19.~ではないと思う(1)

 取調室の沈黙は結構な時間に及んだ。

(面倒な男だ)

 検察官はこれまでの経験と照らし合わせ、シマノに対する評価を改めた。あまりにも確信犯的に過ぎる。

 こういう輩に反省などは促せない。

 ただ事実としての罰を与え、禊が済めば釈放するだけのこと。

 ただ、解せないのは自供した理由だ。検察官は提出された供述調書の担当者名をたしかめた。泰河、とある。千葉中央分室の麻薬取締官だった。

「……ちなみに、君を誘った男はこの写真の中にいるかな」

 検察官は数枚の人物写真を机の上に並べる。

 シマノは面白くもなさそうな顔で、すっと1枚の写真を人差し指で検察官の方に押し出した。

「こいつ」

 痩せた男が自分のこめかみに銃口を向けている。

「間違いない?」

「ああ」

 シマノは頷いた。

「客と会う時は目印にプロ野球チームの帽子をよく被ってた。『M』って入ってるやつ。色はたしか黒地に白のロゴだったかな」


            *  *  *


 爆竹だ、と誰かが叫んだ。

「いや、これ――」

 いまにも倉庫内へ突っ込もうと飛び出しかけていた小神野は間一髪で難を逃れた。あと少し撤退が遅れていたら全身火傷を負って再起不能になるところだ。

「爆竹ってレベルじゃねえぞ……ッ!!」

 大きな音を上げて燃え盛る導火線が内部の火薬に引火した途端、一瞬にして倉庫の屋根まで届くほどの閃光が走る。ドン、だかバン、だか。とにかく、もの凄い爆発音が鼓膜に襲いかかった。

 そういえば、前に組織犯罪対策課の刑事が押収した違法爆竹を見せてくれたことがあった。フィリピンで売られていたもので、その名も『グッバイ・フィリピン』。

 たぶん、そういう海外産のやばい代物だったのだろう。

「ふざけやがって――!」

 爆煙に紛れ、男が2人ほど倉庫の外へ逃げていった。ひとりはつばのある帽子を被っている。ロゴは――『M』。

 とっさに、小神野は駆けだしていた。

「待てよ!!」

「……待つのはお前だ、小神野! 危ないぞ!」

 纏が注意した通り、続けて投げ込まれた2つめの爆竹が火花を吹きながら小神野の目の前に転がってくる。

 やばい。

 脳内でアドレナリンが出まくった。

 下手をしたら死ぬ。

 

 俺は――なんならやる気になれるんだ?

 どうして勉強も仕事も全部がつまらなかったんだろう。

 ――ああ、そうだ。

 全部、兄貴のほうがうまくできたから。

 やっと家を出たのに、今度は泰河あいつの背中が俺の前に立ちはだかる。

 俺は、勝ちたかったんだ。

 勝てることが、やりたいんだ。

 ――勝つ、勝ってやる。

 そうして、この仕事を好きになってやる。

 なんて汚い人間だ。ほしいのはただの優越感なんだ。味わってみたい。負けの反対を。いけ、やれ。


(止まるな)

 一気に駆け抜けた背後で、再び爆発。

 もう滅茶苦茶だ。

 周辺道路を見張っていた捜査員が爆発に驚いて飛び出してくる。

「どけッ……!!」

 小神野は叫んだ。

 逃げた男たちが車に乗り込み、ドアも締め切らないうちにエンジンを吹かしたからだ。正面にはリボルバー銃を構え、相打ち覚悟で立ちふさがる捜査員の姿。

「――――」

 小神野の眼前で、ドン、と激しい衝撃音がした。

 横合いから転がってきたドラム缶が車のバンパーと衝突し、跳ね上がってウィンドシールドを直撃する。

 捜査員は直前で飛び退いて無事だった。

 撃ち出された弾はドラム缶を貫通し、油をぶちまける。頭から油を被った車は前が見えないのとタイヤがスリップするのとでコントロールを失い、縁石に乗り上げて止まった。


            *  *  *


 横倒しにしたドラム缶を足で蹴り飛ばしたレザーは、運転席から転がり落ちるように出てきた野球帽の男と小神野が揉み合うのを遠くから眺めていた。

「やれやれ、お願いが効きすぎたかな」

 振り返るより先に、壱谷がレザーの肩を抱くように腕を乗せてくる。

「よくやってくれた」

それほどでもIt’s nothing

 さすがに、あの人数では振り切れない。揉みくちゃにされた男の頭から落ちた帽子が踏みつぶされる。捜査員が脚や頭を掴み、うつ伏せに抑えつけた男の背中に膝を乗せた小神野が手錠をかけた。

「っしゃあああッ!!」

 拳を握り、吼える小神野。

 他の捜査員が合流する。

 引き立てられた男は乱暴なボディチェックを受け、他に凶器を持っていないことが明らかになった後で纏による逮捕状の読み上げを受けた。


            *  *  *


「今日はこれくらいにしておこうか」

 検察官はパソコンを閉じ、軽く肩を回した。

 シマノは無表情のまま横を向いていたが、ふと初めて検察官の方に顔を向ける。

「あの人はもう来ないの」

「誰だね」

「前に俺を担当したマトリ」

「ああ、泰河くんね」

 さて、と検察官は他人事のように言った。

「あれは綺麗な供述調書だったね。概ね、必要とするところは聴取を終えているように見えるけれども……まあ、管轄が違うから。たしかなところはわからんね」

「ああ、そう」

 シマノはそれっきり口をつぐみ、おとなしく手錠と腰縄をかけられる。

「検察官さん」

「うん?」

 シマノは薄っすらと笑った。

「ああいう人に会えるのなら、逮捕されるのも悪くないね」

 虚を突かれ、検察官は取調室前の廊下に立ち尽くしたまま、シマノが職員に伴われて収容されている居室に戻るのを見送った。

「まいったな……」

 薄くなった頭をかき、踵を返す。

 

            *  *  *


「――え?」

 最初、小神野は何が起こったのかわからなかった。

「……がい、……す」

 纏が読み上げた逮捕状の内容に対して、男は異議を申し立てたのである。犯人との取っ組み合いで乱れた服装もそのままに呆然となる小神野の前で、彼はもう一度言った。

「違います、俺、左沢じゃないです」

 何を言っているのか、まるでわからなかった。

 こいつ、ちゃんと日本語でしゃべってるのかな――もしかして、まったく見当もつかない異国の言葉でなんか言ってるだけなんじゃないの?

 だって、俺じゃないって言った。

 ああいや、ちゃんと理解できてるじゃないか。

(――左沢じゃない?)

 そんなことがあるのだろうか、と小神野は疑問に思った。

 左沢には尾行がついていて、倉庫から外出する際には必ず複数の捜査員が足取りを追っていた。昨夜、夕飯を食べるために国道沿いのラーメン屋に行った後はガサ入れまでの時間ずっと倉庫内にいたはずなのだ。

(もし、どこかで入れ替わったんだとしたら)

 いつから?

 外出する際、左沢は必ず例の野球帽を被っていた。それを目印にしていた捜査員を欺き、こちらの目の届かない場所で他人と入れ替わる。

 可能性が高いのは、昨夜のラーメン屋だろう。店内のトイレかどこかで背格好の似た人物と服や帽子を取り換えることができれば不可能ではない。

 ないかもしれないが、実際にそんなことが可能なのだろうか。

(そんな、まるで俺たちのガサ入れを事前に知ってたみたいな行動――)

 その場にいる捜査員の誰もが困惑する中、進み出た矢蕗が確保された男の顔をじっと覗き込んだ。彼はおとり捜査で左沢と間近で接触している。

「……違うな」

 彼自身も、まさかと言いたげに震えた声だった。

「ブキさん」

「突入と同時に銃撃戦が始まって、まともに顔を見る機会がなかった。というか、まさか別人だとは思いもしなかった」

 その場に集まった捜査員たちの間に、言いようのない戸惑いと沈黙が滞留する。破ったのは最後のひとりを追っていた捜査員からの報告だった。

「逃走した男を確保。これで6人全員を逮捕しました」

「逮捕……」

 小神野は乾いた声で繰り返す。

「一応、現行犯逮捕にはなりますよね? 人違いでも」

 纏が頷いた。

「銃刀法違反、公務執行妨害。あとは薬物の物証か尿検査の結果がクロなら確実だな。ああ、呼んだ消防車がようやく来たようだ」

 サイレン。

 駆けつけた消防士がホースを持って、爆竹から延焼した倉庫内部に水をかける。ひどい脱力感の中で、そんなに濡らして証拠品の保全は大丈夫なのかなと思った。

 それに、腕も足も痛い。

 自分の格好を見下ろすと、ズボンの裾は焼け焦げ、上着は袖の付け根が破けて穴が開いている。手の甲で頬を拭うと、油がべっとりとついた。

 ため息をつき、もそもそと脱いだ上着の端で顔の汚れを拭う。

 纏が言った。

「小神野、分室に戻る前に病院へ行け」

「平気っすよ」

「どこが?」

 全く、容赦のない上司だ。

 こんな時くらい、最低限の格好をつけさせてくれてもいいじゃないか。

「あー…………」

 小神野は糸が切れたようにしゃがみ込み、膝の上に乗せた両腕に顔をうずめた。サイレン。放水で濡れたアスファルト。捜査員は次々と犯人たちをパトカーに押し込み、撤収の準備を進める。敷地外には爆発音を聞きつけた野次馬すらが集まりはじめていた。

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