25.茶番狂言(1)

 京成本線の沿線駅から間近の道路高架下に、目立つ黄色の看板が見えてくる。

 入口でワンドリンク付きのチケットを購入して中に入ると客席は3分の2ほどが埋まっていた。夜通しのブッキングライブ。2組目のパンキッシュなガールズバンドが着ているスパンコールの付いた短いレーススカートが照明を浴びてきらきらと光る。

 儚い星のようだった。

 地球からその光が見えるころには燃え尽きる彼方の星のような、いじらしい輝きだった。懸命に小さな光を放っている。昼間にいくら輝いても見えないから、わざわざこんな真夜中の小さなライブハウスで一心不乱に輝いている。

「よう」

 トイレ裏の暗い壁際に寄りかかってジンジャーエールを飲んでいると、顔見知りから声をかけられた。札束を握り込んだ右手の人差し指をぴんと立てている。

「ああ」

 5シートで1セットのパッケージが金と交換される。

 その場で袋が破かれ、千切られた1ピースがピアスの開いた舌先で唾液に滲んだ。夢のようなひと時をお楽しみください。学生は全身の神経を張り詰め、ライブハウス内を眺め渡した。ちゃんと見ていたか、俺がシープスターを売った瞬間を。

 薄暗いライブハウス内では、少し離れた場所にいる相手の顔なんてまるで判別がつかない。この状況でちゃんと餌にかかってくれるのだろうかと不安がよぎった。

 隠れ家から部屋に戻った後、室内にあるものを全てひっくり返して盗聴器を探したい気持ちをなんとかこらえたのである。もしそんなものがあれば、たしかに相手は聞いたはずだ。左沢が手配した売人仲間からの誘い。

 今夜0時に国道14号近くにある高架下のライブハウス。

 少し調子の狂ったベースのアルペジオが脳髄を駆け上がるように、体の芯まで響いた。

 ステージの前の方にはり付いているのは追っかけのファンだろう。後はちゃんと聞き入って一緒に盛り上がっている客と、BGM程度に聞き流して休憩している客、曲はそっちのけでいちゃついている客。それぞれだ。

 ミラーボールが万華鏡みたいにたくさんの色に変わりながら、その場にいる人間を平等に照らしていった。

 学生はドリンクを片手にゆっくりと歩き出す。できるだけ自然に見えるように気を付けながら、すれ違う相手の顔をたしかめる。

 誰もが、どことなくゆめうつつな顔つきをしていた。素面なのは自分だけのような気がしてくる。後で取返しがつかなくなっても遅いんだぞ。その二日酔いは永遠に覚めない後悔の味をしているかもしれないのに。

 だが、もうひとりだけ素面の人間がいた。連れの青年が耳元でささやいてから、ライブハウスの外へ消える。

 残されたほうの男がこちらを見た。

 エル・プレジデンテ。

 船橋のシューティングバーでカクテルを飲んでいた男だった。あの時と全く同じ、洒落たピンクレンズのサングラス越しに微笑んで手に持ったドリンクを掲げてみせる。

 まるで乾杯をするみたいに。


            *  *  *


 酔いは完全に覚めてしまった。

 彼はある目的を持って、仲間たちと共にライブハウス裏の路地に身を潜めていた。建物から漏れ聞こえる音楽を聴きながら安物のビールを飲んで時間を潰す。

 殺さなければ、思う存分ぼこっていいと言われていた。

 彼らは結構たちの悪い集団に属する者たちで、左沢には薬物密売で食わせてもらっている借りがあった。腕に覚えのあるやつらを揃えてくれと頼まれ、自分をふくめて8人用意した。

 それが、瞬殺だった。

 地面に転がされ、ときおり呻き声を漏らしている。何度数えても7人だった。逆から数えても7人だった。出来の悪いオブジェみたいに1、2、3、4……やっぱり7人だった。

 ひとかけらの躊躇もない、狩りのような倒し方だった。

 特徴的なのは、いっさいの威嚇を行わないこと。

 彼らのような人間は相手を服従させるための手段として暴力を使いこなしている。どちらが上かを思い知らせることができれば、それで目的のほとんどは達せられるからだ。

 だから高い腕時計を見せつけるように巻き、厳つい車を乗り回す。それでも喧嘩を売られれば、まずは脅しつける。持ってきていたナイフやバールのようなものはそのためにあった。多少腕に自信のあるやつだって、肉厚のでかいナイフを間近で見せつけられたらそれだけで大半はちびる。

 つまるところはマウントの取り合いだ。魂の序列を決める行為。俺の方がお前よりも強いという証明。猿山のボスを決めるための争いと本質は変わらない。

 ――ボス? なにそれ意味あるの?

 夜の路上。

 街灯の光を浴びて立つ姿は次元の違う場所にいるようにさえ見えた。ホワイトのタンクトップに洗いざらしのジーンズ。腰に巻いたブルゾンが動く度に翻る。

 まるで重力を感じさせない動作で振り返った双眸に言われた気がした。プライドなど知らない、優劣になど興味はない。

 ただ、倒すだけ。


『なんだてめぇ、や』

 最初に怒鳴った男はナイフを掴んだ腕を押さえられると同時に喉笛を親指と人差し指の股で打たれ、呻いて膝をついた後頭部に回し蹴りをくらって終わった。

『え?』

 普通、会敵したらまずはにらみ合って互いの気息を合わせるものだ。そんな彼らの常識はまるで無視された。何が起こったのかわからないまま、さらに2人が鳩尾や脇腹に一発をもらってくずおれる。

『このッ……』

 本能的に振り上げたバールのようなものの間合いにそいつは自分から突っ込み、右手と左の肘で武器を持った腕を受け止めるとそのまま相手の顔面に肘を入れた。

『う!』

 深々と鳩尾に膝頭がめり込んだ。

 ぐったりした体を盾にするのも厭わず、5人目に向かって投げつけたところでまとめて蹴る。この5人目が彼だった。

『あう……』

 したたかに尻を打った痛みに目を閉じ、頭を二度ほど左右に振った。そして目を開けた時に見たのがあの不格好な7つのオブジェであった。

 

「ひ、ひえ……」

 こいつ、やばいっすよ。

 やばすぎっすよ、左沢さん――いったい、何を敵に回しちまったんですか。

 こんなの絶対に無理なんで。

 逃げなきゃ。

 腰が抜けていることすら気づかず、両手で這うように背を向けた。

 そこまでしか覚えていない。

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