11『自称ライトでエンジョイ勢の筋トレ』
ダンジョンから庭に這い出て、テントの中が真っ暗であることに 「あー」 と声を上げ、そのテントから外に出て綺麗な夜空を見上げて 「えー」 と不思議そうな声を漏らす。
夜に寝て、夜に起きた。
日付は変わっていない。
1月4日、夜だ。
「……おーん?」
首を捻った後、再びテントに入り、梯子を使ってダンジョンへ潜る。
もう一度スマホの時計を確認するが、只今真夜中0時のちょっと前。
はて、これは、どういう事だ?
古ぼけた畳に腰を下ろし、秋水は顎に手を当てて考え込んだ。
いや、絶対に爆睡をキめたと思った。
2時間くらい、なんて中途半端な仮眠から目が覚めたような感覚はなかった。
しっかりと、がっつりと、ごっそりと、夢を見ることもなく泥のように寝入った、という目の覚め方だった。
「たまたま、か?」
レム睡眠だかノンレム睡眠だかの丁度良い所で起きることが出来た、とか、今は爽快に目覚めた感じがするだけで後から普通に眠くなる、とか。
普通に考えたらそうだろう。2時間ばかり眠っただけで 「良く寝た」 は、おかしい。
普通なら、寝た気がするのは気のせいだ。
気にし過ぎだろう。
普通なら。
このダンジョン内で、普通が、通用すれば、だが。
いやだって、近くで謎の液体であるポーションが垂れ流しである。。
ポーションで炊いた米でも効果を感じるのだ。揮発した水分だけで何らかの効果があっても可笑しくない。
もしくは、ダンジョン自体に何かがある、とか。
「……試してみるかぁ」
呟いたのが早かったか、秋水はすくりと立ち上がり、梯子を昇って再びダンジョンから庭へと這い出る。
そもそも、1回寝ただけでは偶然かどうかは分からない。
気のせいならば、それで良い。
良いのだが。
だが、もし。
もしもだ。
このダンジョンに、いや、このセーフエリアに、睡眠時間の短縮効果なんてのがあってみろ。
実生活へ与えるインパクトがデカすぎる。
どんな天才も、どんな凡人も、どんな馬鹿も、1日に与えられる時間は平等に24時間しかない。
その与えられた24時間の内、大半の人間は睡眠時間に多くの時間を費やさなくてはならない。それは生物である以上は仕方のないことである。体のメンテナンスは必要だ。
だがもしも、その睡眠時間を短縮出来るとしたら。
いいや、流石にそれはファンタジー過ぎるだろう、とは思うものの、口元の笑みが消えやしない。
にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべたまま、秋水は家から布団一式を持って出る。
持ち運べる寝具ならば、父がソロキャンプで使っていたシュラフだかジェラフだか言った寝袋があるのだが、それを借りようとは思わなかった。加齢臭がキツいからという理由ではなく、使い慣れている方が分かりやすいだろうという判断だ。加齢臭ではない。
その布団を2回に分け、ダンジョンの中に持ち運ぶ。
そして敷く。
あっという間に寝床の完成である。
畳の上に敷かれた布団を見て、秋水は満足そうに頷いて。
「ま、今は眠くも何ともないんだけどね」
とりあえず、まずは飯と風呂にすることにした。
秋水の家から歩いて20分くらいの所に、24時間営業をしている所謂コンビニジムと呼ばれるタイプのトレーニングジムがある。
パーソナルトレーナーはおらず、器具やマシンが並べられており、24時間いつでも好きなときに好きにやれ、といったジムである。
人によってはサービスが悪いと言うこともあるが、独りで黙々と筋トレをするのが性に合っている秋水からすれば、他者からあれこれ言われずに自分で筋トレの方法を勉強して自分でプログラムを決めて、そういう自由度の高さは逆に魅力でもあった。料金も安いし。
都心部にあるコンビニジムでもないので、土曜日や日曜日の昼間でも満員御礼になることは滅多にないが、それでもそこそこに人気があるのか、いつ行っても疎らに人が居るなぁ、くらいの賑わいはある。
そんなジムの扉にあるQRコードを読み込んで、電子錠を開けてから中に入ると、やはりと言うか何と言うか、流石に誰も居なかった。
