終章-2 決別

「結婚もしないよ。ただ同じ土地に引っ越すだけ」

「結婚もしない男の人と一緒にいて、それがなんになるの。そんなふうに生きて、悲しいだけでしょう」


 ほとんど半泣きみたいな顔で叫ばれた。悲痛な声に、また足元が揺らぎそうになる。なんとか踏ん張ることができたのは、やはり公星くんのおかげだ。数えきれない対話のなかで、わたしたちはひとつずつ、いろんなものを諦める作業を重ねた。


 親からの期待。うまくいけば出会えたかもしれない未来の子どもたち。友人との共感。社会的な信頼。普遍的な人生と、それに基づく自己肯定感。


 目の前にいるこのひとは、そういうわたしが切り捨てる正しさの象徴みたいなひとだ。


「ねえ、もう大人なのよ。いい年なの。子どもみたいなこと言わないでよ」

「そうだよ。わたしもう大人なの。子どもじゃないんだよ。この年になるまで、ずっと考え続けていたの。それで決めたんだよ」


 母の両肩を押し返す。人生で初めて、母と喧嘩をした。


 うまく言い負かす自信なんてなくて、拙い言葉で子どもみたいにまくしたてる。呆然とする母に頭を下げて続けた。


 だからもう、お母さんも自分の人生を生きてください。


 これ以上なく冷淡な言葉だったと思う。恩知らずと罵られても仕方ない。清々しさなんてない。最悪の気分だ。


 どうしてこんな終わり方しかできないのだろう。泣き出したくて、でも涙を流す資格がないことはわかっていて、逃げるように玄関へ向かった。


 靴を履いて立ち上がるとほとんど同時に、強い衝撃に前のめりに倒れそうになる。リビングから飛び出してきた母が、今までに味わったことのないような強さで、わたしを抱いていた。


「子どもなのよ。それでもわたしにとっては子供なの」





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