第11話 水面下での出来事
「励んでいるねえ、フェルミ」
ハルエッドが扉から精錬室へ顔を覗かせながら、言った。
「そんな、小言を……言うくらいなら、少しは……手伝ってくれないか?」
フェルミの言葉が途切れ途切れなのは、炉の鞴棒を押しながらだったから。
休憩を入れながらも、かれこれ十時間は作業を続けている。鉄を溶かし終えると、炉から一度取り出し、木炭や牛糞を混ぜて、もう一度溶かす。そうすると簡単に純度が上がるわけだが、その工程は簡単ではなかった。何度も、何度も炉から取り出し、戻す。この作業を繰り返したのは、もう両手では数え切れない。
途中でわざわざ不純物である鉛を混ぜる事もあった。それは、二者の融点の差を利用し、鉛と一緒に不純物を溶かし出すためだ。
純度を上げ、良質な鉄を精錬する。
それだけのために、フェルミは鞴で炉の温度を上げ続けていた。
「俺に手伝って欲しいの~?」
「少し替わって欲しい」
「フェルミが始めたことだから、無理だよお」
ハルエッドの言葉は、殊更語尾が伸びていて、馬鹿にされているようだ。文句の一つや二つを言いたかったが、負け惜しみのように思えて止めた。
命を他人に預けない薬種商のフェルミでも、ハルエッドを頼りそうになるほどの苦行。なるほど、これなら錬金術師の揃って全員が屈強になるのも理解できた。
フェルミは棒を押し込むたびに、歯を食い縛る。ただ、それは疲れてしまったのではなく、そうしないと力が抜けてしまいそうだったからだ。
「後、少しです」
フェルミは唸りながら体全体で鞴を押し出し、挽き戻し、また押し出す。その力が風へと変換され、炉に送り込まれる。漏れ出た熱波が、肌すらをも焦がす。
炉は地獄のような音を立てているが、その姿は文字通り神々しい。赤色を超えて、白色でさえも超えた、純白の炎が炉の中で燃え盛っている。
フェルミは、もし神がこの世にいるのなら、このような鉄をも溶かす炉の中の光を纏っているはずだと思った。
「後は、少しずつ力を弱めて止めてください」
「了解っ」
フェルミは答え、言われた通りに腕へ込める力を少しずつ弱めていく。
製薬でも、すり潰し終える時は、力を段階的に弱めていくのは、粗を少なくするためだ。
幾分か力が弱まると、送り出される風も弱り、純白の炎は黄色へと移り変わっていく。そして、最後には、送風を止めた。
炉の炎は消えたが、火照ったフェルミの熱は簡単には下がらない。
「これで、鉄の精錬は終わりました」
「…………」
何も言えなかった。やり遂げた感覚はあった。けれど、結果を見るのが怖く思う。手順ですらルティネスの言葉に従ったが、全力で打ち込んだかは不安に思う。
そんなフェルミの心情と裏腹に、ルティネスは早速と炉扉を開けていた。後ろから覗き込んだフェルミにも、生温い空気が撫でる。
「……」
ほうっ、と息を飲んだのは、フェルミかルティネスか。
美しかった。ただ、美しかった。炉の中に残っているのは、大量の灰。そして、その灰に包まれているのは、鈍い輝きを放つ鉄だった。
フェルミのも理解できる。純度の低い鉄。それでも苦労に見合う褒美だった。
「き、綺麗ですね」
「……ああ、凄い」
土から掘り出された鉱石。見た目は何ら岩石と変わりやしないが、正しい手順に従えば美しい花を咲かせる。
「へえ、これが鉄ねえ」
後ろに立っていたハルエッドにも気が付かないほど、フェルミは感傷に浸っていた。
「で、フェルミはこの鉄はどうするんだよお? 何かを作るには純度も低いし、量も少ないね」
ハルエッドは無造作に精製された鉄を持ち上げて、しげしげと眺めていた。
「……ナイフに、短剣にしようと思う。それでいいか? ルティネス」
「は、はい」
「それなら、市場が閉まる前に行こう」
「俺も市場に用があるし、付いて行くよ~」
そう考えたのは、これほどの労力で作り上げた物を一時も手放したくないからか。短剣なら、常に腰へ差していれる。
フェルミは半ば急かすように、ハルエッドとルティネスを連れて工房から飛び出した。
まだ春にもなっていないので、空気は肌を刺すように冷たい。だが、それも高揚したフェルミのは心地いい。
太陽は落ちかけているから、もうすぐ市場は閉まってしまうだろう。それでもフェルミは人混みの間を縫い歩き、目的の屋台へ行く。客寄せか、はたまた己の技術を誇示するためか、見事な細工が置かれていた。
職人は店仕舞いの準備をしていたのにも関わらず、フェルミたちが来ても嫌な顔一つしなかった。
細工職人。
かれらは宝石を美しく際立たせるだけでなく、数多く小物を扱うので、鍛冶職人の真似事だってできる。
「これを?」
と、白髪が混じり始めた職人は、フェルミの差し出した物を受け取り、訝しむように眺めた。
男の顔に、反射した夕日が落ちる。
「ああ、これで短剣を作ってくれ。ついでに、鞘も」
