32.プロセニアム芝居(1)

 まるで、出来の悪いFPSファーストパーソン・シューターみたいだ。小神野は思った。カメラのブレは激しく、肝心なところが映っていない。理由はひとつだ。視点になっている――つまり主人公プレイヤーにあたる人物――が銃を持っていないので、『シューター』にならないからだ。それで、なんでFPSがあるのにFPAファーストパーソン・アクションだとか、FPFファーストパーソン・ファイターだとかが流行らないのかもわかった。

 敵に対してほぼ常に正面を向き、本人はあまり動かずに攻撃しても違和感のない射撃戦シューティングでなければ一人称視点でのゲームプレイはむずかしい。

 常に動き回るアクションゲームや敵と自分の位置が頻繁に入れ替わる格闘ゲームなどではまず視点の固定ができないし、ということはぐるんぐるんとカメラが動くわけで……。

「あの、課長……すんません。俺酔ってきました」

 小神野は口元を抑え、青い顔で天井に設置されたフリップダウンタイプのリアモニターから視線を切った。

 纏の運転する黒いクラウンの後部座席。ただでさえ酔いやすい状況で、最後に見てしまったあの高速回転がだめ押しになった。相手の側頭部を狙った、痺れるような後ろ回しのハイキック。

 右隣に座る壱谷はどうして平気なのか、じっと画面を見つめたまま通話先の泰河に聞いた。

「左沢の所在はつかめたのか?」

『まだ未確認です。すでに1階と2階は制圧済のため、残るは3階のみ』


 泰河は壱谷と通信しながら庭先にまわった。車の影に寄り添った格好で低く腰をかがめ、上階を見上げる。3階の窓が開いていた。干された洗濯物がはためき、人が生活に使っていることがうかがえる。

 レザーの視点をそのまま送ってくる動画は、彼がゆっくりと辺りを見回して倒し忘れた相手がいないかどうかの確認をする様子を伝えていた。

『追加でもう4人倒した。4、3、4。全部で11人、かな? 左沢はいなかった』

 独り言のようにレザーが告げた。

『使われた武器はAK74、スコーピオン、それに数は少ないけどMP5っぽいのも見た。これから3階に向かう』

 

            *  *  *

 

 階下が全滅したのは、時々聞こえた悲鳴やそれ以降、完全に途絶えてしまった銃声によっておおよその想像がついた。

 現実は時におかしいことが起こる。左沢の計画に不備はなかったはずだ。公安警察すら出し抜いた先に、とんでもない伏兵が爪を研いで待っていた。

「マトリが突撃部隊を持ってるって話は聞いたことがないな」

 ぽつりと左沢が言った。

「それにしたって、だとしたら、静かすぎる気もする。いったい何人で踏み込んだんだ? 突入を叫ぶ声もなかったし、銃声だってそんなに――」

「あの時の外国人だ」

 しばらくぶりに、学生が口を開いた。

「あの時っていつだ?」

「船橋のシューティングバーで、M4M1カービンを撃ってホップアップがどうのと言ってた俺と同い年くらいの男」

「ああ……」

 そんなことがあっただろうか。正直に言って、左沢はよく覚えていなかった。

「どうだったかな」

「エル・プレジデンテを頼んだ男と一緒にいた、緑色っぽいグレーのブルゾンを着たやつだよ」

「ブルゾン……」

 思い出せそうで思い出せない。だが、なんとなく引っかかるものはある。左沢はポケットを探ってもう1本、煙草を吸った。

「他にもどっかで見た気はするな。ああ、養老の倉庫。あの時はTシャツだったけど、ひとりだけラフな格好だったから遠目でも目立ってた。そうか、あのドラム缶を蹴り飛ばしたあいつか」

「ドラム缶?」

 学生が真顔で聞き返すのがなんだかおかしくて、左沢は小さく吹き出した。

「逃げる車の前にドラム缶を転がして止めたんだよ。まあ、なかなかとっさには出来ない芸当だな。なんでそんなやつがマトリについてるんだろう」

 床に落とした煙草の灰が燻り、黒い焦げ跡を残す。

「終わる時はあっけないもんだな。どんだけ時間をかけて、いろいろ手配して計画を立てても駄目な時は駄目」

 学生はなんと言えばよいのか分からず、顔を横に逸らした。

「なんで公安なんかと?」

「うん」

 左沢は頷いた。

「半年前、劇場で与党の県議が襲われた事件があっただろ? 標的の議員は直前に予定を変更していて難を逃れたが、巻き込まれた観客が17人犠牲になった。犯人は全員射殺。その時の犯行メンバーに知り合いがいたんだ。当然、背後関係がごっそりと洗われる。それで芋づる式に何人か逮捕されて、俺もそのリストに入ってた。そこでまあ、目をつけられたんだな」

