03『こんにちはファンタジー』

 泥仕合、は正確には意味が違うのだが、そう表現するのが最も的確なのかも知れない。

 スマートさなどありはしない。

 技術も何もあったものではない。

 もはやそれは蛮族の狩りのようでもあった。


 思いっきり角ウサギを壁やら床に叩き付けること合計して12回、角が秋水の手からすっぽ抜けた。


 血で滑った。

 かつ、握力に限界が来ていた。

 30㎏ぐらいはあっただろうか、そんな化け物をぶん回していたのだ。しかも秋水は野球などはやったこともなく、振り回し方が素人のそれだったせいなのか、肩もすでに限界だ。

 角ウサギを手放してしまった反動で、尻餅をつくようにして倒れ込む。この一撃で尻も限界である。


「ん、にゃろうがっ!」


 それでも秋水は即座に上体を起こし、追撃を仕掛けようと構えた。

 泥臭かろうが野蛮であろうが、とにかく畳み掛ける。

 『』 されるより前に 『』 す。

 『』 れる前に 『』 る。


「……あ?」


 だが、角ウサギへ再び襲いかかろうとしていた秋水は、その動きをぴたりと止めた。


 ここでようやく、角ウサギの様子に気がついたからである。


 とにかく必死で壁に叩き付けていたので、正直な所、手から離れてしまうまで角ウサギの状態を気にしていなかった。

 いや、肉を叩き付ける手応えは感じてはいた。だが、それが実際に有効打になっているかどうかを確認していなかったのだ。

 今更ながらではあるが、その分厚そうな脂肪とかで衝撃が吸収されて、ダメージがなかったら自分はどうするつもりだったのか。考えるなと自分に言い聞かせていたが、ここまで考えなしは問題である。反省だ。

 荒い息をつきながら、秋水は角ウサギから目線を外すことなくゆっくりと立ち上がる。


 角ウサギは、すでにズタズタになっていた。


 それはそうだろう。

 あれだけ叩き付けたのだ。

 動物虐待どころの騒ぎではない。明確なる 『』 意を込めて、遠慮することなく全力でフルスイングしまくった。

 その結果として、白くて綺麗だった毛並みはボロボロに汚れ、そこから覗く皮膚もズタズタに裂けている。

 息も絶え絶えとはこのことか、角ウサギは床に投げ出された格好のまま起き上がることもなく、びくっ、びくっ、と痙攣するように震えていた。どう考えても瀕死の状態だ。

 普通に見たら、スプラッターなグロ映像だろう。

 だが、まあ、石に雑草、光る天井、やはりこの空間は普通じゃない様子。


 角ウサギの傷口から、光の粒が噴出している。


 赤黒い血液などではない。

 青や緑の、きらきらとした光の粒子。

 そして、本来ならばその傷口から覗くであろう、肉が、見えない。

 いや、噴き出す光が邪魔で見えないだけなのかも知れないが、どう見たって光の粒子の向こう側は、光そのものであった。

 意味が分からない。

 そんな意味不明な光をまき散らして痙攣していた角ウサギだが、体力が尽きたのだろか、しばらくすると痙攣する間隔が次第に広くなり


 ゆっくりと、その身体が透明になっていった。


「は……えぇー?」


 血液の代わりに光が出ている時点ですでに意味不明だったのに、今度は幽霊かのように体が透け始める。

 SFか。

 いやファンタジーか。

 その光景に不吉なものを感じつつ、また何かあるかも知れないと秋水は再び身構える。

 しかし、何事もなく。 

 ゆっくり透明なっていく角ウサギは、そのまま静かに消えてしまった。


「……消えちゃったよ、おい」


 またどこからか出てくるかもしれないと、周囲をきょろきょろ見渡すものの、角ウサギの姿は既にない。

 いなくなってしまった。

 これは、倒せた、と、いうことか?

 『』 せたと、判断して良いのか?

 息を整えながら、秋水は再び角ウサギが消えてしまった場所へと視線を戻す。


「ん?」


 何か、落ちていた。


 腕輪、のような物である。

 装飾の施されていない、光沢が控えめな、白銀の、シンプルな腕輪、らしき物だ。

 いや、腕輪というよりも、アンクレットだろうか。腕輪の足に付けるヴァージョンと言うか、そんな感じの。装飾品には詳しくないので秋水も何が違うのかはっきりと説明できるわけではないが。

 何だろうかと思い、何となしに秋水はそれをひょいと拾い上げて


「いぎっ!!」


 熱い。


 いや痛い。


 激痛という表現以外に思い当たらない、とんでもない痛みが襲いかかってきた。

 あまりに唐突。

 その痛みに思わず秋水はアンクレットを取り零し、その場に蹲ってしまう。

 落ち着いてきた呼吸が止まる。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 左腕からはまるで肉を裂かれたかのような。両手からはまるで皮膚が剥かれたような。体のあちらこちらからはまるで石にでもぶつかったような。

