第23話

 え? えっ、えぇっ?


「瑞樹先輩、えぇえ?」

「心の声が漏れてるよ、さっくん」

「今戦ってたのって、瑞樹先輩……?」

「まあ、見てもらった通りだね。今この牢屋の鍵を外すから」


 僕が呆然としている間に、救世主もとい瑞樹巡査部長は、さっさと牢屋を開錠してしまった。


「やった! 開いたぜ!」

「待って、摩耶ちゃん。澤村さん、監視カメラの配線を切るの、お願いできますか?」


 瑞樹が小さな、しかし切れ味のよさそうなハサミを、隙間からサワ兄に差し出した。


「お、おう、わわ分かった!」


 どもりながらもサワ兄は立ち上がって、牢屋奥の二ヶ所に設置された監視カメラを確認し始めた。

 ピピッ、と短い音がしたのはちょうどその時だ。さっと片耳を押さえる瑞樹。

 よく見ると、彼女の耳にはごく小さなスピーカーが装着されていた。襟元についているのはマイクだろうか。

 あたりが急に静まり返ったので、僕はそのマイクからの音声を聞き取ることができた。


「こちら瑞樹」

《岩浅だ! 煙幕弾を署長室のあるフロアにぶち込んでやった! ひどく混乱してる! 今のうちに皆を署の外へ!》

「了解」


 さあ皆、脱出しますよ。

 再びキレのある声音でそう言った瑞樹は、腰元からカチリ、と小さな球状の物体を取り出した。


「私が皆さんを留置所の外へ誘導します。ついでに閃光手榴弾を使いますので、目が痛くなるかもしれないけど少しだけ我慢してください!」


 皆が了解の意を示したのを確認し、瑞樹はさっと目を上げた。


「監視カメラはどうなってますか、澤村さん?」

「撮影停止を確認。どっちももう死んでる」

「分かりました。では皆さん、牢屋の外へ!」


 ガラガラと派手な音を立てて、金属製の扉は呆気なく開放された。どうやら僕たちはここから脱出できる……らしい。

 きっと、凄まじい勢いで事態が進展していくのを目の当たりにしたからだろう。僕が状況を認識するまで、しばしの時間が必要だった。


「さあ君も来るんだ、さっくん。代わりの警備員はすぐに来るよ。立ち上がって!」

「は、はぃい!」


 この状況で、あんな戦闘力を有する人物に逆らえるはずがない。ましてやそれが、恋焦がれる異性ともなれば、猶更。

 僕は戦々恐々としていたが、そんなこと今はどうでもいい。要するに無事脱出してしまえばいいんだ。

 瑞樹の瞳からは、『朔柊也を絶対に守り抜く』という決意の強さが見て取れた。

 こんなに心強いことがあるとは、今の日本も捨てたものではないようだ。


「瑞樹せんぱ……じゃなくて巡査部長、いったい何が起こってるんです?」

「署内暴動に見せかけた、あなたたちの逃走経路開発、ってところだよ。岩浅さんは署内の命令系統を潰すために、署長室のあるフロアに煙幕弾を撃ち込んでいるはず」

「この騒ぎ、先輩と警部補とたった二人で?」

「まさか! 確かに、作戦の立案は私と岩浅警部補の共同作業だったけどね」


 この街で行われている治安維持活動は過激すぎる。そんな主張は前々から上がっていた。

 結局、市レベルではなく都道府県レベルで協議されるに至り、現状維持となったわけだが。


「この街の警備状況だって、あんまりにもノルマ主義に傾いてるから、何の落ち度もない人を捕まえて牢屋に引っ張り込もうとした、なんてゴシップが流れることだってあるんだよ。酷い話でしょう?」


