第14話
※
そして時間は現在へと舞い戻る。
「僕も妹も両親も、心配停止状態だったそうだ。家族の中で生き残ったのは僕だけ。どうしてなのかな……」
いつの間にか下に向いていた目を、僕はゆっくりと上げてみた。そこには月野姉妹がいて、肩を自分で抱いたり、両膝に手を置いてぐっと顔を近づけたりしている。
意味はないんだろうが、僕は前のめりになって両腕を差し出した。手の甲は上を向けている。何故こんなことをしているのかは、自分でもよく分からない。
だが、その僕の挙動に含まれた『何か』に、二人は衝き動かされたようだ。
「何か意味分かんねえけど」
「柊也さん、大変だったんですね」
摩耶と美耶はそう述べながら、そっと僕と手を重ね合わせてくれた。
僕は二人の顔を交互に見て、ふっと表情筋を緩めてみせる。
だがその直後、摩耶はこう言った。
「おい大丈夫か、柊也? 鼻血じゃなくて、今度は目から汗が」
「えっ?」
そんなまさか。鼻血以外にも、このネタを持ってくることによる身体異常があった、ということか?
僕はなんとか冷静にと自分に言い聞かせ、上を見上げた。が、時既に遅し。
ぐいっと逸らした頭部を滅茶苦茶に伝いながら、大粒の涙がするすると落ちていく。重力の為すままに。
その涙は、僅かに月野姉妹の手の甲にも飛んだらしい。
「お前みたいな大人? ってか大人っぽい人間が泣くのってさ、あたいは見るの初めてなんだよね」
「お姉ちゃん! そんなこと言っちゃ駄目だよ! 柊也さんは自分を襲った過去を忘れようとしてるのに! 私たちにせがまれたから話さなくちゃいけなくなったんだ!」
「んだと!」
摩耶が跳びかかって来たのを、美耶は躱すこともできずに真正面から喰らった。ガツン、と音がしたのは、美耶が後頭部を床に打ちつけた音だろうか。
それが聞こえなかったのか、摩耶は容赦なく美耶に向かって拳を振るい始めた。
「お前! ばっかり! 柊也に! へらへらしやがって!」
「それが! どうしたんだ! お姉ちゃん! あなただって! 柊也さんが! 好きなくせに!」
「ッ!?」
その瞬間、明らかに摩耶は身体のコントロールを失った。右腕を思いっきり引っ張り上げた姿勢で、摩耶は硬直する。
「何を根拠……!?」
「でやっ!」
美耶に隙を突くつもりはなかったと思う。だが、仰向けに押さえつけられながらも素早く両足を伸縮させたのは間違いない。摩耶は腹部から、くの字に腰を折りながら吹っ飛ばされた。
美耶は勢いのまま立ち上がり、ずんずんと大股で摩耶の方へ歩み出した。
「ちょ、ちょっと待てよ美耶!」
「あなたは黙ってて、柊也さん。これは姉さんと私の勝負なんです」
美耶はこちらに一瞥もくれない。しかし、彼女が我を見失い、ゾッとするほど心が超低温に陥っているのは間違いない。僕までもが脱力し、四肢の自由が利かなくなる。
ゆっくりと視線を下ろしながら摩耶に迫る美耶。柱に腰でも打ちつけたのか、摩耶はへたり込んでいる。呻き声を上げるだけで、美耶からの攻撃を受けたら回避は不可能だろう。
なんとか。なんとかしなければ。さもなければ、僕は眼前でまた大切な人を喪うことになってしまう。
「あんまりにも私を子ども扱いし過ぎたんだよ、お姉ちゃん。どうも最近、イライラしっぱなしでね。でも柊也さんがいてくれると、そんな不安や苛立ちが、すーーーっ、と消えていくのが分かるんだ」
「み……や……」
「だからね、お姉ちゃん。あなたみたいなトラブルメーカーはいらないの。柊也さんは責任を以て、私が幸せにする。だから安心して、死んで頂戴」
僕には摩耶に迫る美耶が、随分のっそり動いているように見えた。逆に言えば、たとえ少しずつであっても、美耶は摩耶を確実に抹殺しようとしている、ということだ。
「よ……よせよ、美耶……。た、頼むから」
僕の喉からは、最早掠れ声しか出てこない。それでもついさっきまでは、美耶はよく聞いてくれていた。
しかし、そんな心優しい、ちょっぴり臆病な少女は、その姿を完全に真っ黒に染め上げてしまった。
それこそ暗黒面に墜ちた、とでもいうのか。
逆に言えば、今の美耶が見つめているのは摩耶だけだ。年下の女の子にこんなことをするのはあまりにも卑怯だが……。やるしかない。
美耶、できるなら躱してくれ。後のことはどうとでもなる。だから、摩耶から距離を取ってくれ。
そう念じながら、僕はぐっと膝を折った。短距離かつ瞬発力で、一気に距離を詰め、ラリアット気味に腕を伸ばして美耶を殴りつける。これしかない。
と思った、次の瞬間のことだった。
ぶわり、と足元から風が舞い上がった。そこに僅かに殺気が混ざっているのを、僕は確かに感じ取った。
何者かが、殺気を纏って接近してくる。
誰かに注意を促すことも叶わず、僕は慌ててしゃがみ込み、何が起こっているのかを見届けるしかなかった。
誰が、何故、どうやってこの場に乱入しようというのか?
