35『昭和的な絡まれ方』

 さて、これは困ったことになった。

 雪のちらつき始めた寒空の下、秋水はぽつんと佇んでいた。


「ちょっと話を詰めるから、昼頃になったらまた来なさい」


 そう言って鎬にリサイクルショップから追い出され、困ったことに中途半端に時間が空いた。

 さらに困ったことに、話の展開に秋水は全く追いつけず、なにが起きたのか全く理解できていなかった。

 2つ目の白銀のアンクレットを取り出したら、何だか急にリサイクルショップの店員、と言うか店長である栗形とか言う女性が泣き出して、思いっきり日本語間違えて、それ何故だか気に入った様子の鎬がバイトの申し込みをして、秋水は無事に追い出された。

 なるほど、意味が分からない。

 結局、アンクレットは売れるのだろうか。

 あと、鎬がバイトするとか言っているけれど、元々勤めている会社の方はどうする気なのか。

 そもそも祈織は何で泣いてたのだろうか。


「うーん?」


 腕を組んで首を捻るが、分からないものは分からない。大人の世界ってこんな感じなのだろうか。

 ともかく。

 時間が空いてしまった。

 只今10時少し前。昼頃というざっくりした時間指定は困ったものだが、12時頃だと考えれば2時間少々のフリータイムだ。

 微妙な空き時間である。

 一度家に帰っても良いだろうか。ポーションを汲み置きしておきたいし、セーフエリアの改造を少しだけ取り掛かっていても良いだろう。鎬が戻って来たら無事死亡だが。

 もしくは、再びジムに行ってのんびり有酸素運動するという手もある。間違いなく途中から筋トレになるだろうが。

 しっかりと何かに取り組むには2時間は短いし、暇を潰してぷらぷらするには2時間は長い。

 微妙である。


「あ、そうだ」


 そこで、ふと思い出す。

 明日から学校だ。

 憂鬱な学校である。

 年末は色々と忙しく、年が明けてからはダンジョンで忙しく、学校の準備を全くしていない。

 制服も洗ってないなぁ。

 2学期の最後に使ってから、洗わないで掛けっぱなしにしている制服のこともついでに思い出す。

 今から家に帰って洗って干せば間に合うだろうか。いや、雪降ってる。乾くだろうか。シワを伸ばすついでにアイロンをしっかり掛けて、なるべく水分飛ばしてから干せばいけるかもしれない。


「……セーフエリアで干せばワンチャン行けるか?」











 と言うわけで、家に帰ってすぐに制服をジャブジャブと手洗いし、洗濯機に投げ込んで脱水を掛ける。

 その間に仕舞っていたアイロンとアイロン台を出し、一度セーフエリアに降りてハンガーを掛けられそうな箇所を探す。岩肌に掛けられそうな窪みがないことはないが、少々不安定なのが気になるところだ。物干しスタンドが欲しいところである。

 とりあえずは地下2階へと続く豪華な扉にハンガーを掛け、梯子を昇って家に戻ると、ちょうど脱水が終わったところであった。ナイスタイミングである。


「まずはアイロンは……えーっと、温度はいくつだ?」


 洗濯タグを見て、それからスマホでアイロンの温度を調べ、その温度へと設定する。

 見ての通り、手慣れてなどいない。

 初めてと言うわけではないが、アイロンを出したのは半年ぶりくらいである。やり方など記憶の彼方である。


「ま、シワを伸ばせば良いんだろ」


 それから少々ぎこちない手付きで、脱水でシワだらけとなった制服にアイロンを掛けていく。手際は良くないが、馬鹿力のせいなのか制服のシワはみるみると取れていく。

 一通りシワを伸ばし終わったら、その制服一式を持ってセーフエリアへ向かい、ハンガーに掛けて干す。

 地下へと続く階段の入り口を飾る扉が、一気に生活臭漂う感じになってしまったが気にしない。セーフエリアに畳やら布団を持ち込んでいる段階で今更か。

 このままセーフエリアの整備へと移りたいところではあるが、覚えているうちに学校の準備を続けた方が良いだろう。

 とは言え、明日は始業式があるくらいだ。授業はない。精々冬休みの宿題を忘れずに鞄に突っ込んでおくくらいだ。


「ああ、あとは書類があるか」


 部屋にあったよな? と疑問符を頭に浮かべながら再び秋水は梯子を上がり家に戻る。

 自室に無造作に置かれている鞄を開くと、冬休みの宿題がきっちりと入っている。秋水は休みの最終日に宿題を追い込むタイプではなく、むしろ逆に休みが始まる前に全て片付けてしまうというタイプであった。勉強は嫌いではないのだ。

