34『役不足は役者不足の意味もなくはないので完全な誤用ではないとい説もある』

 何だか体をくねらせている変態を2人でガン無視し、こちらにどうぞ、と敷き布をカウンターの上に差し出すと、昨日見た見事な加工を施されている白銀のアンクレットが秋水のゴツい手からことりと置かれる。

 はぁ、と祈織は思わず感嘆の溜息を漏らしてしまう。

 昨日も見たが、やはり、ぱっと見ただけでも凄いのが分かる。

 いいや、査定でじっくりと見て分かっているからこそ、このアクセサリーの加工技術が素晴らしいのが一目で分かる。

 尋ねたらボカされてしまったが、とんでもない職人が、とんでもない設備で、丹精込めて仕上げた一品、いやさ、逸品なのだろう。

 鑑定しかできない物作りのド素人である祈織からすれば、こんな何一つとして加工などされずにそのまま生まれ落ちました、と錯覚する程に全く自然な仕上がりを産み出す方法など想像もできない。しかもわけの分からない金属で、だ。

 無駄な装飾など一切ない。

 故に、誤魔化しも一切ない。

 ただただ純粋に、何かの金属を、伸ばして、曲げた。

 それだけのアクセサリーだ。

 ただし、切ったり削ったりを一切せず、伸ばしたり曲げたりの痕跡を全て消し、ムラと名のつく全ての歪みを完全に均し、全てにおいて均一な仕上げを徹底した、ただそれだけのアクセサリーである。

 基本にして奥義。

 シンプルにしてアルティメット。

 単純ながらも究極の加工である。


「……綺麗ですねぇ」


「シンプル過ぎじゃないかしら?」


「鎬姉さん、急にケチつけないで」


 うっとりと眺めていると、秋水の姉が生えてくる。

 呆れた様子の秋水が味方してくれるのは嬉しいが、内心としては鎬の言うことももっともである。

 世間受けをするならば、もっと分かり易く細かな装飾をふんだんに施した方が見栄えは良いだろう。宝石を填めたり、模様を刻んだり、その方が綺麗だからだ。そういう意味では、鎬の言うことは全く以て正しい。

 祈織の綺麗だと思うのは、どちらかと言えば技術に対してである。

 凄い技術で作られた。

 だから綺麗だ。

 これは良く言えば玄人の審美眼であり、悪く言えばオタクの無駄な拘りである。言ってしまえば風情や風流に近い。

 こんな査定の目だから駄目なんだよな、と鎬は自嘲的な笑みを浮かべてしまう。


「まあ、ちょっと飾りっ気はないですね」


「こういうシンプルな方が人気があるのかしら」


「ここまでシンプルだと、正直なところ人気はあまりないですね」


 しかしながら客の前なので、すぐに営業スマイルに切り替えて対応する。

 どうせリサイクルショップ扱いされる質屋1つも経営できない才能なのだ。なんなら鎬のような美貌も胸も頭もない。これで愛嬌くらい作れなければ、本当にどうしようもあるまい。