「目を……」

「そうさ。俺が働いてたあの港運会社は、2年前に大陸系の外資に買収されてるんだ。マフィアとも繋がりのある訳アリの企業さ。その縁でああいう密輸商売の片棒を担がされるはめになった。あいつはその証拠を掴み、それをネタに俺を脅した。公安のスパイになって捜査の協力をすればよし、でなければ――言わなくてもわかるよな?」

 学生は突っ立ったまま、小さく奥歯を噛み締めた。

「俺なら断る」

「まあ、そうだよな。だが、俺だって刑務所で無為な時間を過ごしたくはなかったし、それにこれは公安を操るチャンスでもあるんじゃないかと思った。あいつが俺の情報をあてにするのなら、むしろイニシアチブは俺にある。裏をかいて鼻を明かしてやろうと決めた」

 だが、あちらは百戦錬磨の公安警察だ。生半可な情報では動かない。だから、左沢はいっさいの嘘をつかなかった。彼の希望通りに振る舞い、指示通りに計画を進めた。

「俺が裏切るんじゃないかといくら疑ったって無駄なことさ。全ての疑いに勝つのはただひとつ、事実だ。あいつは相当、俺の情報を吟味したと思うよ。それでも本当だと判断したから、もうすぐここへやってくる。過激派思想を持つ人間を一か所に集め、まとめて検挙するために。俺はそれを利用して、逆に公安を罠に嵌めたつもりだった。ところが――」

 左沢はまだ半分ほど残った煙草を床で潰し、男が出て行ってからずっと開きっぱなしだったドアの外に視線をやった。

「そこにいるんだろ? 下が静かになってからもう随分と時間が経った。あれだけ手際よく仲間を倒したやつが、たかが階段を上がってくるだけのことに手間取るわけないもんな」

 左沢の言葉にうながされて姿を現した青年は、驚くべきことに手ぶらだった。少し頭を傾け、飽いたような顔で部屋に入ってくる。

 それでようやく、左沢も完全に記憶を取り戻した。

「ひさしぶりだな」

「話が長いよ」

「あ、もしかして日本語わからない?」

「早く、あの人たち病院に連れていこうよ。手加減できなかったから心配なんだ」

「英語かな。お前、わかる?」

 話を振られた学生が困惑ぎみに眉を寄せた。

「頑張ればわからなくはないけど、いまはそういう話してる場合じゃなくないか」

「それはそうだな」

 左沢は納得し、それから青年の胸元に装着されたカメラのレンズに気がついた。軽量のウェアラブルカメラ。なるほど、これを通して戦況をモニタリングしていたのか。

 軽く咳払いして、左沢は試しにこちらから呼びかけてみた。

「聞こえてるかな、マトリさん。どうやら俺の負けのようだ」

 耳を澄ますが、返事はない。

 通じていないのかと思って青年の顔を見るが、彼は腰の後ろで手を組んでそっぽを向いている。言いたいことがあるなら早くしてくれと言わんばかりの態度に見えた。

 左沢は少し考えてから、こう言った。

「でも、ただ逮捕されるのは癪だからひとつ教えてやるよ。俺をスパイとして使っていたのは千葉県警の雀堂だ。あいつは俺を通じて過激派の連中の情報を集めるだけじゃなく、警察内部の情報をこちらに流すことで自分の思い通りに俺たちを動かそうとしていた」


            *  *  *


「どうしたんだ? まるで進まないな」

 無言で助手席に座る雀堂の背後から部下の怪訝な声がした。目的地はこの国道126号を東金方面に真っすぐ行って、ちょっと丘を上った林の中にある。

「工事してるんですよ。片側通行になっていて、交互に車を出すから渋滞しているんです」

「さっきもそうだったぞ。もう3回目だ」

「この辺、一斉工事でもしてるんですかね」

 やれやれと運転手も首をすくめる。

 緊張しているのか、手のひらを腿のあたりに擦りつける仕草。雀堂は顎に手をやり、車窓の外に視線を向けた。

「なんだか、見えない力に邪魔をされているような気がするな」

 上司の何気ないつぶやきが部下を戸惑わせる。彼は張りついたような笑顔を浮かべ、後部座席から少しだけ上半身を乗り出した。

「ええ? 課長、やめてくださいよ。ただの偶然ですって」

「そうかな。こういう日はゲン担ぎをするやつも多いぞ。意外とみんな、天の采配ってやつを信じているものさ。昔、私の知り合いは赤い下着を身に着けて犯人検挙にのぞんでいた。気合が入るんだそうだ」

