16『「死んでいない」のと「生きている」の差は隔絶したものがある』
3体だ。
1体じゃない。
角ウサギが、同じ部屋に3体点在している。
その内に複数で出てくる可能性は考えていたが、思っていたよりも早々とした遭遇である。
武器をどうしようかと悩んでいたが、そんな余裕はないようだ。
相手は3体。1体を殴り飛ばしている最中に、背後からぐさり、という可能性が出てきた。囲まれないように相手をしたいが、さてどうしたものか。
壁を背にして戦うか。
少なくとも背後を取られる心配はなくなる。ついでに自分も後退できないという意味ではあるが。
突っ込んでくる角ウサギを順番に叩き落として持久戦はどうだろう。
攻撃頻度は最小限になるが、見せる隙も最小限だ。一斉に襲いかかられたらどうするかという問題も出てくるが。
1体ずつ誘い出してみるか。
出来るのならば一番確実だろう。遮蔽物もない場所で、出来る気はしないが。
いっそ乱戦とするか。
それこそ後ろからぶすり、と刺されて終わりだろう。
しばらく状況を観察してから、秋水は部屋を覗いていた姿勢からゆっくりと後ろに下がる。
「……退くか?」
呟いたそれが、多分一番の正解だろう。
タイマンなら確かに勝てる。油断しなければ楽勝だし、多少ミスをしても十分にカバーができる。
だが、今の段階では安全に複数体を狩れる状態ではない。
鉈とか斧とか、違う武器を試してからでも良いだろう。身体強化の力をもう少し使い熟せるようになってから挑んでも良いだろう。少なくとも現段階で、複数体を相手取るのは厳しいと言わざるを得ない。
確実性を求めるならば。
安全性を求めるならば。
ならば、ここは一度撤退するのが合理的だ。
「よし……」
誰にでもなく一度頷いてから、秋水は左手で腰ベルトからハンマーを引き抜いた。
それから小瓶に入れたポーションを確認する。左右のポケットに、腰ベルト。数は4本。十分かどうかは分からない。
そして再び部屋を覗いた。
角ウサギは変わらず3体。
逃げた方が良い。
殺しきる前にこっちが殺される危険性の方が高いし。
もう少し力をつけてからの方が確実だ。できれば角ウサギを2撃で殺せるくらいになってからの方が良いだろう。
それは、まあ、そうだろう。
確実性を求めるなら。安全性を求めるなら。
だったら、最初からダンジョンになど潜ってなどいない訳だが。
身体強化を最大限にかける。
バールを振りかぶり、地面を蹴り、秋水は部屋に飛び込んだ。
目指すは一番手前の角ウサギ。
初の先制攻撃だ。
角ウサギたちが一斉に反応して、それぞれタイミングバラバラに角突きタックルの準備でぐっと体を沈み込ませるが、目標にした一番手前の角ウサギに関しては秋水の一撃の方がギリギリ早い。
「先手必勝っ!」
願掛けのような掛け声と共に、大バールを一閃。
今正に地面を蹴ろうとした角ウサギに、鉄の塊が鈍い音をたててめり込んだ。
綺麗な一撃。だが問題はここからだ。
いつもなら角ウサギが体勢を崩したら容赦なく追撃を加えていくのだが、今回の相手は3体いる。追撃をかけている余裕などない。
殴りつけたついでに急停止して、残りの2体へと視線を移すと、1体は既に飛び掛かってきているのが見えた。
いけるか。
殴りつけて崩れた体勢のまま、左手にしたハンマーにぐっと力を込める。
急げ。
だが焦るな。
変な体勢ではあるが、やることはいつもと同じだ。
迫る角を見ながら、秋水は驚く程冷静にタイミングを計って。
身を捻るようにしてハンマーを振るい、その角を側面からぶん殴る。
ごっ、という打撃音。
タイミング良し。側面からのその打撃に、突っ込んできた角ウサギの進路がずれ、秋水の体を掠めて通り過ぎた。
