12『いらぬ節介マナー違反』
ベンチプレス。
13回目。
新記録。
一瞬だけだが、変な力が出た。
誰かが補助してくれたような、とか、バーベルが軽くなったような、とかではない。
なんか、純粋に、力が増した。
ような気がするような、気がしないような。
本当に一瞬だけ、力が妙に上手く出力されたような感じが、したような、しなかったような。
「本当にプルスウルトラしちゃったのか?」
うーん、と数秒程考え込んでから、秋水は再びベンチの上に寝転がった。
噴き出た汗はまだ引いていないが、ポーションのお陰で体の疲労は消えている。本当ならば1分か2分のインターバルを挟むべきなのだが、行けそうな気がする。
と言うか、妙な感覚を体が忘れる前に、もう一度再現すべきだと直感が告げていた。
もう一度、重量は落とさず、13回、いや、回数を目的にしてはいけない、限界まで筋肉を追い込む。
息を吐いて腹圧を入れる。腰から胸への反り、肩甲骨、後頭部、それらのフォームを整えて、足をしっかり着いてから再度一息。
流れるようにベンチプレスの基本姿勢を整えて、ガシャ、とラックからバーベルを持ち上げた。
4セット終了。
汗だくのままポーションを飲んで一息入れると、つい先程まで死にそうなくらい疲れたからだが急速に癒えていく。しばらくはこの死者蘇生みたいな超感覚、慣れないような気がする。
リュックから取り出してきたタオルで汗を拭きながら、秋水は時計を見上げた。
「ははっ」
思わず笑ってしまう。これが正しく失笑というものか。
ベンチプレスを始めてから、まだ10分程しか経っていない。
いやはや、ポーションによる強制的なインターバルの切り上げ、効果エグいな。
笑ってしまうのも無理はない。何らなら、今の状態からでも120㎏から重量を落とさないまま、5セット目に突入できそうな感じがする。トレーニング効率滅茶苦茶である。
「んー……でも何か、んー……」
化け物みたいな速度でベンチプレスをこなしてはいるものの、秋水は微妙な表情のまま首を捻り、タオルを置いてから再びベンチの上に転がる。
腹圧を入れ、フォームを整え、バーベルを握る。
いつもの通り。
いつもの流れ。
あの妙な力は、2セット目にも、3セット目にも、4セット目にも、出て来なかった。
いや、少し違うか。
2セット目もバーベルは13回上げられた。
かなり苦しかったが、1セット目のように頭を真っ白にしてマナーなど知ったことかと言わんばかりの最大出力で13回目を上げたわけではない。
マナー違反すれすれの呻き声と共にバーベルを持ち上げて、それをガチャンとやや五月蠅い音を立てながらラックに掛けた。
3セット目も13回だ。
歯を食いしばって、フォームを崩すことなく、13回目を持ち上げて、ぷるぷるしながらもラックへ静かにバーベルを掛けることが出来た。
4セット目に至っては、普通に13回である。
いつも程度の呻き声に、正しいフォームのまま、きっちり13回バーベルを上げ下ろしした挙げ句、ラックに掛けるときまで姿勢がぶれなかった。
普通に限界に追い込めてはいる気はするが、限界のその先、プルスウルトラ出来たかと言われたら微妙な所である。
と言うか、妙な力がどうのこうのと言うよりも、普通に筋力が増している感じがする。
何だったら、4セット目はもう1回持ち上げても良かったし、重量を上げてトライしても良かった気がする。
最高重量から段々と重量を減らしながら筋トレを行うのではなく、最高重量からさらに重量を徐々に増やして筋トレを行うとか、何が起こっていると言うのか。
普通ならば2週間とか3週間かけて行う筋肥大が、今日一日で出来てしまっている気がしなくもない。
今は長袖のトレーニングウェアに隠れているが、それでも浮き出る大胸筋や上腕二頭筋がジムに来場したときよりも逞しくなっているような気がするような気がしないような。異様にパンプアップしただけな気もするが。
これでは妙な力を再現するのではなく、ポーションの効果を実験しているだけになってしまう。
いや、それでも十分素晴らしい確証を得られているだが。
このポーション、やはり時間が進む系の回復だ。
「ふ、ぅ……」
5セット目。
バーベルを持ち上げること10回目。
1セット目よりも余裕あり。
ポーションの疲労回復効果で筋トレの効果がリセットされたらどうしようか悩んでいたが、これは考えるまでもなく明らかだ。筋肥大が出来ているならば、ちゃんとした筋肉の回復の手続きを踏んで回復している。ついでに腹も減ってくる。
