第6話 初めての朝

 ああは言ったものの、フェルミはルティネスをどうするかなんて実際には考えていなかった。


 仮にもフェルミは騎士団輜重隊に仕える薬種商。食い扶持が増えようとも資金は尽きる事がない。逆に、役に立たないと簡単に切り捨てられるのも事実だが。


 結局、ルティネスはフェルミ達を疑いもせず、二階の部屋で寝る事になった。この工房では元々薬種商と錬金術師の数人が共同生活していたらしく、部屋はこれでも余りある。しかし、前任者がいなくなってから誰も手を付けていなかったようで、埃の被っていない部屋は少なかった。


 だからこそフェルミはルティネスに部屋を譲り、自身はカウンターで寝て体中が痛い。おかげで少しも眠れず、今は蝋燭の灯りで書物を読んでいる所だ。


 元々フェルミは体を動かして薬の調合をするよりは、昼夜問わずに書物を広げている方が好きだ。知識はいくら溜め込んでも不自由ないし、そもそも危険な事が多い薬種商には知識が必要となる。

 その反面、ハルエッドは薬の調合をよく好む。暇さえあれば何種類の材料を混ぜ合わせていたり、危険などお構いなしに燃焼実験を行っていたりする。そう考えると、一度は離れ離れになったが、フェルミ達は良い相棒なのだろうか。


「……相棒、か」


 自分の考えたことが馬鹿らしく、鼻で笑う。ハルエッドだって相棒などとは思っていないだろう。

 そうして新しい書物を開こうとした時、上の階段から足音が聞こえてきた。

 ルティネス。

 まだ日が上がって来てもいないのに、起きたようだ。その心構えは偉いと思うのだが、ふらふらとした足取りで妙に危なっかしい。


「早起きだな」

「……寝過ごしては格好が付きませんし、旅していた時の習慣です」

「それなのに寝ぼけているじゃないか」


 そう少女の顔を眺めると、慌ててルティネスは服の裾で顔を拭っていた。やはり服は昨夜と同じで、純白の錬金術師服に頭には奇妙な手拭いを巻いている。もしかして、その服のままベッドで寝たのだろうか。それとも汚さないように裸で寝たのだろうか。


 そんな事を考えながら、フェルミは洗面桶に水を入れてルティネスの前に置いてやる。その水で顔をごしごしと洗い終わった時には、ルティネスの眠気は消し飛んでいたようだった。


「朝食はチーズと雑穀粥でもいいか?」

「あの、その前に朝のお祈りをしていいですか?」

「お祈り……って、錬金術師が神の信仰するのか? あの神を冒涜する事で有名な錬金術師が?」

「祈りを捧げるだけです。あと、神への冒涜はしません」


 ルティネスは例えとして、鉄の精錬を語った。

 鉄は砂鉄からも精錬できるが、大体は岩石から作り出す。岩石を砕いて熱し、溶けだした金属をまた砕き、水に晒して不純物と分類し、また炉に入れて熱する。この時に純度を上げるために、卵の殻や石灰や麦粉を入れるらしい。ここで重要なのは、それらは全て白い粉ということだ。


 白い粉が純度を上げるなら、他の白い粉は。動物の骨を砕いて入れてみたらどうだろう。人間の骨を砕いてみたらどうだろう。そんな風に道を外れた考えを持つ輩もいるので、錬金術師は神を冒涜していると言われるらしい。

 また、祈りを捧げるのは、別の理由がある。神がいるとは信じてはいないようだが、神がいた時に実験の失敗を減らしてくれるかもしれないからだ。しかも、祈りをすることで、教会からの睨みも少なくなると言う。


「ふうん、錬金術師も薬種商と似たようなものだな」

「あと、錬金術師は鉛から金を造り出すと言われていますが、彼らは実際そんな事をしてません」

「へえ」

「実際は鉛から不純物である金を取り出しているだけです。何もない空間から金が造られたように見えたから、彼らは錬金術師と呼ばれるようになったのでしょう」

「そうか……、俺の知識もまだまだだな。時間を取らせて悪かったな、朝食を作るから座って待っとけ」


 フェルミはそう言うと、奥にある台所へ向かう。台所と言っても、加熱するための穴と金網と銀食器ぐらいだ。ここに木製ではなく銀製の食器しかないのは、猛毒の砒素と反応して変色するため、暗殺を防げるからだ。と言っても、砒素を摂取すると唇の色が微かに変わるので、目利きのあるフェルミには簡単に防げる。


 フェルミは簡単な雑穀粥とチーズを食器に入れ、祈りを終えたルティネスの前に置く。すると、口元を隠しながらも、もそもそとチーズをかじり始めた。


 同じ食卓に付く、という慣用句があるが、少なからず相手を信用するという意味だ。

 その中に毒が入っているかもしれないのに、信用しすぎではないか。思い返せば、昨夜のルティネスとは同一人物とは思えないほどに、流暢に話すようになった。これも信用なのだろうか。

 ルティネスがこの工房にいる間は守ってやるつもりだが、工房の外で毒を盛られても救いようがない。

 フェルミは警戒もせずに雑穀粥をすするルティネスに、小さな溜息を漏らした。


「しかし、お前の指は錬金術師とは思えないほどに、白くて細いな」


 そう言うと、ルティネスは裾の中に手を隠した。

 錬金術師は薬種商よりも力仕事が多いと聞く。力のない少女が務まるのだろうか。

 考えてみると、この工房には元々錬金術師も住んでいて、専用の炉まである。それなら試しにルティネスの下で、鉄の精錬をしてみるのも良いかもしれない。

 ルティネスが先ほどの会話で錬金術師を彼ら、と言っていたのは、弟子入りしたばかりで実体験がないからだろう。それでも、そこまでの知識があるなら、不格好でも多少は再現できるだろう。


「それを食べに終わったら、出発するぞ」

「え?」

「この工房には必要な物がほとんど揃っているが、鮮度が落ちた材料もいくつかある。それらを買うために、市場に行くんだよ」

「わ、わかりました。すぐに準備します」

「慌てなくてもいい。市場もまだ開いてないだろうからな」


 書物を読むための蝋燭の灯りは既に消えていた。しかし、代わりに顔を出した朝日が工房の中を淡く照らしている。遠くから聞えた鐘の音で、今日もまた新しい日の流れが始まるのだ。

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