弾丸の如く跳んでくる角を掴むことが出来たのだ、横から殴ることも十分に出来るだろうという直感だ。しかもそれは身体強化が筋力以外には影響していないと思っていたときに出来たことである。僅かばかりとは言えども動体視力も強化されているという認識で挑めば、タイミングを合わせるくらい余裕である。
失敗したら今ので死んでいたかもしれないが。
しかし、今のは躱せただけだ。有効打にはほど遠い。
角ウサギが掠めた瞬間に踏ん張って、すぐに次の行動に移る。
捻った体を戻しながら、大バールの先端を最初にぶん殴って体勢を崩した角ウサギに引っかけた。
そして、引っかけた角ウサギをぐいっと強引に持ち上げて
どごっ、と角ウサギの体に物騒な突起物がぶっ刺さった。
「んぐっ!?」
踏ん張っていたにも関わらず、想像以上にキツい衝撃。
串刺しになった角ウサギを貫通した凶器から逃げるように体を捻ろうとしたものの、その余裕もなく秋水は持ち上げた角ウサギごと弾き飛ばされる。
「づぁ、ぐぅっ!」
かわいい顔した化け物に押し倒されるような形で地面に転がり、弾みでバールで持ち上げた角ウサギの土手っ腹から生えたソレが今度は秋水の土手っ腹に突き刺さる。
角だ。
角ウサギの、角だ。
バールで持ち上げた角ウサギの体を貫いたのは、別の角ウサギが突っ込んできた、その角だ。
こいつら、同士討ちを平然としやがる。
腹部に異物がねじ込まれる痛みが走るが、興奮状態が勝っている。少なくとも心の中で悪態をつける程度には痛みが誤魔化されている。
大丈夫だ。
動ける。
衝撃の大半は持ち上げた角ウサギが身を張って吸収してくれた。ありがとう。さようなら。死ね。
それに突き出た角は同族の体を貫通した一部分だけで、チタンプレートで守られている部位ではなかったものの、ライディングジャケットで僅かばかりでもダメージを吸収できている、と思う。
大丈夫。
ポーションで十分にカバー可能な範囲だ。たぶん。
「い、ってぇぇなクソがっ!!」
痛みによる純粋な怒りなのか気合いを入れるための虚勢なのか、バールとハンマーを手放して秋水は怒声と共に串刺し合体した角ウサギ2体を強引に左手で押し退ける。
刺さった角が腹部から抜け、血が噴き出した。
即死するような致命傷じゃないが、放っておけば致命の傷だ。
だが、もっと致命的なのは、倒れたこと。
体勢を崩したことだ。
角ウサギが体勢を崩したら、秋水はすぐに追撃を掛けた。反撃されないうちにボコボコにたたみ掛ける。分かりやすい戦法だ。
それは、向こうだって同じ事だ。
押し退けたその先に、角ウサギ。
咄嗟に秋水の口元が歪む。
前提条件として、角ウサギの攻撃手段は2つしかない。
角突きタックルと、蹴りだ。
そして蹴りは今まで近接状態の苦し紛れのようにしか出してこなかったことを考えると、基本的に秋水自身に襲いかかってくる最大の攻撃は角突きタックル一択である。
強靱なその脚力で、角を突き出し弾丸の如く突っ込んでくる。
直撃こそ今まで避けてきたが、威力としてはバールでボコボコにぶん殴ってようやく殺せる同族の体を貫通できるほど。跳びかかったら軌道修正出来ないという弱点はあるものの、直撃すれば人間を殺すには十分すぎる、と言うか過剰すぎる威力だ。
一撃必殺主義なのだろう。
そして馬鹿の一つ覚えでしかない。
ならば、この瞬間、このタイミング、攻撃がくることくらいは。
「知ってらぁ!」
突っ込んできた角ウサギのその角に、バールを手放していた右手で秋水は強引に掴みかかる。
ぢりりっ、とライディンググローブ越しに手の平で角が滑るような感覚。
それを、握り込みながら、ずらす。
角は左肩を掠めた。
角ウサギ本体が丸ごと直撃した。
「ぐぶっ!」
角という凶刃は避けても、大型のウサギという質量その物の体当たりだ。
白いクソウサギのもふっとした感触も凶器に変えて、その衝撃に秋水は吹っ飛ばされ
ごきりと右肩に嫌な感覚。
秋水の口元は歪んだままだ。
狂気の笑みに、歪んだままだ。
「掴まえ、た」
角は逸らした。
