第3話 旅の始まり

 どれだけ自分の工房に向かいたくても、やはり長距離の荷馬車は体が堪えるらしい。

 食事や補給の時以外はずっと荷台の上で揺られていたからか、体のあちこちは痛むし、なにより睡魔が酷い。慣れない環境での睡眠は途切れ途切れで、きちんと寝た気がしなかった。

 瞼は鉛のように重い。それなのに、意識だけは新しい町への期待ではっきりとしていて、その高低差が気持ち悪い。


 だが、それも全てヤーゾンの町に着いてしまえば、軽々と吹き飛ぶものだ。


 とにかく活気が凄い。道端にまで広げられた敷物の上には、無頓着に品物がどさりと置かれていて、町の外に出ていく者達が手で掴めるだけの商品を買っていく。錯綜する掛け声はもはや怒声に聞こえて、少し歩けば馬車の荷台以上に酔いそうだ。

 そして、草の生えた泥を固めて作った家と、木材だけで作った家とが猥雑に立ち並んでいて、その色合いは混沌を極めている。


 しかし、一種の芸術の域に達した風景を眺めているのも楽しいのだが、任務で来ている以上、フェルミに道草はできないのだ。

 フェルミが立ち止まったのは、車輪に串を突き刺したような道具をかたどった、風変わりな看板を掲げた小屋。

 小屋といっても、二階建てのようで、外には水車と煙突も備え付けられている。

 ここが、今日からフェルミの工房になる場所である。


「さて、俺の城と御対面しますか」


 曇り硝子をふんだんに使われた扉を開け放つ。

 やはり外見から想像できるように、工房の内側はとにかく広かった。


 まず目に付いたのは、棚に陳列した多くの壺。中には乾燥した草や、挽いた粉が入れられているのだ。壁一面を覆う引き出しには、それぞれに羊皮紙の短冊が括りつけられている。書いてある文字は古く色褪せているが、これなら材料の場所がわからなくなる心配はないだろう。


 その空間に立ち込めるのは、不思議な香り。いかにも体に良く効く薬のような匂いとでも表現すればいいだろうか。


 だが、奇妙なのは、カウンターの内側に見知った人物が座っていた事だ。


「よっ、久しぶり、フェルミ」

「……お前、生きてたのか」

「俺が死ぬわけないじゃないか」


 人を馬鹿にしたような虚仮にしたような喋り方は、そいつの癖。特徴の捉えにくい服装だが、人目を簡単に惹くようなニヤニヤ笑みを常に浮かべていて、得体の知れない人物のように覚えてくる。

 しかし、忌み嫌われる薬種商のフェルミに気安く喋るのは、この男ぐらいのものか。


「で、なんでお前がここにいるんだ」

「俺もフェルミと同じ工房だってさ~」


 そう言いながら、男は読んでいた分厚い本をカウンターに置き、立ち上がった。


 ハルエッド。同じ工房で同じ師匠の元で修業し、同じ見習い時代を過ごしてきた古馴染みだ。そのため、他人とは言えないほど気の知れた相手だが、傍から見れば関係は険悪だったに違いない。


 互いに予想以上の糞餓鬼で、のみを振り回すような暴力的喧嘩は毎日したし、薬の知識が付き始めたら、工房から盗んできた毒を互いの飯に盛ったものだ。


「俺がお前と同じ工房だと?」

「もしかして、何も上から聞かされてないのかい?」

「ああ?」


 フェルミが思わず片眉を吊り上げたのは、薬種商としての性だろうか。

 薬種商は時として、情報を自身の命よりも大切にする時がある。それは、たった一つの情報を持っているか、持っていないかで運命が変わるからかもしれない。


 遥か昔、薬種商の祖と呼ばれるアリラと言う男がいた。彼は世界中の草木を採集し、永遠に語り継がれる薬を自身の工房でいくつも生み出した偉人であった。しかし、彼は工房に閉じ籠って研究していたがあまりに、敵国により自国が占領されていた事を知らず、敵兵に殺されてしまう。たった一つの情報を持っていないだけで、命を失ってしまったのだ。