 空元気を回しつつ、にこにとした笑みを貼り付けながらもう一度アンクレットへと目を落とす。


「人気はないですが、見る人が見たら必ず欲しがるタイプですね」


「…………ああ、そう」


「これで使われている素材が分かれば、もっと値段が上がっても不思議じゃないんですけどね」


「ふぅん」


 何故だろうか、鎬の態度が急に塩っぽくなった気がする。

 ちらりと見ると、興味が別に移ってしまっているのか、店内をまた見渡し始めているところであった。ゆっくりと視線を動かし、じっくりと眺めるような見方である。

 やっぱりなんか、怖いなぁ。

 外面が怖い秋水と、内面が怖い鎬。なるほど、似た者姉弟なのかもしれない。

 しかしながら、今回の客は秋水だ。名義は鎬になるだろうが。

 カウンターのテーブルに腰を掛け、白い手袋をつけてからアンクレットを持ち上げて、間近で視線を通す。

 昨日と同じ物だろう。

 別物にすり替えられてはいないみたいだ。

 まあ、こんな奇跡の塊みたいな代物がぽんぽん出てきたら、それは価値観が崩れそうなのだが。


「では秋水くん、もう一度確認をしますね」


「はい」


 ルーペなどで再確認することなく昨日の物だと判断した祈織は、ことりとそれを置いてから秋水を見上げた。

 背がデカい。首が痛い。


「セットの箱は作られてないのですね?」


「ないですね」


「制作者は誰ですか?」


「それはちょっと」


「ちゃんとした貴金属専門店に行った方が、たぶんウチより高く買い取ってくれますよ?」


「それは、まあまあ」


 昨日と似たような質問である。

 そして、昨日とは違う質問である。

 特に何の用心もなく答える秋水に若干の胸の痛みを感じるものの、にこにことした営業スマイルは崩さずに対応する。

 なるほど。昨日、このアンクレットは手渡しで貰ったとか言っていたが、その相手は制作者本人のようだ。つまり、制作者自身は秋水の知り合い、と。




「13万円です」




 笑顔のまま、さらりと告げた。

 制作者も製造会社も素材も分からないので、相場もなにもない。

 こんなもの、直感である。

 しかしながら、これは見る人が見れば必ず売れる、そういう品だ。正直なところ、13万でもボッタクリの可能性がある。

 いや、祈織に見る目がなく、これがちゃちな玩具なのだとしたら、大赤字所の騒ぎではないか。

 一種の賭けである。祈織に見る目があればボロ儲け、見る目がなければ廃業だ。


「なるほど。ありがとうございます」


 その値段に対して秋水の表情は動かない。

 昨日言った10万くらい、というところから大きく値を動かしていないせいだろうか。

 だが、表情が変わったのは鎬の方であった。

 ぎょっと目を見開いて、勢い良く振り向いた。


「え、売れるの?」


「ええ。買い取り自体はできます。ただ、素材がいまいち分からないので、これが適正価格かどうかは分かりませんが」


 秋水にも昨日驚かれたっけなと思い出し、同じような説明を口にした。

 結局のところ、素材が分からないのが一番のネックなのだ。金とか銀のようにもっと分かり易い品であれば、質量と相場から簡単に適正価格を弾き出せるのだが。


「いえ、そうじゃなくて……」


 しかし、鎬の方は若干言い辛そうに口をもごもごとさせる。

 おや、ちゃんと言葉を選ぼうとはしてくれるのか。思ったことをドストレートに叩き込んで相手を泣かせる、そんな切れ味鋭い氷のナイフみたいな女性かと思ったのだが。

 何かを言い淀んでしまった鎬を、秋水は隣からちらりと見る。


「あ、すみません、少し失礼します」


 そして一度断ってから、おもむろにコートを脱ぎ始めた。

 ああ、暖房が効き始めてきたか。まだそこまで暖まってきたわけではないと思うのだが、やはり筋肉が大きいと発熱量が多くなるというのは本当なんだろうか。良い体だ。

 思わず大胸筋へを視線が吸い込まれてしまう。視線吸引力はダイソンに完封勝利かな。エロい。

 と言うより、昨日と同じく服のサイズが小さい。ああそうか、中学生だから成長期なのか。いや成長期の範疇に収まるような身体じゃないよね。エロい。

 そして埃をたてないような配慮なのだろうか、ゆっくりとコートを半分に畳んでから腕に掛ける。その動作1つ1つでどの筋肉が動いているのかが服の上からでも良く分かる。エロい。

