第24話

 本当のことを言うと、僕はもっと周囲の状況を把握したかった。なんだったら、岩浅や瑞樹のそばで一緒に戦いたかった。


 しかしながら、僕が暴力を振るう、というのはなんとも想像しづらい話だ。

 それでも、これ以上傍観者でいることには耐えられない。


 もし摩耶が、僕と同じ立場だったらどうするだろう? ああ、適当にバットでぶん殴りに行くんだろうな。

 では美耶だったら? サワ兄だったら? きっと美耶は摩耶を援護すべくクナイを投擲するだろうし、サワ兄はその図体と運動神経を活躍させて、連係プレーを図るかもれない。


 このコンテナの中にいる『本物の』彼らがそうしないのは、僕よりも冷静に事態の推移を見守っているからだ。

 もしかしたら、自分は十分に戦っている、という自負があるのかもしれない。逆に言えば、僕は自己肯定感に飢えているのかもしれない。

 だからこそ、自分も戦いたいなどという無茶なことを考えてしまうのだろう。


「くそっ……」


 僕は小さく毒づいた。皆が何らかの戦闘術を持っているというのに、僕はからっきしだ。

 だが、気持ちだけは、過去の自分と今の自分は違う――はずだ。


 失いたくない人が銃火に晒されている。そのことに対して、怒りを沸き立たせている俺。

 だが結局のところ、仲間に戦ってもらいながらも自分には戦いようがない。

 伏せながら皆の無事を祈るだけという、無様といっていい醜態を晒している。


 これだから僕は……! と胸中で自分を罵り始めた、その時に気がついた。


「あれ……?」


 銃声がしなくなった? 瑞樹が牽制用に使っていた拳銃から、発砲音が消えた。

 拳銃が偽物で、大した脅威ではないということがバレてしまったのだろうか。


 よし。荷台の後方で戦っている瑞樹やサワ兄を援護するなら、まさに今だ。

 僕の勝手な想像は止まらない。

 今、機動隊と瑞樹の間に割って入れば、瑞樹に気にかけてもらえる。そう、僕にだってできることはある。


 まったく、なんて自分勝手というか、幼稚で愚かというか、ただただ呆れるばかりだ。

 だがそれこそ、『恋は盲目』という言葉の指すところなのだろう。

 それは分かっている。分かっているのに、僕は自分自身を止められなかった。


 僕は偶然そばに置かれていた筒状の物体を手に取った。煙幕弾を射出するための、大口径の発射筒だ。

 それを自分に引き寄せた僕は、頭を下げて壁際に移動。煙幕弾を引っ掴んだ。

 数珠のように、円を描くように繋がっている。


 僕は最初の一発を外し、発射筒の把手の上部を展開。がしゃり、と煙幕弾を装填。

 これなら、僕だって戦える。皆と一緒に頑張れる。瑞樹の手助けをすることができる……!


 ダン、と足の裏をコンテナに叩きつけるようにして、僕は立ち上がった。

 恐れは最早感じない。いや、恐れという感情を受信するだけの冷静さを失っている。


 自己分析はここまで。

 僕は防弾ベストの襟元を軽くいじってから、発射筒を構えた。


「ちょっと下がって――って、さっくん!? 仁王立ちしてる場合じゃないよ!」

「僕だって戦える! 喰らえっ!」


 悲鳴の混じった瑞樹の声。それを無視して、僕は敵影に向けて煙幕弾を発射した。

 ぼすん、といって、白い尾を引きながら飛翔する煙幕弾。アスファルトに落下するや否や、白煙があたりを包み込む。……が、しかし。


「え? あっ、ちょっと!」


 僕の蛮勇は、瑞樹の悲鳴によって焦燥感に染め上げられた。

 煙幕弾の飛距離は、僕の予想より遥かに短かったからだ。それも当然、煙幕弾は弾丸より重いから、直線的にではなく曲線的に飛翔する。

 そんな当たり前のことさえ忘れて、僕は敵の真ん前に飛び出してしまった。煙幕弾も、予想よりもずっと手前に落下した。


 しまった! 何をやってるんだ、僕は!? これでは音で自分の位置がバレる。敵に撃ってくれと頼んでいるようなものではないか。


「う、ぁ」


 声も息も詰まってしまい、感じられるのは冷や汗だけ。後退りしようにも、身体が全く動かない。

 そんな僕の視界に、きらり、と光る物体が現れた。敵はその先端を、斜め上方にいる僕に向ける。あれはまさか、本物の拳銃じゃないのか!?


 銃声が聞こえて、僕は後方にばったりと倒れ込んだ。

 ああ、僕は撃たれたのか。血は出ているのか? どこに当たった? いいやそれより、僕はこのまま死ぬのか? 誰一人助けられずに?


