第18話

 気に食わなければ自分を殴るなり蹴るなりしてみろ、とでもいうのだろうか。

 まさかな。いや、弦さんの覚悟は本物だろうが、かといって暴力を働いたら、僕自身が自分の言動を許せなくなる。


 僕はただ一言、こう伝えるだけにした。


「お世話になりました。行ってきます」


 ぴくり、と弦さんの肩が動く。僕の言葉が意外だったのか? だとしたら失礼な話だ。

 僕は『弦さんに暴力を振るわない』ことを確認した。そして『弦さんとは違って悪党には容赦しない』ことを、心の隅々に滲ませておいた。

 弦さんとは違う、というのは、目先の利益ばかりに執着して将来のことを考えない奴らのことだ。


 そいつらをとっちめるには、まずはどこで仲間を得て、どうやって協力関係を結ぶべきか。それが第一。

 真っ先に思いついたのは、瑞樹先輩のこと。よし、警察に行こう。そして、このコピー不可の地図を見せびらかして、これを公表されたくなければ話を聞かせろ、と言い張る。


 二回目をやろうとしたら、絶対に止められるだろう。今回だけで上手く話をまとめなければならない。


 黙り込んでそう考えていたからか、僕は思いっきり足をつっかけられた。


「おわ! 何すんだよ、摩耶!」

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」

「ったーく、何チンタラしてんのかと思えば、弦さんと密会か。それで、どうだった?」


 僕はさっと顔を上げ、夜空を見つめた。


「残念だけど、今日これから作戦を始めるのは難しいな……」

「なあんだ、畜生!」

「で、明日はどうなさるんですか、柊也さん?」

「警察署に行く」


 毅然とした僕の声音に反応し、摩耶は、了解だ! といって賛同した。

 美耶もまた、大きく首を上下させている。

 

「私にできることはありませんか?」

「そうだな……。見張りを頼みたい。警察署ではできるだけ静かでいるつもりだけど、万が一事情を知らない警官がたくさん来たら厄介だ。その時は知らせてほしい。そして自分も身を隠すんだ」

「分かりました!」

「まったく、我ながら苦労が絶えねえもんだ」

「言うなよ、歳食ってるみたいじゃないか」


 僕と摩耶が頷き合ったのと同時。チリチリン、と鋭利な音がした。


「どうした?」

「あっ、すみません。準備していたクナイを落としちゃって」

「おいおい、大丈夫かぁ? 作戦決行は明日の昼なんだぜ?」

「うん……。敵の前ではこんなミスしないよ」

「ま、ミスしても柊也にはあたいが付いてるからな! 心配すんな!」

「……」


 ん? 珍しく美耶が反論しないな。何かあったのだろうか。

 相変わらず摩耶の口調が煽り気味だというのに。


「私だって、柊也さんの盾になってみせます。柊也さんは、私のことは気にかけずに乗り込んでください」

「ああ、そうするよ。生憎、僕は警察署員の電話番号なんて知らないから、何も手出しはできない。今日は解散だな」


 自分のスマホを揺らしながら、僕はそう言った。

 なかなかわくわくするものである。まさかこのタイミングで両親の代からのわだかまりを一掃できる機会に恵まれるとは。


 ――今に見てろよ、世の悪徳成人め。今にその手首に手錠を嵌めてやる。


 そう息巻くのは簡単だったが、やはり胸中にわだかまりは残る。

 自信を持つのは大事だが、自信過剰は命取りだ。落ち着かなければ。


 美耶がクナイを拾い上げるのも待たずに、僕と摩耶は邸宅へと戻った。


         ※


 悪徳成人へ天誅をもたらすにあたり、何故僕が最初にあてにしたのが警察だったのか? 自分が法に抵触しない形で悪党を取り締まることができるから、というのが表向きの理由。自分たちでどうにかしようとするより、ずっと安全なところにいられるし。

