33.プロセニアム芝居(2)

 SATの一隊は玄関前をいったん包囲した後、反撃がないのを確認してからなだれ込むように建物内へと消えていった。

 突き飛ばされた泰河はやれやれと体勢を立て直し、片膝をついた格好で服についた泥をはたき落とす。

「いつから知っていた?」

「港運会社を立入調査したのが公安だと分かった時から疑っていました」

 レザーに手伝ってもらって入手した港運会社の裏帳簿。左沢に逮捕状が出たことで正式に差し押さえ、証拠として提出することが可能となった情報だ。

 それを、公安警察は麻薬取締部よりも前に知っていた。

「にも関わらず、左沢と港運会社は泳がされたままだった。裏帳簿が出た以上、無実だから放っておかれているなんてことはあり得ない。であれば、彼らが後々のためにわざと生かされていることは明白です。しかも公安に関係しているとなれば、時勢をかんがみても過激派関連の事件であることは想像がつく」

 ただ、と泰河は嘆息する。

「まさか、公安課長自ら変装して左沢と接触しているとは思いませんでしたけどね。誰か若い部下を内偵として潜り込ませているとか、あるいは左沢に近い人間を情報提供者として抱き込むとか。そのあたりを予想してました」

 本人だと確信したのは廃ブタジエン工場で銃撃戦になったあの時、ビジネスマンに変装した雀堂と対峙した時だ。

「銃の構え方が警察で指導されるそのものでした」

 泰河の言葉を雀堂はあざ笑った。

「それだけでは私だと特定できない。同じ公安課員なら、誰だって同じ撃ち方をするだろう」

「ですが、いくら変装がうまくても年代の感じはそう簡単に誤魔化せません。銃の構え方と年代。これだけでさっき俺が言った予想のどちらもが間違っていたことになる。となれば、あなたと同じ年代かつ同程度に変装の腕があって内偵をこなせる人物が他にいると考えるよりもむしろ、あなた本人である可能性のほうがよほど高まると思いませんか」

 ため息を泰河は吐き、

「トカレフ、撃ちづらかったでしょう。公安などの私服警察が携帯する小型の拳銃に比べると撃ち味がかなり鋭く、スライドの動きも重たい」

「そもそも、私は射撃が得意じゃない」

「そう言ってましたね。おかげで俺は助かりましたが。でも、変装の方はお見事でした。見た目からはあなたを連想することはできませんでしたよ」

 その時、にわかに玄関先でざわめきが広がった。

 おそらくは、突入したSATが気絶した犯人たちを発見したに違いない。無線での連絡を受けた現場責任者と思しき人間までもが慌てて走っていった。

 雀堂だけが我関せずと泰河を見つめている。

 表情はほとんどないのに、両目だけが爛々とぎらついている。この人はこんな目で獲物を見るのだと泰河は思った。

 彼は手を首筋に当て、ゆっくりと凝りをほぐすように頭を回した。いやな間の取り方だった。それから彼は「一応」と断りを入れる。

「話を聞こう。君はこの事態をどういう形で収めたいと考えている?」

「もうやらないで下さい。あなたのやり方は死者を増やす」

 雀堂は笑った。

 完全に嘲りのそれだった。

「君にその資格があるのかい? 同類なんだろう、私と」

「俺は犯罪組織に味方の情報を流すようなまねはしませんよ」

 泰河の眼差しが上目遣いに雀堂を射抜く。

 残念ながら、泰河は罪悪感などでは支配できない。そんな脅しで惑わせられるような純真無垢な心なら、5年前のあの時に首でもくくって死んでいる。

「こちらのガサ入れの情報を左沢に与えましたね? 理由は彼を中心とする過激派グループを一網打尽にするため。あそこで左沢が逮捕されたら計画は中止になる可能性が高い。一斉検挙するためにはテロの計画実行直前まで彼の自由を保証する必要があった」