「うわー、人いねぇ……」
あれからシャワーを浴びて、発芽玄米に味噌汁と卵に焼いた鶏むね肉という簡単な夕飯、と言うか夜食を食べて、一息ついてから秋水は予定繰り上げでジムに向かった。
一息ついたとは言えど、太陽はまだ登っていない。
と言うか、まだ3時前である。
何だかんだとこのコンビニジムに通い続けて4年目だが、流石に深夜3時という時間帯に来たのは初めてのことである。
まだまだ夜だ。早朝ですらなく未明である。
誰も居ないのは当然と言えば当然か。
ベンチコートを脱ぎながら、秋水はがらんとしたジムを見渡す。
今ならトレーニング中にデカい声で掛け声を出すというマナー違反をぶちかましても、誰の迷惑にもならないだろう。やらないが。
「まあ、独占と考えとくか」
持って来たリュックの中に脱いだベンチコートを押し込み、愛用のトレーニンググローブとスマホ、そしてポーションを入れたペットボトルを取り出して、備え付けられている棚に使わないリュックをそのまま入れておく。
専用ロッカーは別途料金が掛かるので、無料で使える棚はいつも人気なのだが、今日はこれすら使いたい放題であった。
それから秋水は準備運動として動的ストレッチとプランクを数種類ずつ行って体を温める。
家からジムまで歩くだけでも十分に体を温めることは出来てはいるが、今は冬なのでウォーミングアップは入念に行う。特に今日は、いつもとはトレーニングの目的が違うのだ。
今日の目的は、体の動きの確認だ。
「まずは膂力の確認だから……」
ベンチプレスだよなぁ、と呟きながら、続いて秋水はパワーラックでベンチプレスの準備を始める。
ラックの高さ、セーフティバーの高さ、ベンチの位置調整。秋水にとっては慣れたものであり、テキパキと行っていく。
そして一度ベンチに仰向けに転がり、重りなしのバーベルの棒だけでベンチプレスを10回行う。
うん、軽い。
羽根のように軽いとか、いつもより爆速で上げ下げ出来るとか、そんな感じは全くない。
いつも通りに、軽い。
逆に重たくも感じないし、動き辛いとも感じない。
悪くない。良くもない。
バーベルをラックにかけてから秋水は起き上がり、ふーん、と軽く鼻を鳴らす。
ダンジョンで異様なパワーアップが掛かった感じはしないし、寝不足で体幹がブレるような独特な感じもしない。
いつも通りだ。
ここまでは。
「じゃ、まずは100㎏で」
そう言いながら、バーベルの左右に重りを取り付けてスプリングカラーで固定する。
左右に50㎏ずつ。
バーベル自体は20㎏。
100㎏とか言っているが、実際には合計120㎏である。
これが最近の秋水が行っているベンチプレスの基本重量だ。
いつもならば、この120㎏を限界まで行い。少し休憩してからまた限界まで行い。また休憩してから、今度は110㎏に重量を落として限界まで行う。以下省略。というのがベンチプレスの基本セットである。
何回上げ下げするとは決めていない。
限界までだ。
10回5セットとか15回3セットとかいうストレートセットは、数を数えるのに意識が向くせいで気が散るというか、段々と数をこなすのが目的化してしまう感じがしてしまい、どうにも秋水とは相性が悪く、とにかく回数もセット数も決めずに限界までやる、という脳筋トレーニングの方が秋水には合っていた。
だからトレーニング記録が適当になってしまうのだが。
再び秋水はベンチの上に寝転がり、ふぅっ、と強く息を吐いて腹圧を意識する。腰から胸への反り、肩甲骨、後頭部、それらのフォームを整えて、足をしっかり着いてから再度一息吐き出して。
ガシャ、とラックからバーベルを持ち上げる。
「いー……ち」
ゆっくり下ろし。
ゆっくり上げる。
正しいフォームで、伸ばす筋肉と縮む筋肉を意識して。
重い。
重たい。
重りのついた鉄の棒を腕と、肩と、胸の筋肉で、120㎏の重さを制御する。
歯を食いしばって2回、3回。
5回目には、すっ、と意識が完全に自分の内側に向けられるような、不思議ないつもの感覚。
ジムで流れていたBGMが無音のように感じながら6回目を持ち上げる。
