02『角の生えた可愛いウサギ(殺意付き)』

 扉を開けたら階段だった。下り階段だ。


「奈落へようこそ、ってか」


 小さく呟きながら、特に迷うことなく秋水は階段を下り始める。

 意外と言うか、もはや当然というか、階段自体の作りはしっかりしていた。

 幅は秋水が両手を広げた倍くらいはある。少なくとも、登る人と降る人がすれ違うとしても、十分に余裕がある。

 それに、段差は15㎝程で統一されていた。

 中学3年生ではあるが、すでに身長が180㎝を越した秋水からすると低く感じる段差ではあるが、あまりに低すぎるという高さではない。緩やかな傾斜の階段、といった所か。

 庭から降りるときに使った梯子もそうだし、扉もそうだが、ちゃんと人間が使うサイズである。

 いや、人外が跋扈されても困るのだが。

 その階段を、こつりこつりと秋水は降りる。

 段差は30段程か。踊り場もなく直線で、すでに階段を降りた先が見えている。


 階段の先には、また扉。


 石製の扉だ。

 庭の扉と同じく。先の扉と同じく。

 ぱっと見はシンプルな作りに見える。絵や言葉が彫り込まれていた先の扉と比べると、随分と質素な代物に思えた。ただ、繋ぎ目のないように見えるということは、扉よりも大きな岩から切り出したという訳なので、調達そのものには随分と手間が掛かっただろう。どこから調達したかは知らないが。

 扉の前まで辿り着くと、一度降った階段を振り返る。

 サスペンスなら来たときに使った扉が開かなくなるのが定番だろう。スマホも持って来ておらず、閉じ込められたら助けも呼べず一巻の終わりである。

 扉が閉まらないように何か挟んでおくべきだったかなと今更ながらな思いつつ、秋水は次の扉に触れる。

 後悔らしきことを考えても、戻って安全確保をしようという気は特になかった。

 何故だろう。

 よくは分からないが、それは大丈夫だろう、という謎の確信があった。


 ひんやりとした扉を押して、開ける。


 手応えは軽いものだ。片手で開く。

 扉がそもそも軽いのか。見た目と感触から石製だと思っているが、もしかしたらもっと別の何かなのかも知れない。


 扉の先は、また洞窟が続いているた。


 変わらずに天井は光っており、その天井までの高さは3m程、傾斜はないように見える。

 正に洞窟の地下2階、という空間だ。ゲームじゃあるまいが。

 地下1階に当たる先の階層と違いがあるとすれば、広さだろう。

 階段と同じ程度の幅の道が続いているが、先は見えない。消失点が見える程に長いのではなく、単純に向こう側が曲がり角となっている様子である。

 曲がった先にすぐ階段があるのであれば良いが、そうでないならばそれなりの広さがあると思った方が良いだろう。


「防空壕って言うか、炭鉱とか金鉱みたいだなこれ……」


 だとすれば迷路のように道が張り巡らされている可能性があるなと、秋水は少し考え込む。

 閉じ込められたら一巻の終わりと思ってたが、どうやら道に迷っても一巻の終わりとなる可能性がある。マッピング用のノートと筆記用具も持って来た方が良さそうだ。

 仮に鉱山であるならば、何処かに地図があれば一番助かるのだが、それは正直期待出来そうにはない。あくまでも鉱山 『みたい』 であって、本当の鉱山ではないだろう。光る天井が全てを物語っている。


「とりあえず、戻れる程度に進んでみるか」


 ここは流石に引き返した方が良いだろうか、という考えがちらりと頭に浮かぶのだが、どうにも好奇心が先に来てしまう。

 実際に迷路のようであれば流石に引き返すか、と秋水は判断し、右手を壁に付けてゆっくりと歩き始める。

 迷路における右手の法則だったか何だったか。もしも分かれ道があったら右の壁沿いに進めば良い。何処かで引き返さないといけなくなるだろうが、この方法ならば逆の道を辿るのが簡単で、迷子にはならないはずだ。

