14『ダンジョンのメリットとデメリット(モンスターを除く)』
ジムの近くの牛丼屋は卑怯だと思う。
外食で腹ごしらえを終え、家に帰った時には日の出の時間、その少し前である。風呂に入ってさっぱりして、一息ついた頃にはすっかり日が昇っていた。
妙な力の検証をしに行っただけなのに、結局はみっちりと筋トレを行ってしまった。
ポーションの疲労回復効果でテンションが上がってしまったのもあるし、初心者の熱に当てられてしまった感もある。
やはり筋トレは楽しいなぁ。
自称エンジョイ&ライト勢の秋水にとっては、筋トレは楽しんでナンボのものである。そう考えれば充実したトレーニングであった。
今日は1セット毎にポーションを飲んで回復してたけれど、次は3セット毎の回復で試してみるか。次は背中だし、デッドリフトでひたすら追い込んでからダンベルで仕上げようかな。中途半端にスクワットさせられたから、何だか脚トレも挟みたい気分だな。
早々と次の筋トレ内容をぽやぽや考えながら、秋水は自室から着替え一式を適当なビニール袋に突っ込んで持ち出し、庭のテントに入っていく。
向かうはダンジョン。
きっちりと運動をしてきた。ポーションのお陰で肉体的な疲労はないが、精神的な疲労という満足感は十分にある。
そして腹にしっかりと入れてきた。最近の牛丼屋は低糖質で高タンパクのメニューが出てきているので、普段使いがし易くて助かる。毎回 「え、3杯食うの?」 みたいな顔をされるのは傷つくが。
最後に風呂に入ってきた。綺麗さっぱり、筋トレ後のべたつきとはおさらばしている。
欲を言うならもう少し深部体温を下げたい所ではあるが、それでもコンディションとしては十分に整っていると言える。
何のコンディションか。
昼寝である。
日の出と共に昼寝とか、生活リズムがぶっ壊れた人みたいな状態ではあるが、これは実験である。検証である。いや仕方がない。
いやー、こんな時間に一眠りとか、罪悪感があるなぁ。
下手な言い訳を自分にしながら、下手な鼻歌を歌いつつ秋水は部屋着であるスウェットに袖を通す。
時計を見れば、まだ午前8時前。
いつもの休日だったら何をしている時間だろうか、と一瞬だけ考えたが、頭を振ってそれをかき消す。
ダンジョンに潜っている時点で、『いつも』 はもうないのだ。
これからは、これが 『いつも』 になるかもしれないのだ。
良いこと言えたなと自画自賛しつつ、畳の上に敷いた布団へごそごそと潜り込み、アイマスク買い忘れてたな、と今更ながらに思いつく。布団で横になると、天井の岩肌自体が光っている、という訳の分からない謎現象を見せつけられるので何とも寝にくい。
起きたら買いに行くか。
だったら食材の買い出しもついでに行こう。ポーションの副作用として腹がめちゃ減るものだから、食料の消費スピードが激増している。多めに買い溜めしておかないと。エンゲル係数どうなっているのか。
しっかりと寝る態勢に入っているので、10分20分のパワーナップとか言う短時間の仮眠ではなく、おそらくは2時間近く寝てしまうだろう。だが、3時間寝たとしてもまだ午前中だ。
やはり早起きは時間を有効に使える。
今日は早起き所の話ではなかったが、生活リズムの重心を午前中に置くと物事が上手く進められて効率が良い。そんな気がする。
そんなことを妹に言っても、いや早起きとか絶対無理、とか拒否されて理解を得られなかったのは良い思い出か。向こうでもちゃんと朝起きているかは心配だが、父と母が一緒に居るのだ、大丈夫だろう。いや母も朝弱かったな、父頑張れ。
色々とどうでも良いことを考えながら、秋水は光を遮るために目の上にタオルをかぶせる。
うん、これは眠れそうだ。
ゆっくりと呼吸を整えながら、静かに心を落ち着けていく。
2分、3分。
静かに。
5分。
ああ、向こうはどんな所なんだろうな。
本当に仕方のないことを最後に考えて、秋水はゆっくりと眠りに落ちる。
おはようございました。
昼寝から意識が浮上すると、ぼー、とする暇も作らず、秋水は顔にかぶせていたタオルを取り払い、すぐに時計へと目をやった。
8時25分。
体を起こしてスマホで確認してみるが、ちゃんと午前8時25分である。12時間以上寝ましたとかではない。日付だって1月5日のままだ。
これは、どっちだ。
頭ははっきりしている。思考はクリアだ。とても寝起きとは思えないコンディションである。
パワーナップ的なやつだろうか。それともたまたま寝起きが良かっただけだろうか。
