3-10 壁の向こうのひと

 わたしがどれほど深く傾倒しても、相手に届くことはない。

 わたしが注いだ心以上のなにかが返ってくることもない。


「でもはむちゃんはもう画面の向こうじゃなくて、お姉さんの隣で生きてるじゃないですか」


 心臓がひとつ、大きく跳ねた。


 たとえ差し伸べられた手に応えなくても、見ないふりで顔を背けても、その手は容易くわたしの元へ至ってしまう。


 ──今からそっち行ってもいいですか。

 受け入れたのはわたしだ。彼の手からチケットを受け取ったあの瞬間に、絶対不可侵は瓦解していた。


 わたしは慌ててブレーキを握った。


「警察だ」


 角を折れる直前にちらりと印象的な車体のシルエットが覗く。


「迂回しますか?」


 心臓が低く、大きく震えている。手のひらも背中も、じっとり嫌な汗で濡れて気持ちが悪い。わたしは短くない時間迷った。


「いえ。一旦降りて、このまま突っ切りましょう。兎堂くんはわたしの影に隠れて」


 荷台を降りた兎堂くんと目を合わせる。帽子の影から探るような眼差しがじっとわたしを観察している。


「帽子使ってください」


 すべてを見透かされているようだ。


「ごめんなさい」

「いえ。おれはマスクがあれば平気です。でも汗臭いかも」


 手渡されたバケットハットに頭を埋める。目深に被ると、想像以上に視界が狭まった。


「そのまま、まっすぐ前だけを見て歩いてください」


 斜め後ろから兎堂くんが密やかに呼びかける。わたしは探るように慎重な足取りで歩いた。


「さっきの話なんですけど」


 はい、とわたしは返す。




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