3-6 あの夜のお返し
逃げ道が一向に見つからない。沈黙は一秒重なるごとにわたしの足場を削ってゆく。焦って叫んでも、かえって足を滑らせかねない。まっさかさまに落っこちたら、いよいよわたしは戻って来られなくなる確信がある。完全に八方塞がりだ。
「うん。ラッキーだったな」
公星くんの力強い首肯に、わたしたちは揃って顔を上げた。
「ここへ越してきてしばらくした頃に、花緒さんに助けてもらったんだ」
「そうなの?」
「でしょう? 花緒さん」
あいにく心当たりに至らなくて、わたしは曖昧に首を捻る。
「カメラを持った知らないひとが訪ねてきたことがあったでしょう。記者かなにかと勘違いして怖がってたおれのことを、花緒さんが庇ってくれたんだ」
それはわたしたちが交わった、夜桜の美しいあの晩の記憶。禍々しいレンズの輝きに怯えた痛みが、胸の深い部分で蘇る。
「きっと花緒さんじゃなかったら、おれはあのままひとりで蹲ったままでいたんだと思う」
覗き込んだ暗がりの先で、同じ痛みを宿した瞳を見つけた。あの晩の痛みをそのままに、淡い希望の色を乗せて、公星くんの瞳にわたしが映る。
「ここに来てよかった。花緒さんがお隣さんでよかった」
わたしは深く息を吸い込んで、お辞儀みたいな形で項垂れた。
唇を噛んで、瞼をきつく閉じて、目の奥に何度も押し寄せる熱の波を堪える。
「そっか。ならよかった」
兎堂くんは囁くように、力なくそう吐き出した。隣で公星くんが柔らかく頷いている。
「うん」
「おれはてっきり、はむちゃんはどこかで孤独死してるんじゃないかって心配してたから」
「そんな簡単に死なないよ」
「まさかご近所さんと仲良くしてるなんてびっくりしたよ」
「そりゃまあ。隣だし」
「あの人見知りのはむちゃんがね」
「いいよもう。そういうこと言わなくて」
ふたりのじゃれ合いを眺めているうちに、わたしも自然と笑みが零れた。弛緩しきった空気の中、何度も深呼吸を繰り返す。兎堂くんがわたしを横目に盗み見た。
「じゃあはむちゃんの無事も確認できたし、おれはそろそろ」
「え?」
「どれくらい道が混んでるかわからないからさ」
「まさか、本当に孤独死してないかだけ確認しに来たの?」
公星くんが面白いくらいに狼狽える。兎堂くんは浮かせていた腰を一旦降ろして、上機嫌な笑みを零した。
「友達に会いに来たの。今晩、河川敷で花火大会があるでしょう? 一緒に行こうって約束してるひとがいて」
「え」
「え?」
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