「少し純度が低いと思いますが、わかりました。装飾はどうしますか?」
「澄み渡るサファイアを。それと、可能な限り早く。完成すれば、丘の上の工房まで頼む」
フェルミはそうやって、職人の前に聖金貨を置く。装飾に宝石だとしても、破格の金額。それでも、職人は商人のように顔を綻ばせなかった。
「それでは、夜通し作業して明日の昼に届けるとしましょう」
「頼む」
そう言って、フェルミは立ち上がった。固まっていた体中の骨が鳴り響く。
サファイアを選んだのは、伝説があったからだ。身に着ける者に知恵と安らぎをもたらし、罠を見破るという伝説。
薬種商のフェルミは伝説も、もちろん神だって信じないが、たまには宝石もいいだろうと。
そして、隣にいるルティネスを振り返ると、やはり名残惜しそうな顔をしていた。ハルエッドはいつもの、にまにまとした笑み。
「で、フェルミ。工房へ帰る前に、付き合って欲しい場所があるんだけれどねえ」
「あ? なんだ、気持ち悪い」
「ちょっと、職人組合のシャンディーに用が、ね」
「っ! ……何か掴んだのか?」
「まあ、そうとも言えるけど」
フェルミは静かに頷き、きょとんとしていたルティネスに言った。
「お前は先に工房へ戻っていろ」
ルティネスは納得していない顔だったが、理解はしたのか工房の道へ引き返していく。その姿を見送ると、ハルエッドと共にヤーゾンの町の目抜き通りを歩いていく。
日はとっくに落ちて、市場は飲み屋の灯りだけで独占される。何度も繰り返される、変わらない景色。
そこに、フェルミは何か質の違う風を感じていた。
雲一つない晴れの日に鼻をくすぐる、嵐を予感させる水を含んだ風のような……。
フェルミが警戒心を高めながら歩いていると、組合の建物が見えてきた。ハルエッドは自分の工房のように、ノックもなしに扉を蹴り開けた。
「話がある」
いつものように間延びていない、真剣なハルエッドの声。
「……今から夜だというのに、不座法な薬種商がどのような話かしら?」
答えたのは、漆黒の髪を持つ少女。五代目組合頭領シャンディー・アルタナ。傍に仕える執事は、フェルミたちを一瞥するだけだ。
ハルエッドは少女を見ながら、しかしその姿を眼中にすら納めずに言った。
「俺達の工房の前任者と、教会との取引明細表を求める」
簡潔だが、いつになく真剣な言葉。だが、今はそれよりも。
「おい、ハルエッド。どうして職人組合に来た。前任者は騎士団所属だから、職人組合は……」
関係ないだろう、と言いかけて声が詰まる。関係がないなら、ハルエッドは動かない。
「そうだよお、フェルミ。前任者は騎士団所属じゃあない。主を失った工房は職人組合から騎士団に移譲されたんだよ」
「……ありえなくもないが、どうしてだ?」
「どんな手段なのか予想できないけれど、俺達を教会と敵対させるためだよお」
「教会ッ!?」
唖然とした。それは有り得ない。教会がきな臭いとは前から思っていたが、教会にも、まして職人組合が騎士団に属すフェルミたちと敵対する理由が思い浮かばない。
「……何の話ですか?」
話の流れが読めず、苛立つような声。シャンディーは前もそうしたように、ランタンへ灯りを付けた。
「お前は、俺達に明細表を見せればいいだけだよお。そうすれば、俺も手荒な真似をしなくて済むね」
薬種商の手荒な真似は、手荒の範疇を超える。気絶しないように覚醒剤を飲ませ、四肢の爪を剥ぎ、生きたまま内臓を引き摺りだす。情報を得るためなら厭まない、非人道的な手段。
「……私も痛いのは嫌だもの。わかったわ」
そう言いながら、シャンディーは机上に置いていた紙の束を投げつけた。ハルエッドは薄暗くても器用に受け取って、その内容に目を通す。
「こいつ……」
横から覗き込んだフェルミは呟いた。
やはり、シャンディーは侮れない。
渡されたのは、前任者の取引明細表。
初めからこの話を予想していたのだ。
「ないな」
「うん、ないみたいだね」
ハルエッドは自身の推測が外れたのにも関わらず、にまにま笑みを絶やさない。
どこにも記述されていなかった。前任者と教会が取引されているのは。
「納得したから、帰るよお」
そして、ハルエッドは不意にいつものように語尾を伸ばしてそう言った。
それから、くるりと体を反転させて、歩き出す。あまりにもあっさりとしていたので、フェルミは呆気に取られてしまった。
それはシャンディーも同じらしく、もう少し深掘りすると思っていたらしい。
しかし、ハルエッドを追いかけるその足が止まったのは、シャンディーに呼び止められたからだった。
「前任者の行動を知りたければ、白熊の毒を尋ねなさい」
蝋燭の灯りしかない静かな建物の中で、少女の小さな声は案外響いたのだった。
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