19『身体強化の強化』
一気に忙しくなった。
ダンジョンを見つけた日からまだ1週間も経過していないのだが、やることやりたいこと、確認することや検証することが山積みになっている。
角ウサギをぶっ殺したい。
ダンジョンを探索したい。
モンスターについて知りたい。
ポーションの効果について研究したい。。
セーフエリアでの休憩や睡眠について検証したい。
身体強化をもっと上手く運用したい。
戦う装備を調えたい。
効率の良い食事を取りたい。
強くなりたい。
それに対して頭の痛い問題も同様に発生している。
これはもう、時間と金の2つだ。
あれもこれもやりたいが、根本的に時間が足りない。
これについてはポーションによる疲労回復や、セーフエリアでの睡眠時間短縮効果で随分余裕ができているし、幾つかの問題は気長にやれば良い話である。人手を増やす気がない以上、時間についてはまだ割り切れる。
しかし、金についてはそうも言っていられない。
お金は自由の土台だ。
事情により秋水自身は現在それなりの資産を持っている状態ではあるが、それは食い潰せば終わりである。
それに、ダンジョンアタック用に全ての資産を振り分けるのは現実的ではない。
生きるのには金が掛かる。
生活費はこれからも生きている以上はのし掛かってくるし、高校に進学するならば学費もある。
秋水自身が働いて金を稼げるようになるまでは、今持っている資産を取り崩しながら食っていく必要があるのだ。
だが、ダンジョンアタックにも金が掛かる。
防具としているライディング装備は安物とは言えど、それはガチのバイク乗り用の物と比べての話であって、普通にそれなりの値段がする。そして攻撃を受けたら壊れるので、残念ながら消耗品だ。
武器としている工具系統も、いつ壊れたっておかしくはない。そもそも本来の用途とは違う使用をしている。
その防具も武器も、新しい種類を買い揃えたりする可能性は高い。今だって既に武器の交換を検討しているくらいだ。
他にも細々とした装備品を買い揃えるとなると、びっくりする程お金が減っていく。
そこから更に、ポーションの使用やセーフエリアでの睡眠のデメリットとして、食費の増大という問題が上乗せされる。
ダンジョンを見つけた日からまだ1週間も経過していないが、既にどれだけの出費をしたのか家計簿を見るのが怖いレベルである。
だから金策については、現在最も頭の痛い問題であった。
しかし、その問題を解決する光明は、初日の時点から転がっていたのだ。
角ウサギを最初に殺したときに、物理的に転がっていたのだ。
あれから追加で角ウサギを10体程撲殺した。
新しい戦闘スタイルを試すというのを横に置いて、タイムアタックをするかのようにサーチ&デストロイでぶん殴った。
カウンターで体勢を崩してからボコボコしていくいつもの蛮族スタイルで、全くミスなく10体程の角ウサギを連続で殺し、死亡演出で噴き出てくる光の粒子をグローブを外した手で吸収することを全部において試してみた。
結果としては、やはり光の粒子は秋水の中にある 『妙な力』 として取り込むことができる、ような気がする。
本当に吸収したものが取り込めているかどうかは定かではないのだが、何となくそんな感じがするし、少なくとも秋水の中の 『妙な力』 に何らかの影響を及ぼしているのは間違いなさそうだった。
ただ、吸収しても吸収しても、『妙な力』 が受ける影響からフィードバックされるような奇妙な感覚にはどうも慣れなかった。
「うぇ、モゾモゾしてないし気持ち悪くないのに、モゾモゾして気持ち悪っ」
と言うのが最終的な秋水の感想である。
ちょっとなに言ってるか分からない意味不明な感想だが、秋水からすればそうとしか言い表せないのだ。
全てをカウンターからのラッシュで殺しきり、肉体的なダメージは全くないのだが、精神的な疲労感は思いっきり溜まった。この疲労はポーションで解消することができないのは残念である。
残念ついでに、3体出現する部屋までは行かなかったのは、これこそ残念なことに安全策のためであった。