となると、次に心配すべきは、それに消費される栄養やら水分だが、それは食ったり飲んだりすれば良いだけの話である。
怪我の回復効果でもそうだが、これからは栄養管理が特に重要になりそうだ。
食べる量とサプリメントの量を増やそうかと考えながら、11回目。
やはり、雑念が出るくらいに余裕がある。
12回目を持ち上げるときは、確かに苦しいし、重いし、辛い。
だが、そんな泣き言が頭で生まれる段階で、それは限界ではない証でもある。
そのまま流れるように13回目。
死ぬ気で持ち上げた感覚はなく、むしろ。
「…………っ!」
集中。
集中する。
いや、した。
自分の内側から、体から、筋肉から、筋トレをするときの行う対話が途切れる。
最後まで行くためには理論が必要だ。
最後にものを言うのは精神論だ。
プルスウルトラには根性だ。
力を総動員する。
振り絞る。
振り絞った力の動きを意識して。
14回目。
持ち上げたバーベルをラックに掛けて、荒い息のまま勢い良くベンチから跳ね起きる。
汗が飛び散った。普通にマナー違反レベルである。
近くに置いていたポーションを一気に呷って、一息ついて。
「…………ぅし!」
トレーニンググローブのまま、秋水はガッツポーズを決めた。
新記録である。
だが言いたいのはそこではない。
再び、何か掴んだ。
何かと言うか、感覚だ。
感覚を掴んだ。
明確な何かではないのだが、秋水にとって、感覚を掴む、というのはかなり大事なことである。
筋トレでも、効率が良いのはこの筋トレだとか、こっちのフォームの方が良いだとか、情報自体は色々とあるものの、それを自分用に落とし込むときに大事なのは感覚だ。自分自身の体調を見極めるのも感覚だ。次の重量に移行するか回数を増やすか、それを決めるのも最終的には感覚だ。
逆に言えば、感覚さえ掴めれば、秋水にとっては勝ったも同じなのだ。
あの妙な力、気のせいじゃない。
ほぼ確信に近いその感覚を確かめるように、秋水はベンチプレス6セット目を開始しようとベンチに横になる。
あと何回かやれば、自分の物に出来そうだ。
新しいおもちゃでも手に入れたかのように、にやっと秋水は笑みを浮かべ
「あーるときは正義のみっかたー♪ あーるときは悪魔のてっさっきー♪」
がちゃっと扉が開くと共に、奇妙な歌がジムに響き渡った。
女性の声だ。
声としては若い。そんなに大声という訳ではないのだが、よく響く良い声である。
気の抜けるような変な歌に、集中力がぶつりと切れた。
まだまだ未明の時間ではあるが、こんな時間帯でもやはり利用者はいるのか、と秋水はベンチから上体を起こして一人じゃないですよアピールをすると共に来訪者をちらりと確認した。
「いいーも悪いもリ…………あ、やばっ……やばぁ」
タイミングが良いのか悪いの、その来訪者と思いっきり視線が合った。
秋水と同年代くらいだろうか。
古い言い方だが、何ともギャルっぽい子だった。
ぽい、というのは、肩まで伸ばした綺麗な明るい茶髪を見た感想である。ばっちり決めればギャルっぽい感じになる気がする、という秋水の勝手な印象だ。
ただ、運動をするためだろう、その茶髪はポニーテールに結び、今し方脱いだばかりであろうコートの下は上下共にジャージである。綺麗系な少女なのだが、特におしゃれでもない芋っぽいジャージである以上は、ぽい、という印象止まりなのは仕方がない。
その少女は自分一人じゃなかったことに気がついて一瞬顔を紅くして固まった後、秋水の姿を確認した途端にその顔を青くして別の意味で固まった。丸刈り強面筋肉質な目つきの悪い男に睨まれたから顔を青くしている訳ではないと思いたい。別に睨んでなどいないし。
「す……すんませんでしたぁ……はは、は……」
そして引き攣ったような苦笑いでぺこりと頭を下げてきたので、秋水もベンチに座ったまま軽く会釈をして返す。
何だか微妙に誤解を受けているような気がしないでもないが、筋トレの邪魔をされるわけでもないので構わないだろう。ここのコンビニジムは基本的に独り黙々とトレーニングを行うジムだ。積極的に他者と交流する場所ではない。
それに、ぱっと見た限りはガチ勢ではなさそうだ。女の子だから、という色眼鏡もあるが、真新しいジャージ姿を見てそう判断する。
たぶん有酸素運動を中心とするだろうから、どちらにせよ関わり合わないと思われる。
なら、誤解されていても良いか。