「……それって、課長もいま履いていたり……?」

 おそるおそるたずねる部下を雀堂は笑い飛ばした。

「私はしない。だがまあ、すんなりと運ぶ方が気分よく仕事ができるのはたしかだ。う回路はないのか?」

「調べてみます」

 便利な時代になったもので、いまはもう紙の地図なんかなくても機械が勝手に道順を調べてくれる。運転手が何度か操作すると、少し遠回りにはなるが落花生畑の中を走る道があった。

「渋滞回避のため、進路を変更する。こちらの車が先導するので、後に続け」

 雀堂は無線で他の車両に連絡を取った。同時に追越車線へ避けた車が他の車両を追い抜いて先頭になる。

 やがて、一行は一面に落花生畑が広がる丘陵地帯に差しかかった。この時期はまだ花の咲く前で、青々とした背の低い茂みが地面を覆いつくすばかりだ。

「へえ、まだこんなに畑が残ってるんですね」

 緊張を紛らわせたかったのだろうか、運転手は懐かしそうな顔で語りはじめた。

「うちの祖父母が昔、作ってたんですよ。北総台地の方にあった農家でね、もう結構前に辞めたんですが。ほら、成田空港の滑走路増設に伴う立ち退きの要請がありましたでしょう。私も育った実家なので、手放すと聞いたときはさびしく思わないでもなかったですがね。まあ、流れっていうものがあるんでしょうね」

 彼は微かに笑い、話を続ける。

「雀堂さんは千葉の生まれでしたっけ?」

 いや、と雀堂は首を振った。

「東京だよ。隅田川の河口にある埋立地の佃島だ」

「へえ、地名は知ってますよ。月島とかあの辺ですよね」

「ああ、古い行事が残る島でな。毎年、鄙びた盆踊に連れ出されるのがいやで仕方なかったのを覚えてる。いまでは盛況らしいが、当時は地元の人間でさえ年寄りしか寄りつかないくらいに廃れた行事だったんだ」

 もとは江戸時代に将軍家の命令で移住してきた漁師たちが、幕府から譲り受けた干潟を自分たちの手でこつこつと造ったささやかな島。いつしか隣島に出来た造船所で働く者の通り道となり、それが移転して跡地となった後は再開発によっていくつものタワーマンションがそびえ立つことになる。

「父親は元造船所だった重工業会社の下請けで航空機エンジンの部品造りに携わっていた。職人肌でな。そりが合わなくて、警察官になってからはほとんど会っていない。そもそも、里帰り自体ここ10年以上していないな」

「そうなんですね」

 部下は意外そうな顔になる。

「課長、地元にくわしいから千葉出身だと思ってました」

「馬鹿」

 雀堂は呆れて言った。

「この仕事をしていたら、そうなるんだ」

「はあ」

「まあ、私の場合はこっち側の方が合っていたんだろう。同じ湾岸の端と端なのに、海を挟んだあっちとこっちじゃ人の顔も街の様子もまるで違う」

 やがて、SATの特別車輛を引き連れた車は砂利が敷かれた坂道を登りきった。

 最初に気づいたのは匂いだった。車を降りた途端、言いようのない違和感に襲われる。

「課長?」

「……こいつは、なにかあったな」

「えっ」

 微かに鼻をつく酸化臭がする。

 間違いようがない。銃を使った後の匂いだ。雀堂には木々に埋もれた建物の中で行われたであろう激しい戦闘の余韻と、そこに倒れている人間の気配までもが感じ取れた。

 長年の経験で空気の読み方なら身についている。

 戦いの前は緊張、戦いの後は弛緩。どのような場合であろうと、この組み合わせは絶対に変わらない。そして現場には明らかに後者の雰囲気が漂っていた。

「どういうことだ……?」

「仲間割れですかね」

 部下も首をひねる。

 背後には車両から降りた数人のSAT隊員が武器を手に指示を待っている。雀堂は彼らを制し、様子をうかがいながら建物に歩み寄った。

 3階建ての白い建物。

 前庭のように開けた場所には砂利が敷いてあり、車が何台か無造作に停まっている。おそらくは犯人たちが乗って来たものだろう。

 ふと、並んで停車した車の影に若い男の姿を見つけた。こちらに頭を向けて停車している、黒みを帯びた墨色に近いネイビーカラーのオフロード車。その右前輪側に身を寄せて携帯用のパソコン端末をいじっている。

