31.A bad carpenter blames his tools(2)

 車の影に寄り添うように低く身をかがめ、泰河は再び言った。

「繰り返します。左沢甲斐人、薬物密売の容疑で逮捕します。至急、仲間に抵抗をやめるよう呼びかけて武器を捨てさせなさい」 


            *  *  *


 そんなにばかすか撃ったらすぐに弾がなくなるよ、とレザーは思った。白い3階建ての建物は北向きに大きめの玄関がある。脇の壁にぴたりと背をつけて身を隠し、撃っているのは4人か5人と当たりをつける。

 

「いいですか、俺たちは逮捕状が発布されている左沢の捜査を進めるさなかに、彼が仲間とテロを企てているアジトをそれと知らずに発見してしまった。気づいた時にはすでに遅く、銃撃に巻き込まれたためにとしての反撃に出た。こういう筋書きでいきます」

 たった数分前のことだ。

 建物から離れた場所に車を停めた泰河は、矢蕗からの報告を受けてレザーにそう言い含めた。

「あくまで、相手がテロリストだとは知らなかった。ここはしらを切り通してください。標的は薬物密売容疑のかかっている左沢ただひとりです。他はそこに居合わせただけのおまけ。いいですね」

「泰河さん」

「質問は認めます」

「ちょっと無理がない?」

 2人は車の影に腰をかがめ、ひそひそと密談している。泰河は膝の上にモバイルパソコンを開き、レザーに装着させたウェアラブルカメラとの同期を設定。12.5インチの液晶画面に泰河の胸元が映った。感度良好。レザーはカメラを取り付けたハーネスの上からブルゾンを羽織り、撮影の邪魔にならないのをたしかめる。

「無理というと?」

「相手が武装しているのがわかった時点で逃げ帰るでしょ、普通。自分から建物の中に突っ込んでおいて正当防衛が通るかな」

「そんな細かいこと、制圧してしまえば誰も気にしませんよ」

「そう?」

「訂正。気にするかもしれませんが、制圧成功という結果の前にはささいな問題です」

 じゃあ、もし制圧できなかった場合はどうなるのかなとレザーは思わないでもなかったが、口に出すのはやめておいた。

「四街道の倉庫で摘発した銃器のラインナップからして、相手はアサルトライフルなどの銃火器で武装している可能性が高いですね。おそらく、AK47か74、あるいは持ち運びのしやすい小型のサブマシンガン等――」

「テロリストの定番だね。で、俺の武器は?」

「素手でお願いします」

「死ねと?」

「仕方ないでしょう」

 泰河が肩をすくめる。

、遭遇してしまったわけですからね。ああ、警杖ならいつでも車に積んであるので、使っても構いませんよ。130cmの棒で有効射程が100mを超すアサルトライフルに対抗する術があるのなら、ですが」

 レザーは鼻で笑った。

 セミ&フルオートのAK47シリーズを構えた相手に長物を持って突撃するくらいなら、それこそ素手のほうが身軽な分、マシまである。

「これはいいの? 準備万端に思えるけど」

 上着の前を広げると、ハーネスによって鳩尾の上に取り付けられたカメラのレンズが泰河を捉えた。彼は液晶画面に映った自分の顔と見つめ合い、「ええ」と頷いた。

「もしかしたら、何かに使えるかもしれないので」

「ふうん。でも、さすがに素手はな……」

 建物の側まで移動しながら、使えそうなものはないかと辺りを見回していたレザーは犯人らが乗って来た車中にあるものを見つけた。

「泰河さん、ちょっとだけ目をつぶってくれない?」

 察した泰河がカメラの電源を切った。

「俺が開けます。あなたも指紋を残さないように気を付けて」

 

 壁に背をつけたまま、レザーは右手に持っていたシュタイアーAUGを顔の前まで持ち上げた。ポリマー素材を採用したマットブラックのすらっと洗練されたデザインは、世に出てから半世紀近くを経てもなお古さを感じない。

 バレルに沿う形で折りたたまれたフォワードグリップを左手で掴み、直角の位置まで引き下ろす。

(それにしても、殺る気まんまん過ぎない?)