 あと少しだけ、もう少しだけ先が見たい。

 こういう好奇心が猫を殺すのだろうか。

 曲がり角まで辿り着き、秋水は覗き込むように用心してそろりとその角から顔を出す。扉を開けるときにはなかった心得だった。

 覗いた先には、道がまた少し続いている。

 そして、その先に通路よりは広めの空間。


「んー……?」


 何か、ある。


 姿は隠れて見えないが、向こうに影が見える。

 何の影かは秋水の位置からでは分からない。ただ岩が転がっているだけかも知れないし、未知のオブジェクトなのかも知れないし、生き物かも知れない。

 人影の可能性もある。

 誰かがいるならば安心のような気もするし、自分のウチの地下に他人がいるなら不気味な気もする。

 どちらにせよ、今の秋水の位置からでは、その影が何なのかが分からない。

 確かめるか。

 人間ではありませんように、と心の中で祈りながら、ゆっくりと秋水は足を進める。










 ウサギであった。


 白ウサギだ。

 通路を抜けて少し広がった場所に出ると、一匹のウサギが居座っていた。

 綺麗な白い毛並みのウサギであった。

 体長はだいたい秋水の半分程だろうか。ウサギにしては随分と巨体である。

 侵入してきた秋水を警戒するように、立ち上がって秋水の方をじっと見つめている。

 影はこいつのだったのか、と秋水はほっとすると共に、草食動物が居るということは何処かに植物があるのかと首を捻る。光合成はともかくとして、洞窟内に自生する謎の植物があるのだろうかとも思うが、庭で石の扉の上に直接生えていた雑草のことを考えると、あっても不思議じゃなさそうである。

 まあ、肉食動物じゃないだけ良かった。

 ウサギは草食動物だ。間違っても人間に襲いかかるような生き物ではない。

 こちらに害はなさそうだな、と思い、ふと気がついた。


 はて、ウサギって、角、生えてたっけ?


 白いウサギによく似合う、むしろ似合い過ぎていて気がつくのに遅れてしまった、そんな真っ白な角が、長い両耳の中央から1本、槍のように前方へと突き出ていた。

 ウサギに角。

 これが本当の 『兎に角』 ということか。

 もしくはジャッカロープでも見つけてしまったのだろうか。まさか未確認生物を確認する羽目になるとは。カウボーイじゃないんだぞ。


「……こいつ、捕まえたら売れるんじゃないか?」


 新種の動物との遭遇に、心の声がぼそりと漏れた。

 たぶん、それが悪かったのかもしれない。


 ウサギが、跳んだ。


 唐突なのか、それとも秋水の言葉に反応したのか、そのウサギが地面を蹴り、跳んだのだ。


 その巨体が。


 一足で。


 秋水に向かって。


「いっ!?」


 咄嗟に秋水は体を捩じり、迫り来るウサギを、と言うよりもその槍みたいに尖った角という凶器をすんでの所で回避する。

 秋水を観察するように見ていたウサギと同じく、そのウサギのことをまじまじと観察していたからこそ反応できた。

 流石に華麗なる回避、とはいかず、格好悪く転がるようにしてその場に倒れ込んでしまうが、串刺しとどちらが良いかだなんて聞くまでもない。石の上に転がるのは普通に痛いが。あと、ジャージの肘の所が破けたっぽいが。

