終章 惑う星たち

終章-1 RE:エスケープ

 転居のいろいろな準備も、ふたりで相談しながら進めた。


 帰る場所も向かう先も失ったわたしが壊れずにいられたのは、公星くんがいたからだ。

 着実に巣立ちの支度を整えながら、わたしたちは何度も揉めた。


「でも、でも公星くんはまだ二十四歳です。わたしなんかがあなたの人生を左右しちゃいけない」

「どこへ流れてなにをするかはおれが決めます。それに水が合わなければ逃げ出す思い切りのよさも持ってます。花緒さんだって知ってるでしょう」


 少なくない話し合いのなかで、何度「でも」を重ねたかわからない。一緒に生きたいなんてまっすぐに伝えておいて、わたしはいとも容易く揺らいでしまう。


 お兄さんが性的欲求にかられたのは事件のあの一度きり。果たして本当にそうだろうか。


 後ろからわたしを抱きすくめた指先は、どこへ添えられていただろうか。吐息が頸動脈の辺りを滑ったのはなぜだろう。

 しゃがみこんだ水着姿のわたしを熱心に撮影していたあの目に、本当に特別な意味など込められていなかったのだろうか。


 なにを模した行為だったか、なにをされそうになったのか、なにをさせられそうになったのか。ひとつ思いだすたびに、わたしは上から重たいもので押しつぶされていく。


 時々思い出したように不安定になるわたしに、公星くんはただ当たり前に寄り添ってくれる。優しさや親切、ましてや愛情なんて言葉じゃ無粋なくらい、ただ、いつもと変わらず当たり前にそこにいてくれる。


「やっぱり、しばらくここで過ごした方がいいんじゃないの」


 実家に通うなかで、母には何度も請われた。


「一緒に来てくれるひとがいるから、大丈夫」

「ああ、五十嵐くん」

「陽輝じゃないよ。陽輝とは別れたから」


 アパートを特定した男性が、幼いわたしに囚われていたということを、母は知っている。だからこの土地を離れるというわたしの決断にも、心配はすれど反対はしなかった。それはたぶん、母の中で、わたしの隣にはまだ陽輝が立っているからだ。


 陽輝と終わったことを、わたしは転居の前日になるまで言えずにいた。


 さっと顔色を変えた母に肩を掴まれる。


「誰、女の子。お友達? どういうひと」

「男の人。だけど別に、付き合ってない」

「付き合ってないのに? 結婚は?」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る