 このエピソードは師匠に教えられた最初の知識であり、フェルミが心の拠り所としている話でもあった。


 薬種商という仕事柄、聞いたことも見た事もない草木をよく扱うのだが、これは暗闇の中を手探りで歩くのと実質上違わない。もしかしたら、それが毒かもしれないからだ。情報を知らない内に、いつの間にか毒を素手で触っている事が多い。薬種商がよく死ぬのは、神に見放されたからだと民衆が言うが、本当の理由はここにある。


 それなら、ハルエッドがフェルミの知らない情報を持っているというのは、当然懸念の材料になる。

 だから一刻も早く情報を手に入れなければならないが、詳しく聞こうとしたところで、自分から話さない事を薬種商から聞き出すのは困難を極める。かといって、プライドを捨ててまで頼み込むのも信条に反するし、そもそもプライドを捨てるまでもない内容かもしれない。

 そんな風に考えているフェルミをニヤニヤと眺めていたハルエッドは、小さく噴き出した。


「そんなに悩まなくても、教えるよ~」

「……」

「俺もフェルミと同じように飛ばされたんだよね、ここに」

「何をしでかしたんだよ、お前は」


 フェルミは領主に毒を飲ませたり、民衆に麻薬を広めたり、かなりの罪でここに飛ばされた。それは何度も投獄されたり異端諮問されたりしてきたが、その都度、生き抜いてきた事を輜重隊しちょうたいの上層部に気に入られたからかもしれない。つまり、何度も死神の手を振り切ってきたフェルミなら、戦争の前線に近いヤーゾンでもしぶとく生き延びると考えたのだろう。


 それなら、ハルエッドはどうなのか。

 フェルミよりも世渡りが上手いハルエッドは、フェルミが知っている限り、一度も異端と見なされた事がない。それどころか、性格は最低最悪なくせに、顔立ちと身振りの良さから、妙に異性から好かれるぐらいである。


「俺はお目付け役だってさ、フェルミの」

「は?」

「フェルミ一人だと何をしでかすかわからないから、同じ工房で気心が知れた俺を派遣したんだってさ」

「おいおい、お前は俺の母親役って言うことか?」

「お昼寝の時間ですよ~」

「最悪だな」

「騎士団の中では、フェルミは一人で昼飯も食べれないと考えられているようだね」

「…………」

「おねんねの時間でちゅよ~」

「るつぼで飯を食いたいか?」


 ハルエッドの冗談に、喧嘩を売る際の常套句で返す。この言葉は誰が言い始めたのか文献は残っていないが、古くから職人や薬種商の間での喧嘩を始める決まり文句なのだ。


 もちろん本当に喧嘩を売っている訳ではないが、同じ工房で過ごしてきたハルエッドは、冗談の区別ができている。

 ハルエッドはニヤニヤと笑いながら、仰々しく封がされた小壺の一つを手に取った。


「それにしても、この工房は凄いよ。俺が知っている薬草だけじゃなくて、知らない薬草も沢山あるからね」

「薬草の町だからな、それぐらいあっても不思議じゃないだろ」


 ハルエッドの手元にある壺には、消えかけている文字で「鉄帽子」と書かれている。

 「鉄帽子」は戦で使われることが多く、またその花の形から連想されてそう呼ばれている。それを戦ではなく、猛獣狩りに使う人たちはもう少し親しみやすく、「鳥の頭」とか「鳥の帽子」、さもなくば、「鳥兜」と呼んでいる。一滴でも口内に含めば死んでしまう、紛うことなき猛毒だ。


 知識が広まっていない時代では、よく山菜と間違えられて死人が続出したのだが、今では目にすることも珍しい。理由としては、どっかの国王が続出する死人を減らすために、材料となる帽子草を狩り尽くさせたと故事に残っている。


 そんな希少価値の高い猛毒が人目に付く場所に置いてあるということは、どうやら、この工房の前任者は危機感がなかったらしい。それとも、はたまた、こんな猛毒はまだ序の口で、工房の奥には「鉄帽子」よりも恐ろしいものがあるのか。