 ふむ、なるほど。僕はようやく動悸が落ち着いて、皆で留置所を出てからどこへ向かうかを考えた。やはり僕の邸宅だろうか。もう自由に使ってくれ。


         ※


 牢屋から出て、僕たちは向かいの壁に沿ってぞろぞろと歩み出した。次のフロアに通じる扉の前で瑞樹は立ち止まる。さっと掲げられた掌を見て、僕は歩みを止めた。


「この扉を抜けたら、すぐに煙幕弾に巻き込まれます。足元に注意して、顔を守ってください」


 その時、僕は目にしてしまった。瑞樹の腰元に拳銃が提げられているのを。


「先輩、それってまさか実銃――」

「前進!」


 今度は、電子カードをスキャンすることでスライドドアが開錠された。


「ほら、行くぜ柊也! ぼーっとすんな!」


 摩耶に背を蹴とばされるようにして、身を屈めたまま僕は進む。

 瑞樹のすぐ後ろにつけたのは幸いだった。うずくまってしまえばほぼ無敵である。

 前にいる敵は瑞樹が、後ろから来る敵はサワ兄が、あれよあれよと倒していく。

 いや、適度に行動を封じていく、と言った方がいいか。


 しかし、次でエントランスに出る、という段階に至って、瑞樹がさっとしゃがみ込んだ。

 彼女の頭部が寸前まであった空間を、大きな拳が破砕する。


「チッ!」


 舌打ちを一つ。

 先輩は素早く拳銃を抜いた。立ち上がりざまに腕を上げる。すると、ちょうど銃口が相手の額にぴたり、と合わさった。


「ご愁傷様」


 パン、と軽い音がして、相手――やはり警備員だった――はバッタリと倒れ込んだ。


「せ、先輩! 瑞樹先輩!」


 冗談だろ? あの瑞樹先輩が、殺人なんて犯すはずがない。

 振り返った瑞樹は、しかし僕よりずっと落ち着いていた。くるくると拳銃を弄びながら、今のは脅しだよ、と一言。


「お、脅し?」

「誰だって、突然銃口を突きつけられたらビビるでしょう? 怯ませてから足払いをしてやったの。この銃に実弾は入ってないから、安心して」

「実弾じゃなくて――」

「行くよ、皆!」


 再度、瑞樹が声を上げる。


《瑞樹、無事か!》

「こちら瑞樹、死傷者なし、問題ありません。そちらはいかがですか、岩浅警部補?」

《大方の戦力は煙幕弾で脱落させた。現在、残存している敵性勢力を叩いている。特大の煙幕弾が残ってるから、合流する前にぶちかますぞ!》

「了解」


 ピピッ、と電子音がする。瑞樹のイヤホンに連絡が入った。


「こちら瑞樹」

《こちら岩浅! 残弾なし! 撤収する!》

「了解、こちらもB棟裏口へ急行します!」


 会話を聞いていると、岩浅と瑞樹は警察署のB棟という建物の裏口で落ち合ったようだ。目の前には、大型トラックが一つ。いや、これはトラックに偽装された輸送車だ。運転席には瑞樹、助手席にはサワ兄が乗り込む。


「瑞樹先輩、早くB棟の裏口に!」

「分かってるよ、そんなことッ! 皆、姿勢を低く!」


 そう叫ぶや否や、瑞樹は躊躇なく閃光手榴弾を放り投げた。

 あたりは、目を回した警察官や機動隊員らで混沌としている。

 一方、僕たちの視界は、とっくに遮光効果のあるグサランで守られていた。念のためその場にしゃがみ込み、顔を正面から逸らす。

 手榴弾が炸裂してから、十分時間が経ったということか。僕たちは少し目が痒くなったくらいで済んだ。


「皆、私の背後で一列なって! このまま外に出て、最寄りのトラックの荷台に飛び乗ってください! 乗ったらできるだけトラックの前方に詰めて!」


 よくもまあここまで綺麗に脱獄できるとは思わなかった。

 瑞樹はさっとわきに避け、皆を誘導する体勢を確保。腕をぐるぐると振り回し、皆を急かす。


「これは避難訓練じゃありません、本物の脱獄です! とにかく本気で走ってください! コンテナに飛び込んで! 早く!」


 皆、四肢を駆使してコンテナに自分の身体を押し込んだ。


「ふわあっ!」


 自分の尻をずらしながら、僕は大きく息をついた。今更ながら、呼吸が荒くなっていく。

 吐きそうになりつつも、どうにか胃液を喉元から引っ張り下ろす。

 コンテナの扉の方を見ると、順番を堅持しながら皆が乗り込んでくるところだった。僕、美耶、摩耶(美耶を押し上げるのに順番が遅れたらしい)、サワ兄。


「瑞樹巡査部長! あなたも早く!」


 サワ兄が叫ぶ。だが、瑞樹はその場を動かない。


「まだ岩浅警部補が到着していません! 彼がトラックの運転席に到着するまで、私が警部補を援護します!」


 しゃがみ込んで腕を上げる瑞樹。同時に拳銃をホルスターから抜いたようだ。本物でなくとも発砲音は響く。これで岩浅を援護するつもりなのか。

 確かに、実弾が発せられることはないだろうが。いや、発せられないと信じたい。


「皆、コンテナの中でも一応、頭部は守ってくれ!」


 叫んだのはサワ兄だ。彼を見習って、皆が正座の姿勢で両膝の間に頭を抱き込む。

 耳を塞ぐ格好になるが、拳銃の発砲音は続いていた。岩浅も瑞樹も、早くコンテナに乗り込んでくれ。

 僕は後頭部に載せた手の指を組み、ぎゅっとこめかみに力を込めた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る