3-21 嵐

 気づいている。陽輝が本当は薄氷が割れるのを望んでいることにも。それに気づかない振りをする残酷さも。だけどわたしはもう少しここにいたい。彼を手放すことも惜しいから、わたしたちは互いの指先をひっかけたまま同じ場所に留まり続けている。


 陽輝が車を階段のすぐ脇までつけてくれる。今日は楽しかった、ありがとう、またね、と短い挨拶を交わして、わたしたちは別れた。


 雨粒を受けながら二階まで駆け上がる。角を折れると同時、暴風雨に隠されていた物音がダイレクトに肌に響いて、ぎょっと足を止めた。


 公星くんのお母さんが、両手の拳で彼の部屋のドアを強く叩いている。奏汰、奏汰、何度も繰り返し名前を呼びながら。吹き抜ける強風が髪を乱れさせるのにも構わず、無我夢中で声を上げ続ける。


「おねがい、奏汰。少しでいいの。なにも言わないから、会ってほしいの。奏汰。奏汰」


 嗚咽交じりにドアに縋る様はあまりに切実で、わたしはなにも言えずに立ち尽くした。雨水を含んだ風に背中を押されて、たたらを踏むように数歩前に出る。そうすると、ようやく公星くんのお母さんがこちらの気配に気づいた。


 血色を失った肌を涙が覆っている。骨の浮いた手で前髪を抑えて、呆然とわたしを捉える。どこかに縋りついていないと今にも音を立てて壊れてしまいそうに不安定な瞳で、わたしたちは見つめ合った。


「ごめんなさい」


 名残惜しそうにドアの表面を指でなぞって、首だけを曲げるようにして頭を下げる。よろけるようにわたしを避けて、彼女は駐車場へと走り去っていった。


 わたしはしばしの間立ち尽くす。彼女はこの雨の中、どこへ向かったのだろう。今にも決壊しそうな面差しを携えて、どこへ流れてゆくのだろう。それはまるで半年前のわたしのようで。


 そのとき、ゆっくりとドアが開いた。警戒するような慎重さで公星くんが隙間から顔を覗かせる。目が合うと驚いたように目を見開いた後、あからさまに気まずそうな顔をされた。


「ごめんなさい。うるさかったですよね」


 彼もまた首だけを曲げるようなお辞儀を残して部屋に戻ろうとする。わたしはすぐに駆け付けてドアを抑えた。


「待ってください」


 公星くんがぎょっと振り向く。





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