1-8 悪夢
遠くから蝉の合唱が聞こえてくる。お兄さんの部屋はいつもクーラーがついていなくて蒸し暑かった。開け放たれた窓から生ぬるい風に乗せて風鈴の音色が運ばれてくる。
手の甲で汗を拭うついでに口元を隠して視線から逃れる。
「花緒なんか、全然」
「そんなことないよ。みんな花緒ちゃんのこと可愛いって言ってくれる」
「お母さんも?」
「もちろん」
無邪気に問うわたしに、お兄さんは頷いて見せた。気を良くしたわたしはお兄さんが掲げたそれに手を伸ばす。
「ねえ、それ花緒にも貸してよ。お兄さんのこと撮ってあげる」
「え? 俺はいいよ。今は花緒ちゃんの番なんだから」
「でも花緒ばっかり恥ずかしいよ」
だめ。これ以上はやめて。
十歳のわたしの内側で、二十八歳のわたしが喉が裂けそうなほど叫んでいる。
やがて十歳の視界で、お兄さんが薄い笑みを浮かべる。彼の唇がスローモーションみたいに開かれていくのを、わたしは絶望的な気持ちで見送った。
スイッチを切り替えるみたいに一瞬で目が覚める。
汗だくの二十八歳がベッドの上に四肢を投げ出して浅い呼吸を繰り返している。ゆっくりと肉体が自我を取り戻すのを認めて、ようやくわたしは上体を起こした。
汗を含んだ前髪が額に張り付くのが鬱陶しい。手櫛で髪を整えながら空いた方の手でスマホを操作する。表示された日付は四月二日。
忌まわしい記憶が蘇ってしまった。
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