3-23 引退
一瞬、これはなんの話だろうと思考が流れた。いつまで待っても、わたしたちへの糾弾は届かない。彼が憎んでいるのは、むしろ、彼自身のようで。
「何者にもなれなかった、特別じゃない普通のおれのままじゃ、帰れない」
公星くんの告白は断続的につながっていく。
高校三年生の頃、兎堂くんと出かけた先で今の事務所にスカウトされた。報告した家族は大喜びで、中でも祖母は涙を流して彼を抱きしめてくれたらしい。公星くんはおばあちゃん子だった。
特技もひとに誇れるものもなにもなかった彼でも、自分の価値を見つけたような気がした。自分も特別な存在になれるのではないかと期待した。だけど現実は違った。2.5次元舞台を中心に活躍し、瞬く間に人気を集め、順風満帆に見えた芸能生活の裏側で、いつも彼は重圧に耐えていた。才能のある同世代たちに囲まれて自らの凡庸さが浮き彫りになるばかりだった。
「みんなおれに期待してくれた。みんなおれを信じてくれた。だけどおれだけが、自分がそんなにすごいやつじゃないってことを知ってる。ずっとみんなを騙してるみたいって思ってた。だけどそんなの誰にも言えない。もういらないって言われたら、おれはどこに行けばいい」
必ず成功すると約束して実家を出た。あなたは特別な子なのだと家族が代わる代わる抱きしめてくれた。心が折れそうになるたびにそのときの記憶が蘇る。
わたしはその存在を知っていたはずだった。彼の努力すらも愛していた。だけど、なにも足りていなかった。
重たく速すぎる日々の繰り返しで擦り切れた心は、段々と細くなっていく。容易く折れたきっかけはわたしにも覚えがあった。それは引退の三か月前、初演から続いた『リヴァステ』のキャス変発表。2.5次元舞台では定期的なキャスト変更が行われる。それ自体はなにも珍しくはないものの、毎回関わるひとのすべての心に傷を残す。入れ替わりの理由は、観客には想像もつかない。
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