 昨日は筋肉触るかとかドスケベなこと言いやがって、秋水が帰った後死ぬ程後悔したんだからな。今日は触らせてくれるかなぁ。

 思わず鼻の下が伸びそうになった祈織は、慌てて口元を手で隠す。別に鼻血が出そうになったわけではない。


「……まだそんなに暖まってない気がするのだけど」


「平熱高いからなぁ。あ、多少肌寒いくらいの方が基礎代謝上がって消費カロリー増えるよ」


「秋水あなた女に向かって何ていう豆知識を披露するのよ」


 秋水の一言に、今度は鎬の方がパーカーをがばりと勢い良く脱ぎ始めた。

 え、腰、細。

 パーカーを着ている状態では胸で布地を押し上げられていて良く分からなかったが、スーツ姿ではベルトで締められているおかげで腰回りのサイズが良く分かる。

 スタイルが良すぎじゃないだろうか。

 バグってるんじゃないだろうか。

 胸が大きくて腰が細いとか、ふざけてんのか。この人絶対女優さんだよ。

 なんなんだこのセクシャル姉弟。

 パーカーを脱いだ鎬を思わず祈織はガン見してしまう。


「ねえ秋水、寒ければ寒いだけ良いの?」


「良かねぇよ。寒すぎたら血流とかの問題が出るから、あくまで肌寒い程度が良いよ」


「ならもう1枚脱いで……あ、透け対策してないわ。別に良いかしら」


「良かねぇよ。思い出したんなら踏み止まろうよ」


 鎬の方は消費カロリーが増える云々の話題へと興味が完全に移行していた。

 人間は恒温動物だから、外が寒いと体温を保とうと熱を産み出すためにエネルギーをより多く消耗する、とかなんとかの話だろうか。聞いたことがあるような気がする。

 口元を押さえながら、祈織は自分の格好へと目を落とす。

 着ぶくれ上等、あったかスタイルである。

 そして、その中身は、つるん、で、すとん、だ。

 ズルくない?

 美人で身長高くてスタイル抜群とか、いくらなんでもズルくない?


「ところで、栗形さん、質問をよろしいですか?」


 世の無常に軽く絶望しかけていると、大胸筋、ではない、秋水が話を振ってきた。姉弟揃って胸へと目線が吸い込まれて仕方がない。


「ええ、どうぞ」


 内心を表に出すことなく、祈織は営業スマイルでにこりと笑いかける。




「13万、とのことですが、これは一点物だからという理由は含まれていますか?」




 しかし、秋水のその質問に、営業スマイルが固まった。

 質問の意味は分かる。

 答えは単純に、その通り、である。

 製作所不明、制作者不明、素材不明。それでも13万円の値段を付けたのは、製作に注ぎ込まれたその技術力の高さであり、他に類を見ないレベルだからである。

 他に類を見ない。

 つまりは、他にない。

 だからこその値段である。

 確かに、このアンクレットが大量にあったとしても、神懸かっている製作技術の凄さ、という点は変わらないだろう。

 しかしながら、希少価値、という点は評価が下がると言わざるを得ない。

 秋水の質問には、そう説明すれば良い。


 だが、何で、そんな質問をした?