本当はもう一度3体まとめて戦いたいという気持ちが少しは、いや、それなり、いいや、かなりあったのだが、精神的に疲れた上に、今日は昼からその精神的な戦いに赴かないといけないという抑止力の前に渋々ながら引き返すことにした。丸刈り頭でも後ろ髪を思いっきり引っ張られている気分だった。
そしてちなみに、ドロップアイテムは最初を含めて3つ出た。
家に戻って、朝食と考えるならばかなり重たい食事を平らげ、少し休憩しようとセーフエリアで30分程の仮眠をして、起きてすっきりとした所で朝の8時である。
嘘だろ、まだ昼まで4時間もある。
時計を見ながら秋水はまだまだ今日という時間がたっぷり残っていることににやにやした後、叔母と会う予定を思い出して項垂れた。
嘘だろ、もう昼まで4時間しかない。
そう言えば、カレー屋に呼び出された以上、今日の昼飯は強制的にカレーだ。しかもインドカレー。別に嫌いというわけではないが、ナンが腹にずっしり溜まるのがちょっと微妙である。
「やっぱ、先にジム行こうかなぁ」
ダンジョンに行く前は叔母に会ってから行こうかと思っていたのだが、再度予定変更だ。
ストレス発散のためにダンジョンに行って、逆にストレスを抱えて帰ってきたので、そのストレスを発散させるために運動をしようという魂胆である。本末転倒とはこのことか。
という理由で、秋水は通っているコンビニジムへと顔を出していた。
9時前くらいの良い時間なので、ジムはそれなりの賑わいを見せている。
流石に満員御礼とは言わないが、昨日の深夜で誰も居なかったことを比べたら、こちらの方が秋水には見慣れた光景だ。
ジムの中をぐるりと見渡して、パワーラックが2台とも使われているのを確認する。ウォーミングアップが終わるまでに空いてくれたらラッキーくらいに思っておこう。代わりにトレーニングベンチの方は珍しくガラガラなので、ダンベルで筋トレするのもありだろう。ただ、ダンベルは最大重量が50㎏までなので、2つ使ったとしてもデッドリフトを行うには少々物足りないものがある。
何の種目をやろうか考えながら、秋水は荷物を空いている棚に押し込んだ後、ストレッチのコーナーに移動する。
「よっす、兄ちゃん」
「おや、おはようございます。早いですね」
途中でアブダクターのマシンをガッシャガッシャと行っていた顔見知りの中年男性から挨拶をされ、それに軽く頭を下げて挨拶を返す。
会話は長く続くことはない。
男性は再びアブダクターで足を動かしてトレーニングに戻り、重量設定70㎏というのを横目で見て、ナイスゥ、と秋水は心の中だけで賞賛を贈りつつストレッチコーナーに向かう。
馴れ合いはあまりしない。
このドライな雰囲気が個人的には気に入っている。
「わっ」
ストレッチコーナーでマットを引くと、隣から軽く声が上がった。
ちらりと目を向けると、見知らぬ青年が顔を逸らしている。
ああ、いつものか。
意識をマットの上に戻し、秋水は気にすることなくウォーミングアップの運動を始める。
関節の可動域を確かめるようにじっくりと、しかし筋が伸び過ぎないように手早く。
10分くらい連続で行っていると、汗がじわりと滲んでいくのが自覚できる。暖まってきた頃合いだ。
ちらりと隣を見れば、青年はもう退散した後である。怖がらせて申し訳ない。心の中で謝りながら、速くと遅くの変速腕立て伏せを行って、プランクを数種類でウォーミングアップを切り上げる。
汗を拭きながらストレッチのコーナーを出ると、パワーラックはまだ使われていた。おや残念。
一定以上の高重量となってしまうと、どうしてもバーベルを使わざるを得なくなるので秋水はバーベルでの筋トレを好んで行うのだが、だからと言ってダンベルの種目ができない訳ではない。
今日は背中を中心に筋トレをしたいので、ベントオーバーローイングやプルオーバーあたりを行うか。いっそローローやプルダウンのマシントレーニングをするのもありだろうか。いや、やはり多関節を最初にしておきたい。やはりダンベルで背中を中心にスーパーセット組んでいくか。もしくはポーション頼みでジャイアントセットを組んでごりごり筋トレするか。