 宿題を鞄から取り出してぱらぱらめくり、抜けがないかを確認する。大丈夫そうだ。

 確認した宿題を再び鞄に入れ、ついでに学校へ提出する書類も確認した後に鞄に突っ込んで。


「あー、シャーペンとか買い換えようと思ってたんだったか……」


 ぺしりと自分の額を叩き、秋水は天井を見上げた。

 新年に合わせて文房具を新しくしようと思っていたのだ。なにせ、今使っているシャープペンシルなどが随分とボロくなっている。

 完全に忘れていた。いや、今の段階で思い出せて良かったとしよう。準備の確認をしておいて正解だった。

 新年じゃなくて新年度に合わせた方が良いだろうか。高校進学に合わせる感じで丁度良いかもしれない。単純に今からホームセンターとか文具屋に行くのが面倒と言うか、時間が足りないと言うか。

 ただ、シャープペンシルがボロいのは事実だ。

 3学期が終わるまで、秋水の握力に耐えてくれるだろうか。一抹の不安とはこのことか。


「んー……コンビニで繋ぎのもん買っとくか……」











 コンビニはコストが高くつく。

 そう言っていたのは鎬である。

 単価は高いし、ついで買いをさせ易い誘惑も満載。カゴの大きさ、店内レイアウト、照明から広告に至るまで、心理学やら行動経済学やらを駆使して客に物を買わせて金を搾り取ろうとする気満々なのがコンビニエンスストアという魔境なのだ。

 コンビニに何かされたのかと心配になる程に敵対心丸出しの鎬を見て、いやビジネスなんだからそういうもんだろ、とは流石に言えなかった。

 そんな叔母を見て育ってしまったせいなのか、秋水もあまりコンビニに立ち寄るタイプではない。

 なのだが、何だかんだで今年3回目のコンビニである。


「いらっしゃいませー」


 そして今年3回目の見た顔である。

 近所のコンビニに入ってすぐに飛んできた明るい声の挨拶に、視線だけ動かして声の方をちらりと見れば背の低い少女の姿。

 いや、少女とか言ったら失礼か。働いている以上は秋水よりは年上であろう、女性の店員だ。

 ええっと、渡巻、だったか。

 人の顔と名前を1回で一致させられる方ではない秋水は、そんな名字だった気がするな、という程度に名前を思い出す。いや、別にただの客と店員の間柄なのだから、名前なんて覚えている必要もないか。

 秋水がその店員を確認したのと同じく、レジカウンターで何かの作業をしていた女性店員は顔を上げ、入店してきた秋水の方を見て、あ、と口を軽く開いてから、さぁ、とゆっくり顔が蒼くなっていた。相変わらずだが申し訳ない。

 店内を軽く見渡すが、やはりと言うべきなのか、他の店員がいるようには見えない。

 3回来て3回ともワンオペ状態とか、人手不足なんだなぁ、と他人事のように考えつつ、秋水はその小柄な店員に向けてぺこりと軽く会釈だけをしておいた。ここのコンビニで働いていると言うことは、ご近所様の可能性もあるからだ。心証を悪くして良いことは何もないだろう。


「お嬢さーん、レジおねがーい」


「あ、は、はいっ、ただいまっ」


 やべぇ奴がまた来た、というように固まっていたその店員は、陽気な声をした男性の呼びかけに再起動をして、そそくさとそちらの方へと行ってしまう。

 結果的に会釈は無視された形になるが、特に気にすることもなく秋水は文房具の棚を探し始めた。

 秋水にとって、挨拶をしても返されない、というのは珍しい事柄ではないのだ。


「んー……細いなぁ……」


 さして広くもない店内で文房具の置かれている棚を早々に見つけた秋水は、そこに置かれていたシャープペンシルを見て小さく唸り声を漏らす。

 種類は3種。

 値段は、安い、そこそこ、高い、となっている。

 松竹梅の心理と言うか、行動経済学の基礎というか、3品バラバラな値段で提示してくると言うことは、店として買わせたいのは真ん中の値段の品なのだろうな、とメタなことを考えてしまうのは悪い癖である。