ジムでは珍しい少女という人種のことをさっさと意識から外し、改めて秋水はベンチに転がった。
気を取り直して6セット目。
ベンチへの接地、姿勢、呼吸を流れるように整えて、バーベルをしっかりと握ってからゆっくりと持ち上げる。
「う、うわぁ……10㎏プレート5枚ずつ……」
何でか少女の声が近場で聞こえた気がする。ウォーキングマシンもエアロバイクもこちらではないぞ。
その少女のことを気にすることなく、秋水はバーベルを胸まで下ろし、それから反動を使わずにゆっくりと上げる。
ベンチプレスを行うと、大胸筋や三角筋、上腕三頭筋などに意識が向く。鍛えたい筋肉を意識するのは筋トレの基本だ。だからこそ筋肉の動きに注意が向くのが癖になっているのだが、このセットに関しては意図的に筋肉の動きを意識しないことにした。
意識するのは、体の動き全体だ。
筋肉の部位ではない。
骨も、皮も、全部ひっくるめた体の動き。
力の流れ。
その流れに、何だか良く分からない妙なエネルギーを、上乗せするようにして。
ぐいっと、バーベルを、持ち上げる。
「……ん?」
何か違う。
だが近い。遠くはない。
もう一度、体の動き全体を意識して。
いや、逆か。
逆だ。
何だか良く分からない妙な力に、体の動きを上乗せするように。
「ふっ!」
バーベルが、僅かに軽く感じる。
近い。
近い近い。
掴みかけていた何かにカスったような感覚がある。
体感にして1㎏。一番軽い重りと同じくらいだろうか。中途半端な補助が入った感じがした。
「か、カラーが入んない……っ」
なんか近くで少女の声。
無視してさらにバーベルを下げて上げる。
はて、これは何回目だったか。数え忘れたが気にしない。今気になるのは妙な力のこと。
もう1回。
体の動きを補助するような、妙な力は確実にあるという前提で。
再び1回。
その妙な力に自分自身の体で動きを与えてやるように。
さらに1回。
両方の力を、絞り出すようにして。
合致した。
自分の力と妙な力、2つの力の流れが、完全に一致する。
ああ、なるほど。
こんな感じか。
試すようにしてバーベルをゆっくり下ろし、妙な力を使って、ゆっくり上げる。
「……うしっ」
OK。
分かった。
完全に感覚を掴んだ。
妙な力の補助が、体感として3㎏ぐらいだろうか。
たった3㎏とも言えるし、3㎏もの追加出力とも言える。純粋に体の力が増したような感じだ。
後はこれを繰り返して、この妙な力の使い方を体に馴染ませていけば良い。
おまけに3回、ベンチプレスを行った後、バーベルをゆっくりとラックへ掛ける。
ふぅ、と一息。
まさか1時間もしないで妙な力の使い方を習得してしまった。
ベンチから体を起こし、ポーションで疲労感を全て消し飛ばしてから、改めて妙な力へと意識を向ける。
良し。なんとなく、分かる。
妙な力は、体の内側にある。
そんな気がする。
気がするだけかもしれないが。
トレーニング以外でも使えるかも知れないなと思いつつ、飲み干してしまったポーションのペットボトルのキャップを閉め、秋水は再度溜息を吐いて。
「ふぬぬっ……んぬぅぅっ!」
さて、流石にそろそろ気になるお隣様へと視線を向けた。
ギャルっぽい、と評したその少女は、パワーラックで筋トレ中であった。
しかもまさかのバーベル担いでスクワットである。
片側に5㎏。
両方で10㎏。
バーベル自体の重さを含めて合計30㎏。秋水と同年代くらいの少女としては平均以上だろうか。なかなかのパワーじゃないか。
有酸素運動中心だろうなという予想はものの見事に外れてしまった。
いや偏見だった。それは確かに悪かった。
だがまさか、若い女の子がこんな夜中のコンビニジムで、有酸素運動どころかマシントレーニングですらなく、フリーウェイトというガチの筋力トレーニングのエリアに来るとは思うはずもないだろう、と言うのは人生経験の少ない秋水の言い訳だろうか。
しかも、ダンベルのコーナーではなく、まさかの秋水と同じパワーラック。初心者が敬遠しがちだと言うのに。
これは普通に驚いた。
認識を改めなくては、と反省せざるを得ない。女の子でもバーベルスクワットをやるのだなと。
ただ、このジムではパワーラックは2台しかなく、多少の距離こそあるものの隣接している。だからこそ、ベンチに横になっているとどうしても視界に入ってしまう。
何と言うか、まあ、うーん。
「ぬ、ぬぬっ……ぅー、だめー……」