 あちらも気づいたようで、片手を挙げて声を出した。

「雀堂さん」

 泰河だった。麻薬取締官の。

「……何をしてる」

 雀堂はゆっくりと彼の下へ歩み寄り、自らしゃがみ込んで目を合わせた。ちら、と一度だけ建物の玄関を見やる。中から誰か出てくるような気配はなかった。

「この件は俺たちの領分だ。マトリの出る幕はない」

「こちらも公安の領分を犯すつもりはありませんでした。薬物密売容疑の被疑者がここに潜伏しているとの情報が入ったんです」

 泰河は少しも悪びれることなく質問に対する答えだけを端的に発言する。

「様子を見ようとしたところ、銃撃されたので投降を呼びかけましたが被疑者はこれを無視。銃撃も止まなかったため、仕方なく交戦しました」

「馬鹿を言うな。銃で武装した集団と通常装備で立ち向かうなど自殺行為だ」

「制圧には成功しました」

 まさか、と雀堂は自分の耳を疑った。

「成功? ……いま、制圧成功と言ったのか」

「はい」

 泰河は頷いた。

「いま、ちょうど主犯とみられる左沢を追い詰めたところです」

 目の前に向けられたパソコンの画面を雀堂は見た。ただの廊下の窓が映っている。一筋の飛行機雲が右から左に伸びていく他は何の変哲もない光景だった。

「音量を上げます」

 泰河がボリュームを操作する。

 すると、誰かの話し声が聞こえた。非常に聞き取りにくいが、左沢のようでもある。あまりにも軽い調子なので、事情を知らない人間ならば遊びの相談でもしているのかと勘違いしそうなくらいにギャップのある内容だった。

『……が働いてたあの港運会社……に――の外資に買収、れて……も繋がりのある訳アリの………………――になっ……いつはその証拠を掴み、それをネタに俺を……イになって捜査の協力をすれば…………』

 雀堂は表情ひとつ変えないまま、泰河を見る。

 その間も左沢は語り続けた。

『それにこれは公……チャンス……んじゃないかと思った。あいつが俺の情……てに――しろイニシアチブは俺にある。裏をかいて鼻を明かしてやろうと決めた』

 泰河もまた、真顔で雀堂を見た。

「なんだこれは?」

「うちの警備員に装備させているカメラの映像です」

「なら、とっとと左沢を確保しろ。なにをのんびりさせている」

 雀堂が低い声で凄んだ。

 泰河は涼しい顔で首を傾げる。

「どうしたんです? まるで、ひどい裏切りにあったかのような顔をしている」

「いいから――」

 ぐい、と泰河の襟元を掴み寄せた。憎らしいほど形の良い耳へ、殺気を帯びた言葉を吹き込んでやる。

「早く、その警備員とやらを突っ込ませろ。左沢は銃を持っている。迷わず殺せ」

 まるでその願いが届いたかのように画面が変わった。カメラがゆっくりと回転して部屋の中を映す。不釣り合いに生活感があふれた部屋のソファに腰かけた左沢。

 カメラまでの距離が近づいたため、今度ははっきりと聞き取れた。

『聞こえてるかな、マトリさん。どうやら俺の負けのようだ』

 彼は手の甲を口に当て、視線を真横に流す。

 微かに頷き、こちらを見つめ直した。同時に雀堂は泰河の胸を突き飛ばして立ち上がる。後ろを振り向いた。滑り落ちたパソコンの角が地面で跳ね、逆さまにひっくり返る。

『でも、ただ逮捕されるのは癪だからひとつ教えてやるよ。俺をスパイとして使っていたのは千葉県警の雀堂だ。あいつは俺を通じて過激派の連中の情報を集めるだけじゃなく、警察内部の情報をこちらに流すことで自分の思い通りに俺たちを動かそうとしていた』

 突入、と雀堂が叫んだ。

「ホシは3階にいる。抵抗すれば射殺もやむなし!!」

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