左肩を掠めた。
そして、逸らしたときに握り込んだ右手は、がっしりとその角を握ったままである。
弾き飛ばされ、岩の地面で一度バウンドして。
その下手人は道連れである。
地面を転がりながら、ヘルメットのひび割れたフェイスシールド越しに角ウサギを睨むように確認し、自身が立ち上がるよりも角ウサギが暴れ出すよりも早く、左手で角ウサギの首根っこを押さえ付けるようにして引っ掴む。
「痛……」
右肩を負傷した。
折れたか。
だが動く。滅茶苦茶痛いが。
なら大丈夫だ。
たぶん。
一拍遅れて暴れ始めた角ウサギを逃がさぬよう、押さえ付けた左腕に更に体重を掛けるようにしながら、秋水はのそりと体を起こして串刺し2体合体した角ウサギへと視線を向ける。
そちらは、腹を貫かれて光の粒子を噴き出している死亡演出が始まった角ウサギと、そいつから突き刺した角を抜くのにモタついているマヌケがいる。
いやドジっ子かお前。
思わず心の中でツッコミを入れながら、秋水は痛みの大音量アラートを鳴らしまくっている右肩を無視して、左手で首を押さえ付けている角ウサギの尻を無造作に右手で掴む。
「へぇい、暴れんなよバニーちゃん……」
何キャラなのか。
暴れる角ウサギに変な声かけをしながら、左手で首を、右手で尻を持ったままゆっくりと角ウサギを持ち上げる。
持ち上げる最中に無駄な抵抗で繰り出されている乱れ蹴りが、ごっ、とヘルメットに一度当たったが、大した衝撃はなかった。フェイスシールドの部分は砕けたが。
角ウサギをひっくり返して頭の上に持ち上げれば、暴れてこそいるものの最早無害に等しい。
普通に重いが。
右肩がアホ程痛いが。
血がダラダラ流れている脇腹が熱いが。
それらを全部飲み込んで、角ウサギを頭上に掲げたままのそりと立ち上がる。
「で、こっちは何やってんだかね」
そのまま串刺し合体の角ウサギまで近寄るが、仲間の腹から角を引き抜こうとモタモタしているドジっ子は秋水が近づいても迎撃の態勢が全く取れる様子がない。
これはラッキーだ。
傍から見る分には面白い光景ではあるが、秋水からすれば慈悲を掛ける理由にはならない。
獰猛なる笑みを浮かべたまま、ゆっくりと藻掻く角ウサギの腹に狙いを定める。
何の狙いか。
決まっている。
掲げた角ウサギの、その角だ。
「……フレンドリーファイア上等だワレェッ!!」
勢いをつけ、持ち上げていた角ウサギを一気に振り下ろす。
角を向けて。
角ウサギに対して。
ずどん、と狙った腹を、その角が突き刺さる。
悲鳴のように突き刺された角ウサギの口から光の粒子が噴き出す。
ついでに秋水の右肩から悲鳴が上がる。
流石にもう一回持ち上げて突き刺すのは無理みたいだ。
秋水は角ウサギから手を離して、安全靴で蹴り飛ばそうとするが思い止まって一歩下がる。
「いてて……痛てぇ」
蹴り飛ばしてせっかく刺さった角が抜けたらもったいない。
そう判断して秋水はズボンの左右両方のポケットからポーションの小瓶を取り出した。
「あ、割れてら」
右に入れていたポーションは瓶が割れてしまっていた。
戦いの興奮で気がつかなかったが、割れた破片が太ももに刺さっているような気がする。ライディングパンツのお陰で本当に刺さっているかは分からないが、それでもチクチクする感触がある。
ズボンのポケットには入れない方が良いな。
そう思いながら割れた瓶を無造作に捨て、生き残っていた瓶のフタを取って素早く一口口に含み、残った分を刺された腹に振り掛ける。
串刺しで3体合体を果たした角ウサギたちは、最初に刺された1体は既に死亡演出中、次に刺されたのは光の粒子を噴き出していないのでまだ死亡演出には至っていないが瀕死、そして最終戦犯者は角を抜こうとしている所。
効果覿面とはこのことか。
「いいねぇ、同士討ち作戦は有効じゃんか、出来るのならな」