 僕は大の字になって、左胸に手を当てた。最早これまで――。

 

「……あれ?」


 ようやく僅かな冷静さを持ち直した僕は、しかし、自分が無傷であることに気づかされた。強いて挙げるなら、倒れ込んだ際に軽く後頭部を打ちつけたのが鈍痛をもたらしていることだけ。


 ゆっくりと上半身を起こすと、何か柔らかいものに顔を突っ込むことになった。

 何だこれ? と疑問を抱くと同時、嗅ぎ慣れた落ち着きのある香りが漂ってきた。


「瑞樹……先輩……?」


 まさか。

 様々な出来事が、一気に一つの、そして最悪の事態へと結われていく。

 ……。

 僕はもう一度、彼女の名前を呼んでみた。しかし、僕を押し倒した彼女はぴくりとも動かない。


「瑞樹先輩? 瑞樹先輩!」


 慌てて両手で瑞樹の肩に手を遣った。さらり、と何かが指の隙間を流れていく。

 瑞樹自身の香りは失われ、猛烈な鉄臭さが僕の鼻腔を満たす。


《皆、怪我はないか?》

「……」

《どうしたんだ? 負傷者が出たのか?》

「……み、瑞樹巡査部長が……!」


 震える声でマイクに向かったのは摩耶だった。


「兄貴、瑞樹の容態は?」

「……」

「瑞樹は大丈夫なのか!?」

「どいてろ、柊也!」


 僕は瑞樹からぐいっと引き剥がされ、コンテナ奥へと投げ飛ばされた。はっとして目で追うと、サワ兄が瑞樹の容態を確かめているところだった。


「くそっ、出血が止まらない! 美耶、そこの医療キットを取ってくれ!」


 サワ兄は壁側のマイクを手に取り、もう片方の手をぐいっと伸ばした。

 美耶は恐る恐るといった様子で医療キットを手に取った。それを分捕るようにしながら、サワ兄は瑞樹の傷をじっと見遣る。


「ここじゃ処置ができない……。柊也、君の邸宅に医務室はあるか?」

「はっ、はいっ」

「了解だ」


 そう告げた直後、身を屈めながら岩浅が駆けてきた。


「すまん、遅くなった!」

「悪い、警部補! 運転頼む!」

「分かった!」


 前もって打ち合わせでもしていたかのように、二人の動きは迅速だった。


「死ぬんじゃないぞ、瑞樹……!」


 この時ばかりは、僕もサワ兄と同じことを願っていた。


         ※


「おい、兄貴! 兄貴ってば!」

「……」


 怒鳴り声を浴びせられたと思ったら、今度は背中を蹴り飛ばされた。


「うっ!」

「う、じゃねえ! とっとと降りろ!」

「ああ、摩耶……。僕は……ここは……?」

「あんたの家だろ! 弦さんよ、あんたも手伝ってくれ! コイツ、寝ぼけてやがる!」

「畏まりました。摩耶様、あなたは美耶様のそばに」

「分かったよ!」


 ぺたん、と尻餅をついている僕の視覚が、ようやくまともに働き始めた。

 前方には、遠ざかっていく摩耶の背中。そっと手を伸ばそうとしたところで、ずいっと誰かの顔が割り込んできた。


「柊也様、ご無事ですか?」

「ん、弦さん……。僕は……」

「ここはあなた様の邸宅でございます。もう心配はございません」


 何がどういうわけで心配ないというのだろう。それが、僕の抱いた疑問だ。

 何か大切なことを忘れている。それも、そう昔の出来事ではない。

 何だ? 何があった?


 ふっと視線を揺らめかせると、また別の人物が目に入った。

 

「そうだ、美耶ちゃん。その調子で、この花壇に沿って埋めていってくれ」

「分かりました、岩浅警部補」


 僕は考えもなしに、今度は美耶の方に腕を伸ばそうとした。が、その腕はやんわりと下ろされる。弦さんが僕の手を、両手で優しく握り込んでいた。


 ああ、そうか。何かの戦いがあった。それで怪我を負った人もいる。かなりの重傷に思えていたけれど、その人は大丈夫なのだろうか?


「……」

「はい? 今なんと仰いましたか?」

「瑞樹巡査部長は……?」


 僕は無意識下で造られた言葉をくっつけて声にした。この言葉、とても大事にしていたはずなんだ。でも誰だろう。忘れているわけはないはずなのだが……。

 僕自身が、その人物のことを思い出さないようにとセキュリティを働かせているようだ。


 しかし、そのセキュリティは軽々と突破された。同時に、芋づる式にいろんなことが思い出される。


「大丈夫ですか、柊也様? 落ち着いて、ゆっくり大きく息をしてください」

「は……」


 息ができない。このままじゃいけない。息とは違う何かが、胃袋の底からのし上がってくる。

 理由も何も分からないうちに、僕は嘔吐していた。弦さんが背中を擦ってくれなければ、身体の中の全ての水分が吐き棄てられていたことだろう。

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いもうと、キミにきめたッ!【企画頓挫】 岩井喬 @i1g37310

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