4-3 始点と終点
胸が高鳴ったり、不必要に怯えてしまうこともある。焦がれたひとが手の届く場所で生きているという事実を振り返って、何度でも新鮮な緊張感を味わうこともできる。だけどそのたびに、そこにある確かな安らぎを確信する。
「今がいいなって思うんです」
「……おれ、ずっと聞きたかったことがあって」
「はい」
「花緒さんって、どうしておれのこと推してくれたんですか。歌もダンスも芝居も、おれよりうまいひとなんてたくさんいるでしょう」
突然舞台に引っ張りあげられたような感覚だった。まさかこんな事態に陥るなんて思いもしなくて、隠し立てしようにも隅々まで照らされて隙がない。
だけど向かい側で、わたしの手を取って引き上げた彼が、わたしと同じように怯えた目をしてこちらを見つめている。
白く弾け飛んだ頭で、ゆっくりと辿るように思い出してみる。わたしが公星くんを見定めた舞台。
「リヴァステ初演で」
東京凱旋公演で、三列目の通路横という、嘘みたいな良席を引いた記憶がある。首筋へと流れてゆく汗すらも肉眼で捉えられた。
「すごい汗だくのひといるなって思って」
「え」
「あ、代謝がいいひとなんだなー、若いなーって」
「うわ待って恥ずい恥ずい」
「少なくとも私には公星くんがいちばん必死に見えて。汗だくで踊る姿が素敵だなと思ったら、気づいたら推してました」
公星くんが火照った顔を冷ますように手を扇いでみせる。黒髪の隙間から白い額に小さな粒が浮かんでいるのが覗いて、わたしは無性に懐かしくなってしまった。
きっとそれが顔に出ていたのだと思う。公星くんは諦めたようにため息を吐いた。
「そんな風に見てくれてたんだったら、もう少し続けてみてもよかったかもしれませんね」
驚くわたしを見つめ返して、即座に言葉を継ぐ。
「もう戻りませんけど。今の生活が気に入っているので」
もう一度輝く彼が見られるかもしれないなんて淡い願望は、にこやかに、容赦なく切り捨てられた。あ、終わった、と直感的に思った。
ひとが夢を手折る瞬間というものに、初めて立ち会ったのに、悲壮感は気配すら現さない。わたしは悲しみではなく、涙が滲みそうになってしまった。軽くなった。そう感じてしまった。
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