2-8 提案

「花緒、今求職中だったよな?」

「うん」

「もしまだ見つかってないなら。藤田さんとこはどうかなと思って」

「主に住宅のリフォームを請け負ってる建設会社なんだけどね。そこで役員を務めているんだ」


 ようやく話の流れが読めて、自然と背筋が伸びた。


「経理の女性がひとり、産休に入る予定でね。いい機会だし、若い人材を探してるんだ。五十嵐くんにも知り合いに経験者がいたら紹介してよって声掛けてたんだよ」

「先週会ったときに、そういえば花緒って大学は商学部だったなって思い出して。……あれ、間違ってた?」

「ううん。合ってるよ。前職も経理だったし」


 学生の頃は、女ひとりでも生き抜ける力を身につけなければと資格の取得に励んでいた。もしそれらを生かせる職があるなら、あるいは。


「ならぴったりじゃない。どう、うちの採用試験受けてみない?」


 それまでわたしの意思とは離れた場所で話が進んでいくような居心地の悪さをうっすらと感じていたのに、藤田さんに「面接の内容次第では正社員で採用できるかもしれないし」と言い添えられて、わたしの心は容易く揺らいだ。


 無職という肩書きは、日々毒が回るような穏やかさで心を確実に蝕んでいた。経済的に頼れる相手がいないという事実はそれだけで人間を精神的に追い詰める。

 雇用条件次第だけど、安定した職を得るチャンスが目の前に吊り下げられているのだ。


 迷いが表情に出ていたらしく、藤田さんが胡乱な眼差しを注いできた。


「あ。もうほかの所見つけちゃった?」

「いえ。それがなかなか……」

「じゃあ、もしかして出産の予定とか」


 え、とわたしと陽輝が同時に声を上げる。いきなり話が飛躍したので驚いてしまった。

 そんなわたしたちの反応になにを思ったのか、藤田さんが思い直すように頭を振る。


「ああ、その前に結婚か。予定は?」

「今は、ありません」


 無意味に、今は、と付け加えてしまうあたり、見栄を張っているようだと自分でも思う。どうせこの先もずっとそんな予定なんてないくせに。

 なんとか普通のひとに擬態をしてやり過ごそうというわたしの目論見も、続く藤田さんの問いで呆気なく崩れ去った。


「なら結婚願望は」




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