17『ポーションを世に出すか』

 チュートリアルが終わったのだろう。

 角ウサギが3体出現した次の部屋は、角ウサギが2体いた。

 ダンジョンはここから本番だと言うことか。

 少し悩んでから、秋水は今日はここでダンジョンアタックを引き下がることを選択した。

 正直な話をするなら勇んで飛び掛かりたい所ではあるが、判断そのものは冷静であった。

 今まで1体ずつ戦っていたが、複数体相手となると立ち回りが全く違う。頭では分かっていたものの、3体相手に立ち回ってみて改めて痛感した。

 作戦の練り直しが必要だ。

 ついでにボロになってしまったヘルメットとライディングジャケットをどうにかせねば。

 今引き返せば、帰り道でリポップした角ウサギをなぎ倒したとしても、夕飯の時間よりは少し早いくらいの時間には戻れるだろう。

 今日の収穫は十分か。

 判断こそは冷静だが、それでも渋々といった様子を隠すことなく、秋水は踵を返した。











 帰り道の途中から復活していた角ウサギに対して、カウンターで一撃ずつ入れてみたり、はたまた取っ捕まえて投げ技に徹してみたりとしてみたが、いまいちしっくりとこなかった。

 殺せることは殺せる。

 効率は悪い。

 複数体を相手取る前提ならば、もっと別のやり方が必要だ。

 どうやら角ウサギは連係プレーというものを知らないようなので、同士討ちをさせる戦法はなかなか有効だが、アレは基本的に運頼みである。3体別々に跳び掛かってきていたから上手く出来たが、一斉に突っ込んできていたら不可能だ。

 カウンターで1撃離脱を繰り返す手もなくはないが、複数体相手に持久戦を挑むのはどうなのか。先にこちらの集中力か息が切れる気がする。

 そもそもにおいて、角ウサギ1体を殺しきるのに時間がかかり過ぎている。もしくは手数がかかり過ぎている。

 欲を言うなら一撃必殺が理想なのだが、そんな破壊力のある一撃は繰り出せない。それこそ角ウサギの同士討ちを狙わない限りは。

 現実的には3発くらいで殺せるような威力が欲しい。

 となると、やはり武器か。

 可能ならば角ウサギの角そのものが欲しいのだが、あれは殺したら消えてしまうので使えない。生け捕りにして鉄の棒とかに括り付けて槍として無理矢理使えなくもないのだろうが、流石に暴れる武器なんて嫌すぎる。

 上手い方法はないものか。

 その答えは、セーフエリアに到着しても出て来なかった。










「うーん、出費が痛てぇ」


 家に帰ってから、野菜ジュースに青汁やらプロテインやらモリンガやらシナモンやらを混ぜた特製の謎ドリンクで栄養補給をして一息入れた後、秋水は自転車に跨がってさっさと出かけることにした。疲労が消えるポーション様々だ。

 既に暗くなり始めている時間である。冬至は過ぎたとは言え、まだまだ日の入りが早い。

 出かける理由は装備の調達。

 近場の 『働く男』 でライディングジャケットとグローブを購入し、ホームセンターでヘルメットを買う。流石に破損した状態の防具を着てダンジョンに潜る気にはなれないが、出費が地味に痛い。

