第19話

 いずれにしても、このまま引き下がるわけにはいかない。僕と摩耶、美耶は、忍び足で警部補と巡査部長の後を追った。


「おい、もっと早く行けよ、柊也!」

「黙ってろ、摩耶! 焦ったら足音が……」

「そうだよ、お姉ちゃん! ただでさえ私たち目立ってるし……」


 そう。僕たちは隠れるでもなく、変装するでもなく、挙句誰からも見咎められるでもなく、署内の廊下をのっそり駆けている。『のっそり駆ける』? 妙な比喩表現だが、とにかくそうなのだ。


 何故注意を受けたり、捕縛されないのかといえば、一重に岩浅警部補の影響が大きいと言える。

 僕が事故で家族を亡くした時、弦さんと共に僕の後ろ盾になってくれたのが警部補だ。警部補からも格闘戦術や精神統一など、多くのことを学んでいる。そして、父さんの後継者が弦さんと警部補だった。その指導にあたっていたのは父さんなのだ。


 その息子である僕を、義理堅い警部補が放っておくはずがない。方法は分からないが、皆に僕たちの侵入を容認するよう、お達ししたのだろう。

 早い話、警察署内で僕は顔パスを使うことができるようなもの。つまり、隠れているつもりになっても意味はないのだ。


 それでも、民間人による署内潜入はマズい……はずなのだが、それを阻むことはなかなかに大変である。僕たちを注意するには、ブチ切れた大熊のような警部補と、視線で人を殺せそうな殺気を纏った巡査部長と言葉を交わす必要がある。

 のみならず、この二人の後を追いかけたいという命知らずがいるはずがない。僕たち以外は、の話だが。


 しかし、いや、当然なのだが、流石に所長室の前では追い返される羽目になった。見つけられたのは猛進する警部補に、ではなく巡査部長に。


「ほら、あんたたちは帰りなさい! ここから先は機密情報のオンパレードなんだから! それにあなた、さっくん……」


 身体の前面を僕に合わせた巡査部長、もとい瑞樹先輩は、ジト目で僕の胸に自分の人差し指を突きつけた。


「ほら、摩耶ちゃんも美耶ちゃんも、さっさと出ていきなさい! 三人一緒に帰れないほど、あなたたちだって子供じゃないでしょう?」

「あーもー! どうしろってんだよ、ったく! なあ柊也!」

「あら? 柊也さん、どうかしたんですか?」

「へっ!?」


 奇妙な空気が気管支を抜けて、僕の喉を通り抜けていく。僕がぼんやりしていた理由はあまりに明確。瑞樹先輩に見惚れていたからだ。


 それをだらしないと非難する向きもあるだろう。節操の欠如を嘆くきらいもあるかもしれない。

 だが、さっきから僕の鼻血は噴出直前なのだ。ちょっと、あー、その……大人っぽい格好の先輩を見たら、心臓の高まりを完全に抑えるのは無謀。勘弁していただきたい。


「ほら、さっくんも早く帰りなさい! 公務執行妨害で逮捕しちゃうよ!」

「あ、す、すみません!」


 僕は慌てて振り返ったが、内心では名残惜しくて仕方がなかった。

 もちろん、警察署のお偉いさんと話ができなかった、ということで。巡査部長は関係ないぞ。


         ※


「あーったく! 話にならねえじゃねえか! どーしろってんだよ!」

「まあまあ落ち着きなよ、お姉ちゃん。何か打つ手はあるんでしょう、柊也さん?」

「……うん……。そう、だな……」


 こうなってしまったら、一刻も早く鬼羅鬼羅通りに向かい、皆に警戒を促すべきだろうか。だが、急がば回れとも言うし。

 それに、これが一番引っ掛かっていたのだが、どうして僕たちは署内の中枢にまで入り込めたのだろうか?

 さっきは岩浅警部補や瑞樹巡査部長の覇気によって皆が近づけなかったのだと思っていた。だが実際、そんなことがあり得るだろうか?


 もし、あの二人が示し合わせて――聞こえは悪いが共謀して、僕たちを署長室前まで誘導したのだとしたら。――待てよ? もしかしたら。


「摩耶、美耶! 僕の背中に何かついてないか?」

「は? 何かって何だよ?」

「ぱっと見は何も……」

「いいから! 僕は身体の前のあたりを確かめる。背中は二人で探してくれ! 小さいかもしれないから、念入りに頼む!」


 僕が一気呵成に喋り終えた直後のこと。

 僕は自分の胸元に、何かが貼りついているのを見つけた。

 摩耶の手中からバッとぶんどり、早速観察する。


「ああ、瑞樹先輩……!」


 今この場に彼女がいたら、膝をついてこうべを垂れるところだ。


「あの、柊也さん、どうかなさったんです……か?」

「ああ!」


 僕は立ち上がり、その小さな機械をじっと眺めた。


「こいつは発信機だ。いや、発信機としても使えるけど、今は盗聴器モードに入ってる」


 発信機。今の状態では、チョコを挟み込んだクッキーを連想させる。ただし、迷彩効果を有していたらしい。さっきまで僕の白いシャツの胸元で発光していたのだから、道理で探すのに苦労したわけだ。