その正体は、真っ黒な布だった。厳密には燕尾服だ。この服装、まさか。
「ふっ!」
「ッ!?」
誰かが美耶の横合いから、凄まじい速度でスライディングで突っ込んできた。
美耶は呆気なく倒れ込み、額をテーブルの足にぶつけてしまった。
僅かに舞い散る鮮血。額は皮膚が薄いから出血しやすいのだ。言い換えれば、額から出血したところで致命傷とは言い切れない。
しかし、それでは無事なのかと言われれば、決してそうではない。脳震盪を起こして気絶することも多いという。
数々の暴力行為を目の当たりにしてしまった僕。
だが、ここで気づいたことがある。
本当に恐ろしいのは、出血を最低限に、意識を失わせるのは確実に、そしてその両方を一撃で見舞った張本人――上村弦次郎だということ。
「坊ちゃま、ご無事でいらっしゃいますか?」
「……」
「坊ちゃま! お気を確かに!」
「あっ! え、あ、うわ」
「落ち着いてください、そして水を飲んで。摩耶様と美耶様の介抱は、わたくしがこちらで行いますゆえ」
「はい……」
摩耶と美耶をソファに横たえ、弦さんは素早く部屋と廊下を行き来し始めた。
※
月野姉妹による体育会系実戦が行われてから、僕は自分の部屋に籠っていた。
といっても、寝に入ったわけでも、テレビゲームをしに行ったわけでもない。
ぐるるる、と腹が鳴って、今が昼時であることを示していたが、そんなことはどうでもいい。状況整理の段階で、僕の脳みそはパンクしそうだった。
客観的かつ冷静に。その言葉を何度もループさせながら、僕は一つ一つ、事象を考え直しては消し去り、消し去ってはもう一度考えたり、という流れを繰り替えした。
まずは、月野姉妹が二人共、僕に好感を抱いてしまっていること。
美耶の戦闘技術は摩耶のそれにも負けずとも劣らないこと。
そして、二人も僕同様に、大切な誰かを喪っていること。
では、大人組はどうだろうか。
殺気立って摩耶に歩み寄る美耶を止めたのは弦さんだ。彼が相当戦闘能力に秀でているのは間違いない。
警察関係者や鬼羅鬼羅通りの人々はどう絡んでくる?
そして僕の両親は既にこの世におらず、月野姉妹の両親は……うむ、分からん。
「ふーん……」
僕は額に手を当て、ぐいっと後頭部にかけて軽く引いた。ちょうどオールバックに髪を整えるかのように。
考える切り口を変えてみようか。
「ん? 待てよ……」
何か引っかかるものがある。
どうして月野姉妹は、僕の家にいるのだろう?
それはもちろん……あれ? 何のためだ?
それを考え出そうとするたびに、止めておけと言い出す自分もいる。
顎に手を当て、もう片方の手で夕陽を遮る――つもりだった。
「ッ!」
全く以て唐突に、僕の脳裏に電流が走った。何かが繋がろうとしている。
どうしてあんな子供である月野姉妹が、鬼羅鬼羅通りのヤンキーたちに受け入れられ、加えて重要なポジションにいられるのか?
その時、澤村吉右衛門――サワ兄は何をどう思ったのか?
加えるならば、どうして岩浅拓雄・警部補は、不良の溜まり場である鬼羅鬼羅通りでの一斉検挙を行わずにいたのか?
まあ、そのお陰で月野姉妹は拘束されずに済んだわけだが……。
そこまで考えたところで、僕の瞼の裏にあった光が、ぽつん、と音を立てて消え去った。
「この街、もしかして……?」
既に夕日は地平線に没し、しかしまだ空は明るい。僕はデスクに横からしがみついた。
メモ帳を引っ張り出し、羽虫の飛行する軌跡を描くように、シャーペンで図や表、数字や文字を殴り書きしていく。
「この前のローカルテレビでやってたのって、これと関係があるのか?」
唇を湿らせながら、自分の思考を紙に写し込んでいく。
真っ暗になってペン先が見えなくなるまで、僕はその作業に没頭していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます