3-9 恋でなくても

 走行が安定したころに、後ろからそんな声が聞こえた。


「こういうことって」

「悪いこと」

「ああ」


 相槌ともため息ともつかない息が漏れる。


「わたしもそう思ってました。でも会いたいんでしょう?」

「はい」

「ほんの少しでも?」

「一瞬でも」


 放つ声に迷いはない。


「たとえ一瞬でも、会わないなんてありえない。その一瞬がこれから一生、どれだけおれの背を押してくれるか」


 その声の力強さに、わたしはまた背を押される。だからみんな、たった数十秒のために何万円も積んで、きれいに着飾って、何時間も揺られて、擦り剝けた踵を引き摺っても会いにいくのだ。


「それほど大切なんですね」

「はい。あの子は、こんなおれがいいんだって言ってくれたんです。あの子が言ったから、おれは、れんれんになったんです。恋でも愛でもなくても、特別で、大切な子なんです」


 それから、


「おれもひとつ質問していいですか?」

「なんです」

「お姉さんにとってはむちゃんってなんですか」

「推しです」

「じゃあ、お姉さんにとって推しってなんですか」


 推し。すなわち応援している人。


 だけど求められている答えはそんな単純なものではないと思う。わたしはずいぶん深く考え込んでから、ようやく答えを舌に乗せた。


「わたしにとって推しは、画面の向こうの存在なんです」


 二次元とか三次元といった区切りではなくて、どんな場所にいてもけして手の届かない存在。たとえ差し出された手のひらが、あちらのものでも。


「こちらからも、向こうからも触れられることはない。だから安心していくらでも心を注ぎ込める」




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