 質問の意味は分かる。

 意図が分からない。

 こくり、と誰かの喉が鳴る。

 祈織のものだ。


「え、っと」


「あくまで確認、ではあるのですが」


 祈織が返答に詰まっていると、それに対して特に急かすことなく、秋水は言葉を続ける。

 続けながら、持っていたリュックの中をごそりと探り。




「複数個あったとしても、値段は同じですか?」




 白銀のアンクレットを、取り出した。




 がたん、と音を立てながら、思わず祈織は椅子から立ち上がる。

 嘘だろ。

 まさかとは思ったが、本当に出してきた。

 技術の粋を集めて創られたであろう工芸品のようなそれを、平然ともう1品取り出してきた。


「そ、れは……?」


「同じものです。詳しくないので、恐らく、ですが」


 そう言って、秋水は敷き布の上に、既に置かれていたアンクレットの横に、もう1つのアンクレットをことりと置いてきた。

 呆然と祈織はそれを見下ろす。

 増えた。

 なんか、増えたぞ。

 意味の分からない技術で創られた、意味の分からない完成度の芸術品のような物が、意味も分からずもう一個、増えたぞ。

 驚きのあまり数秒程固まって、それでも祈織は固まった思考のまま無意識的にカウンターの下の棚から愛用のルーペを取り出していた。

 いや。

 いや、流石に違うだろう。

 同じじゃないだろう。

 あんな、ムラなど一切許さないマンみたいな製法で、同じ品がぽんぽんと創られるわけがない。

 ない、はずだ。


「見させて、頂いても?」


「はい。よろしくお願いします」


 震える手を伸ばしながら祈織は尋ねるが、秋水は全く気負うこともなく返してくる。

 価値を理解していないのだろうか。

 ああ、いや、価値が理解できていないから、こんな潰れかけのボロい質屋に持ち込んできているんだったか。

 深呼吸を一度してから、祈織は新しく差し出された方のアンクレットを持ち上げる。

 正直なところ、見る必要はないと、思っている。

 だって、そうだろう。

 箱にも入っていない状態で、リュックサックから無造作に取り出されているのだ。

 ならば、先に出されたアンクレットが、昨日と同じものだという保証は、ない。

 もしかしたら、新しく取り出された方が、昨日査定したアンクレットなのかもしれない。


 いや、下手をしたら、昨日査定したのは、まだリュックの中にあるのかもしれない。


 新しく差し出されたアンクレットに、目を近づける。

 綺麗だ。

 綺麗な曲面だ。

 綺麗な断面だ。

 綺麗な仕上がりだ。

 雑味を全て取り払ったかのような、逸品だ。

 ルーペで見るまでもない。見るまでもないが、見るしかない。

 そして見てしまえば、それは確かなもので。




 ぼろり、と祈織の目から大粒の涙が零れた。




「ん!?」


 それに真っ先に気がついたのは、祈織自身ではなく秋水の方であった。

 涙で視界が歪んだことに一拍遅れで気がついて、祈織は慌てて覗き込んでいたルーペから勢い良く顔を離す。勢い良すぎて、ぼろぼろと涙が出てきた。アンクレットに涙はかかっていないだろうか。よく見えない。

 いきなり泣き出してしまった自分に驚きつつ、祈織は思いっきり奥歯を噛み締める。

 止まれ。

 泣くな。

 営業スマイルは何処に行った。愛嬌すらなくなったら、自分なんぞ。


「あ、と。栗形さん、どうされましたか?」


 気遣わしげな秋水の声がする。

 表情は視界が歪んでよく見えない。

 すみません、何でもないです。言おうとした言葉が嗚咽のように引っかかり、慌ててその言葉を引っ込める。

 営業スマイル。

 営業スマイルだ。

 笑って誤魔化せ。

 美貌も背も胸も頭も実績も、なんの才能もないのだ。笑うことすら出来なくなれば、そんな誰にでも出来ることすら出来なくなれば、本当に自分には何にもなくなってしまう。

 笑え。

 漏れそうになる嗚咽を噛み殺して、震える口元を歪ませて、歪む。

 思わず俯いて、ぼたり、と涙が落ちる。


「……秋水、これ以上は駄目よ」


 ひんやりとした声。

 鎬の声だろう。

 祈織を気遣う素振りはなく、そしてそれが一番の気遣いなのだろう言葉は、秋水を窘めるようにかけられた。


「いや、でも栗形さんが……」


「いいから、帰るわよ。この店の現状は、この人が一番良く分かっているのよ」


 若干申し訳なさそうなその声が、ぐさり、と祈織の胸を突き刺した。

 いや、突き刺したのは、その言葉ではないか。

 それより前の言葉が、遅れて今更、突き刺さった。


 値段を提示したとき、鎬は即座に 「売れるの?」 と聞いていた。


 ああ、なるほど。

 ようやく、その言葉の意味が分かった。

 その後に言い淀んだ理由も良く分かった。


「ごめんなさい、秋水くん」


 かすれた声で祈織は謝罪の言葉を口にする。

 思っていた以上に涙声である。

 何でこんなに泣いているのか。馬鹿じゃないのか。いきなり泣き出すとか気持ち悪い。


「これは、ちゃんとした店に、卸すべきです」


「えっと、卸す、とは?」


 秋水からは戸惑いの声である。

 説明しなきゃいけないのか。

 口に出さなきゃいけないのか。

 心の中ではいつも思っていることを、はっきりと言葉にして、それを認めろと言うのか。

 今更だが。

 分かっていることだが。


「秋水、止めましょう。この店では売れないわ」


「いや、でも1個目ではちゃんと値段がついて……」


「そうじゃなくて、秋水」


 恐らく、何で泣き出したのかの理由を察しているであろう鎬も、どことなく言葉にし辛そうではある。


「秋水、あなた、このアクセサリーをまだ持っているわね?」


「ああ、うん。まだある。10個くらい」


「……今は出所は聞かないわ。だとしたら秋水、複数個売るのだとしたら、ちゃんとした販売ルートを持っている店で買い取りをしてもらうべきよ。ここで買い取ってもらっても、正直、その」