 おそらくは、この場所を選んだのも雀堂の意思が介入しているのだろう。住宅地から離れた丘の上の廃工場に手を入れた絶好の隠れ家。切り拓かれた土地の周囲は常緑樹の林がぎっしりと目隠しのように植わっていて、いろいろな意味でおあつらえ向きの立地条件といえた。

 過激な思想に染まった者たちが寄り集まり、おそるべき計画を実行するための相談をする場所として。あるいは彼らを一か所に集め、まとめて抹殺するための場所として。

 風に揺れる木々の葉擦れが頭上でさわめき、鳥がはるかな空で鳴いた。のどかな風景とは裏腹に、もう少しで惨劇の舞台となるはずだった。

 否定も肯定もしない雀堂に対して、泰河は追及を緩めない。

「けれど、さすがに自ら左沢を助けに入ったのはやり過ぎましたね。あれがなければ疑惑は確信にまで至らなかった。そうまでしたにも関わらず、目論見が外れて残念でした?」

「残念もなにも……」

 雀堂はさりげなく上着に手をかけた。

「たしかに手順は変わってしまったが、テロが未然に防がれたことには変わりない。まさかマトリに先を越されるとは思わなかったがね」

 彼が嘘をついているようには見えなかった。少なくとも、彼は客観的に見て本当だと思えるような表現を選んで告げているのだった。

「それはもういい。だが、君の提案は飲めない。私のやり方はこの国を守るためには必要だ」

「けれど、さっきの映像はあなたが内偵の領分を越えて左沢と接触していた証拠になります。左沢も法廷でそれを証言するでしょう」

「左沢はここで死ぬ」

 無慈悲に雀堂は言った。

「いま、SATが制圧に向かっている。少しでも抵抗すれば射殺だ。しなくても、裁判までに消す方法はいくらでもある」

「この国は法治国家なんですがね」

 呆れたように、泰河はため息をついた。

 心底からの軽蔑。

「俺だってそれを破ることはあります。でも、節度は守る。でなければ際限がないから。人間性は力を使う時に試されるんですよ」

 雀堂は笑い飛ばした。そして反抗期の子どもに言い聞かせる父親がよくそうするように眉を下げ、やさしく語りかけるのだった。

「君のように傲慢な若者を私はたくさん見てきたよ。自分には他人と違う力があると思い込んで、何か大きな事を為そうとする。左沢もそうだった。でも、そんなものはただの勘違いに過ぎない」

 上着に触れていた雀堂の左手が裾を払い、あらわになったショルダー・ホルスターから拳銃を抜いた。サイレンサーつきのトカレフ。他の者は誰も見ていない。全ての視線は左沢のいる建物に集中し、車の影に膝をついた泰河の姿は完全に死角となっていた。

 銃口を向けられながらも、泰河は指一本動かさなかった。

「その言葉、そっくりお返ししますよ」

 サイレンサーで減音された銃声が微かに鳴ったが、相変わらず他の者は自分の仕事に夢中だった。雀堂の両目が愕然と見開かれ、自分の手元を凝視する。

 手袋に包まれた手が雀堂の右手ごと銃身を掴んでひねり上げていた。銃弾は空に向かって飛び、泰河はようやく膝を手で払って立ち上がる。

 入れ替わりで雀堂の体が地に伏せられた。彼も現役の警察官だから、逮捕用の体術を叩き込まれているはずだ。なのにまるで子ども扱いだった。

「な……」

 レザーが雀堂の右腕と肘を掴み、うつ伏せにした背に跨るようにして動きを封じている。雀堂は一瞬、何が起こったのかわからなかったようだ。首をひねって自分を抑え込んでいる相手の顔を見た途端、さらに混乱したらしい。

