22『仕事の上手くいっていない方の23歳』

 栗形 祈織(くりがた いおり) は23歳という若さで質屋を経営している。


 もっとも、個人経営の小さな店であるし、その質屋も両親から引き継いだに過ぎない。

 両親から引き継いだのも、祈織が大学に進学したばかりの頃に両親揃って不幸があったため、進学したばかりの大学を中退して引き継いだだけである。

 それは両親の店を守りたいという気持ちも確かにあったのだが、古物商許可の取得が難しかったら引き払っていたかもしれない程度のものだ。

 幸いながら質屋としての運営は、中学生の頃から店の手伝いをして、高校生からはアルバイトとして正式に働いていたので、だいたいのことは最初から分かっていた。そういう意味では、何も分からない他の業種に飛び込んで行くよりは幾分有利だな、という打算的な考えがなかったとは言えない。むしろ就職活動をショートカットできるチャンスだとすら思ってしまった。

 両親の死を切っ掛けとして、あまり純粋ではない気持ちで質屋を営むことになった彼女だが、現在は若干の後悔を抱えている。


 経営が上手くいってない。


 ぶっちゃけた話、赤字である。

 莫大な損失を叩き出しているというわけではないが、収支計算をすればギリギリの赤字だ。利益が出ていない。

 真面目に簿記でバランスシートを書き出せば、正確には赤字ではないのだが、現金比率だけで考えれば赤字なのだ。

 質屋とは名乗っているが、持ち込まれる品のほとんどは買い取り品であり、質入れは両親から店を引き継いだここ5年ではたったの2件しかなかった。もうほとんどリサイクルショップの扱いである。

 なので店の経営は基本的に、安く買う、高く売る、の2つで成り立っている状態だ。

 だが、あまり安く買い叩くと、誰も売りに来なくなる。

 そして高く売ると、そもそも売れなくなる。

 店の運営には、そんな微妙な駆け引きに神経を尖らせる必要がある。店の手伝いを多少はしていたとは言え、最終学歴が高卒程度の小娘ではその辺りの駆け引きなど最初は上手く行くはずもない。

 慣れるのにモタモタと手間取り、ようやく買い取りと売り出しのバランスに慣れてきたなと思った頃には、客が少なくなっていた。

 さらにはフリマアプリなどの台頭により、実店舗でのリサイクルショップはゆるやかに衰退しているのだ。



 自身の経営能力のなさと、斜陽業界による苦境。


 ある意味、赤字経営なのは当然とも言えた。

 幸いなことに両親からの遺産は、この自称質屋であるそれなりの現金が遺されたため、どうにかこうにか食いつなぐことだけはできていた。

 ただ、それもそろそろ限界である。


「はぁ……そもそも大手のリサイクルショップに勝てるはずもないしねぇ……」


 新年最初の日曜日。

 古きガラクタが並べられた店内で、祈織は真っ昼間から暇そうに店の収支計算をしていた。

 途中でぐたりとカウンターにだらしなく小柄な体を預け、店の売り上げという現実に思わずボヤきが出てしまう。

 計算していたのは去年一年分の収支。

 結果はギリギリの赤字。

 ぐあぁ、と蛙のような悲鳴に似たなにかが漏れる。


「うぅ、買い取り金額と売り上げ金額がトントンになってる段階でもう駄目だ」



 絶望的な鳴き声である。

 安く買って高く売る、その差額が利益となる商売の原則そのままの経営のはずなのだが、お手製の家計簿みたいな収支計算ノートにはその差額分が僅かな黒字にしかなっていない。

 売買が多少の黒字ではあるものの、家賃や光熱費といった固定の出費を上回る程ではないのだ。

 よって、赤字である。

 別に薄利多売な売り方をしているわけではない。単純に売りに来る客と買いに来る客のバランスが取れていないだけだ。

 その証拠にこの1年、いや、店を継いでから、店内に陳列される商品は徐々にその数を増やしている。なんなら陳列できていない倉庫入りの状態のも増えている。

 商品を入荷して、入荷した分を捌ききれていない。

 そりゃ赤字になるというものだ。


「そろそろ貯金が尽きるのも現実的になってきたし……もう限界なのかなぁ……」


 今年に入ってからまだ1週間も経っていないし、なんならまだ3営業日目でしかないのだが、今のところ買い取り3件に売り上げ1件という計算するまでもなく赤字一直線状態に、もはや祈織の心が折れかかっていた。