 言い淀んだ。

 祈織本人が言い淀んだことを、はっきりと口にするのは憚られるのだろう。

 何となく怖い人だとかバグだとか思っていたが、ちゃんと人の心はあるみたいで良かった。

 鎬に説明させては駄目だろう。ぐしぐしと祈織は涙を拭う。手袋をしたままだった。

 ことりと持っていたアンクレットを敷き布の上に置き、大きく深呼吸を一つ。




「ウチの店では、買い取ったところで、売るだけの力がありません」




 頑張って、にへら、と笑った。

 スマイルだ。

 営業スマイルだ。

 自分には、これしか出来ないのだ。

 商品を売る才能がない女が、ウチでは売れません、と素直に告白するだけじゃないか。

 事実じゃないか。


「ほとんど、潰れかけなんです、この店。お客もほとんど来ないので、どれだけ良い品物でも、もう、ウチだと、売れない……」


 売れない。

 もう、売れない。

 買い取ったところで、売れない。

 安く買って高く売るのが基本スタイルの店で、いいや、どんな販売スタイルの店であろうと、売れない、は致命的だ。

 この店は、両親が遺してくれたこの店は、そんな致命傷を与え続けるだけの無能な女が、おままごとみたいな経営っぽい何かをしていただけに過ぎないのだ。

 そんなクソみたいな女が潰しかけている、クソみたいな店に、これだけ綺麗な工芸品を、置くべきではない。

 1個なら、まだわかる。

 だが、複数個あるなら、もう、違う。

 どれだけ綺麗な工芸品でも、こんな店に置いてしまっては。

 置いたところで、売れないし。

 売ることが出来ないし。


 買い取ったところで、意味、ないし。


 あ、駄目だ。

 駄目だ。

 だめだ。


 今、明確に。


 心が。


 折れた。


 言葉に詰まり、だらしないヤケクソの笑顔が、歪んで消える。

 営業スマイルってなんだ。

 お前、営業、出来ないだろ。出来てないだろう。

 そんなヤツの営業スマイルってなんだ。

 キモい。

 気持ち悪いだろ。

 気持ち悪いか。

 何の才能もない本物の無能が、いい歳をして、お店やさんごっこしてるとか、気持ち悪いか。

 胸の奥からぐつぐつとした、黒い感情が噴き出そうになるが、それをとにかく押し殺す。

 目の前の2人は何も悪くない。むしろ、秋水の方はこんなクソみたいな店を引き当ててしまった被害者じゃないか。

 笑顔も作れないクソみたいな顔のまま、祈織は真っ直ぐ秋水の方を見る。




「ごめんなさい。これを買い取るには、ウチではやっぱり役不足です」




「……ん?」


「あら」


 素直に頭を下げたのと、2人の声がしたのはほぼ同時だっただろうか。

 何だろう。


「凄いわ、大した自信ね」


「いや言い間違い。真面目な雰囲気ぶち壊そうとしないで鎬姉さん」


「ぶち壊したの私じゃないわ」


「そうだけどさ」


 頭を上げてみれば、また2人で漫才みたいな掛け合いである。

 流石にちょっと気分悪いよ?

 急に雰囲気の変わった2人に、黒い感情が湧いている祈織はかちんときて、それが表情に出てしまう。

 なんだよ、と思わず口に出そうとして、それよりも鎬の言葉の方が早かった。


「秋水、なんでこの店で、それを売ろうとしたの?」


 それはある意味、祈織も思っていたことだ。

 駅前にでも行けば、それこそ貴金属買い取りの専門店がある。そこの方が高く買い取ってくれるはずだし、何より店が綺麗で中学生でも入り易いだろうに。

 わざわざ、こんなクソみたいな店に来る理由など、ないはずなのだ。

 ちらりと、祈織は秋水の方へと目をやった。

 何故かヤクザ顔の大男は首を捻っていた。

 なんなの。


「なんでって、偶然見つけて……家に近いから?」


「ふむ。私の家も近いわね。会社も近いし、ディアも近いわ」


 そして口にした秋水の理由は、本当にどうでも良いような内容で、返す鎬の言葉も本当にどうでも良いもので。

 なんなんだよ。

 家が近いとか、ただの偶然じゃないか。だったら別に何処でも良いじゃないか。

 鎬の会社とか知らないし、ディアはどこか、いや、近くのインドカレー屋がそんな名前だったような気がするが。

 急に目の前でわけの分からない会話を始める2人を、祈織はじろりと睨み上げ。


「秋水、私に2ヶ月頂戴」


「は?」




「2ヶ月あれば、そのアクセサリーの販売経路を確保できるわ」




 折れた心が、粉砕される。

 睨み上げた視線を、顔ごと下に向ける。


 なんだそれ。


 なんだよ、それ。

 当てつけか?

