24.ボランティア(2)

「四街道の倉庫にガサ入れが入ったらしい」

 それを聞いた時、左沢はトイレの床に除菌スプレーを撒いているところだった。そのままティッシュペーパーで汚れを拭き取るだけのお手軽掃除用品である。

 元々は印刷系の工場だったのを、倒産を期に安く買い取って人が住めるように改築した3階建ての隠れ家ハイドアウト

「のんきに掃除なんてしてる場合か?」

 仲間の男は呆れたように言うが、左沢はさらにプシュプシュとスプレーを吹き付けた。便器の蓋、便座、便器。あますところなく泡で包み込む。

「生きてりゃ汚れるんだ。それに、俺がやらなきゃ誰も気にしないだろ」

「それはそうだが……」

「で、四街道の倉庫がどうしたって?」

「マトリが検分に入ったそうだ」

「よくそんな情報を掴めたな」

「記者にコネのあるやつがいる。明日の朝には新聞の朝刊に乗るぞ」

「記者だって?」

 左沢が顔をしかめた。

「マスコミとは縁を切れって言わなかったか」

「わかっているが、こうして役に立つこともある」

「やれやれ。こりゃ指名手配されちゃうかな」

 巻き取ったトイレットペーパーで泡を拭きとる。便座にしがみつき、奥の床まで手を伸ばす。まったく、どうしてこんなに掃除しにくい構造をしているのだろうかと毎回思う。

 俺が開発者なら、便器と一緒に専用の掃除用具もつくってセットで売り出す。こちらのトイレブラシなら当社製便器のくぼみにジャストフィット。水切りしやすい素材で毎日清潔にお使いいただけます。いまなら専用洗剤を2本無料でプレゼント。

 マクドナルドでセットを頼むのと同じ要領だ。ハンバーガー、ドリンク、ポテトかサイドメニューを選べばランチセットの出来上がり。

 商売の基本は商材の種類を問わない。

 サービス。

 消費者の負担を減らし、金と引き換えに楽をさせること。

 あの港運会社の強みは、そういうセット売り商法だった。いまは違法性のある商品をネットで販売するだけなら素人でも難しくない。商売として利益を上げるなら付加価値がいる。

 たとえば、ある過激派グループがいたとする。テロを起こすには当然武装する必要がある。しかし金がない。そういう場合に違法薬物とセットで取引する。違法薬物を売りさばいた金を銃器のリース代金に充てさせるのだ。

 初期費用0円。

 しかも、グループの規模や目的に応じた銃器と弾薬の相談にも乗ってくれる。裏社会であってもきめ細やかなサービスが行き届かなければ顧客はつかない。

 四街道の倉庫には、そういう顧客向けの商品が正規の商品に紛れ込ませるようにして保管されている。ピッキングしやすいように仕分けされた段ボール箱の側面に専用のバーコード。中を開ければ、防災用品の下に隠されたシープスターの紙束と組み上がっていつでも使用できる状態の各種銃器。定番のAK47シリーズ、スコーピオンの愛称で知られるVz85、拳銃ではマカロフPMなどの需要が高まっている。

