1-11 純粋な願い

「一月に奏汰くんが引退してから、ずっと彼のことばかり考えていました。現役の頃よりもずっと彼の存在がわたしの中で大きくなって、ほかのことはなんにも考えられなくなったんです」


 一瞬わたしの話をされているのかと思い違うほど、わたしたちの辿った心境は似通っていた。


「これを見つけて、いてもたってもいられなくて。奏汰くん生きてるかなって。ちゃんとご飯食べてるかなとか、ゆっくり眠れてるかなとか。ただ穏やかに暮らしていてくれればそれでいいんです。とにかく心配でたまらなくて、気づいたらここにいました」


 こんな気持ち初めてなんですと呟いた瞳は恋に溺れる乙女のように揺れている。


 わたしもまったく同じだ。遠い誰かにこれほどまで焦がれる自分なんて想像すらしたことがなかった。彼が些細な幸福を享受する様を見届けることが至上の喜びで、彼を追いかけていると平静でいられなくなる。


 そうして彼の存在が自覚していた以上に大きかったことに、失って初めて気づかされた。

 だから、ともすれば危うい彼女の行動力も、他人事じゃないと思えてしまった。


「だけど結局、なにを言ってもストーカーに変わりありませんからね」


 滔々と語っていた女性がふいに漏らした自嘲気味な笑みで、わたしの意識は甘い微睡から現実へと引き戻される。


「今日がここにいられる最後の日だったんです。どうせ会っても怖がらせるだけなら、諦めて帰ります」





 ベッドに沈み込んで、昼間に落とされた言葉の数々を思い返す。


 ねえ公星くん。わたしはどうすればいいですか。なにがあなたの幸せを結びますか。ねえ──こんなに近いのに、わたしはなにも訊けないし、彼はきっとなにも答えてくれない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る