3-22 覚悟
「今行こうとしたんじゃないんですか。だから開けたんじゃないんですか」
「行こうとしました。だけどやっぱり無理です」
「どうしてですか」
「花緒さんには言えません。離してください」
「ここで離したら絶対に後悔します」
「だって花緒さんは、おれのこと知ってるじゃないですか」
「知ってるって、どういう」
「去年までのおれを」
内側からドアを引く公星くんの力が一瞬弱まる。
「あれはおれじゃない。花緒さんはおれに騙されてる。だって、おれは、本当は」
そこで言葉が途切れる。言おうか言うまいか、彷徨うような間。先に言葉を重ねたのはわたしだった。
「教えてください。どうしてあなたのことを知っているとダメなんですか」
あなたのキャリアを奪った、夢を打ち砕いた、その罪がはっきりと知りたい。知らないままでは、あなたとは生きられない。わたしはきちんと責められたい。
「わたし、あなたの隣で生きていきたいんです」
わたしを見る公星くんの瞳が涙で大きく揺らぐ。それから胃痛を堪えるみたいに手をあてて、足もとから崩壊していく。ドアノブにひっかけたままだった指先が滑り落ちた。すり足みたいに踵を引いて、わたしたちの間に距離が生まれていく。ついに踵が玄関の段差にぶつかって、彼はフローリングに落ちた。
わたしは慌てて玄関に入り込む。咄嗟に伸ばした手は間に合わなかった。彼は尻もちをついた姿勢をそのままに、膝の隙間に顔を埋める。ドアが閉まる。雨音が遠ざかる。
玄関に、と掠れ声。
「サインがあって、デビューした頃に、はじめて書いた」
ほとんど吐息のような声を聞き逃してはいけないと、わたしも床に膝をついて彼に耳を寄せる。
「おばあちゃんが嬉しそうに飾って、玄関を開けたらいちばん最初に見える位置に飾ろうって、お父さんが、カメラを持って、お母さんと、四人で並んで撮った写真があって、おれは、才能があるって、特別だって」
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