「外国籍の警備員が殺された事件とバッティングしたのがまずかったな。あんなの運が悪い以外の何がある? 客が殺された男の替え玉だなんて知るかっての」

 使い終えたトイレットペーパーを便器に放り込み、水を流す。

「薬物の購入をめぐっての仲間割れが動機だったという、あれか」

「ああ」

 トイレ用洗剤を掴み、たっぷりと便器のふちの裏に塗布する。

「仲間なんていつ裏切るかわかったもんじゃない」

 粘性の強い、冴え渡るほどに青く透き通った液体がゆっくりと便器のなかを流れ落ちていった。少し置いて汚れを浮かせてからブラシをかける。最後に何度か水を流して終了。

 左沢がビニール手袋を外しながら振り返ると、男が無言で立っている。

「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」

「電話があった」

「誰から?」

「マトリだ」

「――」

「若い男の声だった」

「名前は」

「名乗らなかった。お前のことで聞きたいことがあると頼まれたが、断った」

「行って来ればよかったのに。茶くらい出してくれたさ」

「忙しいと言ったんだ。そうしたら、来週の土曜かと聞かれた」

「――」

 再びの沈黙は、当たりを意味していた。

 来週の土曜日。

 ボランティア。

「こちらの予定が漏れている」

 男は一歩、左沢に近づいた。

「俺は不思議だった。マトリに目をつけられていたお前が、どうしてあの燃え落ちた倉庫から逃げ延びたのか」

 さらにもう一歩。

「たまに会ってるあのビジネスマン風の男は誰だ? 事情通だと言っていたが、実はあいつが――」

 さらに、

「寄るな」

 一歩近づこうとしていた男は、左沢が無表情で言い放った言葉に思わず足を止めた。

 左沢は軽く手を挙げ、大真面目に言った。

「トイレ掃除の後で汚れてる。風呂に入って着替えてくるから、話はその後にしてくれ」

「あ、ああ……」

 浴室はトイレの隣にある。

 左沢が脱衣所に姿を消した後で、シャワーの水音が聞こえ始めた。男はしばらくの間そこに突っ立っていたが、やがて無意味であることに気づいてキッチンに向かった。冷蔵庫をあさっていると、階段を上って来た学生がイヤホンをとりながら言った。

「左沢は?」

「シャワーを浴びてる」

「昼間から?」

 怪訝な顔になる学生に、男はこう説明するしかなかった。

「トイレ掃除の後は、そうするものらしい」


 さて、と濡れた髪をタオルで拭きながら左沢は言った。

「お前のところにはマトリからの電話があった、と」

 指を指された男が頷いた。

「で、お前のところには直接マトリがやってきた」

 すっ、と指先が2人から離れて座る学生に移動する。

 住居でいえばリビングに当たる区画に3人はいた。食堂に置いてあるような、数人が座れる机の誕生日席に左沢が座り、右斜め向かいの席に男が、反対側の一番端の席に学生が座っている。

 腕を組み、左沢は天井を仰いだ。

 男の話によると、電話をかけてきたのは若い男だったらしい。一方、学生のアパートにやってきたのはスーツ姿の男だった。

「名前は見たか? 身分証を見せたんだろ。こう、2つ折りの。昔は手帳だったんだけど、数年前に形が変わったんだよな」

「ああ……」

 しかし、学生は首をひねる。

「のぞき穴越しだったからよく見えなかった。ひょろっとした男だったよ。マトリっぽくない、なんていうのかな……腰が低そうな感じの」

「ひょろっとした男……」

 左沢の表情を見た学生が言った。

「知ってるのか」

「前に似たような雰囲気の男に尾行されたことがある。お前の電話もそいつかな」

「わからん。口調が丁寧だったから、腰が低いと言えなくはないかもしれないが。俺はマトリらしくないとは思わなかった。若いわりに、手慣れた様子だった」

「なるほど。手慣れた若い男の捜査員、ね」

 こちらも左沢の予想通りなら、面識のある相手のはずだ。逮捕されれば名前を教えてやると言った、黒いブレザーの男。

「どっちにしろ、こっちの情報がある程度漏れてるのはたしかみたいだな」

「計画を変更するのは?」

 男の問いに左沢は首を振った。

「もう目をつけられてんだ。いまから変更しようとしたら、監視されてる中を新しい連絡が飛び交うことになる。さらに情報が漏洩する可能性を高めるだけだ。それに、曜日だけわかってたって対処なんかできない。具体的な場所と時間は当日ここに集まった時に伝えることになってる」