 いや、狂暴じゃないかあいつ。草食動物がなんで積極的に狩りに来ているのか。

 倒れ込んだその姿勢のまま秋水は振り返り、ウサギを確認する。


 こっち向いてた。


 いや最悪。

 思わず秋水の顔が引き攣った。

 広場の入り口からウサギまで、おおよそ3mくらいの距離があった。

 それをたったの一足で突っ込んで来たのだ。

 あの巨体で、どういう脚力だ。

 そして、その角突きタックルを避けられたのは、どうとでも動き易い立ち姿勢だったからというのが大きい。

 それが今はどうだ。

 距離は最初の半分くらい、1mと半分あるかどうか。

 秋水は倒れ込んだ姿勢のまま。

 ついでに言えば、背後に回り込まれた形になるので、逃げ道が潰された。


 や・べ・え。


 もはや直感。

 ごちゃごちゃ考える前に、身体が勝手に反応した。

 秋水が咄嗟に体を跳ねさせたのと、ウサギの2撃目は、ほとんど同時、いや、わずかに秋水の方が早かった。

 反応ではないか。とにかく、正に兎にも角にも、体をどうにかして動かさないとマズいという直感の方が、本当に僅かながら早かった。

 だが、それでも距離と姿勢の不利は逆転しきれない。


「痛づっ!」


 左腕に角が掠めた。

 ジャージを切り裂き、鮮血が舞う。

 痛い。

 痛い、痛い。

 遅れて焼けるかのような痛みが襲いかかる。

 が。

 顔面じゃないだけマシだ。串刺しジャないだけマシだ。

 痛みに声こそ上げたものの、即座に自分に誤魔化しの活を入れる。

 多少の肉はえぐられたが、丸ごと腕を持って行かれた訳ではない、骨が見えるほどでもない。

 それに今度の距離はおおよそ2m。さっきよりは離れた。

 なんなら、自分の背後は来た道、つまりは逃げ道だ。

 ウルトラスーパーやべぇ状態から、ウルトラやべぇ状態くらいまで状況は改善している。

 そう考えればマシのマシ。まだ大丈夫だ。

 痛いのは生きている証拠。死ねば痛いもクソもない。

 石の上を転がり、3度目のタックルに備えてすぐに体勢を立て直す。


 怪我した腕が痛い。

 次に来るであろう3発目の突撃を避け損なったら、あの鋭利なツノがぶっ刺さって死ぬかもしれない。

 本当に訳の分からないウサギだ。いや、そもそもあれをウサギと呼称して良いものなのか。見た目はウサギで間違いないが。角ウサギでいいか。

 ともかく、兎も角、ふざけた角ウサギである。

 庭の草むしりをしようと思ったら、巡り巡って死にそうになるとは。いや殺されそうになるとは。

 可愛いなりして、あの角は殺意が高い。

 刺されたら死ぬ。

 そして角ウサギは人一人を刺し殺して余りあるだけの脚力がある。

 心臓がバクバクとうるさい。

 口が乾き、呼吸が浅くなる。

 怖い。

 恐怖である。

 自分を殺すかもしれない殺意の塊と対面して、15歳の少年が恐怖を抱かない訳がない。

 訳がない、はずだ。

 はずだが。


 秋水の顔に、獰猛な笑みが浮かんでいた。


 怖い、のか?


 これが、恐怖、か?


 秋水の胸には何とも言い難い、妙な感情が沸き上がってきていた。

 恐怖とは、こんな感じだったか?

 それが何か、そんなことを考察している暇はない。

 角ウサギが地面を蹴り、弾丸の如き3撃目。

 回避。

 しない。


「目が慣れらぁぁぁっ!」


 自身に発破を掛けるような叫びが先だっただろうか。

 それとも、襲いかかる角ウサギの凶器が、秋水に届いた方が先だっただろうか。


 胸を貫かんとしていた角を、両手で掴まえた。


 突進して来る角ウサギのそれを、真っ正面から構え、両側から握り込むようにして受け止める。

 避け続けてもどうせジリ貧だ。

 体力がある内に 『どうにか』 する算段をつけなくては。

 そんなことを考えた訳ではない。計算した訳ではない。避けるか受け止めるかの判断など一瞬の猶予しかなかった。

 2撃目を避けたときと同じだ。

 直感である。

 タイミングがずれても終わり、狙われる位置の予測を外しても終わり。

 角を掴めたのは、単純に奇跡の偶然でしかない。

 そして秋水は、その奇跡を取り零したら、それも終わりなのだと感覚で理解していた。


「ぁあああいっ!!」


 秋水の身長の半分程度、その質量が弾丸の如く突っ込んできたエネルギーを握力だけで受け止めるのは土台無理な話。

 両手の皮膚が破れる感覚を無視して、秋水は流れに逆らわずに身体を捻る。

 良い脚力だ。

 だったらそいつで自滅しろ。

 角を掴んだまま、突撃の威力を殺すことなく、角ウサギを丸ごとぶん回し。


 壁に勢いよく叩き付ける。


 ごちゅっ! と、生々しい音が響いた。

 遅れて角ウサギを叩き付けた衝撃と、角を掴んで受け止めたときに手の平を剥離した痛みが来訪してきた。


「い……っ!」


 痛い。

 など、叫くのは後だ。

 思わず角から手を離しそうになるのを、根性だけで踏み止まり、ついでにリアルで踏み込んで。


 叩き付けた反動をそのままに、反転してもう一度、角ウサギを壁に叩き付けた。


 角ウサギの口から、きらきらと光る何かが吐き出される。

 血ではない。

 光の、粒。

 明らかに生物としてはあり得ない現象が目の前で起こるが、秋水はそれに気を取られることなく、むしろ恐ろしい程に冷静だった。

 考えるな。

 考えた所で、どうせ分からない。

 今は角ウサギを 『どうにか』


 『どうにか』 してしまわなくては。


 『どうにか』 されるより前に。


 『』 してしまわなくては。


「我慢比べだなぁオイ!!」


 角ウサギを振りかぶり、秋水が叫ぶ。

 単純な話だ。簡単な話だ。

 『』 されるより先に、『』 してしまえば良いだけのこと。

 角を握ったまま、角ウサギを壁に向かってフルスイング。


 痛みを、ぐっと堪え。


 抜けそうになる力を振り絞り。


 満面の笑みのまま。


 三度、角ウサギを叩き付けた。



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 独り言多くないかなこの子・・・・・・

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