第7話 罪人は苦しんでいる

 ヤーゾンは薬種商にとっては薬の町だが、一般的には緩衝地帯と言われている。

 その理由としては、正教徒と異教徒が平和的に暮らしているからだ。とは言っても、教会が睨みを利かせているだけだが。


 教会は異教徒を許しはしない。騎士団も異教徒を許しはしない。だが、それは表立って異教の神を信仰している場合で、上辺だけでも正教の神を信仰していればいいだけだ。神にうるさい教会も、むやみに争いたくはない。

 だからこそ、このような色々な種族が集まった、ごちゃごちゃとした町が生まれるのだ。


 まだ市場は開いたばかりだというのに、酒を飲み踊る者や、美しい音色を奏でる吟遊詩人だっている。酔った男達はジョッキにナイフを投げて遊んでいたり、気の強い女達はその容貌で客呼びの怒声を上げている。あちこちから活気と笑顔が溢れ、その雰囲気がフェルミは好きだった。


 そんな時、フェルミは視線を感じて振り向いた。

 野の兎のように、この雑踏の中でも自分に向けられる視線には敏感なものだ。

 そこには痩せぎすの男が、にやにや笑いながら立っていた。


「仲良しこよしだなあ」


 ハルエッドは、はぐれないようにフェルミの裾を掴むルティネスを見ながら、そんな事を言った。


「これのどこが仲良しに見える」

「半日でだいぶ好かれてるじゃあないかよ~」

「お前だって、昨夜は遊びに行っただろ」

「あれも仕事だよお。フェルミが調査を押し付けたんだよねえ」

「それで、結果は?」


 それでハルエッドは沈黙した。フェルミはぐるりと見渡し傍聴されていないのを確認し、小声で問いかける。


「何があった」

「ちょっと、色々ね。聞かれたら不味い物もあるから、工房で待ってるよお」


 それを最後に、ハルエッドは欠伸をしながら歩き出した。と思ったら、すぐに振り向いて、


「お嫁さんの体調には気を付けた方がいいよお。フェルミは女の感情に鈍感だからねえ」


 と笑いを堪えるように、とびきり優しい声で言い残して去っていった。


「はあ、相変わらずだな。行くぞ」


 踵を返して市場に向けて歩こうとすると、ルティネスが子供のように裾を引っ張ってくる。見ると、少しだけ辛そうな顔をしていた。


「少しだけ……疲れました」


 ハルエッドの言うようにルティネスは体調を悪くしていた。それはきっとこの人混みの喧騒によるものだろう。耳辺りに手拭いを巻いているのは、異常な聴覚によるものか。

 フェルミは溜息をするのも馬鹿らしく、言った。


「おい、あっちの路地裏で待っておけ。何か飲み物を買ってきてやる」


 ルティネスは何か言いかけていたが、フェルミは気にもせず屋台に向かう。騎士団からの銅貨を消費して買ってきたのは、ミルクに生姜と蜂蜜を混ぜた飲み物。本来は港で働く連中が酩酊して海に落ちないように考えられた飲み物だが、ルティネスでも飲めるだろう。


 ミルクを渡してやると、本当に買ってくるのが意外だったのか、ルティネスはフェルミを窺うように見る。しかし、甘い匂いには勝てなかったのか、ミルクをすすり始めた。


「俺は、忌み嫌われた薬種商だぞ……」


 薬種商として、多くの人を助け、それと同時に多くの人を殺してきた。そこには一片の慈悲などもなく、ただ淡々と自分の道を歩み為に他人の命を奪う。その様子を人々は気味悪く思って、判決フェルミと言う名が付いたのだ。


