13『錦地 美寧(にしきじ みねい)』
まず最初に気になったのは、秋水の重量設定を見てドン引きしたようなすぐ近くで聞こえた時だった。
別にトレーニングを見てくるのは構わない。積極的に見て欲しいとは思わないが、見られて恥ずかしいとも思わない。
気になったのは単純な理由である。
はて、この少女、ウォーミングアップしたのか?
そんな単純な引っかかりだ。
入り口でコートを脱いで、そのまま隣のパワーラックまで来たような短時間であった。
それ自体はあまり気にはならなかった。
どうせ他人の筋トレ内容だという理由もあるが、バーベルを使って軽いトレーニングでウォーミングアップにする可能性も十分にあるからだ。それに秋水と同じく、ジムまで10分とか20分とか歩いてウォーミングアップ代わりにしている可能性だってある。
だから、直行でパワーラックまで来たのは、そういう人なんだな、くらいにしか気に留めなかった。
そのパワーラックでの準備でモタついていたのも、まあ、初心者っぽいしな、程度に思った。
重りは片側5㎏。両方で10㎏。重量設定なんて人それぞれだ。
ただ、この時点で、初心者がウォーミングアップでその重量はなんか変だな、と疑問を覚えた。
そして隣でバーベルスクワットを開始して、うわー、という心情だ。
酷いフォームだったのだ。
いや、別にフォーム絶対遵守おじさんではない、つもりだ。秋水自身だって狙った筋肉に効かせられるように変則フォームで行うのは普通にある。
だけど、まあ、流石に酷い。
爪先よりも膝が前に出ている。多少は良いだろう。だが、がっつり出過ぎだ。
そのせいか重心が前に出ている。踵よりも足の指で踏ん張っているように見える。
腰を落とすときも上げるときも、膝が内側に入っている。
そんな無茶な姿勢で行うので、バーベルが前後にフラフラ揺れている。
トドメとして、そのバーベル、ほぼ背骨で担いでいる状態である。
変則フォームにしては、もはや破滅願望強過ぎだろう。膝の関節がぶっ壊れるのが先か、腰に魔女の一撃が入るのが先か、そんなチキンレースを見ているようだ。
逆に、そのフォームで30㎏の重量を上げられるのは、ある意味素質があるんじゃないかと感心するレベルだ。何処の筋肉をどう動かしているのかがむしろ気になる。
ただ、どう見ても体を壊すトレーニングだ。
それを自覚して月に1度しかしないとかなら、まあ、分かる。このトレーニング方法が好きだというのなら、それも分かる。
だが、それを行っている少女が、初心者にしか見えない。
初心者が知らないで自滅近道フォームスクワットをしているなら、それは問題だ。
上級者だろうが初心者だろうが、トレーニーであるならそれは仲間である。同志である。
だから、まあ、マナー違反覚悟でいらん世話のような忠告だ。
とか言うことを説明してみたら、少女の態度は激変していた。
「ほほー、スクワットって立ったり座ったりするだけじゃ無いんだねー」
何故かバーベルスクワットを行うことになった秋水の目の前で、少女が感心したように声を上げていた。
近くは構わないのだけれど、出来ればパワーラック内からは出てくれないだろうか。
割りと距離が近い少女に困った表情を包み隠さず向けているのだが、その少女は気付いていないのか気にしていないのか、秋水の下半身、というか脚をガン見したままであった。
はて、自分は何をやっているのだろうか。
膝は内側に入らないようにしましょう、爪先よりも前に出ないようにしましょう、バーベルは真っ直ぐ上に上げましょう、と口で軽く説明しただけなのに、気がつけば自分がバーベルを担いでいる。
「仮にもビッグ3の1つですから、関節への負担を小さくする方法や効率よく筋肉に効かせる方法は、かなり研究されていますよ」
「ん? ビッグ3?」
「スクワット、ベンチプレス、デッドリフト、この3つがフリーウェイトで効率良く筋トレ出来るので、ビッグ3と言われているんですよ」
「はえー、お兄さん詳しいじゃん」
実際にやってみてよ、とか言い出した元凶の少女は、ただただひたすらに秋水の指導らしきことに感心しっぱなしであった。
そして、何か勘違いをしているようだ。
「ね、お兄さん、もう1セットやってよ」
「……はあ、それは構いませんが」
秋水の脚から視線を上げ、追加でバーベルスクワットの実演をアンコールしてくる少女に、やはり秋水は困った表情のままである。
この少女、秋水から見れば同年代か少し上くらいに見える。
だが、少女の方は秋水を自分よりも年上、どころか成人している男だと認識しているようであった。
どうせ知らない相手であるし、こんな時間に利用しているのであれば今後もジムで顔を合わせることもあまりないだろうということを考えると、別に何も困ることはないから訂正する気はないが。
ないのだが、そんなに自分は老けて見えるのかと地味にショックである。