 そんな痛みが。


「いや怪我しまくってたな俺っ!」


 窮地に陥って必死になってたからか、それとも興奮状態のアドレナリンで麻痺していただけなのか、自分もボロボロになっていたことを忘れていた。考える必要もなく、この痛みはある意味正当な理由での痛みであった。

 一難去ってまた一難と言うべきか。

 落ち着いたら一気に痛みがぶり返してきたのだ。

 いや、落ち着く場合じゃないと、体が危険信号を改めて大音量で伝えてきただけか。


 出血がヤバい。


 特に角で裂かれた左腕と、その角突きタックルを受け止めた両手の怪我が酷い。


「やべぇ、やべぇ……」


 あまりの痛みに語彙力が臨終した。

 顔中に脂汗を浮かべつつ、秋水はひたすらに 「やべぇ」 と呟きながら立ち上がり、来た道を引き返す、前にズタズタになっている右手で白いアンクレットを拾い上げる。もったいない根性が出た。

 それから改めて振り返り、「やべぇ」 と連呼しながら、足を引きずるようにして来た道を戻った。










 戻っても、絶望はそびえ立っている。


 地下2階から地下1階までは、階段だった。

 整えた息はすでに絶え絶えながら、どうにかこうにかそこまで戻り、本当の地獄が待っていることを改めて目の当たりにする。


「梯子じゃーん……」


 そう、梯子である。

 垂直の、梯子だ。

 地下1階から庭に戻るには、この梯子を昇らなくてはいけない。

 脂汗を流しつつ、秋水の口からは乾いた笑いが漏れていく。

 頑張れば足だけで昇れなくも、いや無理だ。手を使わないと確実に落ちる。

 とは言えど、ここでモタモタしている暇はない。血は少しずつ止まってきてはいるが、だから大丈夫という訳ではない。このままで状態が改善することなどあり得ない、むしろ血を流した分だけ貧血で悪くなる一方だ。感染症という言葉も秋水の頭でちらついている。

 ズタズタになっているこの両手で、この梯子を昇らないといけない。

 地獄か。


「あー……どちくしょー……」


 かすれ声で呟きながら、秋水は梯子の前まで足を、すすめない。

 梯子は昇らないといけない。

 だがその前に、と、秋水が向かったのは岩肌の隙間から水が噴き出している、その近く。

 大量なる脂汗もそう、角ウサギをぶん回したときの汗もそう、出血もそう。


 喉が、乾いた。


 干涸らびそうとまでは言わないが、それでも喉がカラカラである。

 さぁぁ、と流れるその水が、随分と美味しそうに見えるのはそのためだろう。水が豊富な国で育った秋水にとって、水が美味しそうだと感じたのは初めてだ。

 だが、流石に躊躇いも感じている。


「……飲める、よな?」


 これである。

 綺麗に見えるが、飲み水に適するレベルで本当に綺麗かどうかは別問題だ。

 生水を飲んで腹を下すのはよく聞く話。良しんばこれが上水管が破裂していて浸水していた水だとしても、岩場を通って出てきている時点で衛生的にはどうなのか。いや、どうなのかも何もない。

 良く言えばミネラルたっぷり。

 悪く言えば雑菌たっぷり。

 果たして現代っ子である秋水の胃腸が、それに耐えられるか。

 そして最悪のケースと言えば、毒物とか。


「とは言ってもな」


 悪いことを一通り考えた一方、じゃあ、この脱水状態、さらに両腕負傷している状態で、梯子を登れるだろうか、とも考える。

 現段階でもすでに頭も体もフラフラしている。出血のせいなのか、痛みのせいなのか、脱水のせいなのか、どれかは分からない。全部であろうが。

 これで水を飲まず、いけるか。

 正直、駄目だと思う。

 この状態で梯子から滑り落ちたら、受け身など取れずに石の床に体を叩き付けられて、角ウサギの同じ末路を辿る気がする。

 水を飲んで腹を下すにしても、そんな一瞬で下ることはそうないはずだ。たぶん。水は体への吸収が早いので、モタモタしている暇もないだろうが、それでも多少の猶予はある、はずだ。毒でなければ。