「録音モードだな……。あんまり警察署の近くでふらふらしてると危ないし、一旦僕の家に帰ろう」

「うむ、了解だ!」

「分かりました!」


 僕は残り二人を先導する形で、大股で歩いていく。

 もちろん、早く再生して、どんな遣り取りがなされたのかを知りたいとは思う。

 しかし、僕が危惧しているのは、その内容だけではない。


 あまり考えたくはないのだが……。このままだと、もしかして弦さんもこの鬼羅鬼羅通り関連事件に一枚噛んでいるかもしれない。


 いや、もちろんそれは『嘘だ!』とか『馬鹿な!』とか『冗談だろ!』で済まされるべき事態なんだがなあ。


         ※


「おお、お早いお帰りでしたな、坊ちゃま。それにお客様」

「ああ、どうも……」


 雑草を刈り取っている弦さんに軽く会釈しながら、僕は邸宅の中の自室に摩耶と美耶を呼び込んだ。恥ずかしいとかなんだとか、そんなことは最早些事である。

 

 発信機は、液状の粘着剤(ごく僅かでごく強力)に包まれていた。引き剥がすのに苦労したが、中身は一般的なUSBメモリである。

 パソコンに差し込んで起動させる。が、その前に。僕たち三人は、三者三様で気不味さと爆笑と凄まじい衝撃で噴き出した。


「柊也、お前……!」

「ち、違う! これは誰か別な人が勝手に……」

「言い訳なんざ聞かねえぞ! なんなんだこのデスクトップは!」

「……」


 ん……。なんだか美耶の視線がさっきから痛いな。正直に申し上げるしかあるまい。


「いや、これは『戦空少女4 憧れの宇宙へ』に登場する僕の推しだけど?」

「んだとコラァ!!」

「ひっ!」


 これには怯んだ。だって摩耶のやつ、人間の身を捨てて爪と牙で襲い掛かってくるんだから。ビビるって、マジで。


 しかし、この場で唯一冷静な人物がいた。月野美耶である。今はUSBメモリに記録されている音声ファイルを解凍中だ。

 こういう時は、やたらめったら大人びて見える。今時、こんな鋭い目をした小学生なんているものだろうか?


「だっ、だって二次元だったら誰の迷惑にもならないじゃんか!」

「はっはー! 二次元だろうが三次元だろうが、ロリコンに変わりやしねえんだよ!」

「んだとこの野郎!」

「お二人共、黙ってください」


 美耶が、キレた。いや、これまで何度も美耶には仲裁に入ってもらってきたが、今日の斬れ味は抜群だ。


 僕と摩耶はぴょこん、とベッドから飛び降り、そのまま正座した。


「それじゃあ、このデータに入ってた音声を流しますね」


 極々淡々と、美耶は再生ボタンをクリックした。


         ※


 話し合いは、警部補と巡査部長の敬礼から始まった。このスピーカー越しに聞こえてくるほど強く、革靴の踵を合わせる音が響く。


 僕の脳内では、刑事ドラマの映像が展開された。

 このタイミングで岩浅・瑞樹両刑事が来ることは、署長も承知していたらしい。声からすると四人目の人物がいるらしい。きっと副所長だろう。


 話題は当然、鬼羅鬼羅通りの件である。あそこにいるのがヤンキー連中だといっても、民間人であることには変わりない。できる限り負傷者は少なく、とのたまう署長殿。

 そうだそうだ、早くしろと急かすのは副所長の役割らしい。


 対する岩浅警部補は、建築物の配置上、機動隊による突入と制圧は困難なのだと説明。駅前周辺の地図をテーブルに広げてみせる。

 三人はこの地図に見入った。が、一人が置き去りにされている。聞こえてくるのは男性の声だけだ。


 数分の後、責任の擦りつけ合いが繰り広げられた。こんな話し合いを聞かせるために、瑞樹先輩はUSBメモリを僕に託したのか?

だが、先輩の真意は、警部補がロジックで追い詰められた、その時に明らかになった。


《馬鹿ですか、あなた方は?》


 僕には、この部屋にいる残り三人の頭上にクエスチョンマークが浮かぶのが見えるような気がした。

 って、一体何を言ってるんだ、この人はああああああああ!?

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