 しかしながら、その3種類のシャープペンシル、どれも秋水の手からすると細いのが気になる。

 体格相応に手が大きく、そして体格相応に握力のある秋水は、細くて繊細な筆記具は非常に使い辛いのだ。

 太さ、と言うか頑丈さを基準として考えるなら、一番安いシャープペンシルが一番頑丈そうではあるが、秋水が現在使っている物と比べると、うーん、という感じである。

 まあ、どうせ4月までの繋ぎで、今使っている物もボロではあるが使えるので、あまり神経質になる必要はないか。

 少し考えた後、一番安いシャープペンシルをひょいと取る。安物買いの銭失い、という幻聴が聞こえた気がした。

 会計するか、と秋水は顔を上げ。




「いやー、お嬢さん、小さいのに偉いねー。今いくつなの?」


「あ、あはは……あのー……」




 なんか昔の漫画みたいな絡まれかたされてた。


 渡巻とかいった小柄な女性店員に対して、部屋着のような上下スエット姿の男性が、赤ら顔で絡んでいた。先程会計をお願いしていた男性だろうか。

 世間話をしている、ようには、あまり見えない。

 女性店員の顔は盛大に引き攣っていて、明らかに困っているように見える。


「バイト頑張ってるとか、お金欲しいの? おじさん少し手伝おうかー?」


「あ、あの、えー……はは」


 カウンターを挟んで、喋っているのは主に男性、と言うか一方的に喋っている。女性店員の方は乾いた笑いしか出てきていない様子である。

 レジカウンターのところには缶ビールが3本。会計は終わっているのだろうか。

 店内には困ったことに3人しかいない。女性店員と、赤ら顔の男性と、秋水だ。

 かわいそうに。

 明らかに絡まれているっぽい光景に、秋水は心の中で女性店員に対して同情した。

 だって、そうだろう。

 絡んでくる男性と、ヤクザ顔の大男だ。どちらにも接客したくないだろうに。

 溜息を1つ吐き、秋水は無言でレジの方へと足を進めた。


「お嬢さん可愛いし、おじさんちょっとは奮発できるぞー」


「ぅぁ……はは、あの、そろそろ、あ……」


 レジへと近づく秋水に真っ先に気がついたのは女性店員であった。

 当たり前か。こんな威圧感しかない奴が正面から近づいてきたら、普通に気がつくだろう。

 あ、と口を開いて女性店員が固まる。絡んできて困った客に続き、見た目が怖くて困った客の重ね掛けだ。申し訳ない。


 硬直した店員の様子を気にすることなく、同じ調子で絡んでいる男性の肩を、秋水はなるべく優しくぽんぽんと叩いた。


「じゃあさお嬢さん、バイト終わりの時間……あ? なんだ……」


 どこか迷惑そうにのそりと振り向いた男性の肩を、がしり、と掴む。


 何となく予想はしていたが、男性からはほんのりとアルコールの臭いがした。

 赤ら顔なのは酔っ払っているからだろう。そして追加でお酒を買いに来たようだ。朝から呑んだくれとか良い御身分だ。

 男性の背丈は鎬と同程度。つまりは秋水よりも10㎝以上低い。肩に手を置くくらいに近距離にいると、秋水が見下ろす形になってしまう。

 酔っ払っている男性は、女性店員に喋り掛けているところを邪魔されたからか、不機嫌そうに振り向いたはずなのに、秋水の姿を見て、さぁ、と顔の赤みが抜けていった。どういうことなの。

 入店しては女性店員に顔を蒼くされ、肩を掴めば男性からも顔を蒼くされ、秋水は若干傷ついてしまう。


「あ……」


「おはようございます。随分と出来上がってご機嫌な様子ですね」


 いきなりマフィア映画から飛び出してきたような輩が背後に立ち、あまつさえ肩まで掴まれた酔っ払いは恐怖のせいか顔を強張らせて言葉に詰まるが、そんなことお構いなしに秋水は挨拶をぶちかました。

 コミュニケーションの基本は挨拶だ。

 肩をがしりと掴んだまま、酔っ払いに顔を向け、しかし見下ろした姿勢を維持して、軽く威圧するように秋水は笑顔を作る。


 なお、完成度。


 かつて妹からは、サスペンスで殺人鬼が 「みつけた、次はお前の番だ」 って言いながら斧片手に近づいてくるシーンに使えそうだよね、という微妙に下手くそな例えをしてくれた笑顔である。

 あの評価にはいたく傷ついた。トラウマになったらどうしてくれよう。

 それでも笑顔を練習した結果、ふいに見せつけられたら 「あ、私ここで死ぬんだ」 って無条件で覚悟させられる笑い方だよね、という評価まで持ち直した笑顔である。どちらの評価が上かは知らないが。

 その笑顔をしっかりと酔っ払いの方に向け、秋水は意識して声を一段低くする。




「渡巻さんに、何のご用ですか?」




「ひっ!?」


 元々が見事に低いバスボイスであるのに、そこから更に低音の声を酔っ払いの頭に軽く浴びせると、その酔っ払いからは引き攣った短い悲鳴が返事として頂けた。

 にこり、と言うか、濁り、と笑顔を向けながら、秋水は軽く、とても軽くだが、酔っ払いの肩を掴んでいた手にぐっと力を込めてみる。

 別に喧嘩を売るつもりはない。威圧してマウントを取るつもりもない。


 何なら、女性店員を助けるつもりも、ない。


 ただただ単純に、邪魔だ、どけ、という意思表示をオブラートに包んだだけである。


 レジの前をナンパで占領するんじゃないよ。

 酒を飲んだ状態で寒い中、寒そうな格好で出歩くんじゃないよ。

 店員さんを無意味に嫌な気分をさせるんじゃないよ。

 堂々とセクハラするんじゃないよ。


 そもそも、酔っ払いは、普通に嫌いなんだよ。


 叔母のせいで酔っ払いに対して厳しい視線を向ける秋水は、他人に迷惑を掛けるタイプの酔っ払いには基本的に対応が手厳しくなってしまうのだ。

 そんな超個人的な恨みをぶつけられた酔っ払いは、赤ら顔など何処にいってしまったのか、顔を真っ青にさせながら震え上がった。




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