 死に物狂いで撃ってくる相手の反応は、にも隠れ家がバレてしまい慌てて迎撃に出た――なんて気配は微塵もなかった。

(泰河さん。これ、多分あっちでも予定外のことが起きるかなにかして、行き違いが発生してるんじゃないかと思うんだけど……)

 ほんとに行くの? と車の影に屈んで膝の上にモバイルパソコンを乗せた泰河に視線を送るが、彼はベルトクリップ式のポータブル拡声器とセットになったヘッドマイクの位置を調整しながら「いけ」とばかりに顎をしゃくった。ついでに自分の腕時計を指先で示し、時間に限りがあることを強調する。

(はいはい)

 レザーは自分の役割を理解している。

「人が死なない未来のため、ね」

 銃撃が途絶えた瞬間を狙い、レシーバーと一体型になったスコープを覗きながら玄関内部に銃口を向ける。十字とセンターリングのみの余計なラインが一切ないシンプルなレティクルが再装填にまごつく若者の上にぴたりと合った。

「わあッ――」

 剥き出しの首筋を狙われた若者は悲鳴を上げて銃を取り落とす。レザーは迷わず前に走り、玄関内に飛び込むと同時に撃ってこようとした2人の手元を中心に銃を連射した。

「あっ、痛……ッ、撃たれた、撃たれた!」

 床の上に転がり、撃たれた場所を抱えてもだえる彼らに仲間が叫んだ。

「馬鹿、BB弾だッ……!!」

 撃たれた若者は「え?」と真顔になる。

 目の前の床を、6mmほどの白くて小さな球体がころころと転がっていった。

「エアガン――」

 慌てて目の前に投げ出した銃へ伸ばした手の甲を分厚いタクティカルブーツの底で踏まれる。激痛に呻いた直後、背中に衝撃を受けて気を失った。

 次、とレザーは素早く2人目の腕を極め、床の上にねじ伏せる。

「おおおッ!!」

 3人目は空になった銃を投げ捨てた。

 滅茶苦茶に叫びながら襲いかかってくる右腕を両手で掴み、腰を入れて肩に担いだ。飛び出した勢いのままに投げられた相手は息を呑むような悲鳴とともに空中で回転。固い床の上に背中から激しく落下した。

「畜生!」

 次々と仲間がやられる間にようやく新しい弾を装填成功した青年の額を、強かにBB弾が撃ち抜いた。

「あ、っつ……!!」

 思わず、激痛に目をつぶってしまった青年の鳩尾にレザーの膝蹴りが入る。さすがにこの状況では手加減などできない。

「玄関口、4人。全部倒した」

 リアルタイムでモニターしている泰河にはそれで状況が伝わったはずだ。レザーは柱の影から銃口をちらつかせ、通路に身を乗り出していた男の恐怖心をわざと煽る。

「うっ……!」

 僅かな怯みさえもレザーが突っ込み、銃を奪い取るには充分過ぎた。ろくな訓練も受けていない素人は銃身を素手で掴んで逸らされただけで驚き、自分から手を離してしまう。

「がっ」

 至近距離から肘打ちを食らい、仰向けに倒れた。その向こうに広がっていたのは印刷機の群れだった。どうやら1階は工場らしい。

 ――3人。

 素早く人数を把握し、相手が照準を合わせるより早く壁沿いを駆け抜ける。有効射程が何百メートルあろうと狭い室内では意味がない。むしろ長い銃身が取り回しの仇となる。

 レザーは男が別の銃に持ち替えるのを見た。

 サブマシンガン。

 とっさに印刷機の裏に隠れた直後、周囲に積んであった紙の包みが弾けてシープスターの絵が印刷された吸い取り紙が紙吹雪のように千切れ飛んだ。

 レザーは銃を右手から左手に持ち替え、物陰から左腕だけを伸ばして大まかな狙いをつける。AUGはオーストリアのシュタイアー社が開発したブルパップ式のアサルトライフルだ。機関部をトリガーの後方に配置することによって片手でも取り回しやすい重心と短縮化された全長が特徴的な、とてもよい銃。

