第10話 純粋な物へ

 薬種商という業種は意外と体力が必要になる。長時間、すり鉢で薬草を磨り潰し続け、毒素が生まれる実験なら息を止め続けたり、騎士団から許可を貰えば新たな薬草の発見に山だって入る。挙句の果てに、あらゆる毒を薄めて自分で摂取し、暗殺への耐性だって付けたりする。

 結果、体は引き締まらなくとも、ちょっとした筋肉と体力は付くのに相違ない。


 だが、それも錬金術師と比べればどうなのか。

 彼らは多くの鉱石を槌で叩き潰し、炉の温度を上げるためにふいごを回したりする。薬種商と同じで、彼らにも休みはない。騎士団に命じられるがままに、毎日繰り返し、毎日繰り返し、毎日繰り返し、繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し。


 そうやって図らずとも生み出される筋肉は、フェルミ達のそれとは明らかに異なる。服の上からでも認められる筋肉の隆起、がっしりとした体格。それでいて傭兵のような刹那の生き方を好まず、じっと黙って炉を眺める姿はどこか詩的ですらある。


 そんな錬金術師の真似事を、どうして薬種商がしようとしているのか。

 鉄を精錬してみよう、と思い立ってから一週間が何事もなく経った。

 天気が荒れていたのをこれと幸いに、フェルミとハルエッドは前任者が残した資料を昼夜関係なく繰り解いていった。


 ルティネスは見栄を張る所以外は平穏そのもので、フェルミの作業を眺めているか、書物を開いているか、フェルミに基本の教えを乞うぐらいだった。フェルミが懸念した罠説も、ハルエッドが懸念した教会の陰謀も、影も形すらも見えない。

 そもそも、そんな危険などどこにもなかったのかもしれない。フェルミはそう思っていたが、緊張感の薄れは危機感の薄れに直結する。

 とは言っても、ルティネスがフェルミの信用を得るには十分な時間だった。


「……本当にこれが、これになるのか?」


 荒れた天気が続いた後の、久しぶりに綺麗に晴れた日。

 湿度と温度の変化を嫌い密封されているせいで、工房の中はそれでなくても暖かい。

 フェルミは工房の地下一階、錬金術師の作業室で両手の物質を見比べながら言った。


「本当です」


 信じられない、と思う。フェルミの左手には先週購入した茜色の鉄鉱石、右手で握っているのは光輝く純鉄の標本。その色は雲泥の差と言ってもいいほど異なっていて、それだけを見たら鉄鉱石から純鉄が生まれるとは、到底信じられない。


「鉄は、時間を掛ければ不純物のない鉄になる、か」

「それは、見方によっては信仰に似ています」

「信仰?」

「神様は純粋な金属を埋めませんでした。だから、私たちは様々な過程を経て、純粋な金属に仕上げていきます。聖職者の信仰も同じく、入り乱れた感情を少しずつ昇華し、純粋な物へ近づけていきます」

「確かにその通りかもしれないが、……待ちきれずに葡萄を絞った人では説得力がないな」

「……」


 活き活きと話していたルティネスの顔が一変して、むくれた顔になる。それにフェルミが精一杯嫌そうな視線を向けると、無きにも等しい威厳を少しは取り戻したらしい。溺れる最中に底へ足が付いたような顔をして、ひねくり出すように言った。


「あ、あなたも仕事をやらずに昼寝していたじゃないですか?」


 ひねくり出された言葉は、会話の流れに合わない、それこそ無意味な物だった。


「俺はいいんだよ、俺は」

「あなたは前に言いました。与えられた仕事をせずに寝るのは罪だと」

「それで?」

「そ、それで、私は寝ないように頑張っているつもりですが……」


 ルティネスが喋っている内に、フェルミは鉄鉱石と純鉄の見比べが終わった。どうも未だに色の変化を信じれないが、錬金術師が言うのなら違わないのだろう。


 フェルミは先週購入していた木炭や牛糞、そしてのみと槌などの必要となる道具を作業台に並べていく。

 普段から実験に慣れているので、あっという間に準備が終了した。

 ルティネスにも鑿と槌を向けると反射的に受け取っていたが、途端に顔を顰めたのは意外と重かったからだろう。


 それでも、どこかほっとしている様子だった。

 と言うのも、会話の途中でフェルミが準備に取り掛かったため、ルティネスは少し不安そうにしていたからだ。率直すぎる物言いに、フェルミが怒ったのではないか、と心配していたらしい。