いや、昨日の2時間程度の睡眠明けだって、かなりすっきりした目覚めだった。
ポーションの副次的な効果、だとしたら初日か2日目には出ているだろう。昨日今日と睡眠で変わっている点は、やはりダンジョン内で寝ているかどうかだ。正確にはセーフエリアで睡眠をとったかどうか。
セーフエリアには睡眠時間が短縮されるとかいう、そんな謎の効果があるのか。
もしくは睡眠の質が異様なまでに高品質化する効果があって、結果として睡眠時間の短縮に繋がっているのか。
休息という点であれば、揮発しているポーションの水蒸気的なもので、体の回復が急速に行われているとか。
色々な仮説が秋水の頭の中を駆け巡る。起きたばかりとは思えない程に思考が回転している。とりあえずはそれを忘れないよう、スマホのメモ帳を開いてたぷたぷと入力。やはり手帳も買おう。
そう言えば腹具合はどうか。しっかり食べて来て、満腹感はあったはずだが。
ふと思い出して秋水は腹に手をやる。
いや、満腹感はどこに。
腹が減ったという程ではない。
だが、しっかり消化されている感じがある。
と言うか、エネルギーが、いや栄養が、体の隅々まで行き渡っているかのような感じがする。もし仮に今からトレーニングをするのならば、最高と言っても過言ではない程のコンディションだ。ここで懸垂を行って背中の筋トレをしたいまでもある。
変わらず脳筋思考であるが、体を動かすための体調の自覚、という点では秋水の感覚はかなり鋭い方だ。
その感覚を信じるならば、セーフエリア内での睡眠は、単純に寝ている時間が短くなっているだけではない気がする。
睡眠で行われている体中のメンテナンスが、きっちりと終了されている感じである。
その休息を完全に行い、かつ短時間化されている。
「いや……これはヤバいだろ、流石に」
汗は流したはずなのに、頬に冷や汗のようなものが一筋流れた。
どんな天才も、どんな凡人も、どんな馬鹿も、1日に与えられる時間は平等に24時間しかない。
その与えられた24時間の内、大半の人間は睡眠時間に多くの時間を費やさなくてはならない。それは生物である以上は仕方のないことである。
万人平等に配られたその時間を、万人がやりくりして1日を生きなくてはならないのだ。
それなのに睡眠時間を短縮できると言うことは、実質的に1日に使える時間が増えたのと同意義だ。
それはもう、ヤバいだろ、の一言である。
いいや、よくよく考えたらポーションだって同じか。
疲労回復という点は、逆に言えば休憩時間というものを大幅にカットしているのと同意義だ。それは今日の筋トレで身に染みて感じている。今日の種目を今日と同じセット数で全部やったとしたら、ポーションなしだと休憩時間や効率の低下を加味すれば5倍掛かってもまだ足りないくらいだ。
怪我の治癒だって同じだ。大怪我の治癒は別としても、怪我自体は時間と共に自分の力で治すことができる。ポーションはその時間をばっさりと省略してくれている訳だ。大怪我ならば、病院での治療などの時間すらも短縮していることになる。
早起きは時間を有効に使える。
そんなものは目でもない。
このダンジョンは、使える時間を大きく生み出せる。
寝る時間、休憩の時間、治癒の時間。
大きい括りでは回復の時間、それらを丸ごと省略出来る。
角の生えた大きなウサギをブチ殺がさなかったとしても、このセーフエリアだけで人一人の人生に多大なメリットをもたらしている。むしろ殺されるというデメリットのことを考えたら、セーフエリア以降の階層に潜る必要はまるで無いだろう。
いや、それを分かった所で潜るのだが。
現代社会において、殺意ありで襲いかかってくる獣はなかなかいないし、その生き物を問答無用で殴り殺すチャンスもない。
殺される恐怖と、殺し返す快感は、このセーフエリアの下にしかないのだ。
これだけ聞けば社会不適合な野蛮人である。
秋水自身、自分がサイコパスであるのは十分に理解しているつもりだが。
いや話を戻して。
もしも仮に、この睡眠時間の短縮という効果が本物であるならば、浮いた時間をそのままダンジョンアタックに当てられる。
正直な所、どうやってダンジョンアタックの時間を確保しようかというのは、地味に頭の痛い問題でもあったのだ。
今は冬休みだから良いのだが、もう少ししたら三学期が始まってしまう。中学生最後の期間だ。流石にダンジョンアタックと学校生活との両立は難しいだろう。
土日の休みだけ潜るか、筋トレの時間を削るかしかないと思っていたのだが、その問題が唐突に解決されてしまった。
やはり、これはヤバいだろ、の一言である。
サイコパスはある種の確信を覚え、にたりと不気味な笑みを浮かべるのだった。
もちろんデメリットはある。
エンゲル係数の増大だ。
1時間後、秋水は打って変わってげんなりとした表情になっていた。
食費だ。
問題は食費の増大なのだ。
ポーションのデメリットもそうなのだが、回復にまつわる時間を大幅にカット出来たとしても、回復で使われるエネルギーやら栄養素やらの消耗が大幅にカットできているわけではない。
だが、ビタミンDは別として、人間は光合成できるわけでもない。
基本的には食うしかないのだ。
そうなると、食費が増えるのだ、悲しいことに。
ただでさえ秋水は図体が大きいせいで同年代よりも多く食べる。それが増えるとなると、である。
いや、お金は、一応ある。
後先考えなければ、使える分はかなりある。
だが無駄遣いしていいという物でもないし、後先は考えなければならない。
お金に関する知識やら金銭感覚というのは、両親こそお粗末な感じではあったものの、年の離れた父の妹、秋水から見て叔母に当たる人から一通り叩き込まれている。少なくとも、証券口座を持って、投信とは言えども自分で運用している程度には。
だからこそお金、もしくは資産というものが現段階で十分にあると断言出来るし、お金の使い方は後先考える必要も理解している。
なので食費の増大は頭が痛い。
そして、地味にその運搬も問題だ。
食材費は安く抑えたい、という理由で、安売りの店を愛用しているのだが、自転車で20分程かかる。
車ならすぐなのだが、今は両親が居ないので車がない。
自分は運動が人並みよりはやや得意な方だと思っている秋水は、自転車を20分漕ぐことくらい何てことはないのだが、大量なる食材を大きなリュックに詰め込み、荷台に括り付け、その状態での帰り道は地味にしんどいものである。
これも筋トレの一種になるかと考え直す反面、これが続くのは面倒だなとも感じる。
しかもこの後、一度家に戻ってから別の店で業務用の冷凍食材を別口で買い込む予定だ。
シンプルにめんどい。
高校生になったら原付免許を取らねばと思う反面、いや誕生日の問題で夏休みまでお預けであることを思い出しで更にげんなりする。配達サービスを使うと安く買えない上に、別口で料金が上乗せされるのが痛すぎる。
「あー、でも、遅かれ早かれこの問題にはぶち当たってたか……」
溜息を1つ。
元より大食いなのだ。独り暮らしになった以上は、買い出しの面倒臭さはそのうち思い知ったであろう。
そう考えれば多少は気が楽だろうか。いや気休めにもならないか。
面倒は面倒。
どうしたものかと考えてから、秋水は気を紛らわせるように次の店で買う物を思い浮かべることにした。仕方のない問題は後回しだ。
とりあえず、肉類だ。
冷凍の肉も最近は質が高い。
調味料などはあまり使わないので、まだ十分にある。
手抜き料理をするときの冷凍食品も欲しい。ごはんがあれば何とかなる、くらいの冷凍総菜があると嬉しい。
後は何を買おうか。
今し方買い揃えたものから足りない食材は何かを考えて、
「あ、やべ」
唐突に思い出した。
買い忘れだ。
思わず自転車を止め、やってしまったと空を仰ぐ。
「アイマスク買ってねぇ……」
ダンジョンのセーフエリアで寝るのに必要なアイマスクを買い忘れている。
次に行く店は基本的には食料品しか取り扱っていないので、確実にアイマスクは売ってない。
あの明るい中で寝るにはアイマスクは絶対に欲しい。今晩もセーフエリアで寝るつもりなのだ。
いや気を取り直そう。
この近くで売っていそうな店はどこか。
と言うのは考えるまでもない。
買い物の帰り道。コンビニが近くにある。
あそこなら売っているだろう。
そう考え、秋水は改めて自転車のペダルへと足を掛けた。
「いらっしゃい……ませぇぇ……」
入ったのはいつぞやのコンビニ。
そしてレジカウンターで出迎えてくれたのは、いつぞやの小柄な女性店員。
いや、ビビらない男の店員はいないのか。
以前見て、怖がってごめんねと謝るだけの度胸があったので、その小動物っぽい店員を見てもハズレとは断じないが、それでも一種の気まずさはどうしても覚えてしまう。
人の顔を確認した瞬間にさぁっと顔を青くしたその店員に秋水はぺこりと一度頭を下げ、気にしても仕方がないと目的のコーナーへと足を運んだ。