 と言うよりも、昨日と今日でそれなりの金額が吹っ飛んでいる。なにせ装備一式に、食料品を大量に買い込んでいるのだ。

 防具が消耗品なのは仕方がないが、昨日買ったのを今日買い直すというのもなかなかに悲しい。ダンジョンアタックは楽しいが、懐具合はあまり楽しくない感じである。

 だが必要だ。

 ダンジョンアタックには必要なのだ。

 装備は重要だ。武器は大事だし、防具も大事だ。これらがなければ始まらない。

 食料も重要だ。ポーションによる回復を十全に行うには、しっかりとした栄養補給が大切だ。

 だから、金をかけざるを得ない。


「んー、でも、この出費を続けるとなると、何かしらの金策が必要なんだよなぁ……」


 買い物が終わって家に辿り着き、自転車に括り付けた荷物を取り外しながら秋水は重たい溜息を一つ。

 ただの中学生でしかない秋水にとって、金を稼ぐ手段というのは限られている。

 適当な店でアルバイトしようにも、中学を卒業するまでは待たないといけない。

 ならばと商売をするには秋水は知識もスキルも全くない。

 現段階では詰んでいる。

 普通に考えたらあと3ヶ月程待って、中学を卒業してからどこかでアルバイトでもして金を稼ぐのが一番現実的だろう。

 普通に考えたら。


「……ポーションのことを横に置いておけば、な」


 現代医学に携わる全ての人を廃業に追い込みかねない、ダンジョンが生み出すチートアイテムのことを思い出すと、乾いた笑いが口から逃げ出していく。

 正直な所、金を稼ぐだけならば、すぐ出来る。

 なんなら、一生働かなくても豪遊し続けるだけの金を一気に稼ぐことくらい、すぐに出来るだろう。

 それを出来るだけの反則品が、ポーションなのだ。

 瓶詰めにでもして適当に売り捌いただけでも、莫大な富を築くくらいは楽勝だ。自分が販売の元手となればそれ以上の富を得られるだろう。

 新興宗教という名前のエセ病院を設立して、ポーションで重傷者や重体者を治していくだけで、どれだけの儲けを叩き出すことができるかはもはや予想もつかない。

 金を稼ぐだけなら、簡単なのだ。

 ポーションの出所を探られ、何をされるか分からないが。


「…………」


 いや、意識の外に置いてはいるが、本当のところ、理解はしている。

 このポーションは、個人で所有するにはあまりにも恩恵が大き過ぎる。

 過ぎる、どころの話ではない。

 個人で所有すべきでは、ない。

 ダンジョンで産出されているポーションが、秋水以外の人間に効果があるのかは分からない。その効果が汲み上げてからいつまで続くかも未知数だ。ダンジョンから遠く離れて使用できるかどうかも不明ときた。病気に対してどんなアプローチがされるかは想像の埒外である。

 なんなら、秋水以外の生物には全く違う効果が、最悪の場合は劇物になる可能性だって十分にある。

 まだ実験不足だ。

 安全性は不確かなのだ。

 他人様に売っていいようなものではない。

 そんな建前はいくらでも用意できる。


 だが、それでもポーションの治癒力を心の底から求めている人も、いくらでもいる。


 病院に飛び込めばどうだ。

 紛争地帯に飛び込めばどうだ。

 食うにも困る貧困地域に行けばどうだ。

 怪我に、病気に、苦しむ人は、いくらでもいるのだ。

 大金を積んででも欲しがる人は山程居るだろう。その金がなくとも、他の何を捨て置いてでも欲しがる人はそれ以上に居るだろう。


 こんなことを考えている今正に、大怪我で死にそうな人が居るのだ。


 ポーションでなければ助けられないだろう人が、居るのだ。


 奇跡を起こす回復薬でなければどうしようもない瀕死の人を目の前に、絶望している人だって居るのだ。




 それくらい、秋水は、身を持って、知って、いる。




 本当なら、大人を頼るべきだ。

 ポーションのことを相談して、世界に対して有効に使うのが一番良いに決まっている。個人で独占すべきではない。独占はもはや悪害でしかないからだ。

 実験不足も安全性の検証も、人を集めて組織を使って、一気に確かめた方が効率が良いに決まっている。いつの時代も最大の力は数なのだ。人手こそが手っ取り早い近道なのは歴史が散々証明している。

 中学生の少年一人が頭を悩ませて、何が出来るというのか。

 ポーションはもっと世界に広く公表すべきだ。秋水以外の人間にも効果があるならば、世界の医療体系は劇的に変わる。変わらざるを得ない。それだけの価値がポーションにはあることくらい、子供である秋水にでも分かる。

 だから、個人で所有すべきではない。

 世界のことを考えるなら、人類種のことを考えるなら、利益が薄かろうと世に出すべきだ。


 これで救える命があるならば。


「……報われねぇなぁ」


 呟いて、秋水は荷物を持ったまま家ではなく庭から直接ダンジョンに降りていく。

 セーフエリアに辿り着き、もはや休憩スペースというよりもただの寝床になってしまっている畳の横に、買ったばかりのヘルメットとライディングジャケットをがさりと置いて、棚からコップを掴み取る。

 そして、ホースの刺さったポーションの噴水から、コップにポーションを汲み、それを一口。

 トレーニング代わりに自転車をかっ飛ばして得た疲れが、すっ、と消えていく。

 世界で一番贅沢なことをしている。

 世界で一番無駄なことをしている。

 このポーションは秋水が発明したものではない。

 たまたま秋水の家の、その庭の、その地下の、このダンジョンで、勝手に湧き出しているに過ぎない。

 偶然、たまたま、奇跡的に、秋水が見つけただけに過ぎない。

 だからこれは、この幸運は、秋水だけが独占して良い代物ではないのだ。

 それくらい、分かっている。




「半月前に、こいつが」




 思わずそれを口にした後、きゅっ、と口を固く結ぶ。

 いや、分かっている。

 理屈は分かる。

 頭では理解している。

 だが、感情というのは、理論とは別の所にあるのが常だ。

 コップに汲んだポーションを飲み干してから、ちらりと下へと続く扉へと目をやった。


 ポーションを世間に公表した日には、ダンジョンのことが即バレる。


 そうしたら、ダンジョンアタックなんて出来なくなるだろう。

 このセーフエリアの下には、襲いかかって来る角ウサギがうろついているのだ。もしかしたら他のモンスターがいる可能性もある。

 普通に考えたら、閉鎖されて然るべきだ。立ち入り禁止である。

 へっ、と鼻で笑ってしまう。

 いやいや、それは理屈がおかしい。

 金策を練る理由は、ダンジョンアタックをするのに金が掛かるからである。

 それでポーションを売りに出し、ダンジョンに潜れなくなるとか本末転倒も良い所である。


 死にそうな人?


 救われる命?




