回想4-3

 びっくりして振り向いた先で、瑞希が必死に手を伸ばしていた。教室を飛び出した勢いのまま駆けてきて、陽輝の手を乱暴に掴む。もう片方の手で食べかけのブラウニーの入った袋を鷲掴みにしていた。


「え?」

「それ、食べちゃだめなやつ」


 陽輝に念押しして、竦み上がったわたしの胸にブラウニーを押し付ける。


「花緒、これなに入れたの。すごいしょっぱかったんだけど」

「え?」


 一瞬で全身から血の気が引いた。瑞希の食べかけのブラウニーを反対側から齧る。チョコレートの味よりも強く塩の味がした。


「うそ、え、なんで」

「まさか塩と砂糖間違えた?」


 瑞希の言葉で昨夜の記憶が蘇っていく。試験勉強に追われ、直前になって思い出したように準備を始めた。作ったこともないのにブラウニーを選んだ。明日も朝から小テストなのに、睡眠時間がみるみる削れていく。焦りと勝手のわからない不安で、最後はほとんど泣きそうだった。


 そういう爪先から這い上がるような感覚がひとつひとつ姿を取り戻していくと同時に、今度は新しい不安も芽生えてきた。これを、さっきの教室で、あの子たちも食べたの。ブラウニーを摘まみ上げる指先から冷たくなっていくようで、気を抜くと廊下に落としてしまいそうだった。


 今頃なんて言われているかわかったものじゃない。今から謝罪に走って、どんな顔をしたらいいのか、想像するだけでおそろしくて震えた。


「ちょっと」


 瑞希に焦った声で顔を上げる。陽輝がおもむろにブラウニーを拾い上げる。わたしたちが制止するよりも早く、一切の躊躇なく口に放り投げた。


「あほんとだ、塩の味するかも」

「うそうそうそやめて陽輝! だめだって!」

「でも全然いけるわ」

「いや無理しないで、高血圧んなるよ!?」

「大丈夫、若いから」


 わたしが腕を掴んでも、瑞希が大声を上げても、陽輝は止まらない。まるまる一個食べきってからわたしに笑いかけた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。俺馬鹿舌だから」


 わたしは胸が詰まって、言葉を発せないまま首を横に振り続けるしかない。どうしていつも笑ってくれるの。ここまでわたしを許してくれるの。陽輝の優しさが、涙が滲むほどの痛みを生む。


 言葉に詰まるわたしの代わりに瑞希が継ぐ。


「それ、かえって失礼じゃない。なに作ってこられてもどうせ味なんかわかんないしって聞こえるよ」





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