「なら、どうする」

「逆にあちらを罠にかけてやるさ」

 足を組み直し、左沢は学生に確認した。

「お前、来週の土曜っていつばれたか想像つくか? そっちには直接マトリが行ってるんだ。お前の方から漏れたと考える方が自然だ」

 だろう、と左沢に話を振られた男もそれを認めるしかなかった。

「しかし、どうやって?」

「連絡は携帯でしか取り合ってない。まさか、盗聴されてるとでも?」

「心当たりはないのか」

「…………」

 学生は唇を親指で押し潰し、軽くそこを噛んだ。

「あるんだな。例えなくても、されてると思って行動するほうが無難だ」

「……わかった」

 左沢は段取りを決め、学生はそれを受け入れた。

「どっちが釣れるかわからないが、できれば生け捕りがいいな」

 独り言のような左沢の希望に男が反応する。

「人質にするのか」

「それもいいけど。もしあの時のやつだったら、話の続きがしたいね」

「あの時……」

「お前が俺を怪しむきっかけになった養老倉庫のガサ入れだよ。あの時、俺も別のマトリに追われてた。それを助けてくれたのが例のビジネスマン風の男だ。スパイならそんなことしないと思わないか」

「……それはそうだな」

 それで、男も一応は納得したようだった。

「疑って悪かった」

「いや、俺も振る舞いには気をつけるよ」

「外で煙草を吸ってくる」

 男が出て行った後で、左沢は大仰なため息をついた。

「ったく、意外と気が小さいやつ……だからゲームでもなかなか勝てないんだよ。なんだ? お前も何か俺に言いたいことがあるのか」

 じっと、学生が静かに自分を見ていることに気がついた左沢は挑発するような仕草で手招いた。

「相手になってやるぜ」

「ふざけるなよ。マトリと何を話したんだ?」

「世間話さ」

「茶化すなって言ってる」

「知りたかったら捕まえてここへ連れてきてくれよ。たぶん、お前の家に来たんじゃない方だ。もっと若くて、自分に自信があって、命知らずなやつ。傲慢なやつだ。一見、そうは見えないけど。実際はかなり、そんな感じ」

「傲慢……」

 学生は何かを思い出しかけたように、目の前のグラスを見つめた。半分ほどミネラルウォーターが入っている。コントレックス。

 左沢が笑った。

「そんなやつが、自分の居場所がどうこうなんて話をし始めるんだから笑っちまうぜ。居場所があるってのは、そこでやるべきことがあるってことだ。それを、ほとんどのやつは誤解してる。他人に必要とされるかどうかとか、好かれるかどうかの問題にすり替えて、自分の本音から目をそらしてる。自由からの逃走ってやつだ」

「エーリッヒ・フロムか」

「人間は70年前から何も進歩してないってことさ。しかし、なんでって聞かれると俺にもよくはわからないな。俺たちはどうして、自分で自分のケツを拭くってだけのことをこんなに怖がっているんだろう?」

「そりゃあ――」

 学生は面白くもなさそうにつぶやいた。

「もう取返しがつかないからさ。手遅れなんだ」

 左沢が苦笑する。

「なるほど、俺も年を取ったな」

「まだ30歳にもならないくせに」

「25歳ならもう十分だよ」

 そういえば、と左沢は思った。

 あの傲慢な麻薬取締官は何歳なのだろう。

 

            *  *  *


「おや?」

 運転席の泰河が突然声を上げたので、窓際に肘をついて外を眺めていたレザーが顔を上げた。

「どうしたの」

 しっと泰河が人差し指を立てる。

 夕方頃、アパートに帰って来た学生の携帯電話端末スマートフォンに電話がかかってきたのだ。

「今日の夜、ライブハウスに行くそうです。仲間に誘われて。麻薬取締官にマークされているのを知ってるはずなのに、不自然だな。罠ですかね?」

「わかってるなら――」

 レザーは頭の後ろで両手を組み、目を細める。

「なんで潜入の準備してるの?」

 いそいそとサングラスをかけている泰河は不謹慎ながら楽しそうに見えた。上着を着替え、髪型を変える。そしてあの八芒星を首から提げた。

「頼みましたよ、腕利きの警備員コントラクターさん」

「はいはい」

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