腰ベルトのポーチからもう一本ポーションを取り出して、追加で腹の傷に掛けながら、秋水は悪い顔をする。
と、武器転用されていた角ウサギが、ずぼっと仲間の腹から角を引き抜いた。
人を喰い殺しそうな獣の笑みを浮かべたまま、秋水が腰ベルトからバールを引き抜いたのはほぼ同時だった。
「じゃ、仕上げと行こうかねっ!」
角を引き抜いて秋水へ振り返るよりも早く、その頭をバールでぶん殴る。
腹を突き刺された死に損ないの傷口を靴で踏みつけ、殴られて体勢を崩した方には更に力を込めてぶん殴る。
傷口に体重を掛けるように踏ん張り、今度はバールの先端で頭を突く。
頭を突く。
頭を突く。
そしてバールを振り上げて思いっきりぶん殴り、踏みつけていた角ウサギから足をずらし、その傷口に足先の鉄板をねじ込むようにして蹴り上げる。
崩れた体勢から立ち上がろうとしていた角ウサギも即座に蹴り飛ばし、2体の位置を離れさせないように調整。更に殴る。
右肩は変わらず激痛だが、腹が治ってきているだけマシだ。
腹部の傷を治した時に栄養やら体力やらを持って行かれているが、興奮しているせいか気にならない。
いや、もう、気持ちが荒ぶっていて、どうでもいい。
殴る。
楽しい。
突く。
楽しいぞ。
殴る。
楽しいぞコレ。
蹴る。
最高に気持ちが良い。
瀕死だった方の角ウサギの傷口から光の粒子が噴き出した。
なら次だ。
最早傷だらけにされたボロ雑巾のような角ウサギにバールを振りかぶり、力を込め、身体強化を最大限で、全力で、ぶん殴る。
鈍い音。
誰かの低い笑い声。
からん、と白銀のアンクレットが地面に転がるのを確認してから、秋水は重たく、長い溜息を吐き出した。
「ふ、あああぁー……いでぇっ!?」
意図せずしてその場にドサリと座り込み、その衝撃で右肩に激痛が走ってのたうち回る。
痛い痛い。滅茶苦茶痛い。
奇妙な悲鳴を上げながら、秋水はライディングジャケットの前を開けて右肩を見えるようにして、腰ベルトのポーチからポーションの小瓶を取り出して痛む右肩に振り掛ける。
くらっとする、いつもの感覚。
怪我が無理矢理治る感覚だ。もしくは体力やら栄養やらがごっそり持って行かれる感覚だ。
右肩の治療が終わると、今度は腹を押さえる。
「いー、うー……ほら今度は腹が減ってきたぁ」
刺された腹部を治した時点で腹は減っていたのだろうが、右肩を治した途端に空腹感を自覚して一気に気持ち悪くなってくる。
ポーションの欠点らしい欠点と言えば、この腹ペコ状態になるというのがデメリットになるのだろうか。メリットと全く釣り合いの取れていない些細なものかもしれないが。
やっぱり携帯食料は必須だなと考えながら、秋水はゆっくり立ち上がって、そしてドロップアイテムを拾い上げる。
たぶん、今までと同じ、不思議な素材のアンクレットだ。
3体出てきてもドロップアイテムは同じ物なのか。これこそ危険性と釣り合いが取れていない報酬な気がする。
「ふっ」
一瞬だけそう考えて、思わず鼻で笑ってしまった。
釣り合い?
取れていたじゃないか。
獰猛な笑みではなく、クソのような完成度の濁った下水道みたいな愛想笑いでもなく、満面の笑みを浮かべながら秋水はドロップアイテムをポケットに押し込んだ。
何だったら、こんな装飾品が出て来なくとも、危険性と報酬は釣り合いは取れていたじゃないか。
これ以上ない報酬が、あったじゃないか。
再び溜息を一つ吐き出しながら、秋水は呟いた。
「……最高に、生きてる気分だ」
死んだような自分が、生きてる気分を味わえたのだ。
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アンパンマンマーチは能動的に「生きている」ことを歌った歌だと思う(急な宣伝)
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