 知らん。




「報われねぇな、ホント」


 もしもこのポーションを発見したのが秋水ではなければ、世界に革命が起こっただろう。

 発見したのが善人なら、どれだけの人が救われただろう。

 そう考えると、秋水の呟いた言葉の通りでしかない。

 報われない。

 今正に、大怪我で死にそうな人も、ポーションでなければ助けられないだろう人も、奇跡を起こす回復薬でなければどうしようもない瀕死の人を目の前に、絶望している人も。

 報われない、頭のおかしい少年のせいで。

 世界を救える魔法の品を世に知らしめるという正しい理屈と、ダンジョンで殺し合いをしたいという超個人的な間違った快楽を天秤に掛け、全く迷いなく間違った方を選択出来てしまう少年のせいで。

 報われないし、救われない。




 もう少し早く、ポーションを発見したならば、もっと違う選択をしたのだろうが。




「はー、となるとポーションは禁止カードだな」


 盛大なる溜息とともに、秋水はどかりと布団の上に座り込む。

 ポーションは売りに出せないとなると、結局は金を稼ぐ手段がなくなる。

 特定口座で投資信託をのんびり運用こそしているが、全世界をホールドしているだけで資産の増え方はゆっくりだ。当てにはできない。

 とは言え、高いリターンを求めて個別株の投資に突っ込む程リスクを取りたくもない。資産運用とギャンブルは別物だ。

 収入が増やせないとなると、支出を減らす、つまり生活費の節約という手段もあるが、それは根本的な解決にはならない。

 明るくて過ごしやすい気温と湿度に保たれているセーフエリアで基本的に寝泊まりすることを考えれば、電気代は節約できるだろう。垂れ流しになっているポーションを使えば、水道代の節約もできるだろう。

 だが、それだけだ。

 叔母から金融教育と言う名の調教を受けていたので、生活費の基本的な節約というのはとうの昔に済んでいるのだ。

 スマホは既に格安SIMだし、電気会社も選んでいるし、無駄なサブスクなど契約していない。食費は削れないどころかむしろ増大しているのが悩みの種で、コンビニジムを辞めるという選択肢は存在しない。つまり、削れる生活費がほとんどない。

 節約は無課税の副業だが上限がある。結局は収入を増やすのが金持ちになる最短コース。

 そう豪語していたのは、酔っ払っていた叔母だった。

 それを聞いた時は絡んでくる面倒臭ぇ酔っ払いの鳴き声だと思っていたが、今考えると何とも正鵠を射た発言だったことか。

 やはり、高校生になるまで待って、アルバイトをするのが現実的か。


「金策万策ここに尽きる、っと」


 ダンジョンアタックを控えるとか、ポーションの使用を控えるとか、その方向については全く考えることなく、秋水は再び大きな溜息を吐き出す。

 つまりこれは、あれだ、考えても仕方のないことだ。

 お金の問題を後回しにするのも正直気が引けるが、金を稼ぐ手段がない以上しかたがない。

 思考を切り替えるように、何の気なしに秋水はスマホを取り出す。

 悩んだ時には筋トレだ。

 筋トレを正しくするには筋トレの勉強だ。

 毎週更新されている筋トレ講座の動画でも見ようかな、と自称筋トレライト勢がスマホの画面を開くと


「お?」


 メッセージアプリに通知が来ていた。

 まあ、企業のだろう。どうせ友達いないし。

 一目見た瞬間にそう判断して、さっさと既読つけて筋トレ講座見ようと秋水はメッセージアプリをタップする。


 そして確認した瞬間に真顔になった。


「いや、どんなタイミングよ……」


 メッセージアプリのトーク相手は 『しのぎ』 となっている。

 アイコンは秋水のよく知る会社のマーク。これで個人のアカウントである。

 このアイコンを見る度に、この人頭どうかしているんじゃないのかと自分のことを棚に上げて普通に心配してしまう。

 メッセージは全部で3つ。


『1月6日』


『12時』


『いつものカレー屋に来い』


 簡潔、かつ事務的、そして高圧的な呼び出し文だ。

 こいつ、こっちに用事があったらどうするつもりなのか。

 スマホを眺め、秋水は軽い頭痛を感じる。

 ただ、呼び出されたら行かざるを得ない。こちらも会わなければならない用事がある。

 それにこの人は忙しく、基本的に会える時間が限られている。向こうが指定してきた時間を逃せば、次にいつ会えるかも分からない。

 時間は金じゃない、時間は残りの寿命そのものだ。

 そう豪語していたときも酔っ払っていたなと思い出す。

 思わず渋面になってしまった。


「あ、会いたくねぇ……」


 そう呟きながらも、『合点承知の助』 とふざけたメッセージを送り、ついでに 『お酒飲まないよね?』 と一言添えてみた。

 すぐに既読はつかない。

 まあ、間違いなく見ていないだろう。予想するまでもない。

 どうせ仕事してるんだろう。

 夕飯の時間を指し示す時計へ目をやった後、筋トレ講座の動画を見る気がなくなった秋水はそっとスマホの画面を消す。

 メッセージの相手は、秋水のよく知る人物だ。


 棟区 鎬(むねまち しのぎ)。


 秋水の叔母である。




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