不燃ゴミ行きだ。

 それから同じくボロボロになったライディングジャケットを脱ぐ。腹の部分には穴が開き、背中は大きく裂け、両腕部分は細かい破れが沢山あった。チタンプロテクターがあって助かった。

 これもまた、買い直すことにしよう。

 不燃ゴミ行きだ。

 続いてライディングシューズを脱ぐ。使い古されたかのようなくたびれ具合だ。まだ使えそうな気がしないでもないが、足蹴りも結構使っているのでダメージは蓄積しているだろう。

 これは、もっと良い品に変更した方が良いだろう。

 という訳で不燃ゴミ行きだ。

 そしてライディングパンツを脱ぐ。大きく穴が開いていたりはしないのだが、全体的にズタズタである。帰り道の乱戦では、膝のチタンプロテクターも武器にしてニーキックを打ち込んでいたので、内蔵していたプロテクターがすっかりこんにちはと顔を出している。

 同じく買い直すことにしよう。

 不燃ゴミ行きだ。

 はい、防具は全滅した。出費が痛い。


「ちゃんと装飾品売れてくれよなぁ……」


 とりあえず鎬に預けた白銀のアンクレットがどれだけのお金に換わるのかは不明だが、それなりの値段になってくれと心の中で祈っておく。個人的に安く買い取るとか先に言われているせいで、絶望しかないのだが。

 やはりダンジョンアタックにはお金が掛かる。


「ま、とにかく、お風呂お風呂」


 気を取り直し、ボロボロになった装備品を放置して、秋水は置きっ放しにしてあったサンダルを引っかけてから梯子をそそくさと登る。先に風呂にお湯を張っておくべきだったなと考えつつ、庭のテント内にあるダンジョンの入り口からひょっこりと顔を出し。

 勢い良く梯子を下りる。


「さっぶ……」


 ダンジョンの外がクソ寒かった。

 何故ダンジョンアタックの装備を脱いだのだろう。アホじゃなかろうか。ああそうだ、あまりにもボロボロだったからだ。

 ダンジョン内が適温なのですっかり忘れていたが、外は雪が降っていたのだ。寒いに決まっているじゃないか。

 脱いだランディング装備を再び着込もうかと思ったが、色々と破けているので防寒も何もあったものではない。セーフエリアの方にも着替えの類いは持ち込んでいるが、それらは寝間着の類いである。コートなどは全部家の方だ。

 ちゃんとした着替えもセーフエリアに持ち込んだ方が良いと言うことか。これは良い経験だと思っておこう。

 防寒の意味はあるのかと思いつつ、所々裂けているライディング装備を再び着るしかなく、血糊の生乾きでべちゃっとした感覚に秋水は顔をしかめるしかなかった。











「はぇー」


 湯につかり、ようやく生き返った心地に秋水は安堵の息をゆっくりと吐き出す。

 風呂は天国だ。

 身体も洗ってさっぱりしたし、冷えた身体もこれで温まる。


「あとは飯食って寝ようかねぇ……」


 天井を見上げながら呟くが、頭の中では食事をどうしようか問題といつ寝ようか問題が立ち塞がっている。

 毎回同じパターンだが、ダンジョンアタックの後は食事を作る気が湧かないのだ。先に作り置きすれば良いのに、何故自分は学習しないのだろうか。ダンジョンアタックにワクワクしていて毎回忘れてしまう。

 ここはやはり、冷凍食品に頼るべきだろうが。

 最近は一食弁当の冷凍食品もバリエーションが増えている。だいたいそういう類いは炭水化物の量が狂っているが、サラダチキンやら納豆やら豆腐やらと、あまり手間を掛けずに食べられる物をトッピングしてバランスを取れば良いだけの話だ。例えがタンパク質に偏っているが。