 両親の店に思い入れがないわけではないが、強くもない。

 無理して質屋を続けていく必要があるわけでもない。

 人生の舵取りで進路変更をするなら早い方が良い。

 どうせ家族がいなくなった独り身だ。店を畳んでどこかの会社に就職しても、生活へのダメージは少ないはずだ。

 重たく暗い溜息が漏れていく。


「お店一つ経営する才能も、なかったのかなぁ、私」


 誰に聞かせるでもなく自虐的な笑いを呟くが、その独り言が余計に彼女自身の心を抉る。

 何だか疲れた。

 まだ今日は何もしていないというのに、去年の収支計算の結果を見て祈織は店のカウンターに突っ伏してふて腐れてしまった。


 忖度なしに彼女の経営センスを評価するなら、確かにお粗末なものである。


 まず知識が足りていない。

 祈織は経営をすると言うわりには、簿記の知識が明らかに不足していた。

 確定申告などで困らないように収支計算を手書きでせっせとノートに記録しているが、それはキャッシュフロー計算書と損益計算書をミックスしたような歪なものでしかない。

 赤字だ赤字だと嘆いているが、実際は売ることができる商品が、売ることができる状態で、借金もせずにその品数を増やしているのだから、手持ち資金は減少しているもののバランスシート上の資産は拡大している。

 だが、そもそもの知識がないので、お金の動きだけを見てやる気をなくしていく。

 やる気をなくして、意欲も削れていく状態になる。

 厳しい言い方をするならば、売れる商品があるのだから売れば良いのだ。

 だが、意欲が削がれていくと、売る方法の模索をしなくなる。

 どうせ赤字だ。どうせ才能がない。そうやって自分を卑下していって、売れる物が売り出せなくなっていくのだ。

 販売方法を検討したり、宣伝方法を考えたり、そういった何らかの行動を起こさずいれば、顧客が増えなくて当然である。

 そして当然のように商品が売れなくて、成功体験は少なくなってしまう。


 知識が足りず、意欲が足りず、成功体験が足りない。


 そんな状態で、センスなんてものが磨かれるはずもなく。


「へへっ……どうせ吹けば消し飛ぶようなどうでもいい店なんだし、潰れた所で誰も困らないよね……」


 完全に自信を失った小娘が独り、出来上がってしまっていた。











 からんっ、と入り口の鈴が鳴ったのは、祈織がたっぷりとふて腐れた後だった。

 ブザーでも音楽でもなく、鈴をつけたドアというところがレトロな雰囲気を醸し出している。

 その鈴の音に祈織はカウンターから顔を上げ、ぐしりと涙を拭いて来客者へと顔を向けた。


「いらっしゃ……」


 いらっしゃいませと言おうとした言葉が急遽としてストライキを起こした。

 いや、悲鳴を上げなかっただけ褒めて欲しい。




 来客者は、ウルトラ立派な体格で尋常じゃない面構えをしたヤクザの大男であった。




 まだ社会人6年目ではあるが、いいや、生きてきて23年と半分くらいだが、ここまでドストレートにヤベぇと思える人間を見たのは初めてである。

 ゴツい。首が太い。手首も太い。なにその筋肉。鶏のムネ肉貼り付けてるのかな。

 ちらりと見える部分の骨格や筋肉を見ただけで、コートに隠れている残りの体格も分かるというものだ。

 いや、と言うか、顔、顔が怖い。

 人を殺す数秒前みたいな目つきに、堀が深めな顔つきで、髪は地肌が若干透けるくらいに剃り上げた丸刈りカット。牢屋にぶち込まれている極悪囚人みたいである。

 もはや顔が怖いと言うか、首から上が全部怖い。


「い、いいい、ぃー……」


 いらっしゃませ、じゃない。

 気持ちとしてはすでにお帰りくださいませである。

 店に入ってきたその極悪囚人、ではなくヤクザ、ではなくその大男は、一度店内をじろりと睨み回してから、カウンターに居る祈織を見つけて真っ直ぐにガンを飛ばしてきた。

 睨まれている。

 何故か睨まれている。

 これが蛇に睨まれた蛙というやつか。

 気持ちは蛙と言うより 「帰るぅ」 と言う状況だ。

 ヤバい。

 ヤバいヤバいヤバい。

 ヤクザが一体なんの用なのか。赤字経営だけど借金はしてないぞ。いやヤクザと決まってはないか。でも睨まれる覚えはない。


 こつ、こつ、と大男が祈織に向かって歩いてくる。


 どっ、どっ、と祈織の心臓が縮み上がるかのように跳ね上がる。


 いや、背、高ぁ……

 カウンターを挟んで祈織の目の前に立った大男を見上げ、かたかたと小刻みに震え上がる祈織はもはやそんな感想を他人事のようにしか抱けなかった。

 身長は、180の中頃といった所か。

 背が高い。

 小柄な、と言うよりも、140と少ししか背丈のない正真正銘のちんちくりんである祈織が椅子に座った状態から見上げると、その大男はもはや巨人と表現した方が良いかもしれない。