「なぜ、こいつがここにいる? 左沢のところにいるはずだろう」

「さすが雀堂さん。一度しか会っていないはずなのによく覚えていましたね。改めて、うちの警備員のレザーです。お見知りおきを」

「騙したのか。この警備員が撮影しているというのは嘘だったのか」

「本当ですよ」

 泰河は裏返しになっていたパソコンを拾い上げ、土埃にまみれたディスプレイを軽く指でぬぐった。止まっていた映像が再開する。

 ソファに座る左沢は話し続けていたが、途中でぱっと右手を上げながら立ち上がった。彼が少し横に動いて空いた場所に黒いブレザーを着た若い男がフレームイン。

 その顔を見た雀堂の顔色が変わった。

 現れた男は泰河だった。

 彼らは二言三言を交わし、左沢は素直に手首を上向きに揃えて差し出す。泰河は手錠を下から彼の手首に当て、輪の部分を上から被せるようにしてロックをかけた。

「これ、録画なんです」

 泰河は自分が左沢と一緒に映っている映像を指差し、あっさりと真相を告げた。

「左沢はあなたが到着する8分前に俺たちが逮捕し、身柄を確保しています。あの建物を探しても彼はどこにもいませんよ」

「――――」

 泰河は絶句する雀堂の脇にしゃがみ、彼の腰の無線を耳に当ててやった。

『――課長、課長! あの……すみません、言いにくいんですが、左沢の姿が見当たりません。くまなく探してるんですが……』

 困惑する部下の声だった。

『他には11人、気を失って倒れているのを確認しました。繰り返します、11人です。玄関に4人、1階から階段にかけて7人。3階には誰もいませんでした。人が生活していたような痕跡はあるんですが、もぬけのからです。念のため、人が隠れられそうな場所をもう一度捜索してみます』

 いったん無線が切れる。

 泰河はそれを地面の上に置いた。身を屈め、雀堂の耳に口元を寄せる。

「さっき、あなたは言いましたよね。間違った万能感だとか、青くさい幻想だとか?」

 身じろぐ雀堂の腕をレザーが無言でさらに締め上げた。呻きが漏れる。だが、悲鳴は上げなかった。人生でも味わったことのない屈辱が彼を苛んでいることは容易に想像できた。けれど、まだ終わらせない。泰河には彼に言うべきことがある。

「俺が麻薬取締官になったのは、そんなありきたりで底の浅い説教をされるためじゃないんです。そんな低俗な理由でこの仕事をやっていないんですよ」

「は――」

「身の程を知ることですね。あなたの中には、俺の知りたい答えなどない」

 泰河は苦し紛れに笑う雀堂から体を離し、腰を上げた。

「あのさ、いつまで押さえてればいいの?」

 レザーが言った。

「この人まだ諦めてないよ」

 黒いクラウンが砂利道を上って来るのが見える。10mほど離れた場所に停まるとすぐに後部座席が開き、慌てて転がり出た小神野が草むらに嘔吐した。

 反対側から柄物のシャツを着た男が車を降りて、こちらに歩いてくる。

「壱谷……」

「うちのが乱暴をしてすみません」

 壱谷は両手を拝むように合わせた。

「なら、どくように言わないか」

「それがですね、全部聞いてたんですよ」

 申し訳なさそうに頭をかいた壱谷は、「ここに来るまでの間、車の中で」と言い足した。全てを察した雀堂の額を汗が流れ落ちる。壱谷はレザーの肩を叩き、胸元のウェアラブルカメラを人差し指で示した。