軽く落ち込みながら秋水はスクワットを少女の目の前で1回、2回、と行っていく。
「んー、膝が、こう……」
秋水の動きをまじまじと観察しながら、少女はゆっくりと秋水のまねをしてスクワットを行う。
ちゃんとスクワットになっている。
フォームはまだ変な感じではあるが、それでも最初の関節自爆特攻フォームのスクワットらしき筋トレと比べたら、その動きは雲泥の差である。
「あ、もう少し爪先を外側に開くと姿勢が安定しますよ」
「えっと、これくらい?」
「はい、良い感じです。センスがありますね。それと、お尻を深く落とすのはとても素敵ですが、落としきる手前で止めることができたら完璧です」
「え、落としきらないの? うぎぃ……これくらい?」
「そうですそうです、とても上手です。完全にお尻を落とすと筋肉の緊張が解けてしまいますからね、緊張を保ったまま上に上げていきましょう」
「膝を内側に入れないようにして、こうやって……」
「はい、綺麗な頭がブレていますよ。天井から糸で真っ直ぐ引っ張られるように、お腹に力を入れて上半身を安定させながら、バーベルは前後に揺れることのないように真っ直ぐ上げていきます。腰が痛くなってしまいますからね」
「は、はいっ、こう……ぅぅ……だよね?」
「そうです。かなり綺麗なフォームになってきましたよ。才能がありますね。後は下半身の何処の筋肉を動かしているのかを意識してみましょう」
「お、おっす!」
問題点を一つ一つ指摘していくと、少女はすぐにそれを修正していく。
飲み込みが早い。
やる気もある。
運動に対して抵抗感がないのだろう。
たぶんだが、この少女は筋トレが継続できる気がする。
10回終わってバーベルをがちゃりとラックに置くと、秋水は小さく一息入れ、目の前の少女はぜぇはぁと荒い息をつく。
「な、何で息あがってないの……?」
膝に手をついて呼吸を整えようとしている少女に、困ったように笑って返す。
同じ回数同じフォームで行って、自重トレの少女の方が息があがってしまっているのは、単純に経験と体力の差であろう。こればかりは仕方がない。
そもそもラックとセーフティバーの高さは流石に変更したが、重量設定に関しては少女と全く同じ状態である。合計でたったの30㎏しかない。秋水が筋トレで最近行っている重量と比べたら、2割程度なのである。
コレだとウォーミングアップにしかならないなぁ、と心の中で呟くと、そこでふと秋水は思い出す。
「そうでした。もう一つ気になったのですが、あなたは……」
言いかけて、あ、名前知らない、と今更ながらに気がつく。
知らなくても良いか。
特に会話には困らないだろうと判断して秋水は言葉を続けようとしたが、これに対しては少女の方が早かった。
「あ、ごめんごめん。私、錦地 美寧(にしきじ みねい)って言うの。名字言い辛いから 『かわいい美寧ちゃん』 って呼んで良いよ」
「これはご丁寧にありがとうございます。申し遅れましたが私は棟区 秋水と申します。よろしくお願いします、『かわいい美寧ちゃん』 さん」
「本当に呼ぶんかい」
「綺麗で素敵な名前だと思いますよ。ただ、可愛いよりも美人系なので少し意外な気もします、『かわいい美寧ちゃん』 さん」
「や、止めて止めてっ、ごめんって、恥ずかしいからもうっ!」
呼べと言うから呼んでみたら思いっきり照れられた。
ならば名前で呼べば良いかと思いつつ、名字に関しては少々引っかかりを覚える。
別に言い辛くはない、とは思うのだが、多分これは触れてはいけない話題だろう。
「それで美寧さん、もう一つ気になったのですが」
「あー、あと敬語も別にいらないかな。年上さんに畏まられると首筋痒くなるって言うか……」
「美寧さん、ウォーミングアップしまたか?」
無視かーい、と美寧が小さく呟く。
悪いが無視である。
ただでさえ秋水は顔やら目つきやら背丈やら体格やらで威圧感カルテットがある上に、地声が低いという対人関係ではデメリットが山積しているのだ。これで素の喋り方を女の子相手にする気にはならない。
ツッコミから一拍置いて、美寧は答えるように胸を張る。
「お兄さんは知ってるかな? 運動前にストレッチするのって、実は逆効果なんだよ!」
「ああ、静的ストレッチですね」
急にドヤ顔をかました美寧に対し、秋水は息をするように切り返す。
びしりと美寧は固まった。
「性的?」
「はい、静的ストレッチです。ウォーミングアップは動的ストレッチの方ですね」
「せ、性的……」
微妙に食い違っているような気がしなくもないが、せっかくの知識披露を潰してしまったせいか美寧は顔を紅くして黙ってしまった。
「軽くジョギングをしたり別の運動をしたりして、ちゃんと体を温めておかないと体を痛める原因になりますからね。特に今は冬ですから、そこは念入りにしておくくらいが良いですよ」
