23.ボランティア(1)
矢蕗はじっと相手の反応を待った。さっき帰宅したのを確認してからの訪問だ。中にいるのは承知している。
あらためてチャイムを押し、「ごめんください」と声をかけた。
「お伺いしたいことがあるのですが、お時間いただけませんか」
* * *
「…………」
学生は音を立てず、のぞき穴から外を見た。
スーツ姿の男。
ひょろっとした長身で、手に鞄を下げている。戸別訪問している営業マンに見えなくもないが……無視して答えないでいると、再びチャイムが鳴る。
「ごめんください。お伺いしたいことがあるのですが、お時間いただけませんか」
彼は黒革の身分証を開いて見せた。こちらがのぞき穴から見ているのを承知しているかのように。
チャイム、3回め。
学生はこれにも反応しなかった。やがてドアの前から人が去る気配がして、足音が遠ざかる。それでも、自分からドアを開けて外をたしかめる気にはなれなかった。急いでベランダに向かい、部屋のカーテンを閉める。
* * *
「そうですか。任意同行には応じてもらえなさそうですね」
泰河は矢蕗からの報告を受け、半ばそれを予想していたかのように考え込んだ。通話を切り、車の助手席にそれを放り出す。
まるでそのタイミングを狙ったかのように再び着信が入った。泰河は一瞥しただけで手に取ろうともしない。
「さて、強引に別件逮捕で引っぱるか。あるいはこのまま流しておくか……」
いまだ、バイブレーションは続いている。
耳障りなこの音にも随分と慣れてしまった。やれやれと肩をすくめる。昔はそれこそ、鳴る度に電話番号を変えたり、叩き壊したりすらしていたのに。
泰河は車を走らせ、左沢がひとり暮らしをしていた賃貸住宅に向かった。ハイツと名のついた2棟でワンセットの単身者向けアパート。すでに家宅捜索は終わっており、薬物の類は出てこなかった。張り込み中の捜査員に挨拶して状況をたずねる。彼が帰宅した痕跡はなかった。
車に戻ると、ようやく呼び出し音は止んでいた。
泰河は上着のポケットにそれをしまい、思案する。そして左沢が行きそうな場所をひとつずつ潰していった。実家、地元の友人、大学。そして船橋のシューティングバー。
店主は常連客の左沢と懇意にしていたようだが、おおよそ趣味に関わる範囲内であって彼の個人的な情報はほとんど知らなかった。
「とにかく顔が広かったですね。サバゲ―やるのに人数が足りなかったら、彼に声をかければ何人でも集めてくれました。会話も軽妙で、人当たりがいいから友達は多かったんじゃないかな」
「その趣味友達以外の知り合いを連れてくることはなかったですか?」
「えっ、そういう発想はなかったですね。彼が連れてくるのはみんなそういう人たちだと思ってましたから。でも、雰囲気がみんな似てたから何かしら繋がりのある人たちだったんじゃないのかなあ……」
平日の午後で他に客はいなかった。泰河はカウンターに座って店主から話を聞いている。今日は変装せず、普段通りのブレザー姿で酒も頼んでいない。
「さっき、サバイバルゲームで人を集めてくれたと言ってましたね。彼の知り合いで連絡先のわかる方いますか」
「えーっと、ちょっと待ってくださいね」
泰河に断ってから、店主は自分の携帯電話端末を操作する。
「一緒にゲームをした時に、番号交換した人が何人か……」
「控えさせてください」
手帳にペンを走らせ、泰河は別のページに書いた電話番号を店主に差し出した。
「もし、彼らが店に来るようなことがあれば分室までご連絡いただけますか。ご協力よろしくお願いします」
駐車場に停めた車に戻った泰河はその場で教えてもらった番号に電話をかけた。1人は電話に出ず、1人は忙しいからと捜査協力を断られた。
『すみません、ボランティアがあるんですよ』
「もしかして、来週の土曜日ですか?」
『え?』
「いえ、なんとなく。ただの勘です」
『……ええ、その辺りかもしれませんね。それでは、これで』