 小さなレンズが雀堂の背中と正面に立つ泰河を捉えていた。クラウンの天井に取り付けられたモニターにも同じ映像が流れている。

「こいつがね、ずっとあなたのことを撮ってたんですわ。うちの係員を撃とうとした理由、是非ともゆっくりと聞かせてくれませんかね」

 それまで雀堂を拘束していたレザーがきょとんと目を瞬いた。ついに雀堂が力を抜いたのだった。壱谷がレザーの肩を再び叩いた。

「もういい」

 レザーが泰河を見る。

 頷くと、彼はすっと雀堂から手を離した。壱谷はレザーを下がらせ、雀堂に手を貸して立たせる。そして纏が運転席で待つ車に彼を連れて行った。

 ようやく出番を終えたレザーは、肩の力を抜いて建物の壁にもたれかかる。手袋を順番に脱ぎ、上着のポケットに突っ込んだ。

「ご苦労さまです」

 労ってやると、頭を傾けるようにして泰河を見上げる。

「さすがに疲れた」

「11人でしたっけ」

「うん。あ、浴室バスルームの窓割っちゃった。まずい?」

「どうにかしますよ」

 泰河は自分の上着を脱いで丁寧に汚れをはたいた。それから半分に折りたたんで腕にかけ、レザーの隣に肩を並べる。

「最後、よくあそこまで我慢しましたね」

 雀堂が登場した時点で、既にレザーは隣にあった車体の裏側に隠れていたのだ。何かあればいつでも割り込める状態のまま、ずっと息をひそめていた。

「泰河さんが言ったんでしょ、ぎりぎりまで動くなって。あれ、タイミング悪かったら死んでるから」

「あなただけ危険な目に合わせて俺は命を大事にするんじゃつり合いが取れないじゃないですか。おかげさまで、いい絵が撮れましたよ」

 遠くからサイレンの音がする。パトカーに先導された救急車が駆けつけ、犯人たちが次々と担ぎ出されていった。臨場した管轄署の警察官が建物内へとなだれ込み、現場の保全がはじまる。


            *  *  *


 車の窓越しに、左沢は男に伴われた雀堂が車へ乗せられていくのを見た。建物から離れた場所に停車したインプレッサの後部座席。左沢の隣には同じく手錠をかけられた学生が目を閉じて座っている。

「終わったなあ」

 だが、返事がない。

「おい、起きてる?」

「この状況で寝るわけがない」

 横目を開けた学生ににらまれた左沢は、「ああ、そう」と相槌を打った。

「マトリさん遅いな……。あ、言ってるそばから戻って来た」

 泰河は後部座席のドアを開け、学生に車を移動するように言った。すぐ後ろに制服を着た警察官が控えていて、彼らに両脇を抱えられるような格好でパトカーの後部座席に乗せられてゆく。

「お待たせしました。これから拘置所に移送します」

 運転席には泰河が、それから左沢の両脇にレザーと初めて見る金髪の男が座った。両耳のピアスといいつんとした態度といい、公務員らしくない男だ。ただ、ちょっと顔色が悪く見えるのは気のせいだろうか。

「あいつ、どうなるのかな」

 左沢は学生のことを気にしてたずねる。

 泰河が言った。

「営利目的での薬物所持は初犯でも厳しい罰が下されます。テロの参加に関しては未遂扱いで、有罪になるかは難しいところでしょう。が――要注意人物として捜査当局のリスト入りはまぬがれないでしょうね。国際機関にも情報が共有されます。海外への渡航なども国によっては難しくなるでしょう」

「これからの生き方にはそれなりの制限がかかってくる、か」

「当然です。あなた方のやったことを考えれば」

「わかってるさ」

 なあ、と左沢は話を変える。

「マトリさん。名前は約束通り、取調べの時に教えてもらうとして。先に年齢だけ聞いてもいい?」

 シートベルトを締める泰河の背中が応えた。

「25歳です」

「ああ、そうなの? まあ、うん。俺と同じくらいかなとは思ってたけど。ぴったり同じとはね。それじゃあ、マトリさんは後悔してることってある?」

 エンジンがかかった。

「忘れたことはありません」

 ある、ということだ。

 右隣の金髪男が「何の話だよ」とでも言いたげに片方の眉を上げるが、左沢は構わなかった。反対側のレザーは窮屈そうに身じろぎ、窓際に頬杖をついて外の景色を眺める。

「それはやり直せること?」

「いいえ」

「そっか」

「でも」

 泰河は車をバックしてUターンする。砂利をタイヤが噛む音。先に学生を乗せたパトカーを行かせてから、その後に続いた。さらに後ろを別のパトカーがついてくる。

「原因がわかれば再発防止はできますから」

「利他的だねえ」

「いえいえ、ただの好奇心かもしれませんよ」

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