 かちかちかち、と変な音が聞こえる。

 自分の奥歯がカスタネットの如く演奏しているのだと自覚する前に、無表情のまま睨み下ろしてきた大男が口を開いた。




「申し訳ありません、この店は装飾品類の買い取りはしてますか?」




 見事なバスボイス。

 腹の底に響くような低音に、きゅっと祈織の下腹部が締め付けられるような感覚になる。

 まずい。女子としての尊厳が、今、ちょっとだけ決壊したかもしれない。


「あ、ぁ、あぁ、ひっ、はいっ、か、かい、買い取りですかぁっ!?」


 もはや命の危険すらも首筋に感じながら、祈織は根性だけで無理矢理営業スマイルを引き出そうとする。

 盛大に顔が引き攣った。引き出し大失敗である。

 買い取りですか。

 無理です。

 帰れ。

 そう言ってしまいたいけれど言えない。接客のマナーとかではなく、そんなことを正直に口にしようものならドスでドスッとドスられそうとい恐怖からだ。ドスられるとは一体。

 目の前の大男に対する恐怖心を全く隠せていない祈織に対し、表情を変えずにすっと目を細める。

 あ、死んだ。

 目を細めただけなのに脈絡もなくそんな考えが脳裏を過ぎる。


「あの、他の店員さんと交代しても構いませんよ」


「わ、わた……私、独り、ですぅ……」


「……そうでしたか、それは申し訳ありませんでした。それでは恐縮ですが、買い取り査定をお願いしたい物があるのですが、よろしいですか?」


 全く表情は変わらないし、睨んでいるような目つきのままではあるが、大男の口調は丁寧である。

 あ、顔が怖いだけの普通の客かもしれない。

 インテリヤクザ、という単語が頭の中をちらつくものの、その大男の丁寧な態度に祈織は若干だがほっとした。これで横暴な態度で来ようものならギャン泣きしていた自信がある。

 少しだけ祈織が安心していると、大男は店内の室温に対してコートを着ているのが暑くなったのか、そのコートのボタンを片手で外していく。




 いや、ウルトラスーパーゴリマッチョ。




 え、なにその胸。

 ムチムチのパンパンじゃん。

 コンプレッションシャツなのか? 加圧シャツなのか? いや絶対普通のだよねそれ。何でそんなボディライン分かるような感じになるの。おかしいだろ。もっと上のサイズの服着ろよ。むしろ1月なんだからもっと着込んで隠せよ。女なら18禁だからその格好。

 胸の筋肉の盛り上がりを見て驚くの遅れたけれど、絶対そのお腹も凄いよね。見るからに脂肪的なぷよっとした感じがしない。どうせレンガ造りの壁みたいな腹筋してんだろうけど。

 ヤバい、目線が筋肉から外れない。

 と言うか、服越しとは言えども生でマッチョの筋肉を見るのが初めてで、反応に困る。

 え、これR指定じゃないの? X指定にならないの? どう見たって、これ、こう、あれだよ、エロだよこれ。エロいよこれ。

 突如として披露された大胸筋に目を見開いて驚愕の視線を向けながらも、祈織は収支計算ノートをカンターから退かす。


「あ、はい、こちらに、その、お品ものを、どうぞ」


「分かりました。少し失礼いたします」


 その大胸筋で恐怖が吹っ飛ばされ、筋肉をガン見しながらも気の抜けたように対応を始める祈織の様子を気にすることなく、大男は背負っていたリュックを下ろす。

 いや、いやいや、肩から首にかけての筋肉どうなってんの。世の女子がなで肩で悩んでいるのが可愛く見えるレベルの傾斜じゃないか。スキージャンプの試合会場かなそれ。

 少しずつ披露されていくその肉体に、もやはじらしと言うエロスを感じる。

 これ有料でしょ。

 絶対有料でしょ。

 目の前で無料で鑑賞していい物じゃないでしょ。


 栗形 祈織。

 若くして彼女は性癖がねじ曲がっていた。


「あ、すみません、コートを脱いでもよろしいですか」


「うぇっ!? え!? ど、あ、はい、どうぞどうぞ」


 え、脱ぐの?