 壺の蓋を開けたハルエッドは、手で仰ぎながら匂いを軽く嗅いでいた。その匂いに毒性がないのは、先人たちの研究でわかっているのだ。


「本当に凄いよねえ。文献でしか名前を見た事がない草木も、この工房には全てあるみたいだよ」

「……そうだな。工房の外には水車も併設されているし。というより、粉挽き機にあんな大きな水車なんているのか?」


 薬種商の仕事は、端的に表せば、薬を作ること。しかし、言葉では簡単でも、実際に作るのは一筋縄ではいかない。


 手元にある材料を組み合わせて、片っ端から実験を繰り返す。選び、混ぜ、分量を調整し、水を加え、蒸留し、冷やし、加熱し、洗い、また選び直し、混ぜ。そうやって何回も実験を繰り返していく。

 二種類で無理なら、三種類。三種類で駄目なら、四種類の組み合わせを試す。そして何度も繰り返し、五種類、六種類……。

 そうやって新たな薬の発見に辿り着ける。


 しかし、ここで問題なのは、材料の状態も結果に影響してくることだ。普通に混ぜ合わせればどうなのか、水に溶かした状態ならどうなのか、粉にした状態ならどうなのか、色素だけを取り除いたらどうなのか。その全てにおいて、結果はその都度変化していく。

 だから、薬草の成分を液体として取り出す蒸留器や、粉末状にするための粉挽き機は、もはや薬種商にとって必需品である。


 だが、粉挽き機の石臼を動かすための水車は、大きければいいというわけではない。回転速度が上がれば、それだけ空気の移動も活発に、なにより湿度も上昇したりと実験に影響を及ぼす。全ての要因が絡まり合わさって、結果が初めて生まれるのだ。


「でもねえ、あれは粉挽き機用の水車じゃないみたいだよ」


 だから、薬種商の世界だけに生きてきたフェルミにとって、ハルエッドの言葉は驚くに値するものだった。


「あれは、炉に使う水車だよ」

「炉?」

「冶金に使用する専用の炉、だね」

「冶金……ってあれか、錬金術師たちか」

「いかにも。どうやら、この工房には薬種商と錬金術師が共生していたみたいだねえ~」


 ハルエッドの言葉に、フェルミは軽く顔を顰める。

 錬金術師という職業については、ほとんど知らないと言ってもいいほど知らないが、薬種商のフェルミからすると、天敵とも言える職業であった。


 フェルミが毎日生活できているのは、クラジウス騎士団の保護があるからである。そして、フェルミが毎日実験できているのは、クラジウス騎士団の支援があるからである。騎士団には逓伝哨隊ていでんしょうたい輜重隊しちょうたいや聖歌隊などの組織で構成されており、フェルミは輜重隊専属の薬種商となる。


 それと同様に、錬金術師も輜重隊に雇われているのだ。それならば、同じ権力者の元に同じような専門家がいたらどうなるか。ただ単に、資源の取り合いが始まるのだ。

 フェルミはこれまで、錬金術師と揉めながら資源を確保してきた。それからすれば、ほとんどの材料が工房に揃っている状況は、涎が出るほど贅沢だった。


「で、他には?」


 フェルミが苦虫を嚙み潰したような顔で尋ねると、ハルエッドのにまにまとした笑みを向けられた。嬉しい状況に陥った時に、他人を馬鹿にしたような笑い方をするのは、こいつの癖なのだ。


「外から見たら二階だったけど、地下室もあるみたいだったねえ。壁一面に本棚がびっしり並んでいて、そこには高級な羊皮紙を使った書物がぎっしりだよ~」

「……しかし、この工房にいた奴らはどうしたんだ? こんないい工房を明け渡すなんて、馬鹿な話だろ」

「死んだらしいよお」

「へえ? 事故か」


 薬種商は仕事柄、よく死ぬ。どこに危険が潜んでいるかわからないからだ。ある時は偶然作り出した気化性の猛毒で、工房にいた全員が死亡したという故事が残っているぐらいだ。