ウキウキで種目を考えながらフリーウェイトのコーナーへ足を進めると、パワーラックを使っていた人が片付けを始めるのが見えた。
これはラッキーである。
パワーラックの順番待ちをしている人が他にいないかぐるりと確認してみるが、人気マシンの奪い合いが始まるとき特有のマッチョが躙り寄って牽制してくる雰囲気はない。どうやら使えそうである。あと、早く予約制を導入してほしい。
「すみません、次、使っても良いですか」
片付けを始めた人に近寄って声を掛けると、見たことのある顔である。
このジムの常連だ。
名前は知らないし、顔見知り、という程でもない。土日に良く遭遇する人だなと秋水が一方的に知っているだけである。恐らく向こうも秋水のことを認識しているかもしれないが。
「あー、はいはい。ベンチ入れとく?」
「出したままだと助かります。デッドリフトやりたいので」
「はいよ」
話しかけるのは初めてだが、特に秋水の外見にビビる様子は見せず、やや気の抜けた返事をしてから手早くバーベルを拭き上げて自分の荷物をまとめてくれた。
筋肉は自信に繋がる。
そのせいか、ジムの中だと秋水のヤクザ顔を怖がる人はあまり居ない。
ジムは筋トレを黙々と行う場なので他人をあまり気にしないというのもあるのだろうが、そういう意味でもジムの空間は秋水にとって独りの空間の次に気が休まる場だと言える。
ストレッチの所で隣になった青年みたいな人もたまにいるけれど。
「はい、おまたせさん」
「ありがとうございます。究極進化した手羽先みたいな腕ですね」
「そっちこそ、全身がバーゲンセール会場みたいな筋肉になってるよ」
交代してくれたその人に軽くお礼を言った後、秋水はトレーニンググローブをつけてからパワーラックの中に入る。
さっきの人はスクワットをやっていたようだ。
ラックやセーフティバーの位置をちらりと確認してから、恐らくスクワットように調整されていたそれらを慣れた手つきでデッドリフト用に再調整し、バーベルに重りを装着していく。
ポーションがある以上は順番に重量を落として追い込んでいく必要がないので、今回は20㎏を左右に3枚ずつ、そして10㎏を1枚ずつ、バーベルのシャフトと合わせて合計160㎏でいく。
普通にえげつない重量である。
「うっし、まずは身体強化なしで……」
小さく呟きながら、秋水はバーベルの前に立ち、フォームを確認するようにゆっくりとスタート姿勢を作っていく。
筋トレは姿勢が大事だ。
近くの鏡でフォームをちらりと確認してから、目を閉じて自分自身の姿勢をしっかりと認識する。
大きく息を吸って、吐く。
何度かそれを繰り返した後、腹圧をしっかり入れ、目を開く。
「ふっ!」
周りの迷惑にならないように、大きい音にならないように気をつけながら息を吐き切り、バーベルを持ち上げる。
1回。
そのたったの1回で、秋水はむっと眉を顰めた。
「……2、いや5キロはプラスできるなこれ」
ガチャッと音を抑えながらバーベルをラックに掛け、秋水はすぐにバーベルの両方に2.5㎏の重りを追加する。
それから再びバーベルの前に立ち、姿勢を整え、バーベルを握り、深呼吸。
確認するように2回目を持ち上げた。
バーベルを腰下まで引き上げ直立して、一度頷いてからゆっくり降ろす。
そしてラックには掛けないで床に重りが着かないギリギリまで下げ、引き上げる。
良い重量だ。
さっきのは微妙に軽く、筋肉に効かせるには回転数を上げなくてはいけない。楽にできてしまうのは筋トレにはならない。
そしてこれ以上重くすると、途中でチーティングをしそうになる。引くだけなら200㎏はいけるのだが、高重量一発上げの記録大会には興味がない。筋トレはあくまでも筋トレである。
つまり、トレーニングには丁度良い塩梅になった。
逆に言えば、160㎏のデッドリフトが丁度良かった頃よりも、筋肉が強くなっている証拠である。
食い縛って13回目を引き上げてから、そっとバーベルをラックに戻し、秋水は荒い息を吐き出した。
「はぁ、ふぅ……素で、筋肥大、してんな、はぁ……」
ダンジョンでの戦いが良い刺激になっているのか、ポーションとかの効果が別の形で出ているのか。