 更に脱ぐの?

 録画していいかなぁ。

 完全に思考がぶっ壊れた祈織を前にして、リュックを片腕に抱えながらゆっくりコートを脱ぎ始めた大男の肉体に、そのエロ猿は再び目を見開いた。

 いや肩。マスクメロンかな。

 いや腕。生ハムの原木かな。

 コートに隠れていた身体の部位が披露されていく。

 ごくりと生唾を飲み込む音がする。うるせぇ、今良い所なんだよ、誰だいったい。祈織である。

 マッチョだ。

 本物のマッチョだ。

 痩せマッチョとか言う祈織の解釈違いなものではなく、鍛え上げられてしっかり肥大化された筋肉のマッチョだ。大好物だ。

 ボディビルの大会で以外見たことがない。

 やばい鼻血出そう。


 栗形 祈織。

 趣味はボディビルの鑑賞である。


 まあ、だが、目の前のこの大男はあまり日焼けをしていない。

 色白なのはマイナスポイントだ。

 それに大会でもないからパンプアップさせてないのは残念。

 仕上がってないナチュラルなのもマイナスポイントだ。

 あと顔が怖い。無表情なのも頂けない。

 さわやかな笑顔を出さないのもマイナスポイントだ。

 そう考えたら危ない所であった。これで肌を焼き笑顔を浮かべ、最後の追い込みで筋肉を仕上げた上に、あとは脚の筋肉も見せびらかしに来たら口から黄色い悲鳴と鼻から血飛沫を上げながら祈織は憤死する所であった。


「それでは、こちらをお願いします」


 思いっきり筋肉をガン見していると、いつの間にやらリュックから品を取り出していた大男が、カウンターの前にその品をことりと置いてきた。

 腕、太ぉ。

 むっちむちだぁ。

 祈織程度のちんちくりんなら、片手で頭を掴んだ挙げ句にそのまま片腕で持ち上げられそうである。

 え、なにそのシチュ。エロ。

 もはや最初に抱いていた恐怖は何だったのか。すっかり鍛え上げられた筋肉に目を奪われて知能指数が数段下がってしまった祈織は、一度大男の腕をまじまじ鑑賞してから、ようやく本題の買い取り品に目を向けた。


「はい、お預かりします」


 にこりと自然な笑顔で品物を受け取ると、何故か大男の方が驚いたように目を開く。

 まずい、不自然だっただろうか。

 たぶん気が抜けると気持ち悪いにちゃりとした笑顔が出てきそうなのを必死に堪えているのだが、もしかしたら漏れてしまったかもしれない。

 安全地帯でクマにでも遭遇したような態度から一転、にこやかな笑顔を向けるという不自然な豹変の仕方をした自分の態度を欠片程にも疑問に思うことなく、祈織はいけないいけないと己を戒める。筋肉は観賞用。白米のすすむオカズじゃない。

 気を取り直して祈織は預かった物を見る。


 白銀の、リング。


 ブレスレットか。いや、アンクレットか。

 凝った装飾もなにもない、非常にシンプルなアクセサリーである。


 あるのだが、見た瞬間に、祈織は思わず目を見開いてしまった。本日3回目である。


 栗形 祈織は質屋を営み6年目だ。手伝いの時期を含めればもっと長い。

 祈織が次いでからはほとんどリサイクルショップ扱いではあるが、親の代まではちゃんと質屋としても機能していた。

 不要品中古品の買い取りだけではなく、以前は質入れとしてそれなりの物を預かることがちゃんとあったし、今でも普通の買い取りとして貴金属類を買い取りする場合もある。

 それに、この仕事柄、物の品質や値段というのには敏感な方ではある。

 なんの用事もないのに宝石店や、あるいは相応の値段がするアクセサリーショップを見て回ることだってある。

 だから、色んな貴金属は目にしている。

 だが、見たことがない。

 いや別にそれは珍しいことではない。祈織だって世界中全てのアクセサリーを把握しているわけではないのだ。

 しかし、見たことがない。

 見た瞬間に、見たことがない、と直感が告げている。

 白銀のアンクレットだ。

 白銀である。

 つまり銀だ。

 ぱっと見は、銀に見える。

 祈織にだってそう見えた。

 見えたが、直感は告げていたのだ。




 え、これ、銀じゃないよね?




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 事案。中学生男子の身体を性的な目で嘗め回すように鑑賞する女。

 いや気持ち悪。世の筋肉はエロではないよ。


 ちなみに、こいつ以上の変態は出て来ないので安心してください。

 たぶん。

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