何回やったか分からないが、へろへろになった少女がガチャリと担いでいたバーベルをラックに掛ける。
隣の秋水を気遣ったのだろうか、ちょっと響いた程度の音に気を遣った良い置き方だ。
いや、まあ、頑張っている。頑張ってはいるのだ。それは分かる。
思わず秋水はその少女をまじまじ見ていると、ふっとその少女が顔を向けてきた。
思いっきり目が合ってしまった。
「はぁ、はぁ……な、なん、はぁ、なんですか?」
凄い嫌そうな目をされた。
滅茶苦茶警戒されている。
ラックに掛けたバーベルにもたれかかるようにしながら息を整えていた少女は、視線を向けていた秋水に気がついた途端、体を捻るようにして引き、いつでも逃げられるように身構えてしまった。
いや、こんな時間に暴力団関係者みたいな男と二人きりにされたら、普通は警戒するのが当然か。
世知辛いものを感じつつ、秋水は 「いえ」 と一言だけ置いてからベンチプレスへと戻ろうとした。
したが、何とも居心地が悪い。
別にこちらを警戒している少女と二人きりな状況が居心地悪いわけではない。
と言うよりも、隣が少年だろうが青年だろうがおじさんだろうがおばさんだろうが、きっとこの状況になれば秋水は居心地の悪さを覚えただろう。
もう一度ちらりと少女へと目をやると、未だに警戒していた少女がそれに気がついて、即座に飛び退くように距離を取られた。拾ってきた猫かな。
「あの、失礼ですが」
「な、なな、な、なんですかっ!?」
居心地の悪さに声を掛けてみると、飛び退くだけならまだしもファイティングポーズまでとりながら少女は答えてくれた。声が裏返っているが。かなり腰が引けているが。
当然ながら警戒されている。
その様子に、秋水はもごりと一度言葉を飲み込む。
間違いなく、今から言おうとしている言葉は余計なお節介でしかない。
そもそもジムにおいて初心者の女の子に絡む男とか最悪だ。いや、ジムにおいて、どころの話じゃなく普通に最悪だ。
それに、秋水はトレーナーでもない。
筋トレはその人に会ったやり方を好きにやるのが一番だと思っている。
だから正直、口を出すのは明らかに間違っている。
間違ってはいる、のだが、だけれども、うん。
と、そこでふと気になった。
そう言えば、この少女は初心者で合っているのか、と。
なにせフリーウェイトで筋トレしているのだ。内容はあれとしても。
「えっと……初心者の方、ですか?」
「初心者じゃないですしぃっ!?」
裏返った声のまま思いっきり否定された。
いや、どう見ても初心者、とは思うが、本人が否定するならば違うのか。
そう納得することにして。
「……2週間目ですしぃ」
それを初心者と言うのでは。
急にばつの悪そうな表情になった少女に、思わずそうツッコミを入れそうになるをのぐっと堪える。
「しょ、初心者歓迎ってありましたし! 迷惑は、そりゃ歌ってたのはごめんなさいですけど、いつもだったらこの時間誰も居なかったですしぃ!? イチャモンつけられても困りますしぃ!?」
何言ってんだこいつ、みたいな表情が顔に出てしまったのか、それとも秋水の心情を察してくれたのか、続け様に少女からの言い訳が飛んでくる。
声がデカい、そして良く響く。
初心者だから迷惑とは別に思っていないし、歌って入って来たことも特に怒ってもいない。
だが、まあ、言おうとしていた内容がいちゃもん、または難癖のようなのは確かだ。
初心者に絡むのはマナー違反。
人のトレーニングに口出しするのはマナー違反。
トレーナーでもないのに上から指導するのはマナー違反。
やはり言わない方が良いかもしれないな、とは思うが、正直な所このまま見過ごしてしまうのも寝覚めが悪い。
筋トレを普及したい訳ではないのだが、それでもせっかく入って来てくれた初心者が挫折してしまうのもまた、それは何か違う。
うーん、と秋水は一度唸ってから、少女の言葉が途切れたタイミングで一言だけ注意することとした。
「あの……そのトレーニング、体壊れますよ?」
「……は?」
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なんだかんだマナーに厳しめ。
JKかJCくらいの女の子を、厳つい顔した筋肉ムキムキの男がじっくりと眺めてきた挙句に声をかけてくるという案件。誤解です。
鉄人28号の主題歌。(作品コード 054-0763-0)
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