泰河は通話の終わった画面を眺めながら、なんとなくつぶやいた。
「……ボランティア」
コンコン、と車の窓が叩かれて顔を上げるとレザーが手を振っていた。鍵を開けてやると助手席に乗り込んでくる。
「オイルサーディンの方が俺ね」
駅の中にあるカフェの買い物袋を渡され、中を覗いた。コッペパンに具材を挟んだサブマリンサンドの包みとドリンクがふたつずつ。
泰河は言われた通り、オイルサーディンにトマトとアボカドを合わせた方をレザーに手渡した。もうひとつはマスタードチキンだった。
「この店、小神野さんに教えてもらったんだ。泰河さんは前にチキンが好きって聞いてたから、辛いの平気だよね」
「ええ。最近、小神野さんと仲がいいんですね」
「なんかね、いろいろ優しくしてくれる」
「へえ? 何が気に入ったんでしょうね」
泰河は自分のアイスコーヒーを運転席側のホルダーに置き、助手席側のホルダーにレザーのアイスティーを置いてやった。
「ありがとう」
「来週の土曜日、なにかありますね」
包み紙を剥き、端からかぶりつく。少し甘めのマスタードがさっぱりした鶏肉と新鮮なレタスによく合う。
「出た、泰河さん予報」
「なんですか、それ?」
「壱谷課長が言ってた。的中率85%」
レザーははみ出していたアボカドの切り身を前歯で挟んで引き出し、先に片付ける。それからたっぷりと挟み込まれたオイルサーディンをこぼすことなくパンごと器用に齧った。
「内通者、もうだいたい絞れてきてるんでしょ?」
「そりゃあ、携帯電話端末のデータを全て監視まですれば簡単なことですよ」
泰河はアイスコーヒーを口に運んだ。
「たとえ他人名義であろうと、持っている端末さえ特定できればそこからIDを割り出して情報を抜くのは不可能じゃないんです。第三者が左沢を救出に来た時、同じ場所にいたのは俺を含めて3人だけだった。もちろん端末のGPS機能には多少の誤差があるので、もう少し範囲を広げる必要はありましたけどね」
「前から思ってたけど、それってそんな簡単にできないよね。あんたの後ろには何がついてるの?」
さっさと平らげたレザーは握り潰した包み紙を袋の中に戻し、アイスティーのストローをもてあそぶ。泰河はさらに一口、サンドを頬張った。
「所詮は違法捜査ですよ。このやり方で入手した情報を証拠として有罪にすることはできない。そういう意味では、たいしたことじゃありません」
「ふうん」
「立件するには、この情報を元手にどこに出しても問題ない誰が見ても公正な証拠を手に入れる必要がある。それができなければ宝の持ち腐れにすぎません」
またしても、泰河の携帯電話端末が着信を告げた。
どうせまた出る必要のない連絡だろうと思って画面を見ると、壱谷からだった。
『事情聴取した従業員から新しい情報が出た。例の港運会社が管理する倉庫に不審な品物が保管されている可能性が高い』
ドリンクの中身を飲み干したレザーが、ふたを外して直接残った氷を口に放り込む。噛み砕く音。
『すぐに現場へ行ってくれるか?』
「承知しました。場所は?」
『四街道市だ。ゴルフ場の近く』
泰河は言われた住所をカーナビゲーションシステムに入力し、まだ残っていたサンドをアイスコーヒーで流し込んだ。
シートベルトを締め、隣のレザーに告げる。
「出しますよ」
「了解」
レザーがシートベルトを締める音と同時にエンジンを始動。ブレーキペダルを踏み、ギアシフトを
ゲートの前で
四街道市はその名の通り、千葉市、船橋市、成田市、東金市に繋がる4つの街道が交差する交通の要衝として栄えた街だ。そのうちのひとつにあたる県道66号線を市中へ向かって走る。市名の由来になった十字路を直進、駅前をぐるりと迂回して吉岡十字路の手前で右折すると重工業工場や機材センターに紛れて折板屋根の倉庫が見えてきた。
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