 しかし実際は、やってみなければ分からなかった


 問題は、岩浅警部補や瑞樹巡査部長がすぐに信用してくれるか。この一点に尽きる。

 弦さんが僕と話したのを作戦第一号とすれば、警察を巻き込むのは第二号だ。

第一号から第二号に移るにあたり、必須だったのがあのコピー不可能な書類。現在のところ、警察はそれを発見していないから、きっと食いついてくる。

 そうすれば、僕たちが口を挟む余地が生まれるかもしれない。


 では、口を挟んで何を訴えるのか? ずばり、若者の就学・就業支援といったところ。

 鬼羅鬼羅通りにいる彼らは、自分たちの社会的な、真っ当な居場所がなくなったと思っている。

 でも、地方行政がなんとか頑張ってくれれば、就学支援からメンタルケアまでなんとかなるのではないか。

 そう、良識ある大人が、良識を以て若者たちを見てくれれば。


 鬼羅鬼羅通りの存在をぶち壊しかねない、駅周辺の再開発の不正を抉って、あそこにいるヤンキーたちの居場所を守れるかもしれない。


「なあ柊也。お前、いつの間に他人様の人生に首を突っ込むようになったんだ? ただの金持ちのボンボンは卒業したみてえだけどな」

「えっ? 摩耶、今何つった?」

「だーかーらー、ただの金持ちのお坊ちゃんじゃなくて、えーっと、なんつーか……」

「社会活動家、ですよね」

「ああ……」


 美耶の口添えでなんとか理解できた。

 僕は持論をそのまま展開しようとしたが(美耶の方がよく話を聞いてくれそうだし)、ちょうど邸宅のエントランスの城門が開くところだったので、明日に回すことにする。


「あー、腹減ったぜ! 弦の爺さん、今はいねえけど大丈夫なのか?」

「さっき作り置きをしていくってメモが貼ってあったよ、お姉ちゃん」

「そうか! 柊也、早く食おうぜ!」

「へいへい」


 この時、美耶が悔しくて唇を噛みしめているのに気づいていたとしたら。

 ……後の悲劇は起こらなかったかもしれないんだけどなあ。


         ※


 翌日。夏向けのひんやり冷やし中華をたらふく食べて、食休みを経た後のこと。


「ここが警察署か……」


 ぐびり、と唾を飲む音がする。僕からではない。摩耶の喉元からだ。

 対して美耶は、特別驚いたり、怯んだりすることはなかった。

 やっぱり摩耶には、どこか後ろ暗いところがある(と自分で思っている節がある)のだろうか。


 そうはいっても、摩耶はここまでやって来たのだ。そしてポケットには、弦さんの作ってくれた偽造身分証がある。


 僕は小振りのリュックサックから件の書類を取り出した。そのまま自動ドアを通り抜け、一階奥のインフォメーションセンターへ向かう。

 そこで受付を担当していたのは――。


「あら、さっくんじゃない」

「って、瑞樹先輩!? な、なんで……?」

「なんでって言われても、そうねえ、若いうちの苦労は買ってでもしろっていうじゃない? 今日は講義が休みだから、こうしてやんごとなき市民の皆様方のために粉骨砕身しているの」

「は、はあ……」

「ところで、今日は何の御用?」

「そ、そうだ!!」


 僕は秒速で、件の書類を取り出した。

 

「瑞樹せんぱ……じゃない、瑞樹巡査部長! ちょっと付き合ってください! あと、岩浅警部補も!」


 僕の話を聞いているのかいないのか、先輩はぐいっと身を乗り出して書類を見つめた。

 思わず視線が先輩の豊満な胸元に行きそうになるのを、僕はなんとか堪えている。

 また鼻血かよ、ってオチは勘弁願いたい。


         ※


 それから約五分後。宛がわれた会議室にて。


「おう朔坊! 珍しいじゃねえか」

「僕のことはどうでもいいんです! 岩浅警部補も、これを見てください!」

「んあ? コピー不可のフィルターがかかってるな……。ふん……ふん……んむ!?」


 目玉が飛び出るのではないか。そんな勢いで、警部補は僕の手元から書類をかっぱらった。

 

「これは……」

「そうです。十年前の駅前再開発に関する機密資料です」


 先輩は警部補に向かい、僕たちが考えていた仮設を淡々と語った。

 工事に関して、施された安全措置は十分でなかったこと。そのために複数の死傷者が出たこと。

 さらに警察は、これを有毒ガスの発生と称してメディアを遠ざけ、見事に隠蔽しきったこと。

 だからこそ、今現在も工事が中止ではなく、停滞しているのだということ。


「署全体を通しての隠蔽工作だとおおおおおおおお!?」


 警部補は真っ赤になって、全身をぶるぶると震わせた。そのままガタン、と椅子を蹴倒し、立ち上がる。


「岩浅警部補、どこへ?」

「署長室だ! これが事実なら、俺が署長を延々問い詰めてやる!」


 ばごん、とドアを蹴破るようにして会議室を抜け、廊下へ出ていく警部補。


「あなたたちはちょっと待ってて。私も警部補に同伴するから」

 

 そう言って、先輩もまた足早に退室した。


「柊也、どうすんだよこの状況?」

「そう、だな……」


 摩耶の簡潔な質問に、しかし僕は答える術を持たなかった。

 いや、もしかしたら避けているのかもしれない。鬼羅鬼羅通りを巡る一連の出来事が、家族を喪ったことと関連しているような気がするからだ。


 まあ、相変わらず根拠はないのだが。

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