第4話 組合頭領との邂逅

 外は茜色で、寒い。遠くで教会の鐘が鳴り、町は一日の仕事を終え始めようとしていた。


 道に品物を並べていた職人たちは、道具を片付け始めている。職人や聖職者はいつだって高価な蝋燭を惜しんで、日の出とともに起き、日の入りとともに寝床へ入るのだ。それにも関わらず目抜き通りがそれなりに活気立っているのは、日中汗を流していた者達が酒を飲もうと広場に集まるからだ。

 その流れをすり抜けるように道を急ぐ。


 騎士団が支配していなくても、町の構造はどこもだいたい同じだ。商人組合や教会、そして職人組合は権力を誇示しようと、町の一番賑やかな場所の、賑やかな通り沿いを埋めていく。馬鹿と煙は空に昇るが、権力者は中心地に集まる。かくして、フェルミは初めてヤーゾンに来たが、迷うことなく一直線に進む。


 それから間もなくして、フェルミは目的の場所に着いた。

 立派な財力と権力を主張するような職人組合の建物で、軒先には金槌をあしらった看板が掛けられている。

 フェルミは周囲のごちゃごちゃとした建物と違い、大理石で造られた階段を五段ほど軽く上り、ノッカーも鳴らさずに厳かな存在感を放つ扉を開け放った。


 薬種商という職業は、舐められたらおしまいだ。身勝手な行動ばかりをするし、罪無き者の命を簡単に握りつぶしたりと、知らない間に恨みを買っていることが多い。だから、暗殺を企む輩も多く、それゆえ食事の際にはパンですら千切りにして、毒が仕組まれていないか確認するのだ。


 それなら、なぜ今まで生き延びてきたのだろう。一つは、騎士団の権力下にあったからだ。どれほど組合が薬種商に害されても、薬種商の後ろには騎士団がいるため口出しできない。組合が大切にするのは、個人の作業環境ではなく、全体の利益だけなのだ。


 もう一つは、普段から舐められないようにしているからだった。こいつと関われば痛い思いをする、そう考えさせるのが、フェルミが人生の中で築いてきた処世術だった。


 だから、舐められぬようノッカーを鳴らさずに会館へ入ったのだったが、さすがのフェルミも予想外の事が起きた。

 まっすぐに襲い掛かってきたのは、小さくて真っ黒な塊。

 反応して避ける暇もなく、黒い塊はフェルミの胸に飛び込んできた。


「お父さまっっ‼」


 頭の処理が追い付かないまま見下ろすと、そこには大きく見開かれた、漆黒の瞳だった。

 フェルミも、フェルミの顔が映るその光さえ飲み込むような漆黒の瞳も、呆然としていた。フェルミはひとまず黒い塊に抱き着かれたような恰好のまま、後ろ手に扉を閉めた。そして、必死に動揺をひた隠しにして、黒い塊に向き合う。


「で、誰がお父さまだって?」


 フェルミが言うと、黒い塊は俊敏な動きで離れる。


「お客様でしたか。ようこそ、ヤーゾン職人組合へ」


 緊張感のなくなってしまった広間に響いた一言は、凛としていて鐘の音のようだった。

 ただ、職人組合の建物で、こいつは何をしているんだ?

 フェルミの肩にさえ届きそうにない背の、ちんちくりんの少女は。

 身にまとっている衣類に描かれた紋章は、先程も見た組合の紋章。

 迷い込んだわけでは、ないだろう。


「なんの用件ですか?」


 人形のような、黒ずくめの少女。髪が炉の火に焼かれることを知らないほど、伸ばした艶のある黒髪。作り物めいた紅玉の瞳。全身を覆う外衣ですら、上品で可憐な黒色をしている。月のない夜と違わぬ色合いの髪の毛や瞳は珍しくもないが、ここまで黒いのはなかなか見れない。


 その滲み出る身分の高さや、人をお父さん呼ばわりすることから鑑みると、この少女は組合の頭領の娘あたりだろうか。

 そんな事を考えながら、フェルミは少女に数歩近づく。それと同時に、少女は数歩後退った。


「頭領に会いたいんだが」


 フェルミは少女の全身を舐めまわすように見ながら言う。どこまでいっても少女。身分が高そうには見えるが、興味を引くような何かはない。


「ああ、あなたが」

「?」

「新しい薬種商ですね」

「話が早い。で、組合の頭領は?」


 少女の観察に興味を失ったフェルミは、壁に飾られている羊皮紙を眺めながら訪ねる。どれも町の参事会がこの組合に贈った数々の特権状の写しで、この枚数の多さが、町でのその組合の地位の高さを示している。


 フェルミの視界の端で少女は広間の奥へ移動すると、少女の背丈には似合わないような重厚に誂えられた椅子に座って答えた。


「私です」

「……あ?」


 肩越しに視線を向けると、椅子の上に座った少女は、威厳があるようにも見えた。


「前組合頭領ヴァンサイヤ・アルタナの娘、五代目頭領シャンディー・アルタナです」

「…………」


 頭領と名乗った少女の言葉を信用するか決めかねていた時だった。薄暗い居間の奥から、がしゃんと扉の鍵を開ける音がした。緊張が体を駆け巡り、フェルミは腰に差していた短剣を抜きかけたが、少女に止められた。


「大丈夫です」


 こつこつと磐床を踏む足音が近づく。

 やがて現れたのは、仕込み刃であると思われる杖を持ち、長い白髪を束ねた老人だった。


「……ふむ、薬種商か」


 老人はフェルミを一瞥してそう呟くと、傍に置いてあった椅子に腰かける。フェルミは油断ならない相手だと思った。自信の職業を一瞬で見抜いたその眼も、フェルミが少女に手を出そうなら、一瞬で間に入れる場所に座ったのも。