「……家から10分くらい歩いたんだけど、これはウォーミングアップにはならない?」
「しっかり腕を振って歩幅を大きくするように意識すれば、立派なウォーミングアップになるのですが、美寧さんはどうやって歩いて来られましたか?」
「普通にとぼとぼ歩いてましたー!」
落ち込んだ美寧をよしよしと慰めつつ、結構家が近いということに秋水は軽く眉を顰めた。
このジムまで秋水は徒歩20分で、美寧は徒歩10分。秋水と美寧の足の速さを横に置いたとしても、正反対の方向ですらお互いの家まで徒歩30分圏内である。
外出中に偶然出会す可能性がある。
お兄さん呼び、訂正しておいた方が良い気がしてきた。
「……いやちょっと待って、ナチュラルに頭撫でてきたよこの人……」
どう訂正しようかなと考えていると、かなりの小声で美寧が何かをぼそりと呟いた。
「はい? 申し訳ありません、聞き逃しました。どうされましたか?」
「え? あー、いや、あ、えっと……」
何を呟いたのか分からなかったので、とりあえず素直に聞き返すと、何故か美寧が口籠もった。
はて、どうしたのだろう。
秋水が首を捻っていると、美寧はすぐにはっと何か思いついたかのように顔を上げた。
「……彼氏。そうだ、彼氏にねっ!」
明らかに唐突な話題の変更だ。
先程何か呟いたのは、名字と同じく触れてはいけない話題なのかもしれない。
「ほらあの、えっと、あれだよ、彼氏にね、ほら、醜い体型とかさ、ほら、彼氏に、えっと」
話題を変更したのはいいものの、何ともしどろもどろとした感じである。話す内容がちゃんと決まっていなかったのだろう。
やはり呟きについては気にしないことにしよう。秋水は焦らせないように、にこりと笑顔を向けた。なお完成度。
その笑顔を見た途端、美寧の肩がびくりと跳ねた。
なんでや。
「……綺麗なボディラインを目指したい、という話でしょうか?」
「え!? え、あっ、そうっ! そんな感じ! ほら彼氏、彼氏いるから! 私、華のJKだからっ!」
まとまらない話題から要点を推測してみると、それが当たったのかどうなのか、美寧は急に活気を取り戻して、彼氏いますアピール始まる。
いや、美玲のような美人さんなら彼氏くらい普通にいるだろうなとは思うが、それよりも秋水はJKという台詞にぴくりと片眉を跳ねさせて反応した。
JK。
女子高校生。
と言うことは、お前、年上やないかい。
「あ、いやJK関係ないですよねはははっ! そうじゃなくてさボディライン! それ綺麗にする筋トレって何かあるか教えて先生!」
「はは、先生ではないです」
「いやいやお兄さん、凄い詳しいから! 先生! 先生だよ先生!」
ついでにお兄さんでもないです。何ならまだ中学生だから確実にあなたよりも年下です。
心の中でツッコミをいれるが、急にテンションが高くなってぺらぺら喋り始めた美寧に気圧されてしまった。
まあ、今すぐにではなくても、後で訂正すれば良いかな。
秋水は軽くそう考え、溜息を1つ吐く。
それから秋水は、姿勢の矯正を中心としたトレーニングメニューを1時間程かけて美寧にアドバイスを行った。
筋トレにしろストレッチにしろ、やはり美寧は熱心に聞いてくれるので、アドバイスについつい熱が入ってしまったのは認めよう。
そして、まだ夜は明けていない時間ではあるが、何人かがジムに入って来たくらいになると、美寧の方がタイムリミットになってしまった。
「じゃーねー先生! また何か教えてねー!」
「美寧さん、ジムで大声はマナー違反ですよ」
「はは、先生はマナー厳しいねー。それじゃーねー!」
「はい、それでは、またいつか」
汗こそ軽く流したが、血行が良くなった赤い顔のまま美寧は大きく手を振ってジムを後にした。クールダウンも教えれば良かったか。
美寧を見送った後、秋水は自身がベンチプレスしかまともにトレーニングしていないことに気がついて、胸と肩と腕の筋トレをじっくりと行うことにした。
ポーションありの筋トレは無茶苦茶捗った。
そして無茶苦茶腹が減った。
妙な力の検証もばっちりできた。
美寧の勘違いは、結局訂正出来なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ヤバいよこの人、褒め言葉ちょいちょい挟んだりナチュラルに髪触ってきたり、結構手慣れてるって! 絶対ヤバい感じに遊んでるって! 力ずくで来られたら100パー抵抗出来ないって!)
(あ、そうだ、もうお手付きです匂わせ出して牽制しとけばいいかな……)
(すごい悪そうな歪な笑い方してるー!! 顔こわー!!)
(いやちょっと、今絶対JKってところに反応した-! 言わなきゃ良かったこれー!!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます