第8話 陰謀の予感

 薬は、時にその牙を見せる。

 使い方を誤らなければ使用者の病を治すが、使い方を誤れば使用者の命を刈り取る。例えると、水は生きていく上でなくてはならぬ物だが、熱湯にすれば火傷をするし、足を取られると溺れる。

 狡猾で、残忍で、そして気まぐれで命を助ける。

 それが薬であり、薬種商なのだ。


 先人が残した膨大な資料がなければ、どの草木が毒を有しているのかもわからない。薬種商も騎士団の首輪がなければ、何をするかわかった物じゃない。


 だからこそ、フェルミ達には自由がなかった。毒の知識で町を滅ぼすかもしれないし、敵に寝返れば騎士団ですら危うくなる。薬種商は人間としての生き方を騎士団に保障される代わりに、人間としての自由は剥奪される。金に困らなくても、望んでその城壁を越えられない。


 それが、フェルミとハルエッドの生き方だった。

 その点で見れば、ルティネスには『自由』があった。錬金術師でも、それはヤーゾンの職人組合に仕える薬種商。望めば城壁を越えられるし、望めば異なる人生だって歩める。それなのに、ルティネスは不自由な薬種商の工房に居候することにしたのだ。

 フェルミはルティネスを寝かしつけて、暗闇の中ハルエッドと協議を開始した。


「何がわかった?」

「夜の蝶が言うには、あそこの親方は寡黙で真面目だったそうだねえ。しかし、最近は教会と問題を起こしたみたいだよお」

「教会か……」


 盗み聞きをする耳があるのを想定した、少しでも離れると届かない声。それでいて、ハルエッドの言葉は間延びした、人を馬鹿にしたような声だった。


 夜の蝶、と言うのは、風俗店で働く乙女たちの隠語だ。彼女たちは多くの貴族に囲まれる頻度が高く、それに比例して機密情報を聞き出していたりする。表では金で買われる乙女でも、裏の顔は金で弱みを握る情報屋。

 無類の女好きのハルエッドは、彼女たちと一晩を過ごしながら、情報も買ってきたのだ。


「となると、教会と揉めて暗殺されたってのが真相か?」

「そんな簡単でもないみたいだねえ。あの親方は沸騰した水銀による自殺となってるし、ここの先陣も水銀による自殺みたいだし」

「っ!! 水銀だと!?」

「そうだよ、この工房には水銀が存在しない。少しきな臭いし、裏で繋がってると考えた方がよさそうだよお」


 フェルミは黙り込んで、考える。

 裏で糸を引いているのが教会だとしたら、目的はなんだろうか。もしかしたら、騎士団に所属しているフェルミ達を陥れるためなのか。いや、騎士団の支援がない今の二人は、何の価値すらない。それでも、フェルミ達がもし殺されれば、騎士団は教会に牙を向けるだろう。


 教会は強大化した騎士団と敵対できない。

 騎士団が右の乳房、教会が左の乳房、という変わった言葉がある。

 教会も騎士団も神を頭上に仰ぐのに違いはないが、その仰ぎ方には少なからぬ違いがある。崇める聖人とも風習ともなれば全くばらばらで、本当に同じ宗教なのかと考えるのも馬鹿らしくなる。


 そんな中、互いに揃って崇め奉るのが、この聖母という存在だ。

 二つの勢力が「聖母の姿」を取り合うその姿を、市井の人間は乳房を取り合う双子の赤子の争いと嘲笑する。

 互いに相手が憎くても、聖母の下では争えない。

 教会は騎士団と敵対できない。

 騎士団は教会と敵対できない。


「騎士団と言えば、フェルミ。先遣隊が現地に着いたらしいよ」

「町で聞いた。開戦は一週間後らしいな」

「もし、この遠征が終われば、俺達はどうなるんだろうねえ」


 そう言いながら、珍しくハルエッドの横顔が曇った。優しい月光が埃に反射して、流星群のように瞬いていた。


 騎士団は世界から異教徒を滅ぼすために奮闘している。薬種商はその騎士団を援助するために、新技術の開発を行っている。

 だが、もし最後の異教徒の町、カザンが陥落したらフェルミ達はどうなるのだろうか。戦争のない世界に、戦争のための新技術は必要ない。用済みと切り捨てられるのか、さもなくば騎士団の下に仕えるのか。どちらにせよ、そうなればフェルミもハルエッドも目標から遠ざかる事だろう。


 フェルミは神なんて信じてはいないが、騎士団が世界の平定を成し遂げるのは喜ばしい。が、仕事を失うかもしれないなら、素直には喜べない。見方によっては、善は悪となり、悪は善となる。

 万物は流転するのだ。


 話は終わりだと言うように、ハルエッドは二階へ上っていった。静寂な夜の工房に階段の軋む音が響く。


 ふと、フェルミは職人組合の娘シャンディーと同じ事を考えていた自分に、小さな苦笑を漏らしたのだった。

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