まあ、筋肉が育っているのは良いことだ。
ポーションを一口飲んで休憩を大幅にショートカットしてから、秋水は再度バーベルの前で構える。
普通にデッドリフトを行うのにプラスで5㎏。お誂え向きの追加重量だ。
身体強化がだいたい3%くらいの強化だとすると、165㎏の3%は5㎏弱になる。ポーションで疲労をリセットしたので、身体強化を使えば丁度最初に行った160㎏と同じような感覚になるはずだ。
息を吸う。
自分の中にある 『妙な力』 に集中。
息を吐き、身体強化を一気に掛ける。
「おー、慣れたねぇ」
身体強化を行うまでの時間が最初の頃と比べると随分早くなったことに、秋水は小さく笑った後、再び大きく息を吸い込む。
そこから強く息を吐き出しながら、腹圧を掛け、顔を上げて姿勢の最終調整。
そして、バーベルをラックから外して一気に持ち上げて。
持ち上げた瞬間に、眉を顰めた。
重いことは、それはもちろん重い。
165㎏を軽いと表現しようものなら、それはただの化け物だ。
だがしかし、それでも軽いと言わざるを得ない。
正確に言えば、想定よりも軽い。
だって、これ、10㎏は軽く追加できるぞ。
どうだろう、もしかしたら12㎏、上を見るなら15㎏は追加しても良いかもしれない。
眉を顰めたまま秋水はバーベルを下ろし、確かめるように2回目をゆっくり引き上げる。
「……15㎏」
ぼそっと呟いてから秋水はバーベルをラックにかけて、すぐに重量設定を変更する。
2.5㎏と10㎏の重りを取り外し、20㎏を追加で入れ込み、重りは20㎏を4枚ずつの計8枚、バーベルシャフトと合計で180㎏とした。
カラーがしっかりハマっていることを確認してから、秋水はデッドリフトの体勢に戻る。
身体強化は掛けたままだ。
呼吸の乱れはない。
バーベルを握り、姿勢を整え、腹圧を掛け、顔を上げる。
一連の動作はもはや慣れたもので、特に気負うこともなく秋水はゆっくりとラックからバーベルを外して、持ち上げる。
「……うん」
口端をにやりと歪めてから、バーベルを下ろし、ゆっくりと引き上げる。
また下ろす。
引き上げる。
背中に、肩に、太ももに。どこの筋肉が動いているかを意識しながら、デッドリフトを繰り返す。
引き上げられる。
しかも、筋トレには丁度良い塩梅だ。
つまるところ、身体強化なしで165㎏を引き上げているのと同じ感覚だ。
「ふっ、づぁ……ふぃ」
13回。
バーベルをラックに戻してから、秋水は大きく息を吐き出した。
それから一息入れるようにして、パワーラックから出していたベンチへとどかっと腰を掛ける。
「はぁ、ひぃ……あ、うん、はぁ……てことは、はぁ、おいくらパーセントよ」
180㎏が165㎏と同様くらいの感じがしたので、15㎏の補助を受けていると考えれば、ざっくり9%くらいの強化という計算だろうか。
ポーションを一口飲んでから秋水はそれを暗算した後、あー、と納得の声を小さく上げる。
3%くらいだった強化率が、いきなり9%まで引き上げられた。
なるほど、身体強化は成長できるのか。
そして、その要因はおそらく、角ウサギが噴き出した光の粒子を吸収したからだろう。
奇妙な感覚に耐えた甲斐があったと喜ぶべきか、あっけなく強化率が引き上げられたと苦笑いをするべきか迷う所である。
これが何処まで引き上げられるのかは分からないが、3連星角ウサギの攻略法にも光明が見えてきたと言っても良いだろう。
攻略法もなにも、要するにパワープレイでゴリ押すという意味だが。
今日は良い日だと秋水はにやりと笑う。
傍から見たら殺人計画でも企てている極悪人の様子であるが、周りの迷惑なるからしないだけで本当は鼻歌を歌っても良いくらいに機嫌が良くなった。
金策の目処がつきそうだ。
複数相手の戦闘スタイルにも目処がつきそうだ。
これは良いことじゃないか。
上機嫌にそう考えながら、秋水はデッドリフトの3セット目を開始した。
12時は、容赦なく迫っていた。
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