2-9 失敗
言葉に詰まって視線を泳がせた先で、不安げにわたしを見下ろす陽輝の眼差しとぶつかる。やけに緊張したようなその色に、わたしまで手のひらにじんわりと汗が滲んだ。
わずかな時の間で様々な思考がわたしの脳内を巡る。
採用に有利に働く回答は。
陽輝の不安を除くには。
普通のひとならなんて答える。
本当のわたしの心はなんて叫んでいるか。
「ありません」
ぎゅうぎゅうに狭くなった喉の奥からなんとか絞り出して顔を伏せた。
藤田さんは、陽輝は、今どんな顔をしているのだろう。
頭上から藤田さんの軽薄な笑い声が降り注ぐ。
「えー、ダメだよ結婚しないと。親孝行しないとさあ」
しくじった。
悟った瞬間に胃の奥で小さく音が鳴った。浅く下唇を噛み締めて痛みを堪えていると、その声は空間を切り裂くように鮮烈に走った。
「それセクハラですよ」
風船に穴が開くみたいに、喉の奥に詰まっていた空気がふっと抜ける。
陽輝はまったく臆する様子もなく、毅然とした眼差しで藤田さんを見据えていた。
陽輝が言い切ったきり、誰も声を発せないまま張り詰めた空気が辺りを満たす。藤田さんが唖然として指先ひとつすら動かせずに立ち尽くしている。
咄嗟に陽輝の名前を紡ごうとしたけど、掠れた空気が漏れるばかりでうまく発声できない。わたしの間抜け面を一瞥して、陽輝はようやく思い出したかのような笑みを浮かべた。
「やー、今はそういうの厳しいじゃないですか。仕事以外でも気をつけていかないと」
「あ、ああ。うん。そうだよね」
藤田さんも安堵にも似た吐息を零して「悪いね香住さん」と頭を下げてくる。わたしはいいえと何度も首を振って答えた。
藤田さんの背中が完全に見えなくなった頃、わたしたちは示し合わせたかのようにまったく同時にため息を零した。
「ごめん花緒」
「陽輝が謝ることないよ。それに藤田さんの気持ちもわかるし。なるべく長く働いてほしいもんね」
「いやでもさあ。最後のは違うじゃん」
苦々しく吐き出す陽輝に、わたしは曖昧な笑みを返した。
「俺なんか余計なことしたよな。俺のせいでああなったんだから」
「そんなことないよ。陽輝がきっぱり言ってくれてすっきりしたよ」
すっかり肩を落とした陽輝が叱られた子供みたいな瞳で私を見遣る。
確かに経済的に頼れる相手はいない。だけどわたしの身を案じて、わたしの代わりに怒ってくれるひとがいる。それはたぶん、恵まれたことだと思う。
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