 自分は才能ありますってか?

 お前は出来ないだろうけど私は出来ますってか?

 お前じゃ売れないだろうけど私なら売れますってか?

 お前は無能だけど私は有能の超絶エリートですってか?

 確かにそうだけど。

 顔は平凡だし、胸はないし、くびれもないし、チビだし、馬鹿だし、店一つ切り盛りできないし。

 そんなカスに比べたら、鎬なんて見るからに住む世界が違う天才さんなんだろうけれど。

 そうなんだろうけれど。

 それをわざわざ目の前で言う必要あるか?

 鬼か?

 悪魔か?

 人の心とかないのか?

 拭ったはずの涙が、じわりと再び湧いてくる。


「いや、鎬姉さん、販売は畑違いじゃない? 仕事はデザインとかプログラムの方面だろ?」


「仕事に必要なのは根性、大事なのはコツよ。技術は後からどうとでもなるわ」


「技術ないのに何で2ヶ月とか言い切ったんだよ」


「逆算はスケジュール管理の基本よ。これでも営業部に全く顔を出していないわけじゃないのよ。仕事を一杯つくるからって凄い嫌われているけど」


「うん、それは鎬姉さんが悪い」


「そろそろ会社に迷惑を掛けるのは悪いと、私も思ってはいるのよ」


 心の中をぐちゃぐちゃに蹂躙されている祈織の前で、2人はまだ漫才のような会話をしている。

 帰れよ。

 帰れ。


「それから秋水、そのアクセサリー、もしかして定期的に作れるの?」


「いや、作ってるの俺じゃないし」


「知り合い?」


「まあ……一応?」


「何で自信なさげなのよ。ちゃんと友達つくりなさい。コミュ力は社会に出てからアホみたいに役に立つのよ」


「急に責めるじゃん。あとまあ、定期的には作ってくれるよ、たぶん。気分屋だから何とも言えんけど……」


「なら、下手に個人で売り続けると税金で死ぬわね。個人販売でもあいつらは容赦なく搾り取ってくるのよ」


 はぁ、と鎬が溜息をついた。

 美人の溜息はそれだけでも絵になるんだろうな。

 営業スマイルは出来ないくせに、卑屈な笑みは自然と出てくる。

 そんな祈織の前に、目の前のカウンターに、手が置かれた。

 スーツの腕だ。

 鎬だ。

 なんだよ、とすっかりやさぐれたように祈織が顔を上げるのと、鎬が口を開くのはほとんど同時だった。




「だから店長、さっきの言葉、嘘から出たまこと、にしてみないかしら」




「……はえ?」


「これを売るの、本当に役不足にしてみせるわ」


 顔を上げてみれば、表情の読めない鎬の真顔がドアップであった。

 思わず間抜けな声を上げてしまった祈織に対し、鎬はその豊かな胸を自慢げに張って返す。


「なんなら、今ここで販売の計画書を仕上げて見せましょうか。いえ、経営再建自体の案を少し出しましょうか。聞いてみる価値は約束できるわ。私の履歴はいるかしら」


「いや、えっと、え? ええ? なん、なんの話です?」


「メリットの提示よ」


 わけが分からない。

 何の話をしているのか分からない。

 ただ、いきなり話を向けられたことにより祈織が目を白黒させているのに、鎬はすらすらと意味の分からないメリットとやらを一方的に押しつけてくる。

 販売の計画書? 経営再建? 何の話をしているのか。

 急な話に軽く混乱する祈織を見て、にぃ、と鎬の口元に笑みが浮かぶ。

 表情らしい表情を初めて見た。

 いや、怖い。

 凄い美人さんが笑顔になってくれたのに、本能的に恐怖を覚えてしまうのは何故だろう。

 鎬の笑みに、祈織はビビって震える。

 そんな祈織の様子を見てなお、鎬は笑みを深め。




「私をアルバイトとして、ここで雇う気はないかしら?」




 何故か知らないが、バイトの申し込みをかましてきた。




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