 だが、現状家の冷蔵庫にはそんな便利な冷凍食品は入っていない。冷凍餃子くらい買っておけば良かった。

 とりあえず適当に肉でも焼いて、適当な野菜をバリバリと生で食うとするか。


「そんで、いつ寝るか」


 そして地味に頭の痛い問題はこっちである。

 今日も今日とてセーフエリアで寝るつもりだが、それは睡眠時間の大幅短縮ができるというエゲツない恩恵を受けるためだ。体感としては睡眠効率4倍速だ。

 ただ、セーフエリアでの睡眠は、1日で使える時間が大幅に増加するという分かり易いメリットがある一方、生活リズムがぶっ壊れるというデメリットが地味に存在している。

 例えば22時くらいに寝たとして、起きたら恐らく日付が変わるかどうかといったくらいだ。学校が始まるまで普通に8時間以上ある。手持ち無沙汰すぎやしないだろうか。

 では、朝の6時くらいに起きる予定で、4時くらいに寝るとする。そうなると逆に今から4時まで何をしようかという話になる。

 ジムに行って筋トレでもすれば良いのだろうか。

 ……それで良いんじゃなかろうか。

 それこそ誰もいない真夜中ジムで、身体強化の検証がてらポーションを服用しながらインターバルもクソもない超人的トレーニングを、黙々とひたすらにやりこめば良い話では。

 これは名案だ、と秋水は風呂の中で手を叩く。


「うーん、真夜中ジムの常連になりそうだ」


 ジムには長らく通ってはいるのだが、去年までは真夜中のジムなど行ったことなかった。

 そもそも夜遅くまで起きている生活ではなかったので、真夜中に活動することなどなかった。

 去年までは、だ。




 ダンジョンを見つけてから、今までの日常はガラリと変わった。




 あれは、元日から庭の草むしりなんてしようと思ってから、始まった。

 変な扉を見つけてから、始まった。

 扉を開けて、梯子を下って、ダンジョンを見つけて、全部が変わった。

 角ウサギに遭遇して、殺されかけて、殺し返して、それはまるで世界に色がついたようだった。

 灰色みたいな日常に。

 いいや。




 灰色に、なってしまった、日常に。




 全てが虚しくなった日常に。




 鮮やかな色が、戻ったようだった。




 ポーションには驚いた。

 この噴き出している水は飲んで大丈夫なのかと思いながら飲もうとして、その治癒効果には驚く他になかった。

 ああ、いや、空腹でぶっ倒れそうになったので、驚いている時間はそんなになかったか。

 角ウサギに殺されかけたり殺したりするのが、心の底から楽しいと気付いたのは、どのタイミングだっただろうか。

 我ながら既知外染みている。

 だが、楽しいのだから仕方がない。自分はこんな性癖の人間だったと、自分自身でも驚いているのだ。すんなり受け入れてしまったが。

 そうだ、セーフエリアの睡眠時間短縮を知ったのは、仮眠するかと横になって思いっきりガチ寝してから気付いたんだったな。

 あの時は何が起きたのか、正直すぐに理解できなかった。絶対寝過ごしたと思ったのだから。

 理解できないと言えば、身体強化だろう。

 最初はとにかく、何故かほんのりと力が上がる 『妙な力』 という認識だった。今の段階でも理解できていない正体不明の不思議な力である。


 いやいや、色々とあったな。


 滅茶苦茶に濃い1週間だった。


 今までの人生で、一番濃厚な1週間だった。


 ダンジョンアタックの装備品をるんるん気分で買い漁ったのはいつだったか。

 その時にクラスメイトにエンカウントしてしまったっけか。

 真夜中に起きてしまって、仕方がないから深夜のジムの初体験もした。誰もいないジムは新鮮だった。

 ついでに変な女子高生に絡まれた、いや、思わず絡んでしまった。

 辺鄙なリサイクルショップを見つけたのなんてまだ昨日の話なのに、かなり時間が経っているかのようだ。

 あそこの店長、最初は子供だと思ってた。

 そう言えば、1週間で既に3回もコンビニを利用してしまった。今まで全然お世話になっていなかったのだが、生活環境が激変してしまったせいだろう。

 毎回新人アルバイトの人を怯えさせ、正直なところ心苦しいのだが。


 ……女難の相では?


 風呂に浸かりながら、ダンジョンを見つけてから色々とあったこの1週間を思い返し、最終的に至ったその結論に秋水はげんなりとした顔になる。

 いやいや、と秋水は頭を振り、ダンジョンを見つけて女難とかおかしいだろと自分にツッコミを入れる。

 この1週間で男相手の事柄だって、と思い返してみるが、直近ではコンビニ店員に絡んでいた推定ロリコンの酔っぱらいしかいない。あとはジムで少し会話があった程度で。


 ……普通に対人関係に難ありなのでは?


 更にげんなりとした顔になってしまう。

 そうでなくとも、秋水は軽いコミュ障である。

 コミュニケーション以前に、ムキムキヤクザみたいな見た目の問題が大き過ぎる。


「……はぁぁぁ」


 大きな大きな溜息を1つ。

 この1週間、ダンジョンを謳歌した。

 モンスターである角ウサギの良いところは、人間らしいメンタルがなく、言葉を喋らないところである。

 コミュニケーションは殺し合い。いやはや、気楽だ。

 そして、自由気ままな独り暮らし。

 外に出なければ、基本的に他人と関わる必要がない。なんとも気楽だ。

 しかしながら、楽しい楽しい冬休みは、今日で終わりだ。


「あああああー、明日からの学校、行きたくねぇぇぇー」


 独り言ちたその言葉は、風呂場に虚しく反響していった。



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 ここまでお読み頂ありがとうございます。

 と言うわけで、第2章終幕です。

 第3章は中学校生活前編となり、学校生活の方がメインとなる予定です。個人的には戦闘シーン書いているのが一番楽しいのですけれど。


 次の更新は登場人物の紹介だけで、1週間程の休みを頂き、第3章は2月14日に投稿予定です。バレンタインなんてない。

 それでは、これからもお願いします。

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