目的のアイマスクはすぐに見つかる。
まあ、所詮はコンビニなので1種類しかないが、無駄に機能やら装飾やらが盛り込まれた物ではなく、シンプルな商品であったので秋水としては全く問題が無い。
そのアイマスクをさっと1つ手に取って、早々にレジへと向かう。
「ぃらっしゃいませぇ……」
それはさっき聞いた。
レジの前に立つと、『渡巻』 と名札をつけた店員が、顔を青くしたまま蚊の鳴くような声で再び出迎えてくれる。
小柄だとは前も思ったが、まじりと見れば本当に小さい。180を既に越している秋水からすると、大半の女性は小柄に見えるものではあるが、この渡巻さんとやらは一層小さく思える。150はない、だろうとは思う。140前半くらいだろうか。
そんな体格差で見下ろされているのだ、怖いものは怖いのだろう。申し訳ない。
「これをお願いします」
「お、ぉお預かりしますぅ……」
レジカウンターを挟んでぷるぷると微妙に震えているマスコット店員さんに商品を渡すと、ぴこっ、と彼女はすぐにバーコードをレジに読み込ませる。
お、と秋水の肩眉が跳ねた。
この人、今、バーコードの位置を確認しなかった。
前に会った時点では手慣れている様子はあまりなかったのだが、僅か2日3日程で随分と慣れたみたいだ。
となると、前回は本当に新人もド新人という状態だったのか。
そんなド新人が一人でコンビニに立っていたのかと世知辛いものを感じつつ、いや今もド新人という点では変わりないし、何なら今日も独りっぽいのも変わりがなさそうであるので、人手不足なんだなぁというのをしみじみと思わせる。
「ぁ、あの、お支払いは」
「あ、電子マネーで……」
実にどうでも良いことを考えつつ、支払いを済ませようと秋水はスマホを取り出す。
そのブランドを聞いてから、渡巻という店員はぴこぴことレジを操作して、準備が終わったのを確認してから秋水はスマホをかざして支払いを終わらせた。
びくびくしているのは前回同様だが、それでも十分に手慣れてきている。
頑張っているなと思いつつ、秋水は商品を受け取ってから改めて店員を見下ろして。
「ん?」
ふと、その店員の顔に既視感を感じた。
既視感も何も、この前初めて会って、今日が2回目のハズではあるのだが。
何と言うか、それより前に見覚えがあるような、ないような。何ともモヤッとした感覚だ。
思わず目を細め、改めてまじまじと渡巻という店員の顔を観察する。
かわいい。
多分、かわいい。
かわいい系の顔立ち、で合っているハズだ。
別に女性に興味がないという枯れ果てた少年ではないつもりではあるが、正直な所、他の人が言う可愛いとかなんだとか言うのはいまいちピンとこない感性の壊れ具合である秋水にとって、かわいい女の子、というのはパターン分類での評価しか出来ない。
丸い顔だとか、鼻を中心にして顔のパーツが中央に寄っているとか、それが庇護欲を誘う顔。
その人の記憶の中で突出したものがなくバランスのとれた平均値の顔が、美人の顔。
そんな風に機械的にパターンを記憶している。
それを前提に渡巻という店員を見れば、かわいいと評することに問題は無いだろう。
腰まで伸ばした黒髪に、小柄な体、きっちりと着こなした制服、平均的に配置された顔のパーツ、だが平均値より半歩ズレ、それをメイクでうっすらと補正しているが過剰な感じは一切無い。
なるほど、かわいい系だ。
「ぁ、あのぉ……?」
「……いえ、すみません、可愛らしいなと思いまして」
「ひっ」
会計が終わってもレジから退かないヤクザ顔に、勇気を振り絞って声をかけようとするも、気色悪い台詞で小動物っぽい店員は体を震わせ黙ってしまった。
うん、かわいいのは確かだが、やはり会ったことはない。
既視感があるような気がしなくもない、ような気がする、という非常に薄ぼんやりとした程度に感じるのは、言ってしまえば他人の空似という奴であろう。何なら秋水はアイドルが全員同じ顔に見えてしまうぐらいである。そういうレベルの話なのだろう。
独りそう納得してから、受け取ったアイマスクをポケットにしまい、最後まで青い顔のままだった店員に見送られながらコンビニを後にすることにした。
「あぁぁ、あ、ぁ……ありがと、ぅございましたぁぁ……」
しかしよく考えると、渡巻、というのも珍しい名字である。
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