08『渡巻 紗綾音(わたりまき さやね)』
渡巻 紗綾音には一つ上の姉が居る、らしい。
その姉は日曜大工的なDIYを趣味としていて、休みの日は独り黙々と物作りに励んでいる、らしい。
その姉の誕生日が近い、らしい。
「それで誕生日プレゼントで買おうと思ったの、お年玉貰ったし」
「そうなのですね」
クラスメイトの家庭の事情に全く興味がないせいで、一生懸命に説明してくれる紗綾音の言葉が右から左へ逃げていきそうになるのを、秋水は懸命に堪えながら相槌を打つ。
ホームセンターの工具売り場、暖房もよくは効いていない区画で何を聞かされているんだろうという感じは正直ある。
と言うか、彼女の事情に巻き込まれるのは決定なのか。
不満がない訳ではないが、それは顔に出さないように気をつける。出して泣かれたら気不味いどころではない。別に説明してくれている最中、ずっと握りしめているバールを恐れている訳ではない。
「でも、ランパクなんちゃらなんてのないし……名前ちゃんと覚えてなかったからこのザマ無様だよ…… 」
しょげっとしている紗綾音が怯えないよう、「そうなのですね」 ともう一度相槌を打ちながら、卵白なんちゃらねぇ、と少し考える。
「質問なのですが」
とりあえず紗綾音の説明は終わったのだろうと思い、秋水は手を上げて発言を求める。
女の話は終わりまで聞け。母と妹からは常に言われていた。
あ、うん、と紗綾音は頷いてくれたが、ひとまずそろそろバールを置いて欲しい。絵面が怖い。
「その卵白なんとか、というのは、何故それを買おうと?」
「え、だからお姉ちゃんの誕生日プレゼントで」
うん、ついさっき聞いた。
反射的にツッコミを入れそうになるのをぐっと堪える。
「はい、そうですね、誕生日プレゼントなのですね。ですがDIYと言っても工具は様々あるのですが、他の物ではなくその卵白なんとかをプレゼントに選んだのは、何か特別な理由があるのかと思いまして」
機嫌の悪い妹と話すように、可能な限り優しい声色になるよう気をつけながら尋ねる。
現状、紗綾音の事情には興味が湧かないが、「ランパクなんちゃら」とか言うのは気になる。クイズは嫌いではないのだ。
「えっと……お姉ちゃんが色々作ったりとか修理とかしてたとき、ランパクなんちゃらがあったら楽なのに、って何回か言ってたのがずっと頭にあって、それでプレゼントにしたら喜ぶかなって」
「そうなのですね。渡巻さんは優しいのですね」
「え? ええ!? そ、そうかな……へへへ」
雑な褒め方をしつつ、秋水は若干だが嫌な予感を感じていた。
たぶんだが、この誕生日プレゼントの計画は、どう転んでも失敗する可能性が高い。
確かに秋水はクラスメイトの家庭の事情には興味がないし、その事情を聞かされたとて別段興味が新たに湧くこともない程度に対人関係で薄情者だと自覚はしているが、それでも目の前で盛大にコケようとしている他者を見たら普通に心配くらいはする。
美少女なんだから褒められ慣れているであろうに、何故か照れている紗綾音を見下ろしながら暫し考えてから。
「もう一つ質問なのですが、お姉さんが工作作業を好んで行うようになったのは最近ですか? それとも、前々からですか?」
あまり関係のなさそうな質問を重ねた。
いや、工具の名前を推測するのに関係なくはないのだが、どちらかと言えば誕生日プレゼントが爆死するかどうかの質問だ。爆死しようとそれはそれで思い出だろうが、秋水としてはどうも小骨が喉に引っかかるような感じがしてしまう。
「んーっと、小学生の真ん中くらいで自転車の整備とかしてたよ? 趣味だったかは分かんないけど」
「それでは重ねてもう一つ、お姉さん以外のご家族で同じ趣味の方はいらっしゃいますか?」
「いないんだよねぇ。お父さんもお母さんもその辺りはさっぱりぱりんこで、道具の名前なんて揃って訳わかだよ」
「なるほど、そうなのですね」
なら駄目だろう。
顔に出すことなく、秋水は心の中だけで小さく溜息を一つ。
まあ、「ランパクなんちゃら」の正解に関しては、その工具に思い当たる節がない訳ではない。
ないが、それを伝えてもな、というのが正直な所。
たぶんそれ、電動工具だ。
「あったら楽なのに」と言うことは、逆に言えば「なくても出来る」ということだ。
それはつまり、ランパクなんちゃらには下位互換の道具があり、紗綾音の姉はその下位互換の道具を持っていて、ランパクなんちゃらは下位互換の道具よりも快適性では上、ということだ。
そして、何度も言っていた、ということは、紗綾音の姉にとってはそれなりに使用頻度がある道具のことなのだろう。
なら、さっさと上位互換であるランパクなんちゃらを買えば良いのに買ってない。
だとしたら、だいたいは電動工具だろう。
DIYなどの家庭で使う電動工具というのは、基本的に手動であれこれする工具の動きを、電動で行って人間が楽をするために出来ている。
つまり、「あったら楽」だが「なくても出来る」工具だ。
そして、買うのを躊躇い易い道具でもある。
ノコギリを持っている人が、楽だと分かっていながらも電ノコを買わないのは、だってノコギリがあるしなぁ、である。
それに電動工具は同じ目的の手動の工具に比べて大きいので、単純に場所を取ってしまうと言う欠点がある。
さらに言えば値段的にも。
そうやって考えれば、紗綾音の姉がほしがっているランパクなんちゃらは電動工具の可能性が高い。
それでもって、ランパクなんちゃらという意味不明な名前。
「なんちゃらランパク」ではなく「ランパクなんちゃら」だ。
それっぽい名前で思い当たる節は、秋水には2つしかない。
「確認ですが、お姉さんはネジ締めはどんな工具を使っているか分かりますか?」
少しだけ悩んでから、最終確認としてそれを尋ねる。
「んえ? ネジ締め?」
「はい、プラスドライバーとか、くるくると手で回してネジを締めてますか?」
「え、ええっと……そういう時もあるけど、なんか作ってる時は、なんか、あの、ウィーンって回るピストルみたいな機械でぐるぐるしてる、かな?」
「そうなのですね。では、インパクトレンチでしょう」
とりあえず端的に、答えだけ伝えることにした。
いや、正確には答えだと思う予想だ。
「え?」
「お姉さんが欲しいと言っていたのは、たぶんですが、インパクトレンチという工具です」
「い、いんぱくとれんち」
「はい」
「インパクトレンチ……」
いつまで経ってもバールを離さない紗綾音は首をこてんと倒すが、何ともあざとさがある。意識しているかどうかは分からないが、彼女の可愛さには合った行動だ。
それに対してドキリともせず、秋水は一度頷いて返す。
「電動工具の一種で、ボルトやナットを付け外しする機械です。電動ドライバーの仲間みたいな物ですね」
「ほぇー」
ほえー、ではないのだ。
今までの会話からでも十分に分かっていたことだが、この少女、工具に対しての知識が殆どない。
他者の趣味に関する領域の物を、素人が大した下調べなしで買ってくる。普通に考えてもダダ滑り案件なのに、それを誕生日プレゼントにするのは度胸があると言うべきか、可愛い顔をして自己中心的な気質があると言うべきか。
んー、と秋水は小さく唸る。
別に紗綾音が誕生日プレゼントでダダ滑りをかまして恥をかこうと、はたまた紗綾音の姉が一つ堪えて微妙なプレゼントを微妙な顔で受け取り微妙な雰囲気になろうと、本音で言わせて貰えば秋水にとってはどうでもいい。
ただ、気持ち的には紗綾音の姉に同情しないでもない。
かつて妹から腹筋等を鍛えるアブローラーというトレーニンググッズをプレゼントされたことがあり、それに対して微妙な顔をしてしまったせいで妹がヘソを曲げたことがある。だってドラゴンフラッグした方が効率良いし、という言い訳をしようにも、そもそも筋トレの種目や違いが分かっていない妹の理解を得られるはずもない。
妹からしたらトレーニンググッズは一律で同じ物に見えるだろうが、秋水からすれば自身のレベルに合う合わない、使い易い使いにくいとあって同じではないのだ。
他者の趣味の領域に、素人が素人判断で実用品をプレゼントするとは、そういうことだ。
ちなみに、プレゼントされたこと自体は嬉しかったので、アブローラーは大切に死蔵している。
気持ちは嬉しいのだ。
使えるかどうかは別問題なのだ。
そして、使われないのを見て、紗綾音が何と思うかだが。
「……それなりのお値段がしますが、予算は大丈夫ですか?」
「うえっ!? 高いの!?」
「はい。まともなインパクトレンチでしたら、普通に数万はします」
インパクトレンチはその特性上、インパクトドライバーよりも回転のトルクが強く、頑丈に出来ている。