「んで、あんたは?」

「……五代目頭領、シャンディー・アルタナの執事です」

「あんたが頭領じゃないのか?」


 フェルミの質問に、老人は白い眉をぴくりとも動かさない。


「……先代の希望で、五代目はシャンディー様に」


 つまりは、シャンディーは本当に頭領のようだ。先代は死んでしまったのだろうか。だが、組合に入った時にお父さんと呼ばれたから、生きているのかもしれない。気になる、気にはなるが、それを聞くのは野暮というものだ。


「では、五代目ヤーゾン職人組合頭領シャンディー・アルタナ様へ改めて」


 あからさまなほど演技臭く、フェルミは頭を下げて口上を述べる。


「私は騎士団所属の薬種商フェルミ。住む家も持たず、墓に刻まれるであろう本当の名前も持たず、ただ己の技量だけを持ち、当地ヤーゾンへやってまいりました。願わくば、」

「神の代理として大地に正義を取り戻す騎士団のため、神の偉大なる御名のために、ヤーゾン職人組合の大いなる力をお貸し頂ければと、そんな感じかしら」


 言おうとしていた事を少しも違わず諳んじて見せた少女に、フェルミから「ほう」と感嘆の声が零れ出た。


「その姿に見合わない頭脳だな」

「見苦しい姿をお見せしたのは認めます。それで? 騎士団の後ろ盾もないフェルミさんが、私にいったい何の用件で?」


 フェルミはわざとらしく両肩を竦めたが、内心ではシャンディーの情報網に毒づいていた。

 何も知らない相手には騎士団の名前を出すだけで震え上がらせるに足るが、フェルミに騎士団の支援がない情報を持つ者の前では、フェルミの脅しは効かない。やはり、危惧していた事は起こる。


 年はフェルミの方が上だが、交渉に持ち込んだ手札の数は、シャンディーの方が何枚も上手だった。それだけだ。

 フェルミはここは大人しく、その嫌悪で歪ませた顔の前から帰ろうと考えた。


「いいや、何も。このヤーゾンの町に世話になるから、挨拶に来ただけだが」

「そう、お客さまにお茶も出さず、ごめんなさい。騎士団が不必要な事をするから、こちらも仕事はひっきりなし。忙しいから、用事がないなら帰ってもらえる?」


 そう言われてしまえば、長居は無用。

 何も持たずに踵を返し、重くて大きな扉を開けようとして、はたと思い立った。


「あんた、騎士団が不必要な事をするから、って言ったよな? 何のことだ?」


 顔も向けずに問いかける。が、関心の矛先はシャンディーの言葉に向けていた。

 少女はすぐには何も答えずに立ち上がると、守護聖人を祭る小さな祭壇の方に歩いていく。それからそこに置かれていた小さな壺の中に細い棒を差し込むと、側に置いてあった蝋燭に火を付けた。

 さすが職人組合らしく、祭壇には常に火種があるらしい。

 フェルミは黙って、シャンディーが壁に掛けられた全てのランプに明かりを灯し終えるのを待った。


「……騎士団が最後の異教徒の町カザンを落とすための遠征開始から二ヵ月。それに便乗して、仕事の依頼は毎日のように舞い込んでくる」


 職人組合として依頼が多いのは有り難い事なのに、シャンディーの顔が寂しげなのは、まだ年端もいかない少女だから皆と同じように力仕事が出来ない、その後ろめたさに拠るものか。


「でも、その後はどうすれば?」


 宝石よりも美しく、闇よりも黒い瞳が、フェルミの心を覗き込んでくる。


「……その後とは?」

「最後の異教徒の町カザンとの戦闘後のことよ」

「?」

「もし騎士団がカザンを陥落すれば、この世界から異教徒の町はなくなる。つまり、騎士団に戦う敵も、戦う理由もなくなる。それなら、収入の多くを異教徒との戦争に頼っていた町の経済はどうなるのかしら」

「……なるほど」


 これまで異教徒を殲滅せん、と戦ってきた騎士団がカザンを落とせば、このヤーゾンの町のように正教徒と異教徒が共存している町は除いて、この世界に異教徒の町は存在しなくなる。もちろん、それは神を信仰しないフェルミにとっても喜ばしいことだが、権力の持った人物だとそう簡単には喜べないらしい。


 戦争が終結すると、武器を提供していた町は収入減を失い、路頭に失業した職人が溢れかえることになるはずだ。そんな状況を事前に防ぐのが、職人組合頭領シャンディーの役目なのだ。

 何がどうなるかは、わからない。常に万物は流転するのだ。


「面白い話の提供、感謝しますよ」

「何か新たな技術を発見したら、ヤーゾン職人組合へお願いします」


 その言葉にフェルミはにやりと笑い、会館をあとにした。

 重くて大きな扉を閉じ、少し歩いてから、星々が煌めく夜空を見上げた。


「工房の前任はこんな夜空を毎日見上げてたのか」


 どこでも、この夜空は見る事ができる。しかし、死んでしまえば、見る事も叶わない。

 フェルミの前任者をどこの誰が、何の目的で殺したのか全くわかっていない。事故、酔っ払い同士の喧嘩、強盗、辻斬りか、はたまた、薬種商に対する偏見からきたある種の魔女狩り、あるいは、教会側が薬種術の結果を欲しがったか、寝返りを強要したが断られたか、さもなくばすでに寝返っていたが用済みになったので消したか……その他、諸々。

 死因を挙げれば、きりがない。

 でも。それでも。


「俺だけは、生き延びて見せる」


 この世界で。

 そう心に秘めながら、煌々とした星々を頭上に残して、工房に向かって歩いたのだった。

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