「ぐっ……」

 例えBB弾だと分かっていようが、体に染みついた癖が男の体に「逃げろ」と指令を下す。「構わずに撃て」と言い聞かせる意思は、長年に渡る習慣にいともたやすくねじ伏せられる。

「やっぱり、ちょっと上に跳ねるな」

 レザーは弾を撃ち尽くすつもりで弾幕を張った。

「ちっ」

 仕切りなおすため、男はいったん物陰に引っ込む。しばらく待った後で再び顔を出した。いない。不審に思って身を乗り出す背後から、腕を絡めた。

「え?」

 まさか、と呟く首の頸動脈をきゅっと締めて落とす。


「なんだこりゃ……」

 2階から他の仲間が駆けつけた時にはすでに、レザーは残る2人も片付けて窓から外に退避した後だった。

「おい、生きてるのか? おい、いったい誰に襲われたんだ。公安やSATの連中じゃなかったのか!?」

 ほんの僅かに開けておいた窓越しにそんな怒鳴り声を聞きつつ、弾が空になった銃を地面に置く。身軽になったところでひょいひょいと排水管をとっかかりにして建物の壁を上り始めた。

 裏へまわり込んで2階の窓に手が届く場所まで来ると、パンツの尻ポケットを探って泰河から借りてきた小型の電動ドライバーを逆手に握る。一緒に港運会社の事務所に忍び込んだ時、彼がノートパソコンを開けてハードディスクを複製するために持っていたあのドライバーだ。

「1階の工場で3人倒した。これから2階に突入する」

 宣言し、ドライバーの先で窓ガラスとサッシの間を力いっぱいに突いた。ほとんど音もなくヒビが入る。たった3回の突きで割れたガラスの内側に手を突っ込み、鍵を開けた。音を立てないように窓を開け、窓枠を乗り越えて再び建物内に侵入を果たす。

 中に降りてみると、レザーがくぐったのは浴室の窓だったようだ。息をひそめ、浴室のドアを慎重に押し開ける。トイレ、キッチン。生活のためのスペース。テロリストの隠れ家のわりには綺麗に片付き過ぎていた。

「おい、手分けして探せ」

 早く敵を見つけ出したい気持ちが戦力の分散を招く。残念だがこの場合、それは悪手だ。レザーは足音を殺しながら階段を降り、最も近くにいた相手を廊下の曲がり角に引っぱり込んで仕留めると同じ要領でひとりずつ順番に無力化していった。

「なんなんだよ、畜生……くそっ、なんでうまくいかないんだ? なんで、どうして…………」

 彼はぶつぶつとつぶやきながら伸びた仲間の体をひっくり返したりしている。レザーが入口に寄りかかってその背中を眺めているのにも気づかない。

「ねえ」

「――ひぁ!?」

 不意にかけられた声にびっくりして、彼は持っていたサブマシンガンを振り向きざまに連射した。

「俺の邪魔をするなよ、するなよ!! 畜生、国家の犬どもが俺の邪魔をするんじゃねえよ!! お前らは牧羊犬のつもりで俺らをうまく操ってるつもりなんだろうがよ、残念なこった。自分の頭で何も考えさせないうちに、牧羊犬に従うことすらできなくなっちまった成れの果てが俺たちなんだよ!!」

 熱くなった銃口が薄っすらと白い硝煙を吐き、引き金を引く指が何度もすかった。弾切れだった。弾丸が降り注いだドアの周りは傷だらけで、しかし、誰もいなかった。

「はあ、はあ、はあ……」

 肩で息を繰り返す。

「悪いけど、日本語わからないんだ」

 さっきまで誰もいなかったはずの戸口に無傷のレザーが立っていた。彼はぽかんと口を大きく開け、脱力したようにつぶやいた。

「が、外国人……?」

 レザーの後ろ回し蹴りをくらった相手は床に叩きつけられ、それきり動かない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る