それに、簡単に行える一般的なDIYではほぼ使用される機会はない代物だ。秋水とて、インパクトレンチなんて車のタイヤ交換くらいしか使用用途が思いつかない。それをわざわざ欲しいと口にする紗綾音の姉は、恐らくDIY工作のレベルは秋水よりもずっと上であろうことは想像に難くない。
勿論ながら安物のインパクトレンチがない訳ではないのだが、上級者が使って満足出来るかどうかと言われたら、微妙だと言わざるを得ないだろう。
と言うか、恐らく満足出来る品ではない。
では、そんな紗綾音の姉が満足出来るインパクトレンチとなると、それは最早ガチ勢向けの品物となろう。数万、とは言ったが、実際の所はもう一桁上に足が出る可能性もある。
ただの中学生でしかない紗綾音にとって、その値段はあまりにも高過ぎるのだろう、今度は紗綾音が小さく唸る。
「…………ギリ1万円で買えませんか?」
「なくはないですが、ネット通販でヤバ気な製品を探すか、中古品を求めた方が賢明でしょうね」
「えぅ……」
涙目である。
いや泣かれても困る。強面の男が少女を泣かせている図になってしまう。なお少女はバールを握りしめている模様。どんな絵面か。
再び溜息を一つ。
今度は心の中だけではなく、実際に小さな溜息を深呼吸のようにゆっくりと。
「買う前に、お姉さんにそれとなくでも確認をした方が良いですよ」
本当ならば、ここまで世話をする必要はない。誕生日プレゼントの爆死案件など知ったことではない。
「ランパクなんちゃら」はおそらくインパクトレンチであろう。最初に聞かれたクイズのようなそれにはもう答えたのだ。
だから、正直な所、早く買い物に戻りたい。
「え、聞いちゃうの?」
「それとなくですよ。お姉さんもお年玉貰ってるなら、もしかしたら買ってしまうかもしれないですからね」
「あー……お姉ちゃん、アルバイト始めちゃったんだよねぇ……」
「それに、インパクトレンチではない可能性も十分にありますから」
「あ、そっか。そうだよね」
買い物に戻りたいが、それでも必要ない話に踏み込んでしまったのは、昔の妹とダブったせいかもしれない。
死蔵してしまったアブローラーを買ってきた妹は、こんな感じだったのかもしれない、とか思ったせいかもしれない。
とりあえず、今はインパクトレンチを買うのは止めとけ、と遠回しに忠告をすると、納得したように紗綾音は手を鳴らしてくれた。
表情の豊かな子である。これは確かにモテるだろうなぁ、と少年らしさが枯れている秋水が思っていると、再び紗綾音が困ったように小さく唸った。
「うー、でも、お姉ちゃんの誕生日もう近くて……」
「ならいっそ、お姉さん自身とプレゼントを選ぶというのも、それはそれで手かも知れませんよ」
「ぅえ? ええ!? それは……ありなのかなぁ?」
「プレゼントで大事なのは気持ちですよ。祝おうとする心です」
実体験である。
目の前で会計して流されるようにプレゼントされた物だとしても、妹からのプレゼントされるのは普通に嬉しかった。そこに気持ちがあるのなら、それは普通に嬉しかった。微妙な顔こそしてしまったが、アブローラーだって、嬉しかったのだ。
気持ちがこもっていれば、何でも嬉しい。
陳腐な言葉だが、それはある意味で真理でもある。
それを踏まえて、それ以上に喜ばれるならば、別にプレゼントはサプライズである必要はないと秋水は思っている。実用品を贈るなら尚更だ。
そんなことを思いながら力説すると、急に紗綾音がぽかんとした表情になった。
はて。
「どうされましたか?」
「あ、いや、棟区くん、そういうこと言うんだなって……んぁっ!? ごめん! これ言い方悪いね、ごめんなさいっ!」
悪いのは言い方ではない気がする。
内容そのもののような気がする。
さてはキミ、単純に考えなしの短慮な子だな。
咄嗟にツッコミそうになるのを堪えて、安心させるように秋水は笑顔を浮かべた。
なお完成度。
「いえ、似合わないのは理解していますよ」
「ご、ごめんなさい……」
なぜ怯えるのか。
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(バールを離さない……警戒されてるなぁ)
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