 全てが利己主義で、全てが実験道具だと考える人間。それが自分のはずなのに、どうして少女を引き取って、どうしてミルクなぞを買ってあげているのだろうか。


 神学者、聖リッツィオはこう記した。

 悪人は苦しんでいる。だが、人の心がないから苦しんでいるのではない。


「……わずかに残るからこそ苦しむのだ、か」


 もしかしたら、あの領主を殺したこの両手にも、優しさが残っているのだろうか。

 だが、例え残っていたとしても、フェルミに後戻りはできなかった。


 フェルミは甘い考えを振り切るために、自分用で買った苦い葡萄酒を呷る。

 安い酒だ。だが、安い酒だから酔わない。酔わないからこそ、自分の目指す道を歩んでいける。

 フェルミが目指す道は。


「おい、ルティネス」


 呼びかけると、気を悪くした事について怒られると思ったのか、おっかなびっくり顔を上げた。


「お前、見習いでも鉄の精錬方法を知ってるんだろ?」

「は、はい。少しだけですが」

「それでいい。俺達の工房で鉄の精錬をしたいのだが、何の材料が必要かわかるか?」

「材料……ですか。普通の鉄鉱石と牛糞や馬糞、鶏の卵……後は木炭とかですね」

「鉄鉱石はわかるが、他の材料は何に使うんだ?」


 聞き返すと、ルティネスはちょっとだけ驚いていた。


「俺は自分の分野なら大体何でも答えられるが、錬金術師の事についてはさっぱりだ。鉄の精錬ってのは、ただ鉄鉱石を砕いて溶かすだけじゃないのか?」


 フェルミがぶっきらぼうに言い放つと、胸を張って嬉しそうにルティネスは頷いた。


「まず牛糞や馬糞は鉄のしなやかさを上げるために使います。それに卵は、卵白と殻だけを使用します」

「ほう……」

「殻は粉にして、卵白はそのまま炉に入れると、鉄の不純物を取り除くことができます。同じ理由で木炭を入れると、純度が上がります」

「……俺とお前では知識の分野が違うようだな」


 薬種商もそんな錬金術師のように、とても多くの材料と道具を扱う。薬の性能を向上させようと思うと工程が複雑になり、その最たる物では作業を二日間ずっと続けなくてはならない物だってある。

 やっている事は異なっても、本質的には同じようだった。


「俺はその材料を買いに行ってくる。お前は先に工房へ戻っておけ。後、そのコップは土製だから、砕いて道端に捨てとけ」


 フェルミはそう言うと、路地裏から出て、鉄鉱石やルティネスの衣類を少々市場で買い込むと燃料屋へ向かった。牛糞や馬糞は燃料として使われるのが多いので、炭や木材と一緒に売っているのだ。


「どれだけ必要ですか?」

「これだけの鉄の精錬に必要な分だけ」


 そう答えると、白髪交じりの店主は早い手つきで馬糞と牛糞を詰めていった。飲食しに来たわけでも、転売目的で来たわけでもないので、既にフェルミの両手にはちょっとした荷物ができていた。


「代金は銀貨二枚です」

「……少し高いな」

「ええ、最近、燃料を無駄に浪費する硝子職人と町が対立しててね、その影響さ」

「へえ」


 その言葉に嘘は感じられなかった。命を狙われやすい仕事柄、ちょっとした呼吸や抑揚の違いで嘘か判別できるのだが、店主の言葉は本当のことなのだろう。

 フェルミは素直に銀貨二枚を出して、麻袋を受け取ろうとしたが、指の触れる瞬間にそれを遠ざけられる。

 怪訝な顔をすると、店主は笑った。


「あんた、騎士団所属の薬種商だろう?」

「……精錬用の糞を買いに来たのに、わかるものなのか?」

「私の友人に娘、ヘレナ嬢と言う方がいまして、彼女も薬種商なんだ。もしかしたら、知ってるかもしれないが」

「いや、知らない。悪いが、この町には昨日の夕方着いたばかりだ」


 そう答えると、店主は深く頷いた。


「それなら、騎士団のカザン攻略の情報は?」

「知らない」


 同じ速度の馬車二台が同じ地点から出発したとしたら、もちろん早く出発した方が早く目的地に着く。また、その間の二台は、互いに関わり合う事がない。細かい所は違っても、それらの関係でフェルミ達には騎士団の動向が伝わっていないのだ。


「カザンの近くにある町に先遣隊が到着したらしい。どうやら、開戦は丁度一週間後のようだ。もしかしたら、結果によってはこの町も危険かもしれない。だから、その時はヘレナ嬢を頼む」

「……気が向いたらね」


 そう答えると、それで満足なように店主は頷いた。自身には子供が恵まれなかったのだろう。

 フェルミは麻袋を受け取ると、両手一杯の荷物を抱えて、工房への帰路に就いた。

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