 忌み嫌われた錬金術師が、忌み嫌われた薬種商に対し。


「で、さっきの話だがな、俺は昼寝をしなければならないからな」

「え?」

「俺は日が沈んでも、作業を続けている。時には寝る事もなかったりする。きちんと規則正しい睡眠ができるお前と違って、昼寝をしなければ体が持たない」

「わ、私が直ぐに就寝しているのは、元流浪の民だからです。夜に強行突破は危険だから、翌日の体力を蓄える為に寝ていたのが習慣になっているだけです」


 フェルミがルティネスの顔を覗き込むと、気圧されたように一歩退いた。


「へえ、お祈りを毎食するのも習慣なのか?」


 フェルミの言葉に、ルティネスは一瞬緊張したような顔をしたが、それが聞かれたくなかったゆえのものかどうかもわからない。


「……ええ、そうです」

「旅の作業は手早くしなくてはならぬ、と聞いている。なら、これも手早く終わらせよう。まずは、何をすればいいんだ?」

「……この鉱石を砕くことからですね。私はあちらで木炭を砕いておきます」


 フェルミは道具類の中から鑿と槌を取り出す。主なき状態で放置されていたのに、いい素材を使っているのか、道具の魂までは消えていなかった。


 鉄鉱石を鑿で抑えながら、槌を振り下ろす。力が十分に伝わらなかったのか、それとも硬質な鉄鉱石だったのか、少し欠けただけだった。

 それでも、力を込め直して振り下ろす。

 久しく槌を振るっていなかったからか、その柄は手に馴染まない。振り下ろす。槌を扱うのに必要なのは、力を込めるのに躊躇しない勇気だ。振り下ろす。


 振り下ろす。


 何度も、何度も振り下ろす。


 フェルミは薬の調合をするより書物に酔うのが好きだが、こんな単純作業にも合うのかもしれない。ただ、何も考えない純粋な気持ちで、槌を鉄鉱石へ叩きつける。


 等間隔に、重低音が工房に鳴り響く。まるで、教会の釣り鐘のように。


「……」


 時間が経つ。


 時間が過ぎ去る。


 もはや体外で流れる時間など気にも留めない。ここに体はあるのに、そこに心がないような、そんな感覚が心地いい。

 今、どれくらい砕き続けただろうか。途中で五個を超えたあたりから、砕き終わった鉄鉱石を数えなくなっていた。


「知識があるだけで違うんです。剣を作るのは難しいけれど、金属の精錬は簡単なんです」

「……」


 金属がぶつかると共に飛び散る火花が、フェルミの頬を淡く照らす。

 ルティネスの語り掛けるような優しい声は、耳を通さずに脳へ直接染み渡っていく。


「剣の作り方にはいろいろあるんですよ」

「……」


 フェルミは陶酔するように、槌を振るう。


「作り方がわからなくては、作れない」

「……」


 振るう。


「でも、金属の精錬には、全てを知る必要はないでしょう?」

「…………」


 フェルミが握っているのは、大きな鑿と槌。そして作業台の上には、拳ほどの鉱石。

 握りしめた槌を振り下ろすたびに、鉱石は小さく小さく砕かれていく。それでも元が硬質だから、力を込めないと上手く砕けない。

 ゴンッ、ゴンッ。


「……」


 ゴンッ、ガンッ。


 鑿で抑えながら、槌を振るい続ける。砕かれた断面は綺麗な断面を見せていて、鏡のように光が反射していた。

 もう既に鉱石は欠片程度の大きさになっているが、まだ砕き足りない。砂のような状態にまでしなければ、加熱時に熱の伝導率が変動してしまう。


「あの、もういいですよ」


 そう言われても無意識の内にあわや砕き続けようとしていて、はっと我に返ったように手を引っ込める。

 長い時間を作業していたみたいだった。だが、始めたのが朝早くだったので、太陽はまだ昇り切る前だ。


 裾で汗を拭きながら振り返ると、ルティネスはフェルミが砕いた鉱石の破片を拾い集めていた。かなりの時間を砕き続けていたからか、その量は麻袋一杯分にもなっている。けれども、これを精錬した時に残る鉄は、微々たるものらしい。


「それで、次はこの砕いた鉱石を、同じく砕いた木炭と混ぜ合わせます」


 そう言いながらルティネスは擂り鉢で慎重に混ぜ合わしていく。灰色と黒色の境目が消えていき、何とも表現しがたい色になる。

 下準備は上々。これで精錬の舞台が整い、後はひたすら鉄鉱石から不純物を取り除く作業に移る。ルティネスは予め火を灯していた炉に混ぜ合わした粉を入れると、炉扉を閉めた。


「これからが本番です」

「……ふいご、だろ」


 フェルミの言葉に、ルティネスは小さく頷く。

 金属はある一定の温度に達すると、溶けだす。が、ただ火が灯っているだけの炉では、金属が溶けるような温度を出せない。

 そこでふいごを使い、炉に空気を送り込むことで温度が上昇するのだ。しかし、問題は使うのが手押し鞴であること。空気を送り出すために必要な体力は以上に多く、それゆえ錬金術師は皆体力が付くのだ。


「だが、この工房には水車鞴があるだろ?」

「能力が高すぎて粉末が飛ぶため、使えません」

「ふん」


 フェルミは適当に返事をしながら、試しに鞴の棒を押し込む。硬い手ごたえを感じると、炉の中の炎が強くなったのが感じられた。吹き口から風が送り出されたのだ。


「しっかし、文明の利器は凄いな」


 再度、押し込と、熱波がフェルミの肌に届く。今頃は少しずつ鉄が溶けだしている頃だろう。


「製薬にもこんな利器があったらいいのにね」


 フェルミは槌を振るい続けて体力が削られた自分を叱咤して、にやりと笑ったのだった。

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