1回目よりも明確に、ここの筋肉が動いているよ、とまるで自分の体が声を上げているような感覚を味わいながら、ゆっくりとバーベルを胸まで下ろし、ならば協力して筋肉を動かせ、と声を上げる筋肉に語りかけるようにして7回目を持ち上げる。
筋トレ中は、筋肉と会話しろとは良く言った。
周りの雑音が消え、自分自身と対話するような、もしくはメンタルとフィジカルが殴り合いの喧嘩をしているような、秋水はこの不思議な集中状態でいる時が好きである。
辛いと駄々をこねる筋肉に、まあ頑張れと精神が宥めながら10回目。
「ふぬっ……ぅっ!」
唸り声を上げるのはマナー違反なので、無意識ながら声を押し殺しながらバーベルを持ち上げる。
他に誰も居ないのだから別に声を出しても良いのだろうが、なるべく静かに行うのは癖みたいなものである。
重い。
辛い。
キツい。
休みたい。
120㎏にギブアップしている筋肉が悲鳴を上げている。
限界までやったら、一度休憩を入れる。
その言葉が頭に浮かんだ。
ので、もう一回、12回目を持ち上げる。
フィジカルが限界だと言う。
メンタルも限界だと言う。
そこからもう一回、プルスウルトラを行うのに必要なのは根性だ。
筋トレを教えてくれた父の言葉だ。
根性はメンタルでは? とも思ったが、実際に筋トレをする時はつくづく根性が重要なのは身に染みている。
バーベルを持ち上げた姿勢のまま、秋水は荒い息を吐いた。
「はぁ……は、はぁ……はぁ……」
120㎏を12回。
これは、いつも通りの記録だ。
正確には、前回のMAX回数だ。
不調はない。むしろ好調とも言える。
2時間ばかりの睡眠で、ここまでのパフォーマンスが出せるはずがない。
もしくは、2時間ばかりの睡眠でも、ここまでのパフォーマンスが出せる状態になっている。
荒い息のまま、秋水は腕をぷるぷるさせながらバーベルをラックにかけようとして。
いや、今の、雑念。
「ぬ、あああっ!?」
マナーをぶち破り、声を上げる。
腕が震える。
フォームが崩れた。
それでもバーベルを胸まで。
胸が痛い。
「んっ、がっ!」
不調がどうした。
好調がどうした。
睡眠がどうした。
パフォーマンスがどうした。
そんな事を考えられると言うことは、余裕があると言うことだ。
限界の手前にいると言うことだ。
プルスウルトラを行うのに必要なのは根性だ。
フィジカル・メンタル両方の泣き言を全部飲み込んで、動かす筋肉を総動員。
集中する。
集中しろ。
集中。
一瞬だけ、体から妙な力が湧き出た。
「ぉ、らぁぁあっ!!」
大声と共に、13回目。
そこから流れるようにバーベルをラックへ叩きつけるようにして掛ける。
ガチャン! と大きな音が秋水独り舞台のジムに響き渡った。
完全なるマナー違反である。他に誰か居たら絶対に出来ない。
「はっ、はっ、はっ、はぁっ、はっ」
いつもならしないマナー違反を気にする余裕もなく、秋水はベンチの上で荒い息を繰り返す。
10秒程死にそうになってから、ゆっくりと体を起こして、荒い息のままペットボトルに入れていたポーションを一口。
飲んだ途端、すぅ、と体の疲労が消えていく。
え、このレベルの疲れも消えるんだ。
荒い息は急速に通常のペースに、バクバクいっていた心臓もスンッと素面に戻る。
ダンジョンでの使用で慣れてきたハズなのに、飲んで数秒で回復するその感覚が何とも逆に気持ちが悪い。
「はぁ……これで筋トレの効果帳消しにしてたら、泣くよ俺」
実際の所、このポーションは時間が進む系の回復効果なのか、時間が戻る系の回復効果のかはまだ分かっていない。
人間の疲労回復能力を高めて急速に回復させる、そんな時間が進む系の回復ならば筋トレの効果がしっかり出るだろう。
だが、逆に時間を戻して、体が疲れる前の状態へ強制的にリセットさせる感じの疲労回復ならば、筋トレの効果も同時に帳消しになってしまう。筋肉は回復するときに成長するものなのだ。
ポーションのお陰でそんな事を考えることが出来るまでに頭が回復したことを確認して、秋水は顎に手を当てる。
「……で、なんか今、掴みかけたぞ?」
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