 そう考えると、秋水の取るべき行動の選択肢は一つしかなく。


「……飲むかぁ」


 これしかない。

 秋水は即座に覚悟を決める。

 どのみち、時間はかけられない。体力のある間に助けを求めねば。

 溜息を一つ、秋水はゆっくりと噴き出している水に向かって左手を伸ばす。

 湯気が出ていないので熱湯ではないだろうけれど、と思いつつ


 しゃ、と左手に湧き水が掛かる。


 同時に、ぐらりと秋水の頭が揺れた。


「うっ」


 貧血のような、変な感じ。

 反射的に秋水は手を引っ込める。

 血を流し過ぎたせいだろうか、頭が揺れる変な感じが梯子を昇っているときに起きなくて良かった。

 思わず揺れる頭を押さえようと、引っ込めた左手を顔面に持って来て。




 綺麗になってた。




「……は?」


 今日一日で驚いたのはこれで何回目だろうか。

 頭を押さえようとしたポーズのまま、秋水はぴたりと固まってしまう。

 脱水症状になると幻覚が見える場合があると聞く。

 なるほど、これは幻覚かも知れない。

 現実逃避と言うべきか、それとも目の前のこの左手が異常なのか。


 ズタズタに皮膚が裂けて破れていたはずの左手が、元に戻っていた。


 いや、厳密には元通りという訳ではない。

 見覚えのない肉刺があると言うか、全体的に手の平の皮が分厚くなっているというか。

 何と言えば良いのだろう。


 怪我が治ったばかりの皮膚のようであった。


「……いやいやいやいや」


 数秒掛けて再起動した秋水は、まじまじと左手を見た後、壁から噴き出る水へと視線をやった。

 いやいや。

 そんな馬鹿な。

 まさかまさか。

 人間の体が、そんな一瞬で治癒する訳がない。

 訳がない、のだが。

 正直あまり直視したくなかったが、秋水は右の手の平を見た。

 なるほどグロ画像。

 改めて確認した右手の傷は、かなり酷い。

 酷いというか、なんか、指の骨が見えてる。

 皮膚がどうのこうのとか、裂けているとか破れているとか、そういう次元ではなく、普通に重傷である。

 自分の怪我だというのに、どこか他人事のように感じてしまったのは、骨がこんにちはと顔を出しているレベルで怪我が酷かったせいか、それとも左手の超常現象に感覚がバグってしまったのか。

 再び秋水は噴き出る水へと目を向ける。


「まさか、こいつ」


 呟くのが早かったか。

 それとも、行動の方が早かったか。


 今度は、右手を湧き水へと突っ込んだ。


 再びぐらりと頭が揺れる。

 2回目だから心構えが出来ていた。

 貧血、じゃない。

 これは貧血じゃない。

 血は確かに足りないが、これは、もっと、違う。

 まるで体の栄養が足りなくなったような。

 まるで残っていた体力が吸い取られたような。 


 まるで、HPが、なくなるような。




 いやゲームかよ。

 そのツッコミが、正解なのかも知れない。


 地下に続く入り口。


 何故か明るい地下空間。


 気がつけば出てきた不思議な扉。


 さらに地下へ続く道。


 地下2階の通路。


 人間に襲いかかる角の生えたウサギ。


 『』 したら光と共に消える。


 角ウサギの消えた所に白いアンクレット。


 そして、傷を癒やす液体。




 右手の怪我が、治った。




「ああ、えっと、なんだっけ」


 傷を癒やすのは、そう、あれだ、ポーションだ。

 固有名詞はゲームでそれぞれ違いがあるが、キャラクターのHPを回復するポピュラーなアイテム。


 白いアンクレットは、ドロップアイテムか。

 角ウサギの代わりに出てきたそれは、戦闘終了後のご褒美。


 角ウサギは、エネミーモンスター。

 人間に襲いかかる理不尽なシステムの体現。


 そしてこの地下空間。

 ああ、なるほど、そういうことか。


 嘘だろうと思いつつ、それでも納得も出来てしまう。

 秋水はぺたりと床に座り込み、無意識ながらにポーションを右手ですくい、左腕の傷口に振りかけた。

 体の力が抜けるのは、単純に栄養が消耗しているからだろう。

 タンパク質やらミネラルやらビタミンやら、体の修復にはとにかく栄養素を多く使う。

 不思議パワーで怪我が治っているのではなく、体の再生能力をフル活用しているだけなのかよとツッコミを入れ、それでも十分に不思議パワーじゃないか実感する。

 なにせ、切り裂かれていた左腕の傷だってこの通り、あっという間に治ってしまったのだ。

 これを不思議パワーと言わずに何と言う。

 まさにファンタジー。

 まさにゲームのような。

 ああ、なるほど、そういうことである。




「ウチの庭に、ダンジョンがあるよ……」



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 身体の再生能力だけで骨が見えて居るレベルの傷を一瞬で治せたとしたら、それだけで栄養は枯渇するけど。

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