 それを防止するため、薬種商は工房に蜘蛛の巣を張らせる事が多い。蜘蛛は人間が感知できないような微量の毒にも反応する。

 しかし、知識のない下等な民衆は、蜘蛛の巣を張らせるのは怪しげな実験の前兆だ、と喚き騒ぐ。毎回、異端審問される身にもなって欲しい。


「いや、それがねえ……胡散臭いんだよねえ」

「何が?」

「集団自殺、ってらしいんだけど、明らかに嘘だよねえ。恨みを買って殺されたか、上司に裏切られたか、聖歌隊に殲滅されたかのどれかだよねえ」

「役人の反感でも買ったのか?」

「噂でしか知らないよお」


 首吊り役人、という者がいる。

 彼らはいわば、錬金術師のような騎士団に所属する専門職の采配を担う人間のこと。

 日々の作業に使う物資の手配はもちろん、薬種商たちが教会の一派に異端の烙印を押されて火刑台に連れて行かれるのを助けるところまでをも担う。逆に、騎士団にとって不都合だとなれば平気で教会に売り渡すところだし、時には暗殺だってする。

 彼らは文字どおり、生殺与奪の権限を持つ。

 だから、首吊り役人。


 それまでの仲間がある日を境に工房へ来なくなると、次の日に騎士団から事故死だと告げられることがある。それは、役人に首を吊られたからだと言う話がある。


「でもねえ、首吊り役人の線は薄そうだねぇ」

「ん? どうしてだ?」

「この町の場所を考えてみなよお」

「あ? ああ、そういうわけか」

「うん、そうだよ。この町ヤーゾンは戦の前線からも遠いし、地理的な価値もそんなにない。だから、騎士団に関係のある人物は少なからずいても、支部自体はないんだよ~。むしろ、教会と異教徒が共生しているぐらいだね」

「つまり、あれか。俺たちはこれまでのように騎士団の庇護下では生きられないって事か」

「そういうわけだね」


 フェルミはハルエッドの言葉を聞きながら、顔が勝手に歪まないように注意するのに必死だった。

 これまでのように騎士団に頼れない、そう言うのは簡単だが、たちの悪さで言ったら一級品だ。

 確かにこの工房には必要な物全てが集められているが、それでは足りない物の方が多い。例えば、もしフェルミたちが異端として火刑台に登らされた時、助けてくれるのは誰か。例えば、異教徒の連中に目を付けられた時、協力してくれるのは誰か。

 急に一人で生きろと言われるのは、まだ飛べやしない小鳥を親鳥が巣の外に投げ出すようなものだ。


「まあ、けど、月に一回は補給物資を届けてくれるみたいだね」


 フェルミの不機嫌さを感じ取ったようなハルエッドの言葉は、まるで砂漠に水を撒くようなものである。


「それより、さっさと組合に挨拶しに行こう。日が暮れる前に挨拶しないと、すぐに来なかったと後で職人たちがへそを曲げて厄介だからね」


 曇り硝子から工房に差し込む光は、林檎のように赤く染まり始めていた。そろそろ夕刻の鐘がなる頃かもしれない。

 ハルエッドが弄んでいた「鉄帽子」の小瓶を元の場所に置くのを眺めながら、フェルミは聞き返した。


「あれ、まだ挨拶に行ってなかったのか?」

「行ってない。俺もついさっき、ここに着いたばっかなんだよね」

「それにしては、いろいろと詳しいじゃないか」


 その言葉には、工房について詳しいと素直な驚きと、フェルミが教えられていない情報について詳しいと少しの皮肉が混ざっている。何事も、情報が全てである。


「でもねえ、俺としては早く工房に籠りたいんだよね。だから、フェルミにお願いできるかな」

「お前に言われると、ぞっとするな」


 殊更語尾を伸ばして、馬鹿にするような声には既に慣れている。

 ただ、その言葉に了承を示さず、フェルミは扉を開けた。面倒な事は先に終わらせる性格なのだった。

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